第16話 死体確認作業
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残り時間――10時間07分
残りデストラップ――9個
残り生存者――10名
死亡者――2名
重体によるゲーム参加不能者――1名
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スオウは瓜生とイツカとともにホールを出て、南側の階段に向かった。四階の階段近くまで来たところで、先頭を歩く瓜生がスオウとイツカの方に振り返った。
「二人とも、もうこのニオイには気付いているよな?」
スオウも瓜生に言われる前から、そのニオイに気がついていた。学校の掃除のときに嗅いだことのあるニオイ。
「瓜生さん、これってワックスのニオイですよね?」
「ああ、そうだ。この先の廊下からプンプンと匂ってくる」
「それじゃ、九鬼さんはこのワックスで足を滑らせて……」
「円城さんは九鬼のおっさんが足を滑らせたようだと言ってたが、俺の予想が正しければ――」
非常灯で照らされた廊下の壁に立て掛けられているモップに瓜生が近寄っていく。手に取ると、柄の先に付いている黄色の布の部分に鼻を近づける。
「やっぱりな。たっぷりとワックスが染み込んでいる。このモップで廊下を拭いたら、廊下はツルツルになっちまうだろうな」
スオウも近くでモップを眺めた。すぐに鼻にワックス特有の臭いを強く感じた。
「九鬼さんはこのワックスのせいで……」
イツカが声を詰まらせた。
「ああ、それで間違いないとは思うが……いや、決め付けちまう前に遺体を確認しておこう」
瓜生はモップを一旦壁に立て掛けると、滑らないように一歩一歩踏みしめるような慎重な足取りで廊下を歩いていく。後ろから同じような歩き方でスオウとイツカも続いた。
階段の前までたどり着くと、瓜生が足を止めた。階段の一番上から踊り場を見おろす。スオウも瓜生にならって、踊り場に目をやった。
そこに人が倒れているのが見えた。顔が下になっているので確認出来ないが、その服装から見て、九鬼であることは間違いなかった。
三人で九鬼の遺体に近付く。出血の類は見当たらない。ただ、首が有り得ない角度で曲がっていた。純然たる死そのものが、そこにあった。
瓜生が傍らにしゃがみこんで、九鬼の遺体を調べ始める。イツカとスオウは少し離れた場所で、その様子を黙って見つめた。
「首をやっちまったみたいだな。これじゃ、手のほどこしようもなかったと思うぜ」
さらに瓜生は九鬼の体を調べていく。まるで事件現場を調べる刑事みたいであった。九鬼の服の上からポンポンと手を当てて、持ち物の確認をする。それが終わると、九鬼の手を調べる。右手を見た瓜生の表情が変わった。
「何か見付かったんですか?」
スオウは瓜生の表情の変化にすぐに気が付いた。
「ああ。手に薬の箱をしっかりと握っていたよ」
「薬……? それって、ひょっとして――」
「ああ、自己注射薬ってやつさ」
「ひょっとして、それってミネさんの為の薬なんですか?」
イツカが瓜生の方に体を乗り出した。
「そうだ。アナフィラキシーショック症状を改善させる作用がある薬さ。中に注射が入っていて、それを患者に打つようになっている。どうやら九鬼のおっさんは改心したのか、バアさんの為の薬を探してくれていたみたいだな」
「そうだったんだ。わたし、てっきり自分勝手な人だと思ってた……」
「医療ミスの話をしただろう。もしかしたら、このおっさんなりの償いだったのかもしれないな。ま、本人が死んだ今となっては、本当のところは分からないけどな」
「なんか、おれも九鬼さんに悪いこと言ったかも……」
「あのときの状況じゃ、しょうがないさ。俺だってこのおっさんのことを信じていなかったんだからな。とにかく早くホールに戻って、この薬をミネさんに使おう」
「これでミネさんの症状が少しでも治まればいいけど……」
さっそくイツカがミネのことを気遣う。
「あっ、二人ともちょっと待っててくれ。最後に確認したいことがあるんでね」
瓜生は九鬼の足元に回りこむと、九鬼の履いている靴に顔を近付けた。瓜生の鼻が動く。途端に瓜生は顔を強張らせた。
「くそっ! どうやら、悪い方の勘が当たっちまったみたいだ! 靴の裏からワックスのニオイがまったくしない。二人ともオレの言っている意味が分かるよな?」
スオウは即座に瓜生の言葉を理解した。靴の裏にワックスの塗料が付いていないということは、九鬼はワックスの掛かった四階の廊下を歩いていないということであり、それはすなわち、ワックスで足を滑らせて階段から落ちたわけではないということだった。
「じゃあ、九鬼さんは……誰かに突き落とされたっていうの……?」
イツカは自分で言いながら怖くなってきたのか、両肩を抱くような仕草をする。
「俺だってこんな命を懸けたゲームをやっている最中に、人を殺す人間がいるなんて考えたくもないが、こうして動かぬ証拠が出揃っちまってるからな」
立ち上がった瓜生は何かを考えるように頭を振る。
「もしかしたらワックスのニオイに気が付いた九鬼さんは、危険だと思ってその場で歩くのをやめたのかも? それで靴の裏にワックスが付いていなかったというのは――」
「イツカちゃん、たしかにその可能性もなくはない。でも、だとしたら、その場でとどまっていた九鬼のオッサンは、なんで階段から落ちたんだ?」
「あのとき停電があったじゃないですか。その停電に驚いて、足を滑らせて――」
「果たして、ワックスのニオイに気が付いて、廊下を歩くのをやめるくらい慎重に行動していた人間が、たかが停電くらいでそんなに驚くかな? 九鬼のオッサンはあのバアさんの薬も持っていたんだぜ。だとしたら、なおさら慎重に行動していたはずだろう」
「そういわれたらそうだけど……」
イツカはそれ以上反論しなかった。いや、出来なかったのかもしれない。
「これを見てみろよ。踊り場に不自然にこの空き缶が落ちていた。誰かがこの空き缶を投げて、その音に気を取られた隙に九鬼のおっさんはやられたんだろうな」
瓜生が手にした空き缶を二人に見せた。
「もちろん、今言ったことが正解とは限らないぜ。イツカちゃんの言う通りかもしないからな」
「瓜生さんは、なんでそんなに疑っているんですか?」
「俺の性分なだけさ。悪かった。こんな話をするべきではなかったな。――よし、一度ホールに戻ろう。あのバアさんに早く薬を打ってやらないといけないしな。その後でみんなで作戦会議だ。一回体制を立て直さないと、このままじゃ、ずるずるデストラップの餌食になっていくだけだからな」
瓜生はそこで言葉を切ると、階段を上り始めた。スオウはイツカといっしょに瓜生の後を追った。