02 母の心の声
王子が人の心の中を読めると知っているのは、ガンドルフォ・スカルバ国王だけだ。
他の者は知らない。
母のドミティラさえ知らないのだ。
王子が初めて人の心の中を見たのは5歳の時で、その人物は母親だった。
母は厳しい人だった。王子の前では笑う事なく淡々と業務報告の様な内容の話をするだけだった。
だから母にはずっと嫌われていると思っていた。
一日の終わりに、今日はどんなことを勉強したとか、どんな剣術を習ったとか、美術の授業ではどんな絵を描いたとか、一方的にレナートが話す。
それを母であるドミティラ王妃が表情も変えず頷き聞くだけ。
それで、テストの点が悪くても怒りはしない。
だから、「良く頑張った」とか「次はもっとがんばろう」という励ましの言葉も一切ないのだ。
こんな調子だからレナートが、母親に嫌われていると思ったとしても当然の事である。
だから、侍女達もそう思っていた。
だが、ある日いつものように業務報告をしに母の部屋に入った途端、全く違う声が聞こえたのだ。
コンコンコン。
「母上、私です」
「ああ、レナート殿下。お入りなさい」
冷たいいつもの突き放すような母の声に混じって、その日は浮かれた声が聞こえる。
(おおう!!来たわ!!マイスイートハニーが!! さあ、聞かせてちょうだいあなたの可愛い声を!!)
声は母の声だが、耳からではなく頭の奥に直接届くような不思議な感覚だった。
しかし、レナートはその声を母だとは分からなかった。
実際に扉を開けて見た母はいつもとちっとも変わっていなかったからである。
全くの鉄のお面状態。
部屋の中にもう一人、母の声に似た女性がいるのだと、視線を彷徨わせる。
さっきの声の主は? と不思議に思ったが誰もいなかったのだ。
自分の母があんなに大騒ぎして自分を待っているなんて考えられない。だって今もこうして冷たい視線を送っているじゃないかと・・。
下を向きかけた瞬間、母が叫んだ!
(ああ、下を向かないで!!)
いや、実際には声を出していない。
心の声が届いたのだ。
びっくりして顔を上げたレナートに、またしても母の心の声が!!
(良かったわ。下を向いてちゃ可愛いハニーの顔が拝めないもの。あー今日もレナートちゃんのお顔が可愛いわ。もうお城中をレナートちゃんの肖像画で飾りたいくらいよ。でも、この案はガンドルフォに止められちゃったし・・。もう、ガンドルってば意地悪なんだから)
今まで母には『レナート殿下』としか呼ばれたことがない。
それなのに、心の中での呼び名は『レナートちゃん』だなんて恥ずかしい。
国王を呼ぶときも『ガンドルフォ陛下』なのに、『ガンドル』って呼んでいるんだと不思議に思う。
「どうしたのです? 今日の報告は?」
冷たい母の声に被って心の声が焦っている。
(どどどどうしたの? 先生に苛められたの? 悲しいことが起きたの?)
こんなにも心の中は動揺しているのに、母の表情は眉を少し動かしただけ。
心配であわてふためく母に安心して欲しくてすぐに、今日の報告を始めた。
「今日は歴史で隣国の動乱期を勉強しました」
(んまあ! もうそんなところまで勉強したの? 偉いわ! 凄いわ! 流石私のマイハニースウィー・・)
全て聞くのは恥ずかしかったので、すぐに剣術の練習の報告。
(ぐぬぬぬ、私のレナートちゃんが手に怪我をしているじゃない。手当てをしたといっても悪くなるかもしれないわ。すぐにガンドルに言って医師を呼んで診てもらわないと!)
いや、かすり傷だよと言いたかったが、次の報告へ
「今日は美術で母上を描きました」
こんな日に限って母の絵を描いたなんて恥ずかしいと思ったが、絵を見た母の本心も聞きたかった。
いつもならば『うむ』と頷く程度。
今日は・・。
だが、レナートの期待に反して何も聞こえない。
(・・・・)
ダメだ。きっと自分の絵が下手すぎて怒っているのかもしれないと思った時何かが頭に届く
(・・・ぅぅぅぅ)
ーー?
