意外、ですか……
何となくオフィス内がいつもより静かな様な気がして、小野寺は思わず時計を見た。時刻は午前十一時を過ぎていた。
やけに仕事が捗るなと思ったら、七瀬と久遠が研修で出ていたのを忘れていた。そのため、小野寺は久々に気兼ねなく自分の仕事に専念出来たのであった。
「いつもこうだとありがたいのですが、ね……」
明日にはまた騒がしさが戻ってくるのかと思い、小野寺は溜まっていた仕事を何処まで進められるかは今日に掛かっていると、更にスピードを上げた。
「む、些か熱中し過ぎましたか……」
夜の九時を過ぎ、見回りの警備員の巡回が見えると、小野寺は首を回して伸びをした。
帰って自炊する気力もわかず、やはり思い浮かんだのはみけねこハウスのオムライスだった。
「今日は二人も居ないでしょうから、落ち着いて食べられそうですね」
小野寺はパソコンを落とし、警備員に挨拶をして退社した。
「おかえりなさいませ御主人様~♪ 本日の御指名は──」
「別に」
「承知致しました~♪ それでは御案内致しますね~♪」
小野寺は奥に見える観葉植物の裏の席が好きだった。
通路から見えず、そして気にされることもなく、通るメイドに見られる事もなく、ただ食事を楽しめる。夢のような場所だった。
当然一般客からすれば外れ席であるため、空いている確率は高く、来店回数の少ない小野寺でさえ、既に三回近く座れていた。
「たまには違うのも気になりますが、やはりオムライスが……」
と、小野寺の視界に差し出されたお冷やが見えた。
思わず小野寺の視線が止まる。お冷やを差し出した手の先、毒々しい八ツ橋のような付け爪が気になった。
「お初♡ メイドのアリスでっす☆ 気軽にアリスつぁんって呼んでちょーよ☆ あ、お兄さん最近見かけるあれでしょ!? ななっちとひめっちと何かチョーあやしげな親しみのあれっしょ!? ヤバめのあれっしょ!? 今日は二人いねっすけどあれっすか気まぐれぴーな感じぃ☆?」
これまた騒がしいのが来たな。
小野寺は心の中でそう呟いた。
「お兄さんあれっしょ、実はどっかのあれでぶいぶい言わしてるあれ系の人でそうならもしかしたらアタシもあれされちゃう感じぃ☆!? ヤバっ! マジ今日のネイル自信なさげでゴリハゲうんぴーっすぅぴえん☆!」
これまた濃いのがメイドやってるな。
小野寺はケバケバしいメイクのメイド、アリスを見て無心でメニューを開いた。
「あれ? もしかしてお兄さんキンチョーしてるぅ? メニューなーんか開いちゃってマジチョーうんぴー☆ 今日はケチャフリーなりけりぴーっすから、もちオムラーいったくっしょーよが♡」
横目で店内のお知らせ欄を見ると『本日フリーケチャップDay!』と可愛らしいイラストと共に書かれており、小野寺はつくづく運が無いなと自らの行動を嘆いた。
しかし今更オムライス以外を頼む気力も勇気も持ち合わせてはおらず、指で軽くトンと突き、注文の意思を示したのだった。
「オムちょー♪ しばし待っててちょーよ~。すーぐ作って持ってくるからね~って、アタシ今凄くメイドっぽかった! ヤバっ! ──ってアタシ今メイドだったwwwwwヤバwwwwウケるwwwうんぴーwww」
指を広げクスクスと笑うアリスを見て、小野寺は広い心で世界を見た。
世界は広い。たまにはこんな日があってもいいじゃないか。なんとかそう思い込む事にした。
付け爪がなんだ。つけまつげがデカかろうが凄かろうがなんだ。もうすぐオムライスだ。頑張れ。
小野寺の脳内に謎の女神が応援に駆けつける。
「おまた~☆」
毒々しい八ツ橋を目いっぱい広げ、アリスがオムライスを持って現れた。
「なんするー?」
ポケットから【ありす】と書かれたケチャップを取り出すと、嬉しそうに舌を出して微笑んだ。
「…………」
自分でかけてさっさと食べて帰りたい。それが彼の本心だった。
「ははぁん、お兄さんさてはあれ系? 自分では言い出せないちょいとおちゃめな控えめボーイ系な感じ? ヤバっ、ちょっと意外系うんぴーかも☆」
「……」
小野寺はどう返答して良いのか、まるで見当が付かなかった。
入社当初に上司から「お前に俺のボールペンを1000円で売ってやる! 買うよな!?」と、ゴルフ場の名前が書かれたボールペンを押し付けられた時よりもはるかに困惑した。
「決められないならアタシがちょちょいのちょいーであれしちゃうから、お兄さんはうんぴーで見ててっちょーよ♪」
「……」
拒否するにも言葉が見付からない上に、うんぴーとは何なのかが気になりだし、小野寺の思考回路は既に白旗を掲げていた。
「いっちょやったるっしょ☆」
アリスはポケットから竹串を取り出し構えた。
長い付け爪でケチャップの蓋を器用に開け、何やら画を描いてゆく。
「……これは」
「おまたっしょ♪」
小野寺の頼んだオムライスの上に、ケチャップで描かれたのは名画モナリザだった。
それも竹串を駆使して細部まで忠実に再現されており、小野寺は思わず「凄い……」と、一言漏れ出た。
「さ、どうぞ♪」
「な、なんだか食べるのが勿体ないですね……」
「だいじょーぴー。また来てくれたら描いたげる☆」
気が付けば小野寺はスマホを取り出し写真を撮っていた。
それまでSNSに料理の写真を載せる女子の心情など毛程も知れないでいたが、今の小野寺は目の前にあるオムライス名画を誰かに自慢せずにはいられなかった。
「あ、ハズいから秘密にしてちょーよ?」
「……いや、素直に凄いと思いますよ、これは」
「そーぉ? ありがっちょ♡」
褒められ照れるアリス。その顔はまんざらでもなさそうだった。
「何より描いている時の表情が真剣だった……貴方は素晴らしい才能をお持ちですね」
「ちょっ、ヤバっ、ちゃっっつ! そんなアゲてもなーんも出ないっすよマジチョーうんぴーなんすからラテアートも自信あるっすけどどすか☆?」
「……お願い致します」
「ぉけぃ♡」
運ばれてきたラテに、器用に画を描いてゆくアリスを見て、小野寺は『人間どんな才能があるか、分からない物ですね』と前屈みでラテアートを満喫した。
「バイバイおのっち☆ また来てうんぴー♡」
アリスに見送られ、小野寺は何処か浮ついた気持ちでいることに気が付いた。
まさかメイド喫茶で凄い特技が見られるとは……。小野寺は世界の広さを目の当たりにし、晴れ晴れとした気持ちでいっぱいだった。
「うんぴー、ですか……」
しかし『うんぴー』が何なのかは、結局分からず仕舞いだった。