第128話 黎明の密議
ヤマト建国宣言の翌朝。新たなる国の黎明を迎えたその日、マルフレア・フォーセインが最初に着手したのは、彼女がこの国で最も信頼する騎士、メシュードラ・レーヴェンに密命を下すことだった。
まだ建国祭の熱狂の余韻が領主館のあちこちに残るなか、唯一、冷えた静寂と緊張感が支配していたのは、マルフレアの執務室だった。かつてグリクトモアの資料庫だったこの一室は、彼女の手によって急ごしらえの作戦室へと変貌を遂げていた。窓から差し込む初夏の朝陽が、並べられた地図や書簡の端を照らし、風が書類の隙間をさらりと撫でる。ここは今やヤマトの頭脳であり、静かに燃える意志の炉であった。
「シュカリラ……ですか?」
メシュードラの声は低く落ち着いていたが、その奥にかすかな驚きがにじんでいた。まったくの予想外だった命令。彼の瞳がマルフレアを見つめる。
「そうです。王都スケイグに潜入し、間もなく始まる内戦に、介入していただきたいのです」
マルフレアは書架から一枚の地図を引き抜き、メシュードラの前に差し出す。その指先には迷いがなかった。冷静で、的確。だがその奥に、国を背負った者の覚悟が透けて見えた。
それは、誰にも見せぬ孤独の影。
メシュードラは小さく息を吸い、そして口元にわずかな笑みを浮かべた。真っ先に指名されたことが、彼にとってどれほどの誇りか。マルフレアの軍略の冴えを、誰よりも知る者として──いや、ヤマトの武人として、これ以上の栄誉はない。
「介入とは……あまり穏やかな話ではありませんな」
問いかける声は穏やかだったが、そこに潜むのは戦場を知る者特有の緊張感と、確かな闘志だった。
マルフレアは静かに頷いた。
「内紛の発端は、王位をめぐる争いです……」
彼女の声は硬質で、それでいてどこか悲哀を帯びていた。アイハルツ地方に割拠する王国。それぞれが虎視眈々と他国を併呑せんとし、同盟と裏切りを繰り返す。王国の内でも火種は常に燻り、油断すればすぐに燃え広がる。それがこの世界の常であり、無辜の民が安心して暮らせる場所など、ほとんど存在しないのが現実だった。
*
まさに戦国の世。
覇を唱えんとする九つの王国が、広大なアイハルツ地方で複雑に睨み合っていた。剣を抜けば即座に戦、笑顔の裏には刺の言葉が隠され、血の気配が風に乗る。民の暮らしは脆く、王の一声で村が燃え、同盟の一筆で町が救われる。運命は、常に上空で震えていた。
【トレフロイグ】
アイハルツ最大の領土を誇る老大国。
その城塞都市からは常に堂々たる軍旗がはためいているが、国王モツィ・イブスはすでに老境にあり、その眼差しは遠く、かつての覇気はもはや影を潜めている。
彼にとって戦は過去のもの。血を流すよりも均衡を保ち、豊かな老年を国と民に残すことこそが義務だと考えていた。だが、周囲はその静けさを「隙」と見る者も少なくない。
【ダレウモア】
領土の広さでトレフロイグに次ぐ、実力派の王国。
若き王が即位してまだ間もないが、その目にははっきりと「覇」の二文字が宿っていた。内政に力を注ぎ、有能な臣下を次々と登用し、国の体制は急速に整えられつつある。
だが、彼の手綱を引くのは、「過去」だ。トレフロイグとの長年の深い縁が、野心をあからさまにすることを許さない。まるで刀を布で包むように、彼の野望は慎重に、しかし確実に磨かれていた。
【ヤドックラディ】
三番手の大国。
その国王バート・ゴーレイは、老王モツィ・イブスの娘を正室に迎え、トレフロイグと固く結ばれている。
同盟の裏で進められていたのは、かつて自治を許されていたグリクトモアとグリシャーロットの併呑計画だ。王都ではバート・ゴーレイと側近が策謀を巡らし、大陸最強の傭兵、クルーデを隠れ蓑にした征服が静かに進められるはずだった。
だが、その渦中に現れたのが、来栖弾九郎。その一党が引き起こした想定外の事態により、国政は乱れ、王宮の会議室には連日、緊張と焦燥が渦巻いていた。
【アヴ・ドベッグ】
かつて辺境の一国に過ぎなかったが、国王グンダ・ガダールの手腕により大きく飛躍した。隣国ナハーブンを滅ぼし、悲願の中堅国入りを果たす直前まで迫ったのだ。
だが、栄光は突如として砕け散った。戦勝から間もなく、王は不可解な死を遂げる。
その後を継いだのは、年老いた大叔父アルド・ガダール。だが、彼には威も覇気もない。王宮の空気は重く、臣下たちは互いを疑い、復興の旗は風に翻ることなく垂れ下がっている。
【ナハーブン】
国王グーハ・リースは膨大な予算を軍に投じ、大陸最大を誇るマーガ傭兵団を戦列に加え、アヴ・ドベッグへの勝利を確信していた。
だが、戦場に突如現れた異形のオウガにより、軍は崩壊。王は逆襲を恐れ、今や国防にすべてを賭ける姿勢を見せている。
しかし民の眼差しは冷たい。敗北の責を問う声が高まり、玉座の足元は、静かに軋んでいた。
【ガヴ・リン】
小国ながら、老大国トレフロイグとの血縁に守られている国。王はモツィ・イブスの甥にあたり、外交の場ではその名が重く響く。
だが、国内の実情は異なる。財政は細り、民の暮らしも逼迫気味。合併論者と独立主義者が宮廷内で水面下の争いを繰り広げ、酒宴の裏で毒杯が交わされる日も遠くはない。
この国は今、ゆるやかに燃えつつある。
【ムルホーマン】
九王家の中で最も小さな国。
その運命はすでに他国の掌中にある。宰相をトレフロイグから迎え入れており、事実上、老大国の衛星国として機能している。
国王の姿は儀礼の場にしか見られず、実務はすべて宰相が握る。国の未来は、もはや自国の意志で選ばれるものではなかった。
【アードナバ】
ムルホーマンと肩を並べる小国。
だがこちらはダレウモアとの結びつきが強く、もし王統が絶えれば併合されるのは既定路線とすら言われている。
王宮には常に「次」を見据えた空気が漂っている。王族たちは、玉座を守るよりも、いかにダレウモアに気に入られるかを考え始めていた。
かくしてこの国もまた、静かに「終わり」に向かっていた。
お読みくださり、ありがとうございました。
アイハルツ九王家は、戦争と同盟を幾度も繰り返し、その因縁の始まりすらわからなくなるほど複雑に絡み合った関係を続けています。
それでも決定的な滅亡に至ることはなく、微妙な均衡のまま存続しています。
さらに、外敵が侵入してくる際には利害を超えて団結し、侵略者を幾度となく撃退してきました。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。