第105話 親衛隊の三剣士
夏の澄んだ朝、空は一点の曇りもなく晴れわたり、森の緑が太陽の光を浴びてまぶしく揺れていた。湿り気を含んだ土と若葉の匂いが、風に乗って静かに漂う。そんな穏やかな風景の中、四機のオウガが木々の間を縫うようにして駆け抜けていた。獣じみた俊敏さと、罠を警戒するような慎重さ。まるで追われる獲物のような走りだった。
「は~い! そこまでー! 逃げ切れると思ったの? オ・ジ・サ・ン♪」
渓流がせせらぎを立てる、小さな陽だまりの空間。そこに、一機のオウガが悠々と立ちはだかっていた。装甲は明るく光を反射するピンク色。全身に朝の陽光を浴び、まるで春の花のように輝いている。機体の名はハヴィー。そのシリンダーに収まっているのは、十六歳の少女──ファノナ・ルーク。
目の前には、逃亡中の四機。いずれも只者ではない、一筋縄ではいかぬ面々だ。それでも、ファノナはまるで遠足にでも来たかのように、リラックスした様子で声をかける。臆する気配など微塵もない。
「ガキが! そこを退け!」
一機のオウガが怒鳴りざまに突進してきた。その瞬間、金属が激突する鈍い音が森に響く。次の刹那には、その機体が地面に崩れ落ちていた。
ハヴィーの手に握られていたのは、長身のナイフ。目にも止まらぬ速さで突進してきた敵機の首元を一閃。致命の一撃だった。
「マズイ! こいつ、親衛隊だ!」
誰かの叫び声と共に、残った三機は一斉に散開して逃げ出した。
「あっ! ダメダメ! もっと遊ぼうよー!」
ファノナの声は追いすがる風のように、軽やかで楽しげだった。ハヴィーが軽く地を蹴ると、あっという間に一機に追いつき、その背にナイフを突き立てる。命を司る中枢──腰の中心を正確に貫かれた機体は、もう動くことすらできない。
「あ~あ、二機しかやれなかったじゃん! もっと根性出せよなぁ~。オジサンでしょ?」
ファノナは仕留めた機体の肩に腰かけ、不満げに頬をふくらませた。息を切らすでもなく、その表情にはまだ余裕すら見える。だが、その気楽さとは裏腹に、彼女の一挙手一投足には訓練された殺意が宿っていた。
静寂を裂くように、森の奥からもう一機のオウガが姿を見せる。だがそれは自力で歩いてはいない。引きずられるようにして現れた。その首元を掴んでいたのは、鮮やかなスカイブルーの機体──ポヴァ。
「詰めが甘いよ、ファノナ。一人で四機なんて、十年早いわ」
落ち着いた声が通信に割り込む。ポヴァの搭乗者、エスカ・エルショフ。ファノナより二つ年上の十八歳で、血のつながりはないが、本人は姉のように振る舞っている。
「ちぇー! だって、そいつら逃げるんだもん!」
言い訳にもならない反論を口にしながら、ファノナは少しだけバツが悪そうに視線を逸らした。そんな彼女の様子に、エスカは口元に笑みを浮かべる。妹の無鉄砲さも、もはや日常の一部だった。
ポヴァの装甲は、空の色を映したような澄んだ青。光の加減によって、まるで森の上空に溶けていくように見える。
「そう言えば、もう一機は?」
「ああ、それだったら、もう──」
エスカが答えかけたそのとき、再び森の奥から重々しい足音が響いた。一機のオウガが姿を現す。赤を基調とした威圧的な機体、ビョルン。その手には、ぐったりとした敵機の顔が握られていた。
「ラグナ!」
ファノナが声を上げたその男こそ、ラバス親衛隊の隊長、ラグナ・リンデル。二十三歳。その強さは幾多の戦場で証明され、赤という標的になりやすい色すら、彼にとっては強さの象徴であった。
「ラグナ! じゃなくて、隊長! だろ。いつまで子供気分でいる気だ?」
「いーじゃん、子供のころからずっとそう呼んでたんだから、急に変えられるわけないよ!」
ファノナが軽口を叩くと、エスカもどこか呆れたように続く。
「ファノナはまだ子供なのだから、許してあげてください、隊長。あとで私から厳しく言い聞かせておきます」
「ったく……エスカも笑ってるじゃないか。カーツ様に言いつけるぞ」
「いーもん、カーツ様だったら笑って許してくれるよ」
「ラグ……じゃなくて、隊長の威厳が足りないって話だね」
三人の会話には、どこか家族のような温もりがあった。彼らは皆、貴族の家に生まれながら、幼少期にオウガ適性が発覚し、カーツ・ゴーレイの元に預けられた者たちだ。剣と軍略を叩き込まれ、やがて選ばれし存在──親衛隊として、ラバス城に仕えるようになった。今やその存在は、城主、カーツの傍近くにあって、確かな影を放ち始めている。
そして、この静かに始まった夏の一日も、また彼らの歴史の一頁となるのだった。
*
柔らかな陽が森の隙間から降り注ぎ、葉の一枚一枚がきらめく午前。木々の間を抜ける風は心地よく、せせらぎの音が静かに耳をくすぐる。戦いの直後とは思えないほど、森の空気は穏やかだった。
「それにしても、ここのところ、ずいぶん野盗が増えたね~。今日のでもう何機目?」
