第14話 停電の中 第三の犠牲者
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残り時間――10時間41分
残りデストラップ――10個
残り生存者――11名
死亡者――1名
重体によるゲーム参加不能者――1名
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九鬼は一階に向かっていた。院内案内図を見て、一階に薬の調剤窓口があるのと分かったのだ。
別に心変わりをしたわけではないが、そこにアナフィキラシーショックを抑える薬があるかどうか、探してみようと思ったのだ。むろん、無い可能性だってある。
でも、探してみることにした。なぜならば、それが医師として当たり前の行動だと思ったからである。決して青クサい高校生の意見に従ったわけではない。
15分後――。
九鬼は調剤窓口の奥にあった棚から、目当ての薬を見付けだした。これでミネの症状を緩和させることは出来るはずである。
五階に戻るべく廊下に出ると、すぐ近くの部屋から物音が聞こえてきた。
一瞬、脳裏にデストラップの前兆のことが思い浮かんだ。だが、音が聞こえただけでは、何が起こるか予想は出来ない。
九鬼は歩くスピードを下げて、ゆっくりと注意しながら廊下を歩いていくことにした。
音の聞こえた部屋の前まで着くと、ドアノブに手を伸ばした。ためらうことなく一気に開け放った。
正面に診察机があり、その前のイスに見知った青年が座っていた。瑛斗である。
「――お前、こんなところで何しているんだ?」
病院内だったこともあって、自分が医者だというのを思い出して、つい大きな声をだしてしまった。
「あ、あ、あの……トイレに……行こうとして……迷ってしまって……」
背中の後ろに手をやったままの姿勢で瑛斗は答えた。
「迷ったって……。まあいい。私はこれから五階のホールに戻るが、お前はどうする?」
「あ、あ、あの……ボ、ボ、ボクは……もう少し、ここで休んでます……」
「ふんっ、勝手にしたらいいさ」
瑛斗がなぜここにいるのか、多少の不信感がなかったわけではないが、九鬼自身、自分のことを追及されるののがイヤだったので、瑛斗をそのまま部屋に残して、五階に向かうことにした。
命をかけたゲームに自分から参加するくらいなのだから、きっとこの男にもそれなりの参加理由があるんだろう。
九鬼はそう思うことにして、瑛斗のことはそれ以上考えるのは止めて、足早に階段を駆け上がっていった。四階の廊下に着いたとき、不意に違和感をもった。さきほど降りてきた時と、何かが違っているように感じられたのだ。
何か違う……。なんだ? そうか、このニオイだ!
九鬼は鼻に感じる異質なニオイを敏感に嗅ぎ取った。
いや、待てよ。それはおかしい。さっき通ったときはこんなニオイはしなかったはずだ。まさか、これはデストラップの前兆なのか?
九鬼の頭に危険を知らせるランプが点る。鼻をひくつかせて、ニオイの元をさらに探る。
このニオイ――ワックスだ! 床掃除用のワックスのニオイで間違いない!
それは九鬼にとっても馴染みのニオイだった。病院の廊下の掃除のときに使うワックス独特のニオイを思い出したのである。そして、すぐにワックスのある特徴が脳裏に思い浮かんだ。
なるほどね。そういうことか。ワックスで足を滑らせるデストラップってわけか。
九鬼はデストラップの正体をいち早く察知した。デストラップの中身が分かってしまえば、回避行動をとるのは簡単である。滑らないようにゆっくり歩いていけばいい。その際は廊下の真ん中ではなく、手摺りの付いた壁際を行けばさらに完璧だ。
廊下の手摺りを掴み、滑らないようにしっかり体を固定させ、廊下に一歩足を踏み出そうとした、まさにそのとき、病院内の電気が突然切れた――。
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ホール内の電気がすべて消えた。天井の蛍光灯も壁際のテレビも消えた。
「きゃあああああっ!」
暗闇の中で甲高い女性の悲鳴がこだました。スオウはすぐに薫子の悲鳴だと分かった。
「大丈夫だ! 病院なら、すぐに自家発電で電気が復旧するはずだ!」
聞いた者を安心させる力強い声は瓜生のものだった。
「う、う、瓜生さん……ま、ま、まさか、これもデストラップの、前兆なんじゃ……?」
五十嵐がまたデストラップの恐怖におののき始めた。平常時は極めて冷静沈着なのだが、ひとたび事態が起こるとすぐに急変してしまうのが五十嵐の欠点だった。
