第60話 リン・ニャルディア
「わーっ、来てくれたの!? 待ってたよー!」
「うぇっ!?」
黒ずくめの子供は俺の前へと立つと、煤だらけの姿のまま、その小さな体で思いっきり抱きついてきた。
子供とはいえ、全体重を乗せた突撃を受け止めきれなかった俺は、そのまま床へと倒れこむ。
「いててて……なんだなんだ!?」
「……ほら、リン。まずは挨拶だろ」
カティアは俺の上へとのしかかった子供の襟を掴み、俺から引き剥がす。
驚きも薄れ、加重から解放された俺は、ようやく立ち上がることができた。
『リン』と呼ばれた子供は、カティアに片手で持ち上げられていた。その姿は、子猫が親猫に首根っこをくわえられているようにも見える。
そのあとすぐに、すとっと地面へと降ろしたあと、カティアは手際よく少女に付いた煤を払い、近くにあった布で顔をぬぐってやっていた。
そうすることで、ようやく『リン』という人物がどんな姿をしているのかがわかった。
手先まで覆い隠すほどに長い袖口の、だぼついた白衣をジャケットのように羽織っている。その中には、胸元にリボンがあしらわれた薄いピンク色のワンピースを着ていた。
淡い水色の髪は肩口まで短く切り揃えられているが、くせっ毛なのか、毛先が外側へと跳ねている。髪色と色合いが近い翡翠の瞳は、好奇心からかキラキラとした輝きを放っている。
そしてなにより……。
「猫耳……!」
尻尾は白衣の裏に隠れていてよく見えないが、あの耳は間違いなく猫耳。
そう、なにを隠そう猫派である俺は、プラセリアに来たら猫の獣人に会いたいと密かに考えていた。
「んにゃ? そーだよ、リンは猫の獣人だよ~」
図らずも密かな目的を達成した俺は、心の中でガッツポーズをした。
猫耳、それも美少女との邂逅を果たしたのだ。この時ばかりは神様に感謝したね。
「じゃあ改めまして……リンはリン・ニャルディアルっていうんだよ! キャッツシーカーの社長さんなのだ! えっへん!」
控え目な胸を目一杯張り、ドヤ顔で自己紹介をするリン。子供が精一杯背伸びをしている感じで可愛い。
「俺はケイタ・サガミ――って社長!? こんな小さい子がか!?」
「むー! リンはすごいんだからね!」
事実を確認するためにカティアへと視線を送る。
俺のような反応はよくあることなのだろう。慣れたように「本当だ」と言いながら肩をすくめた。
「ああ、いや……君みたいな子が社長だなんて、珍しくて少し驚いちゃってさ。ごめんねリンちゃん」
「むぅ……しょうがないなぁ、なでなでしてくれたら許してあげる!」
リンは猫ならではの俊敏さで俺との距離を一気に詰め、腹辺りに顔を埋める。『撫でろ』という意思表示だろう。
(むしろご褒美なのだが!?)
時折ぴこぴこと動く耳は、撫でられることを期待しているかのようだった。その期待に応えるべく、俺は慎重にリンの頭へと手を伸ばす。
くせっ毛ではあるものの、髪質は細やかであり、撫でる度に、髪がするすると指の間を抜けていく。
ひとしきり撫でられて満足したのだろう。リンは俺から離れると、ご満悦に笑顔を浮かべた。
「えへへ、ケーくんに撫でられるの気持ちよかったのだ~」
「け、けーくん?」
「うん、ケイタだからケーくん! ……だめ?」
「いやいやダメじゃないダメじゃない! 好きに呼んでくれていいよ、リンちゃん」
勝手にあだ名で呼んで怒られると思ったのだろうか、リンは一瞬しょぼんとした暗い表情になったが、俺からの承諾を得られたと同時に再び笑顔へと戻る。
この子が社長というのは驚いたが、この感情のジェットコースターっぷりはまだまだ子供だな。
「へへへ~、ありがとねケーくん! リンのことも、リンでいいよ!」
「ああ、わかったよ。リン」
リンは気恥ずかしそうに顔を赤らめて、丈が合わずにダランと伸びた袖口で口元を隠した。
……可愛い。連れて帰りたい。
「カーちゃんも、ケーくんを連れてきてくれてありがとうね!」
「――母ちゃん!? カティアは子持ちだったのか!?」
リンはカティアに向かってお礼を言ったが、聞き捨てならない単語が出てきたのでつい反応してしまった。
「あだっ!」
いつの間にか俺の正面へ移動していたカティアにグーで殴られる。
「お前わかってて言ってるだろ!」
いやまあ『カティア』の頭文字を取って『カーちゃん』なんだろうけど……つい、ね。
「リン……その呼び方はやめてくれって言っただろう? 勘違いする奴が出てくるかもしれないだろ」
「こいつみたいにな」ギロリと鋭い視線で一瞥され、冷や汗が頬を伝う。
バイクを操る能力や、さっきの動きでカティアの身体能力の高さは嫌というほど体験してきた。もし彼女が本気を出したら俺なんて瞬殺されるだろう。
俺としてはちょっとしたジョークのつもりだったんたが、あんまりからかうようなことはしないほうがいいな。
「でもでも、カーちゃんはカーちゃんだし……」
「あーもう……わかったよ、だからそんな顔するな」
リンはうるうると今にも泣き出しそうになっていた。
しかしカティアはそんな彼女の扱いに慣れているのだろう。ポンポンと頭を軽く叩きながら優しい表情で微笑んだ。
「えへへ~」
リンは頭を撫でられるのが好きなのだろう。気持ち良さそうに目を細めている。
こうして見ていると、やっぱり親子なんじゃなかろうかと思える。
でも狼と猫だしな。本人も否定していたし、血の繋がりはないのだろう。
しかし本当の家族のように仲睦まじいのは明白だ。このキャッツシーカーというカンパニーは、社長と一従業員がこういった家族同然の繋がりを持つアットホームな所なのだろう。
「……さて、挨拶も済ませたことだし本題に入らせてもらうぜ」
カティアは先ほどまでの柔和な表情から一転、緊張感を漂わせた表情へと変わる。
そういえばここに連れてこられた理由を具体的に聞いてなかったな。俺を拉致するほどの強行手段を取るぐらいだ、のっぴきならない事情があるのだろう。
カティアは張り詰めた空気のなか、重い口を開き、ゆっくりと語り始めた。