木の根元に腰を下ろしながら、ファノナが何気なく言った。陽に照らされたその頬は明るく、まるで遠足の帰り道のような無邪気さがあった。
エスカは指を折りながら数える仕草をしてみせる。
「えっと……十七、いや、十八機目か。確かに多いよね」
言葉の最後にかすかな溜息が混じった。この数日の戦いの連続は、確かに異常だった。
「それは、野盗が増えたからじゃない。野盗討伐が……解禁されたからだ」
ラグナ・リンデルの声は低く、そして言葉の途中で途切れた。言い切るのをためらったのは、自分たちが長らく手をこまねいてきたという事実が、胸に重くのしかかっていたからだ。
ラバス城とその支配下であるヤドックラディ南部。その地は、長らく静かな荒廃に包まれていた。
原因はクルーデ。あの男が山岳地帯の砦を制圧し、大陸各地から傭兵たちを呼び寄せた。その余波で、治安は音を立てて崩れた。集まった傭兵たちすべてがクルーデの配下となれたわけではない。足りぬ腕前や過去の経歴を理由に弾かれた者たちは、次第に無法者と化して、この地に残り、食い扶持を求めて町や村を襲い始めた。
民の嘆願はラバス城へと殺到した。だが、城主カーツ・ゴーレイは動けなかった。いや、動くことを許されなかったのだ。
──クルーデの動きを妨げてはならぬ。
それが王からの勅命だったからだ。
どれだけ村が焼かれ、民が命を落としても、それが野盗によるものか、あるいはクルーデの意図的な工作か、判断する術はない。カーツは幾度も訴えを上げ、せめてクルーデと直接交渉の場を設けたいと願い出たが、すべて却下された。
状況が動いたのは、ひとりの異界人の出現によってだった。来栖弾九郎──。彼によってクルーデは斃れ、バート王の野望は頓挫し、ようやくラバスの手足は自由を得た。反逆者の出現によって皮肉にも彼らは、民のために剣を振るえるようになったのだ。
「ヤマトの方でも、けっこう野盗を捕まえてるらしいね」
エスカがそう言った瞬間、ラグナの眉がわずかに動いた。苦笑すらできないような硬さが、表情の端に浮かぶ。
本来であれば、治安維持はラバスの責任だった。だが、何もできないままの時間が長すぎた。
今こうして動けているのも、ヤマトのおかげ。彼らの働きがなければ、クルーデが討たれることも、王の重圧から解き放たれることも叶わなかった。
「ふ~ん。だったらさぁ、いっそヤマトと協力すれば、もっと効率よくなるんじゃない?」
ファノナの声は屈託がない。彼女はただ、素直な思いを口にしただけだった。効率的に、無駄なく、より多くの命を救える方法。誰もが思うことだ。だが、その当たり前が、この国では通じない。
ヤマトは王国に刃を向けた反逆者であり、ラバスはいずれ彼らと戦わねばならぬ宿命の相手だ。だから、共闘など──あってはならない。
「子供には、わからない事情があるんだよ」
ラグナはそれだけを言った。理屈ではなく、ため息混じりの現実。
「あーあ、またラグナは私たちを子供扱いするー!」
ファノナが頬をふくらませ、ラグナの胸元に飛び込んで胸板をバンバンと叩く。その仕草は、幼い頃とまるで変わらない。拗ねて、怒って、じゃれてくる。それはただのからかいであり、甘えでもあった。
「しょうがないだろ。実際、ガキなんだから」
「キーッ!!」
まるで兄妹のようなやり取りに、エスカも口元を緩める。ああ、またこれか。ラグナの胸にも、そんな懐かしさが浮かんだ。
けれども──その平和な空気の奥に、言葉にできぬ不安があった。
この笑い合える時間が、あとどれほど続くだろうか。
ラグナにとって、ファノナもエスカも、血を分けた家族以上の存在だった。訓練の中で育ち、命を預け合う日々を越えてきた彼女たちは、自分にとってただの部下ではない。かけがえのない、守るべき妹たち。
だが、来るべき戦がその絆を引き裂くかもしれない──。
クルーデを屠ったヤマトと、いずれ相まみえる日が訪れる。もしその戦の中で、ファノナやエスカが傷付き、命を落とすようなことがあったなら……。
そのとき、自分は正気でいられるのか?
無邪気に笑い、じゃれついてくるファノナを見ながら、ラグナはそっと目を伏せる。そして、たわいのないこの一瞬が、永遠であってほしいと、心のどこかで祈っていた。
お読みくださり、ありがとうございました。
ラバス親衛隊は、カーツ・ゴーレイが自らの手で選び抜いた三十名の精鋭たちで構成されています。
その多くは彼の直弟子であり、隊員同士はまるで家族のように深い絆で結ばれています。
隊の編成は徹底した実力主義に基づいており、隊長にはラグナ・リンデルが、そして副隊長にはファノナ・ルークとエスカ・エルショフが任命されています。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。