第102話 王弟カーツ
「……ヤマト……だと?」
玉座の間に沈むような低い呟きが落ちた。ヤドックラディの王都、ニスビーの中心にそびえるゴーレイ城。その心臓部とも言うべき軍議の間で、バート・ゴーレイは深く眉をひそめた。冷えた空気が王の顔に陰を落とし、光を拒むような瞳が細められる。
広間には緊張が張り詰めていた。玉座の下、報告にひざまずく武官が硬い声で続けた。
「はっ。『来栖弾九郎』なる男が自らをヤマト王と称し、我が国に対し明確な敵意を示しました。ヤマトは現在、グリクトモア全土とオロロソ家の資産を吸収した模様です」
バート王は舌打ちこそしなかったが、目を伏せ、顎をわずかに引いて顔をそむけた。その仕草に込められた不快の色は、誰の目にも明らかだった。
「……厄介なことになりましたな……」
玉座の脇に控える左将軍、アイゼル・パガニンが低く唸った。六十年の風雪に耐えてきたその面持ちには深い皺と知恵の影が刻まれている。豊かに伸びた灰色の顎鬚を撫でながら、静かに状況を噛みしめるように呟いた。
「これは明白な反逆行為。ならばすべきことは一つ。即座に軍を差し向けるべきでしょう」
真向かいから響いた鋭い声に、空気が一変した。右将軍、ダーシャ・ザーニ。二十六歳の若き女将軍は、毅然とした姿勢で卓を叩いた。鋭い眼光、しなやかに締まった身体に纏う軍装が、彼女の才気と実力を物語る。
文武に通じ、政戦両略に長けたその存在は、今やヤドックラディの柱石と称されるまでになっていた。だが、彼女の積極策には常に一抹の不安も付きまとう。
「それは短慮というものだ、ダーシャ。来栖弾九郎は、あのクルーデを倒したのだぞ」
老将アイゼルの声には重みがあった。歳月とともに積み上げられた戦の記憶が、その口調に篤い説得力を持たせている。玉座の間に静寂が落ちた。
ヤマト──勃興したばかりの小勢力と侮るには、あまりにも異質な輝きがある。その王、来栖弾九郎が倒した「クルーデ」は、大陸最強と呼ばれる戦士で、その元に集った二百五十を超える傭兵たちは精鋭揃いだった。
「しかも、あの男には光剣のメシュードラ、氷剣のツェット……大陸十三剣が二人も従っているという。そして、此度の戦でクルーデ配下の十三剣を三人も討ち果たしたとか。迂闊に動けば、こちらも無傷では済むまい」
静かに、だが確実に火種は広がっていた。
「ではアイゼル将軍は……この反逆者どもを放置せよと仰るのですか?」
ダーシャの声には怒気が滲んでいた。若き将の血が煮え立つのも無理はない。だが、アイゼルはそれを受け流すように首を横に振る。
「そうではない。儂が言いたいのは、時を誤るなということだ。性急に事を運べば、かえって国を危うくする」
二人の将が意見を交わす間、バート王は玉座に沈み込むようにして沈黙を保っていた。だが、耳は鋭敏に働いている。内心ではダーシャに同調していた。今すぐにでも討伐軍を編成し、ヤマトを滅ぼしてしまいたい。だが、もし失敗すれば──。
バート王は内心で苦悶していた。下手に手こずれば王の威信は地に落ち、周辺国の嘲笑を招く。ヤドックラディはアイハルツ地方では三番目の規模を持つ国だが、内情は決して盤石ではない。表面上は平穏でも、諸侯の動向はきな臭く、隣国の兵が国境を越えてくるのも時間の問題となるかもしれない。
唇を噛み、王は吐き捨てるように呟いた。
「クルーデめ……口ほどにもない男だった……」
それは、己の野望を託した男への失望であり、かつて彼に支払った二十万ギラへの後悔でもあった。バート王はこの八年で、グリクトモア殲滅、グリシャーロット併合のために三十万ギラ以上を投入していた。その資金の大半は、グリクトモアのオロロソ家から強奪したものであり、他人の金ではある。だが、それも今や湯水のように消えた。
──今ここでヤマトを屈服させ、グリシャーロットを併呑せねば、王の体面は保たれぬ。財政は枯れ、民心は離れ、玉座が揺らぐ。
その想いが、王の愚痴を怒りに染め上げた。
「いっそ、組むって手もありますよ」
その声は、まるで緊張の糸を断ち切るように、場の空気を揺らした。玉座の間に漂っていた重苦しい沈黙に、水を打つような軽妙な調子。それにふさわしくない呆気とした口調だったが、だからこそ却って皆の注意を集めた。
声の主は、王の右手奥にゆったりと腰を下ろす男、カーツ・ゴーレイ。南方の要衝、ラバス城の城主にして、王弟である。端正な顔立ちに整えられた口髭と顎髭が、成熟を漂わせているが、年齢は三十三歳とまだ若い。兄であるバート王より八つ年下だ。しかし彼は王家の正統たる血を半分しか引いていない。母は辺境の貧農の娘。かつて旅の途中で先王に見初められ、寵愛の末に生まれたのが、この男だった。
