第34話 赤ちゃんに問いかける その2
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残り時間――5時間35分
残りデストラップ――6個
残り生存者――7名
死亡者――3名
重体によるゲーム参加不能者――3名
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瑛斗が薫子を連れて四階の診察室に入ったのと同じ頃、スオウとイツカは車イスを手にして瓜生が待つ二階に戻ってきていた。
「瓜生さん、さっきの爆発は――」
「二階のレストランでガス爆発が起きたみたいだ。さっきこの部屋から出て、見える範囲で確認したが、廊下の先が埋まっていた。だから、間違いないと思う」
「やっぱり、あの二人がデストラップに掛かったってことですか?」
「ああ、状況からすると、そう考えるのが妥当だろうな。ヒロトとか言ったかな、あのにいちゃんには悪いが、とりあえず、これでヒロユキが持っていた銃に対する危惧はなくなったからな。これでだいぶこちらも動きやすくなる」
「あのヒロトとかいう人は結局、自分のけじめはつけられたんですかね? いろいろ訳ありみたいなことを言ってたけれど……」
「さあな。でも、あのにいちゃんは自分から進んで、危険な道を選んだんだ。俺たちがどうこう言うことじゃないさ。少し前にも言っただろう。このゲームの参加者たちはそれぞれがそれぞれの思いを抱えて、このゲーム会場に来たんだ。最終判断は自分で決めないとな」
瓜生の重い言葉にスオウは黙ってうなずくしかなかった。
「そういえば円城さんはまだですか?」
スオウは話題を変えた。
「まだ戻ってきてない。紫人からのメールに名前がでていないから、あの爆発による二次被害には巻き込まれていないと思うが」
「五階には重体のミネさんがいるし、妊婦さんもいるから、少し遅れているだけなのかもしれないですね」
ベッド上の愛莉の様子を見ていたイツカが話に加わった。
「あんまり遅いようならば、おれが迎えにいってきましょうか?」
「いや、行き違いになる恐れもあるから、もうしばらくはここで待とう。それでも来ないようなら、そのときは君に頼むよ」
「分かりました。その心積もりでいますよ」
「悪いな。本当なら、俺が率先して動かないといけないんだが……」
瓜生が自分の傷ついた足を見て、表情を曇らせた。
「瓜生さんが全責任を負うことじゃないですよ。今までずっとリーダーシップを発揮してきたんだから」
スオウはわざと明るく言って、瓜生を元気付けた。
「リーダーシップと言っても、他の参加者がデストラップに掛かるのを防げていないけどな。こんなんじゃ、リーダ ー失格だよ」
「瓜生さん……」
初めて聞く瓜生の弱気な言葉に、スオは返事に窮してしまった。
「そもそも、俺がこのゲームに参加したのだって、他の参加者とは目的が大きく異なって――いや、この話は今するべきじゃないか……」
最後はつぶやくように言って、そのまま瓜生は黙り込んでしまった。
そんな瓜生の様子を見て、少しだけ不安になるスオウだった。なんとなくイツカの方に視線を向けると、イツカが小さく笑みを返してくれた。胸中に暖かい風が駆け抜けて、不安感が少しだけやわらいでいくのを感じた。
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ついに絶好の機会がやってきた。妊婦の旦那が出張で家を留守にしたのだ。
瑛斗はその日、学校に行く振りをして、そのまま妊婦の住むアパートに向かった。学校で教わることよりももっと大切なことを、妊婦のお腹にいる赤ちゃんが教えてくれるはずなのだ。
帽子を目深に被り宅配の業者を装って、妊婦のいる部屋に簡単に侵入した。妊婦は驚いたが、もってきた包丁を見せるとすぐに押し黙った。
瑛斗は床に押し倒そうとしたが、そこで妊婦の反撃にあった。相手の死に物狂いの反抗を前にして、中三とはいえまだ体つきが少年じみていた瑛斗は防戦一方で、どうすることもできなかった。
「ぎゃぐああ……」
妊婦がくぐもった声を漏らした。我知らずに突き出していた包丁で、妊婦の胸を刺していたのだ。
包丁はあくまでも脅すために用意したものだったが、こうなってしまっては仕方がない。人を殺すことに対してなんら禁忌を感じない瑛斗は、すぐに気持ちを切り替えて、本来の作業に移った。
