04 愛しのパン
生徒会の副会長であるジョルジュ・レゴリーニ伯爵子息が、恐ろしいことを言い出した。
会計の役員に欠員が出てしまったので、『ルクレツィア嬢に頼もうよ』とノリノリで話してきたのだ。
生徒会は会長と副会長と会計で運営していたのだが、会計の女子生徒が度重なる嫌がらせを受けて、「堪えられない!辞めさせてください」と逃げ出してからもう既に3ヶ月が経っていた。
後任の生徒を探していたが、自薦で立候補してくる女子生徒の邪な心の声に、レナートはうんざり。
(レナート殿下と二人っきりになったら、既成事実をつくって、私が王太子妃よ!)とか
(レナート殿下に媚薬入りクッキーを差し上げましょうか? それとも紅茶?)
等、絶対に危険人物しか名乗りを上げてこない。
これが例え男子生徒でも同じことだった。
(俺の実力を見せれば、レナート殿下の側近になれるだろう。もし将来を約束してもらえないなら、殿下の弱みを握るまで引っ付いててやる!)
とか、
(妹と殿下をくっつけるために、殿下に媚薬を食わせろと言われている。だから、なんとかして生徒会の役員にならなければならない)
と、まともな者はいない。
だから、全く後継者が見つからず、今日もこうして必死で会計の仕事もやっているという訳だ。
大人しい生徒を選べば、前任者のように潰される。
それならば、自分で会計の仕事もした方が楽だと、2つの業務をこなしていた。
それを見かねたジョルジュの提案なのだ。
だが、レナートはこれからの心の安寧のために何とかこの意見を退けたい。
これから毎日あの毒舌を聞く羽目になるなんて、堪えられない。
反対の意見を言おうとするレナートにジョルジュは、先日あったことを熱く語り出した。
「レナート殿下は、彼女があまりにも美しすぎて、近寄り難いと思われているかもしれませんが、内面はスッゴク優しいのです。実は、先日チキンパイを食べたかったのに、間違ってコロッケパンを買ってしまったんです。それを愚痴っていたら、何と彼女が横に立っていて、クスッと笑うんですよ。もう一瞬でそこがお花畑に・・。
じゃなくて、そしたらルクレツィア嬢が、『私のチキンパイと交換して差し上げましょうか?』って言ってくれたんです!! もう天使様って感じでしたよ」
ジョルジュの熱弁にレナートは、冷めている。
ルクレツィアがコロッケパンが大好きで、食べられなければあの毒舌でネチネチと言われたのだ。恐ろしさがぶり返し、ブルッと体が震えた。
ルクレツィア嬢はおまえのコロッケパンを狙っていたのだ!
とは言えず、何とか彼女を会計にするなんて恐ろしい提案を取り下げさせねばと頑張るレナート。
「あー・・どうだろうね。1年生からこの学校に通っていなかったのは、何らかの理由があるかもしれないよ。無理にお願いするのはよくないと思うな」
当たり障りのない理由をのべてみたら、ジョルジュは更にとんでもないことを言い出した。
「では、その辺りの理由も含めて聞いてみましょうよ。僕としてはお話し出来るだけでも嬉しいので! それにもう呼んじゃってますし!」
(え?)
