第9話 犬の鳴き声
――――――――――――――――
残り時間――11時間57分
残りデストラップ――11個
残り生存者――12名
死亡者――1名
――――――――――――――――
再び、重い空気がホール内に満ちていく。その空気を破ったのは、意外にも一番高齢のミネだった。
「ねえ、今聞こえなかったかしら?」
ミネは耳をすませるような表情をしている。
「どうしたんですか、ミネさん?」
イツカが気遣うようにミネのそばに近寄っていく。
「ほら、あの鳴き声よ。あれは犬の鳴き声よ」
「えっ、犬の鳴き声ですか? わたしは聞こえなかったですが……」
「私には聞こえたの。絶対に犬の鳴き声だったわ。たぶん迷子犬よ。さっきの窓ガラスが割れる大きな音を聞いて、びっくりして隠れていた所から出て来たんじゃないかしら」
「でも、この病院は工事中だから、犬が中に入ってくるのは難しいと思いますよ」
「でも間違いないわ。犬のことなら、私はここにいる人間の中で一番詳しいと断言してもいいくらいなのよ」
「そこまでいうのならば、犬の鳴き声が聞こえたのかもしれませんが……」
「そうよ。本当に聞こえたの。――だから、今すぐ迷子犬を探しにいかないと」
ミネが突拍子も無いことを言いだした。
「ちょっと待ってください。ミネさん、分かっていますか。わたしたちは今、命をかけたゲームをしているんですよ」
「分かっているわ。でも、あの鳴き声……。きっと、さびしそうにしているはずなの。そういう鳴き声だったから。わたしにはそういうのが分かるの。いいわ。だったら、私ひとりで探しに行くから。それならいいでしょ? 誰にも迷惑をかけないわけだから」
「そんな風にいわれましても……」
「まったく、たかが犬になにをそんなに騒いでいるんだか」
あさっての方に向かって言った九鬼の言葉だったが、ミネにはしっかりと聞こえたようだった。
「なによ! 犬の心配をしてなにが悪いっていうの!」
「だから犬は犬だろう。今は命をかけている人間様の方が大事だろうが!」
「そんなの傲慢よ! 誰が犬よりも人間の方が大事だと決めたの?」
「あー、面倒くさいな。ダメだダメだ。あんたとは話しにならない。そんなにお犬様が大事ならば、デストラップが起こるかもしれない病院の中を、勝手にひとりで探しに行けばいいだろう!」
「あなたに言われなくとも、私はひとりで探しにいくつもりです!」
ミネは今にもホールから飛び出して、迷子犬を探しに行きそうな勢いである。
「ちょっとミネさん、落ち着いてくれよ」
「なによ。瓜生さんまで、たかが犬ごときとか思っているの?」
「いや、俺はそんなこと思っていないさ。ただ、この病院内をひとりで探すのは無理だと思うぜ」
「大丈夫です。わたしは犬のことなら詳しいんだから」
「だとしても、危険すぎるぜ……」
さすがの瓜生も、ミネの犬好きに手を焼いているみたいだった。
「それじゃ、わたしたちがミネさんのお供をしましょうか?」
そう提案したのはイツカだった。
「わたしたちってことは、それっておれも含まれているのか?」
一応、スオウは確認した。
「え? それじゃ、まさかスオウくんはか弱い女性二人だけで、迷子犬を探しに行けって言うの?」
非難するような言葉だったが、顔は笑っているイツカだった。
「分かったよ。付き合うよ。ていうか、はじめからそのつもりだったし」
「二人ともありがとうね」
ミネがうれしそうに微笑んだ。
「わたしは家でペットは飼っていないけど動物は大好きですから、ミネさんの気持ちはよく分かります」
「おれもイツカちゃんと同じということにします」
「わたしのことはイツカって呼び捨てでいいよ」
「えっ、いいの? あ、うん、分かった。これからはそう呼ぶよ」
自分でもしらずに顔がほころんでしまうスオウだった。
「けっ。このまま付き合いだすような雰囲気満点じゃねえのか」
ヒロキがからかうような視線を向けてきた。
「なにが言いたいんだよ! あんたはさっきからなにも協力してないくせに!」
挑発していると分かっているのに、スオウはつい声を荒げてしまった。
相手はいかにも不良じみた外見で、普段なら目を合わすのも怖いと思うところだが、今はそんなことを言っている状況ではない。自分の命がかかっている以上は、言うべきことは言っておかないとならないと思ったのだ。
それに加えて、この人数がいる状況ならば、まさかヒロキも飛びかかってくるようなバカなマネはしないだろうとの思いもあった。
「随分と威勢がいいガキだな。オレ様は省エネ対応の人間なんでね。余計なことはしない主義なんだよ。今は車だってエコカーが流行っているだろ?」
「ふんっ。勝手に言ってろよ! 休みたいやつは休んでいればいいさ」
「ああ。ゆっくりと休ませてもらうさ。お前たちがこの病院の中を当てもなく探しまわって、デストラップに引っかかってくれれば、その分、残ったオレたちに有利になるからな」
ヒロキは悠然とソファに座っており、体を動かす気はさらさらないようだ。
スオウは一度ヒロキを強くにらみつけたから、イツカの方に振り向いた。
「イツカ、こんなやつは放っておいて、探しに行くなら早く行こう。――というわけで、瓜生さん、ここは瓜生さんにお任せしてもいいですか?」
「了解した。こういう状況のときはなるべく全員一緒にいた方が安全なんだが、まあ仕方ないよな。お前さんたちはバアさんと一緒に迷子犬を探してきてくれ。ただし余り時間がかかりすぎるようなら、そのときは早めに諦めてすぐにホールに戻って来るんだぞ」
「分かりました。絶対に無理はしませんから。──それじゃ、ミネさん、一緒に探しに行きましょう」
瓜生の許可を取ったスオウは、イツカとミネと一緒に犬探しに向かうことにした。こんなときだというのに、イツカと一緒にいられると思うと、気持ちが高揚してくるのが押さえられなかった。
「本当に二人ともありがとうね。こんなおばあちゃんの頼みに付き合ってくれて」
こうしてスオウたち三人は他の参加者たちをホールに残して、迷子犬を探しに向かった。