床に倒れた妊婦にのしかかり、その大きく膨らんだ腹に包丁を突き刺したのである。そこから赤ちゃんを取り出すためだった。
どうしても知りたかった。自分がおかしいのか、それとも世間がおかしいだけなのか。赤ちゃんならきっと知っているはずなのだ。
だが、物事は瑛斗の思った通りには進まなかった。
胸を刺されて意識を失っていたはずの妊婦が、お腹を刺された途端に、意識を取り戻したのだ。赤ちゃんを守るべく、母親の本能がそうさせたのかもしれなかった。
相手は深い傷を負っているのだから、仮に乱闘になったとしても瑛斗に分があった。
しかし、その妊婦は乱闘ではなく、別の選択肢を選んだ。大声で悲鳴を放ったのである。
お世辞にも豪勢とは言い難いアパートであったため、その悲鳴はドアから簡単に外に漏れ出た。すぐに誰かが走ってくる足音が外から聞こえてきた。
瑛斗は一瞬、妊婦のお腹に目を向けた。このお腹の中にずっと追い求めていた答えがあるのだ。
ほんの数秒だけ逡巡したが、瑛斗は逃走することを選んだ。そのうちきっとまた機会があると考えてのことである。
玄関のドアを開けて外に出たとき、廊下を走ってくる年配の男性と目が合った。手に包丁を握っていたら、間違いなくその男性を突き刺していたところだが、あいにくと包丁は妊婦のお腹に刺したまま、部屋の中に置いてきてしまった。
だから、逃げるしかなかった。
結局、そのとき置いてきた包丁と、悲鳴を聞いて駆けつけてきた住人男性の目撃証言によって、瑛斗はその日の深夜に緊急逮捕された。
中学生による猟奇事件に、世間は慄然とした。
連日テレビのニュースやワイドショーで、センセーショナルに取り上げられた。訳知り顔の評論家や、コメンテーターという名の芸能人が、やっきになって持論を披露した。
ゲームやマンガなどまったく読んだこともプレイしたこともないのに、なぜかゲームやマンガの影響で事件を起こしたと言われた。
瑛斗が熱心に読み漁っていたのは、哲学書や精神分析の類の文献だったのに。
ネットも黙っていなかった。
少年Aと報道されていたにも関わらず、すぐに身元が特定されて、瑛斗の写真がネットにばら撒かれた。瑛斗が中一のときに起こした、事故と自殺の件が蒸し返された。小学校時代のウサギが殺された話まで探り当てられた。
しかし、テレビにも、新聞にも、ネットにも、瑛斗の本当の気持ちは書かれていなかった。
だから瑛斗は少年裁判で、自分の思いを一切の迷いもなくとうとうと話した。
しかし、裁判官はまったく理解してくれなかった。
重傷を負った妊婦は無事に回復し、また、お腹の赤ちゃんにも後遺症はなかった。そのため、裁判結果は医療少年院への送致処分という、世間的にみると極めて甘いものとなった。
それから7年が経過した――。
社会復帰を果たした瑛斗のもとに、あの男があらわれた。
「あなた様をゲームへ招待したいのです。そのゲームの中では、自由に殺人も出来ますよ」
あの男――紫人はそう言った。
もちろん、瑛斗は殺人などには興味がなかったので、そのゲームの話も無視しようと思った。
すると、そんな瑛斗の心を見透かしたように、紫人は言葉を続けた。
「やはり、あなたは世間で言われているような、単なる快楽殺人鬼ではないみたいですね。では、こういう話ならどうですか――」
紫人は一度言葉を意味深に断ち切って、瑛斗の顔色を見つめてきた。そして、ゆっくりと次の言葉を紡いだ。
「実はそのゲームの参加者の中には、臨月間近の妊婦さんもいるんです――」
紫人が瑛斗に暗い笑みを投げかけてきた。
「――ボクのことを分かってくれる人に初めて会いましたよ」
「では、ゲームの方には――」
「もちろん、参加させてもらうよ」
こうして、瑛斗はゲームに参加することになった。このゲームに勝って、難病に苦しんでいる誰かを助けたいというわけではなかった。
あえていうなら、自分を助けたかった。
いまだに解決できていない、殺人に対する禁忌が絶無という、自分自身の心の内の正体を知りたかったのだ。
そのためには、今度こそ、妊婦のお腹にいる赤ちゃんにちゃんと話を聞かないとならない。それを邪魔立てする人間には、無論、死んでもらうしかない。そのことが悪いこととは、当然思ってもいない。
それが瑛斗という人間なのだ。
医療少年院で行われた教育プログラムやカウンセリングでは決して感じることはなかった心の底からの喜びを、今この瞬間、瑛斗は感じていた。
瑛斗の心は、医療少年院に入る前となんら変わっていなかったのである――。