母親の身分が低すぎるゆえに、王位継承権は与えられなかった。だが、持って生まれた器量と、場の空気すら味方にする巧みな弁舌、そして一目置かれる軍才によって、カーツは王国軍の中で確かな地歩を築いていた。口元に浮かべた笑みは柔らかいが、その眼差しの奥に潜む冷たい光は、油断ならぬものを感じさせる。
「馬鹿なことを言うな、カーツ。なぜ儂が反逆者と手を組まねばならぬのだ」
バート王の声が鋭く響いた。その声には怒りと、自らの威信を傷つけられた男の苛立ちが混ざっていた。
「それは建前でしょう。王がクルーデを使って達成しようとした策が失敗した今、別の道を模索するのが当然では?」
反論するでもなく、むしろ気づきに導く穏やかな声。だが、言葉の一つ一つが鋭く核心を突いていた。
「別の道……だと?」
王の額に青筋が浮かぶ。カーツはそれを見て取ってなお、あくまで飄々とした態度を崩さない。
「考えてもみてください。あのクルーデを倒した男ですよ? そんな怪物がグリクトモアに居るのなら、敵に回すより、味方にする方が理にかなっている。王国にとって損ではない……そうは思いませんか?」
静寂が場を包む。今度は、先ほどまで剣呑な空気を漂わせていた将軍たちの間に、ざわめきが広がった。
確かに、敵にするにはあまりに危険な存在。クルーデを屠ったその実力と、大陸十三剣を三人も討った軍。そのうえで、今なお自国を打ち破る野望を隠そうともしない大胆さ──そんな連中を無理に討伐するよりは、手を組んで利用した方が遥かに理に適っている。
「……もし仮に、来栖弾九郎の一党を先兵として立たせることが叶えば──王の悲願であるアイハルツ統一も、案外、たやすく進むやもしれませんな」
軽やかに投げかけられたその一言は、まるで玉座の間に放たれた小石のように、重苦しい沈黙の水面を波紋のように揺らした。だが、その一言が内包する現実は、王の胸の奥深くに鋭く突き刺さる楔のようでもあった。
バート王の眉間が、わずかに引き攣る。表情は動かぬまま、背もたれに体重を預けた体から微かに緊張が滲み出る。玉座の上から見下ろす視線の奥に宿る光が、一瞬、深い迷いの翳を帯びた。
──アイハルツの覇者。かつて幾人もの王が夢見ながら、果たせずに終わった大願。そのために王は、グリクトモアを滅ぼし、グリシャーロットを呑み込もうとし、クルーデという猛獣に二十万ギラを託した。そして、いま──その牙が折られた。
ならば、新たな剣が必要だ。より鋭く、より強靭な──たとえそれが反逆者の刃であろうと。
心の奥底では、王の理性が囁いていた。「手を組め」と。しかし、それを声に出すには、あまりにも多くの誇りを飲み下さねばならない。
カーツが語った「提案」は、あまりに現実的で、あまりに論理的だった。来栖弾九郎を味方に引き入れれば、グリシャーロットの支配も、周辺諸侯の抑えも、格段に容易になる。王権の威光は回復し、疲弊した財政にも余裕が生まれよう。
だが──そのためには、ヤマトという得体の知れぬ勢力を「国家」として認めねばならない。そして、グリクトモアから奪い取った財産──オロロソ家の資産の返還と、甚大な戦禍への賠償すらも視野に入れる必要がある。
バート王の喉が、ごくりと鳴る。自分でも気づかぬうちに、親指の爪を噛んでいた。唇の端に残る苦い味に、ようやく我に返る。
──誇りか、覇道か。
選ばねばならない。だが、選べぬ。
玉座の間の空気は重く、濃く、まるで誰かの吐いた溜息が形を持って広がっていくかのようだった。王の沈黙が続くほどに、周囲の緊張もまた深まってゆく。誰もが言葉を飲み込み、ただ王の決断を待った。
お読みくださり、ありがとうございました。
ヤドックラディ軍は左右に分かれた二軍体制をとっており、左軍は歴戦の精鋭を率いるアイゼル・パガニンが指揮する第一軍、右軍は遠方の守備隊や実戦経験の乏しい兵を集めたダーシャー・ザーニ指揮下の第二軍で構成されています。
なお、王弟カーツ・ゴーレイはアイゼルの配下として第一軍に所属しています。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。
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