メイド喫茶とは、ですか……?
早朝六時、小野寺は起床のアラームを止めた際、社用のスマホにDMが来ているのに気が付いた。
送信主は総務部。そして用件は社員の副業先についての事、だった。
すぐに何が起きたのかを察知し、そして静かに朝の支度へと取りかかった。
「社員がメイド喫茶でバイトとはどういう事ですかね!?」
出社早々、小野寺のデスクの前には総務部部長の後藤が怒りを露わに待っており、すぐに会議室へと連れて行かれ怒号のような一声を浴びせられた。
「……なんの事でしょうか? もう少し順を追って説明願いたい」
「──チッ!!」
足を組み、パイプ椅子に大きく腰をかけた後藤は、嫌そうに歯ぎしりをした後、口を開いた。
小野寺の後ろには七瀬と久遠が酷く俯いて立っている。その傍に一階受付を担当する有村が間抜け面で棒立ちをしていたが、小野寺は特に気に留めなかった。
「副業申請!」
後藤の内ポケットから、クシャクシャになった二人の副業申請書類のコピーが机へと叩きつけられる。無論、小野寺はその書類に偽りがあることは予測済みだ。
「少し前に知り合いの息子が、オシャレなカフェでバイト始めたって、閉店間際に行ってみたら……二人が上の階に上がるもんでさー」
つくづく運が無い二人だ。
小野寺は表情を変えず、静かに眼鏡を持ち上げた。
「でさー、店覗いたらよー」
嫌な予感がした。
小野寺は少し、少しだけ目を反らした。
「中でアンタがオムライス食べてんの! しかも運んできたの後ろにいる奴等なんですがねー!!」
「……」
なんと運の無い。
小野寺は知らぬフリが使えなくなり、戦術の変更を余儀なくされた。
「説明して頂けませんかね。小野寺係長?」
「……問題は何処ですか?」
静かに口を開き、血管が今にもはち切れんばかりの後藤に、冷たい視線をくれてやる小野寺。
「虚偽の申請!! 副業先として不適切!! 上司が知りながらにして不問としている!! しかも尚かつその店を利用している!! つまり全部だー!!!!」
小野寺の後ろで二人がビクリと驚き怯む。久遠は今にも泣き出しそうであった。
有村は臆すること無くスマホをいじっている。
「申請内容に関しましては、私の方で確認したわけではありませんので。てっきり許可済みかと……でしたので、てっきりそちらから許可は頂いているものかと」
「だから! それをあの二人から確認は取ったのかと言っているのだが!?」
「副業先についてはプライベートな事ですから、別に私の介入は不要でしょう。そちらの怠慢をこちらのせいにしないで頂きたい」
「ぐぬぬ……!!」
「それに、メイド喫茶の何が問題なのかと逆に伺いたい」
「如何わしい店だろうが!! 女が妄りにあのような格好をして接待をしている事が何よりの問題!!」
「食事を運んでジャンケンしたり、写真撮ったりオムライスにケチャップで画を描いたりがですか?」
「随分と詳しいな。やっぱりあの三人に入れ込んでるんじゃないですかぁ?」
「私はオムライスを食べに行っているだけです。他意はありません」
「じゃあ、あの三人が居なくても行くんですね?」
「……勿論」
三人という言葉が気になり、ふと後ろを振り向く小野寺。
「うんぴー」
「……あなたでしたか」
笑うでもなく、小野寺の口角がそっと緩む。
「メイド喫茶は女性利用客も居ります。性的なサービスも無く、至って健全です。様々なニーズに応え、己の持ち味を存分に生かし、日々精進をする。それは我々サラリーマンと同じ事です。服装も歴史に基づいた物で露出は極めて少ないです。もしそれでも問題とするのでしたら、あなたもメイド喫茶に通ってから判断するのですね」
「ぐっ……! 訳の分からぬ事ばかり言いよって……!! 貴様等まとめて裁いてやるから覚悟を──」
後藤が怒りの人差し指を小野寺に向けた時、会議室の電話がなった。
「誰だこんな時に」
「……失礼」
