第11話 その代償 第二の犠牲者
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残り時間――11時間38分
残りデストラップ――11個
残り生存者――12名
死亡者――1名
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「ちょっとミさん! どうしたんですか!」
スオウは慌ててミネに駆け寄った。背中に手をやり、上半身を少しだけ起こしてやる。
「ねえ、ミネさん! ミネさん! わたしにの声が聞こえてますか?」
イツカが必死に呼びかけるが、ミネからの返事はなかった。ただ、ゼーゼーという荒い息づかいだけが口から漏れ出てくる。ミネの手から離れた子犬が、キャンキャンと激しく声をあげ続ける。
「おい、イツカ。これって、もしかしたらヤバイやつじゃないのか?」
「そうね。明らかにただの息切れじゃなさそうだし……」
ミネの顔を見つめるイツカの顔も、焦りからか蒼ざめている。
「ミネさんはおれが見ているから、イツカは急いでホールに戻って、誰か呼んできてくれないか?」
「分かった。すぐに戻ってくるから、それまでミネさんのことは頼むね!」
それだけ言うと、イツカは階段を駆け上がっていった。
「マジでヤバいな。まさか持病を抱えていたとかじゃないよな。――ミネさん、おれの声が聞こえますか? ミネさん?」
スオウはミネに声をかけ続けた。しかし、ミネは荒い息づかいのままである。さらに全身が細かく震え始めた。明らかに症状が悪くなりつつある。
「おいおい、これはただ事じゃないぞ。早く手当てをしないとヤバいかもしれないな……」
「おーい、スオウ君! 大丈夫か!」
救世主はすぐにやってきた。イツカが瓜生を引き連れて戻ってきたのだ。
「いったいどうしたんだ? イツカちゃんがいきなりホールに駆け込んできて、とにかく来てくれって言うから来たけど――」
「瓜生さん、良かった。突然、ミネさんが倒れこんでしまって……」
「倒れた? まさかデストラップか?」
「いえ、デストラップじゃないと思います。あ、確実にそうだとは断言できないけど、その、なんて言うか、とにかく急に倒れてしまって……」
「とりあえず、ここじゃしょうがないな。すぐにホールまで運ぶぞ。君も手伝ってくれ」
「分かりました」
瓜生がミネを背負った。スオウは後ろからミネの腰を支える。そうして二人で協力して階段を登っていく。その足取りを追うようにして子犬が付いてきた。
ホールまで行くとソファにミネを横にならせる。瓜生以外の参加者たちは、スオウたちの様子を遠巻きに見ているだけである。
「それで、いったい何があったんだ? やっぱりトラップなのか?デス」
瓜生がスオウとイツカの顔を交互に見る。
「いえ、分かりません。迷子犬が見付かって、ホールに帰ろうとしたら、突然倒れてしまって……。でも、デストラップにつながるようなことは起きていなかったし……」
自分で言いながらスオウは頭を振った。
「ちょっと待って、スオウ君。ほら、さっきの紙切れの件はどうかな?」
「紙切れ? イツカちゃん、それはなんのことだ?」
瓜生はイツカの言葉に食いつく。
「四階の廊下を歩いているときに、紙切れが飛んできて、おれの足に触れたんです。紙切れはインフルエンザの予防接種の案内でした。それがデストラップの前兆かどうかまでは判断出来なかったんですが……」
「そのあとはなにもなかったから、わたしもスオウ君もデストラップには関係ないと判断したんです」
スオウはイツカに代わって説明した。
「インフルエンザか。他にはなにか気付いたものはなかったか?」
「そういえば、ミネさんが子犬を捕まえるときに、指先を噛まれたみたいでした」
「噛まれた……。そうか、それだ! インフルエンザの予防接種の案内に、犬に噛まれたこと」
「えっ、どういうことですか?」
「狂犬病だよ。飼い犬は狂犬病の予防接種を受けることが義務付けられている。でも、野良犬は違う」
「つまりミネさんは子犬に噛まれて狂犬病にかかったわけですか?」
