仙石線プレリュード
仙石線とは、仙台市にあるあおば通駅と、石巻市にある石巻駅を結ぶローカル線である。
地元民には必要ないだろうが、これを読んでいるシティーボーイ、シティーガールに向け、ちょっとだけ詳しく説明しよう。
沿線には、プロ野球の本拠地に近い宮城野原、桜の名所でみなと祭の始点にもなる鹽竈神社、日本三景の一つ松島へ観光する際の玄関口になる松島海岸、航空自衛隊の基地の最寄りである矢本など、五十キロメートル足らずの営業区間に三十あまりの駅がある。
快速と普通が走っているが、いずれにしても四両編成で、六分から十五分間隔で走っている。二十両の通勤電車が二分間隔で走っている大都会と比べると、ゆとりのあるダイヤに思うかもしれない。
あっ、そうそう。外気を遮って空調を効かせるため、駅に着いてもボタンを押さないとドアが開かないことがある点に注意が必要である。
乗り降りが済んだら、最後の人は速やかに閉まるボタンを押すように。真冬日は、特に寒いから。
きっと、停車時間の長さに対して乗降客数はそれほど多くないから、こういう事が必要になって来るんだろうな。ひっきりなしに大勢が乗り降りしているなら、外気が入り込む隙が無いものね。
さて。前置きが長くなってしまった。そろそろ本題に入ろう。
あの日、小学四年生だった私は、その後の人生を左右する大きな体験をした。こう書き出せば「あぁ、東日本大震災のことね」とピンと来ることだろう。その通りである。
仙石線も全線不通となってしまい、最初に部分開通したのは十七日後、その後も余震などがあってなかなか復旧工事が進まず、全線で運転が再開されたのは、なんと四年二ヶ月後だった。
幸い、榴ヶ岡に住んでいる私の家には大きな被害が無かったが、同じ宮城野区内でも、福田町、陸前高砂、中野栄あたりの海岸に近い地域では、津波によって家屋、田畑、漁船などを流されてしまった方が大勢いたので、とても他人事とは思えなかったし、もしも自分が少し違うところに住んでいたらと想像しただけで、怖くて一人で眠れなくなる日もあった。
加えて、テレビを付ければ、同じ映像、同じコマーシャル、同じ人物が映るという異常事態にも辟易していた。避難所生活を強いられている方がいるからという配慮なのかは知らないが、どの放送局も揃ってお通夜の席のようなトーンの番組を流すのは、いかがなものかと思った。気が滅入る。
そんなある日、私は彼と出会った。
色っぽい話を想像している読者には申し訳ないが、そういう物語ではない。
出会った彼は、私と同じ学年で、震災前は石巻に住んでいた。自宅が半壊し、庭先にも処分出来ない瓦礫が山積みになってしまったため、それが片付くまでのあいだ、私の家の近所に住んでいる親戚宅へ預けられたというわけだ。よくある話なのかもしれない。
だが、父と年の離れた兄が漁師をしているという彼は、会社勤めの父とパートタイマーの母を持つ私の目には、とても新鮮に映ったし、快活で運動神経の良い彼は、とても輝いて見えた。
しばらく同じ教室で机を並べているうちに五年生になり、彼の方からは親しく話し掛けてくるようになったのだが、思春期に差し掛かった微妙な年頃ゆえの気恥しさと、特定の男子と親しくしていると周囲の女子に変な噂を流されるのではないかという取り越し苦労から、私の方では素直に喜ぶことは出来なかった。
そんなこんなで微妙な距離を保ちつつ、同じ小学校を卒業し、同じ中学校へ進学した。
このまま卒業まで一緒かなぁと考えていたら、別れは唐突に訪れた。
全線開通を前にした中学二年の三月に、彼はアッサリと石巻へ帰ってしまったのだ。
これは後で知ったことだが、彼と親しい男子の話では、前々から石巻の中学へ戻るつもりで、引っ越しの準備などもしていたそうだ。
薄情者だなぁと思いつつも、よくよく考えてみれば、彼にとって私は一クラスメイトに過ぎなかったのだから、特に前もって知らせておくべき義理も無い。そういう風に自分で自分に言い聞かせ、そのうち受験勉強が本格化し、彼のことなど頭の片隅へ追いやられたところへ、思わぬ形で再会を果たした。
榴ヶ岡から普通で十駅先。石巻から数えると二十駅目。仙台市のお隣、多賀城市にある下馬駅から歩いて十五分ほどの場所にある高校に進学した時のことだった。
この高校を選んだのは、国内でも珍しい災害科学科という学科があるという建前もあるが、単に偏差値的に手が届きそうだという担任教師からの勧めと、一度は仙台市外へ出てみたかったという若さゆえの冒険心によるところが大きかった。
まぁ、いずれにせよ合格したのは喜ばしいことであるが、受験票を握り締めながら番号表の前ではしゃいでいる私に、聞き覚えのある声が聞こえて来たのは、予想外だったし、向こうが私のことを覚えているのも、想定外だった。
スポーツ万能の彼のことだから、てっきり体育会系の学科がある高校か、もしくは水産業系の専門学校へでも進学するとばかり思っていたのだが、漁師を継ぐ気は無く、それよりも、震災当時の経験を活かしたいという気持ちの方が強かったのだという。
そして彼の方も、まさか私と再会するとは思わなかったらしく、声を掛けておきながら、振り向いた私に対して、いささか戸惑った様子だった。
それで、再会した彼との新学期がどうなったか? タイトルをよく見て欲しい。これは、プレリュード。つまり、主題に入るまでの前奏に過ぎない。しかるに、私と彼の物語は、始まったばかりなのである。あとは読者の想像に任せるとして、私はココで筆を擱くこととする。