(うわーーーぁぁぁぁん。レナートちゃんが私の絵を描いてくれたなんて! そっくりよ。これって家宝にしないとダメだわ。いやダメよ。これは国宝にしないと!! でも今日はガンドルに言って自慢げに見せよう。あの人ったらどんなに羨ましがるかしら? 私を描いてくれてありがとう、レナートちゃん!!)
熱烈ぶりにふらふらするほどだった。
いつもより100倍疲れた報告に、廊下を歩いて自室に戻った。
だが、その夜父であるガンドルフォがレナートの部屋を訪れた。
普段滅多にこないというのに、今日は珍しいことが続く。
「レナート、今日は初めて母の本心を聞けただろう?」
父の言葉に驚きすぎて返答ができなかった。
「なぜ、それを?」
(それは、私も聞こえるからだ)
父が心で話す。
(では、父上も?)
「そうだ。我がスカルバ家には特殊能力として心の声が聞こえる者が生まれる。先程おまえとすれ違った時母の声が聞こえたと喜ぶおまえがいたから漸く、発現したのだと分かったのだ。
だが、これから先おまえは不誠実の声に悩まされていくだろう。だが、心を閉ざしてはいけないよ。強く己を持って大事な声だけ聞いていくんだ」
「はい!!・・」
でもこの時、少し心の中で父に恨み言を言ってしまった。
(では、母の声を私に教えてくれても良かったのに・・それに、何故母は、あのようになったのだろうか?)
「ああ、それはね。王太后・・つまり私の母が子供にでれでれした顔を見せるな!と、きつくドミティラに言っててね。私もまさか母が嫁いびりをしていたなんて思わなくて・・・」
自分の母が妻にそんな事を言っているなんて、信じられなかった。
世の中の男性に、こんな人が多いとは思うが、息子の前にいる聖母のような顔と、嫁に見せる鬼のような顔は全く違うものである。
そのせいで、全く母の行いに気が付けず、妻は息子にどんな顔で接したら良いのか分からなくなっていたのだ。
「私が今まで分からなかったのは、ドミティラが王族とはそうすべきなのだと信じていたので気が付かなかったのだ。漸く気が付き私がドミティラに『間に立つから、腹を割って話し合おう』と言ったのだけれど、自分から話しかけられるようになるまで待ってくれと言われてね・・」
「わかりました。これからは真摯に母の声(心の)と向き合います」
嬉しそうなレナートに、王が一つアドバイスをする。
「これは、良くない声も聞こえてしまう。もし裏の声を聞いて、悪しき心に触れ続けて、おまえがしんどくなったら、私のところにくるんだ。分かったか?」
この時は母の言葉に触れて浮かれていたせいもあって、父の言っていることがちゃんと分かっていなかった。
だが、それはすぐに思い知ることになる。
今まで笑顔で話しかけてきた人々の多くが、自分を操ろうとしていたり、自分の派閥が有利に動くように取り入ろうとする者だらけだった。
怖くなった。
それ以降沢山の心の闇の声を聞いて、どんどん闇に堕ちて行き・・。
そして部屋に引きこもりがちになってしまう。
その事は国王の耳にも入り、王子を心配して、国王がわざわざ部屋に足を運んでくれた。
「このスキルは本当に辛いが、大事な者を見つけてくれるものでもある。おまえが聞いた心の声は全てが悪しき者だったか? そうではないだろう? 今おまえはまだ幼く自分が下に見られているから操れると思っている者達が多くいるのだ。誰よりも強く、賢くなればおまえを侮る者はいなくなる。強くなれ!!」
父の言葉で目が覚めた。
それから、俺は誰にも負けないように完璧を目指した。
だからだろうか。他の者達の心の声も気にもならなくなっていたというのに・・・。
今、一人の令嬢の真っ黒すぎる声が怖いのだ。