「狂犬病ならば、君たち二人が見たというインフルエンザの予防接種の案内とも符合するからな」
「じゃあ、あの案内の紙切れはやっぱりデストラップの前兆だったんだ……。おれがそのことをしっかり認識していれば……」
「――いや、その考えは間違っている」
壁際のイスに貧乏ゆすりをしながら座って、じっと静かに事態を見つめていた九鬼が、否定の声をあげた。
「あんた、俺たちの話を聞いていたのか?」
瓜生が驚いたように九鬼に目をやる。
「狂犬病はそんなにすぐに発病しない」
「あんた、いやに病気について詳しいな」
「この人に持病がなかったとしたら、別の原因があるはずだ。お前たちは他に何か見落としていないか?」
九鬼が瓜生の疑問を無視して続けた。
「他といったら……あっ、子犬に噛まれたの以外にも、毛が刺さったとか言ってたけど……。迷子犬で体を洗っていないから、体毛がささくれ立っていたんじゃないかってミネさんは言ってました」
スオウはそのシーンを頭で思い出しながら続けた。
「それで間違いない!」
九鬼が即座に断言した。
「えっ、毛ですか?」
「違う。このばあさんは誤解したんだよ。犬の体毛じゃなくて、体毛の中に隠れていた虫に刺されたんだ。インフルエンザの予防接種というのは、虫の針に刺されることの前兆を示していたんだろうな」
「虫ってことは、毒にやられたってことですか? たかが虫に刺されたくらいで、こんなひどい症状になるんですか?」
「毒なんかじゃない」
「――なるほどな。アナフィラキシーショックってわけか」
状況を理解しているらしい九鬼を除いて、最初に瓜生が解答にたどり着いたみたいだ。
「そうだ。この症状はアナフィラキシーショックによるものだ」
「えっ、なんなんですか、そのアナなんとかって?」
初めて聞く単語に、スオウは九鬼に聞き返した。
「分かりやすく言えば、アレルギーショックさ。アレルギー反応が強く出すぎてしまう状態のことだ」
「それで、あんたに治せるのか?」
瓜生の問いかけに対して、九鬼は無言で立ち上がってミネの元に近付いていく。最初にミネの手首をつかむ。次に閉じていたまぶたを指で持ち上げて両眼を見る。その仕草は手馴れたものだった。
「呼吸が荒いな。脈もかなり弱まっている。このままではそう長くはもたないだろうな」
「じゃあ、助けられないのか?」
「助けるもなにも、薬すらないこの状況ではしょうがない。このばあさんだって、命をかけたゲームだと分かって参加していたはずだ。そもそも、このばあさんが犬を探しに行って、その犬に取り付いていた虫に刺されたんだから、これはもう自業自得としかいえないだろう」
「ちょっと待てよ。あんたの言ってることはたしかにあってるさ。でも、今言うことじゃないだろう!」
スオウは言葉を荒げて、九鬼に詰め寄った。
「いや 、今だから私は言ったんだ! このばあさんは自分勝手をして、こうして他のゲーム参加者に迷惑をかけたんだからな!」
「それはそうかもしれないけど……。」
たしかに九鬼の言い分も一理あることは理解出来る。しかし、感情的にそれを受け入れることなど到底スオウには出来なかった。特に目の前で苦しんでいるミネを見つめているとなおさらに。
「悪いがこのばあさんに今出来ることは、このソファに寝かせておくことだけだ。あとはこのばあさん自身の回復力に任せるしかない」
ソファに横たわるミネは相変わらず不安定な呼吸を繰り返しており、顔色は真っ青である。このままなにもせずにいたらどうなるかは、誰の目にも明らかであった。
今まで姿を隠していたあの子犬がホールに入ってきた。一目散にミネのもとに駆け寄っていく。ミネの頬を可愛らしい舌でペロペロと舐める。その様子は一生懸命にミネを看病しているようにも見えた。
「今はこの小さなワンちゃんに任せるしかないみたいね」
イツカが子犬の背中を手で撫でながら小さな声で言った。
そのとき、ホール内にメールの着信音がいっせいに鳴り響いた。
『 ゲーム退場者――1名 小金寺ミネ
残り時間――11時間19分
残りデストラップ――10個
残り生存者――11名
死亡者――1名
重体によるゲーム参加不能者――1名 』