小野寺が電話に出ると、相手は総務部を統括する総務課課長の青柳だった。
「後藤君はそっちかな?」
「……はい。換わります」
小野寺が無言で電話を後藤へと向ける。
話の腰を折られ不満そうな後藤は、荒々しく電話を受け取ると、語気も強めに「はい」と言葉を発したが、相手が直属の上司のさらに上役だと知ると途端に腰を曲げ頭を下げながら話し始めた。
「今ね、面倒なことに下原プロミスの社長さんから電話がありましてね──」
「へっ!?」
後藤の喉の一番奥から素っ頓狂な声が飛び出る。
「──てな訳で、目を瞑るように」
「はぁっ!? な、なんでぇ……!?」
相手が上役なのも忘れ、後藤が素の話し方になるほど、その内容はひょうたんから駒。その一言だった。
力尽きたように受話器を置くと、後藤は「メイド喫茶は許可する。正しい申請内容で再度提出するように」とだけ言い残し、会議室からフラフラと立ち去った。
「……仕事に戻りなさい」
小野寺は何処か浮かない顔で三人へそう告げ、自らも会議室を後にした。
「……その気も無いのに来てしまった」
その夜、小野寺は気が付けばみけねこへと足が向いていた。
受付のメイドがいつもと変わりなく小野寺を出迎える。
「御指名は御座いますか?」
「……いえ」
当日の在籍表に三人の名は無く、その日のみけねこはどこか忙しそうな感じが見えたが、やや乾いた空気が流れていた。
いつもの席に座り、初めて相対するメイドが挨拶をしてくれたが、メイドの言葉は小野寺の耳に届いてはいなかった。
いつも通り頼んだオムライスもどこか味気なく、自分で描いたモナリザは、真っ赤になりすぎて何が何だか判らなかった。
小野寺は此度の騒動の火消しに父親が動いたことを察知していた。確認するまでもなく、下原プロミスの名が後藤の受話器から漏れ出たのが聞こえた時点で察しが付いた。
たかがメイド喫茶の従業員。
そこまでする必要があるだろうか。
小野寺は、そう思って──スプーンを置いた。
「たかが……ですか」
「たかが…………」
「……たかが、でこんなにも寂しいとは……」
「あ、うんぴー♪」
奥から幻聴のような声が聞こえた。
咄嗟に頭を上げる小野寺。
いつものキラキラした、竹串を持ったメイドが立っていた。
「なにこれwww おのっちがモナリザ描いたの!? マジうんぴーなんすけどwww」
「……いえ、これは」
慌てたように、小野寺はスプーンでケチャップをなぞった。
「てーかなに? もしかしておのっち今泣いてた? なんかもっさ暗かったんですけどwww」
「……気のせいです」
いつも通りのアリスに肩透かしを食らうも、小野寺はそれまで味気なかったみけねこがいつも通りに戻ったかのような、そんな気がしたのだった。
「てか今日ヤバくなかったァ? 危うく会社クビになるかと焦ったー☆」
「……と言いますか、有村さんあなた──」
「やだおのっち! リアルネームで呼ぶなし!」
「あ、すみません……」
「あ、そうそう。流石に今日は休み取るって言ってたけど、店チョー忙しいから二人も呼んじった♪ うんぴー☆」
「……そうですか」
「嬉しい? おのっち嬉しい?」
「……別に」
「そ? じゃあ後で皆でチェキ撮ろ? ね?」
「……ふ」
「あーっ! 笑ったしwww メイド3人チェキボンバーで50,000ptちょーだいだし!」
「……そんなにありましたか?」
「ptは借金も出来るよwww」
「そんな情報知りたくありませんでした」
「まあまあ。あ! ケチャ何する? 今日は気合い入れて描くよー☆」
「……最後の晩餐で」
「やだぁおのっち! 明日も来てよー? 来なかったらマジうんぴーするからね♪」
「……はは」
「係長ー!」
「お待たせしました」
「あ、二人きたし! おーい! おのっちが50,000pt出してくれるって♪ チェキしよー☆」
「……仕方ないですね。まったく……」