「静かに! とにかく、今いる場所から誰も動くな!」
瓜生はこんなときでもひとり冷静である。
「でも瓜生さん、五十嵐さんが言うようにデストラップの前兆だとしたら――」
瓜生の隣にいたスオウは皆に聞こえないように小さな声で聞いた。
「その可能性もないわけじゃないが、今は暗闇の中を歩くよりも、じっとしている方がまだ安全だ」
「だけど、こんなときに停電なんてデストラップ以外には有り得ないんじゃ――」
「高校生は素直すぎるんだよ」
「えっ、どういうことですか?」
「忘れんなよ。今このホールには四人の人間がいないんだぜ」
「それって、まさかその四人の中にこの停電に関わっている人間がいるっていうことですか――」
「早まるな。可能性を言ってみただけで、そうと決まったわけじゃない。ただ九鬼のおっさんの件もある。まだ何か隠してる人間がいるんじゃないかと俺はにらんでいるんだ。それりゃ、人間だから隠したいことのひとつぐらいはあるだろうが、それがこのゲームにどう影響してくるか分からないうちは、気をつけるに越したことはないからな」
「ひょっとして瓜生さんは参加者全員を疑っているんですか?」
「当然だろう。きみだって全員を信じてるわけじゃないんだろう?」
そう言われてしまうと、スオウとしても返答のしようがなかった。実際、スオウは瓜生が何か隠しているのではないかと考えていたのだから。
他にも、ヒロキとヒロトのヤンキー二人組と、瑛斗を合わせた三人に関しては、まだ信頼出来るとは言い難かったのも事実である。
そして、その三人はまさに今ホールにいないのだ。隠れて何か画策している可能性だって否定は出来ない。
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廊下の電気はすべて消えてしまったが、常夜灯が点っていたので、真っ暗というわけではなかった。しかし、下手に動くのは危険すぎる。だから、九鬼は階段から動かないことにした。病院に勤めていた経験があるので、停電だとしてもすぐに自家発電の非常電源が入るはずだと分かっている。動くのはそれからでも遅くはないと判断したのである。
スーツのポケットに手を入れ、中に入っているミネの薬を強く握り締めた。この薬を届けるまでは、絶対にデストラップに引っかかるわけにはいかない。これはひとりの医者としてのプライドに関わる問題なのだ。
カランコロンという金属質の音が階段の下からした。空き缶が転がった音のように聞こえた。
思わず視線が音の方に向かった。そこですぐに、さっき階段を上がってきたときに、空き缶なんてなかったことを思い出した。
何かおかしいぞ。
九鬼がそう疑問を感じたとき、誰もいないはずの九鬼の背後に人の気配が生まれていた。後ろに振り返る前に、九鬼の体は重力から解放されていた。背中を強く押されて、階段の一番上から真っ逆さまに落ちていたのである。そのまま踊り場まで空中浮揚して、首から直角に落下した。
ゴグリッ。
形容しがたい音ともに、九鬼の首は完璧に折れていた。九鬼は永遠の暗闇に落ちた。手にはミネの薬を握ったままの状態で――。
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ホールの天井に弱い明かりが灯った。自家発電で非常用の電気が点灯したようだ。ホール内にいる参加者同士の顔が確認できるくらいの明るさはある。
「やっと点いたみたいだな。――みんな、大丈夫か?」
瓜生がさっそくみんなの安全確認をとり始める。
「おれは大丈夫です。イツカは大丈夫か?」
「わたしは大丈夫。ミネさんは相変わらずだけどね」
「アタシもオッケーよ。デストラップじゃなかったみたいね。怖がって損した」
「いや、そう断定するのはまだ早いぜ」
愛莉の軽口に対して、瓜生は相変わらず冷静に返す。
「久里浜さんは大丈夫かい?」
「は、は、はい……。だ、だい、大丈夫です……」
薫子は大丈夫と口では言ってはいるが、だいぶ参っている感じである。
「ぼ、ぼ、ぼくも大丈夫だ」
最後に五十嵐が言って、ホール内の参加者全員の無事が確認できたとき、ホール内に例の音がこだました。メールの受信音である。
『 ゲーム退場者――1名 九鬼
残り時間――10時間19分
残りデストラップ――9個
残り生存者――10名
死亡者――2名
重体によるゲーム参加不能者――1名 』
「くそっ! 今度は九鬼さんがやられた! オレたちの知らない病院内のどこかで、またデストラップが発動したみたいだ!」
最初にメールを確認した瓜生がおもっいきり顔をしかめた。