狼狽えるレナートに追い討ちをかけるノックの音と涼やかな声音。
「ルクレツィアです。入室よろしいでしょうか?」
悪魔はドア前に既にいた。
(授業が終わったら、今日は侍女のカーラがスコーンを焼いて待っていると言っていたのに・・・)
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴオゴゴ
怒りでまだ開けられてもいないドアが、変な音を立てていた。
しかも、ルクレツィアの怒りの色がドアを隔てているにも拘わらず見える。
ドアは真っ赤に血塗られている状態。
これは既にレナートとジョルジュへの怒りがこのような表現となっているのだと分かるだけに恐ろしい。
そんなことを知らないジョルジュが「はーい、ちょっと待ってください」と自らドアを開けに行った。
「んまあ。ジョルジュ様、お手を煩わせてすみません。ドアくらい自分で開けますのに・・」
微笑む彼女は完璧令嬢。
ソファーに座る彼女も、スカートの裾を直す彼女も完璧だった。
ただ、彼女の漏れ出る罵詈雑言以外は・・。
ジョルジュが嬉しそうに質問を始めた。
「このような不躾な質問をしてすみません。ルクレツィア様の健康に関わることなので・・」と前置きして続ける。
「ルクレツィア様はどうして1年から入学をされなかったのですか?」
少し俯き、寂しげな微笑。
(は? そんなの簡単だよ! 親父が絶対に口が悪いのがばれるってんで許さなかったのさ! まあ、こっちも面倒だし行きたくなかったから都合が良かったんだけどね)
「ええ、実は父が心配して学校に通うことに賛成してくれなかったんですの」
ジョルジュは本当のことを知らないので、うんうんと何を理解したのか、深く頷く。
「それは、さぞかし(お体のことを)侯爵様は心配されたのでしょうね」
ジョルジュは心底心配しているのだろう。眉をハの字にしている。
「それは、本当に侯爵にとっては心配だっただろう(棒読み)」
レナートは、アンサルディ侯爵の心痛に頷いた。
幻の姫がこんな口が悪いなんて、世間に知れ渡ったら、どうなるのだろうか?と、レナートはアンサルディ侯爵の親心にいたく共感する。
「では、一年間だけならば大丈夫とお許しが出たということは、安心して学校生活が送れると判断されたのでしょうか?」
ジョルジュは、目を輝かせて返事を待っている。
「淑女教育で、1年間だけでも学校で学び卒業すれば、多くの事が得られると兄が私を思って言ってくれたのです。父は渋々ですが、承諾してくれましたの」
(兄貴が『1年だけでもベルリーブ学校に通って卒業しておいた方がいいわよ』なんて余計なこと言いやがって。まあ、領地が暇すぎて、せめて学校で暴れてやるかーって言ったら、今度は親父が大人しく1年間出来れば私の願いを叶えるって言うからさ、まあ、「1年間だけなら」って来たんだけど、もう面倒くせーわ)
レナートが不安になる。
学校で暴れるってなんだ?
こんな人物を放置していてよいのか?
その間ジョルジュがどんどん話を進めた。
「そうなのですね・・、でもご無理を承知でお願いします。今現在、生徒会には会計の役員がいなくて、大変なのです。是非ルクレツィア様に助けてもらえないでしょうか?」
「まあ、それは大変ですわね・・。でも私のような途中で来たものがお手伝いするよりももっと他に・・・」
言いかけたルクレツィアの言葉を遮って、入室者が現れた。
「ごめんなさいね!手が塞がっててノックできなくてね」
食堂のおばさんがトレー一杯にパンを載せてやってきた。
「今度売ろうと思っている新商品のパンだけれど、いつものように試食をしてもらおうと思ってね。それといつもみたいにアドバイスもほしいね」
生徒会室が、焼きたてのパン屋さんの店内に変わった。
ルクレツィアの目の色が変わる。
「これは?」
せっかくルクレツィアが断る気満々だったのに、変なスイッチが入ってしまっている。
気が動転して、言い繕うことが出来ないレナートに代わり、ジョルジュがさっさと説明をしてしまう。
「食堂で新商品が作られると、一番に味見をさせてもらえるんだ。それと、自分の意見も反映してくれるんですよ。まあ、これくらいしか生徒会の役得ってないのが辛いですけどね」
(そんだけあれば、十分じゃないか! これ以上何を望むんだ?)
乗り気になったルクレツィアが、瞳をキラキラと輝かせてパンを眺めている。
それに気がついた食堂のおばさんが、「お嬢さんも一つ試食してくれないかい?」と、トレーをルクレツィアに差し出した。
「まあ、ありがとうございます。まだ生徒会の役員ではないのですが、あまりにも美味しそうなので、御好意に甘えて・・では一つ頂きます」
そういって、狙っていたパンをとって口に運ぶ。
この一連の行為は素早くて、レナートは少し可愛く思えた。
さらに一口食べたルクレツィア嬢の心の声が素直で吹き出しそうだ。
(なに? さくさくのパイ生地に中のクリームはバニラの香りが広がったと思えば爽やかな酸味が・・・これはパイ生地という名のマジックボックスやー!!)
ホクホク顔でクリームパイを頬張る幻の姫。
こうやって見ていると美しいというより可愛かった。
心の中は真っ黒だが・・。