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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第三章 桶狭間の坂道
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競合者 壱

「殿、いつまで奥方様の(ふみ)をお読みなのですか?」


 林新次郎の呆れた声に、俺は文から顔を上げて睨みつける。


「もう何度もお読みになったでしょう?」


 言葉を重ねる新次郎。俺は無視を決め込もうとしたが、家臣たち、文を届けに来た篠岡八右衛門に、前田孫十郎基勝や道家清十郎・助十郎の兄弟にまで見つめられているのに気づいた。


 誤魔化すために咳払いをし、文を懐にしまう。


「いやいや、皆の衆。どれだけ待たされても、殿を責めてはいかんぞ。奥方様や千代様をそれだけご心配になっておられていた証ではないか。何も、言ってはならんからな」


 篠岡八右衛門が、他の家臣たちに言い聞かせる。しかし、それは新次郎や家臣たちに火をつけた。


「殿が奥方様たちをご心配されていたのは、傍にいた我らが重々承知している。いちいち八右衛門殿に言われるまでもない。そもそも、加持祈祷ができる拙者が村に残るべきだったのに、なぜ八右衛門殿が残られたのか?」


「その通り! だいたい、八右衛門殿はこの中で、千代様のお顔を知っている唯一のお人ではないか!? お生まれになったのを知ることにすら、我らどれだけ苦労をしたと!?」


「ここは八右衛門殿と我らの誰かを交代して頂かなくてはなりません。そうでしょう、殿!?」


 三人に詰め寄られ、後退りする篠岡八右衛門。


 いい気味だ。俺を差し置いて、主君の愛娘に接しているからそうなる。


「そんなにご心配なら、領地に戻られたらいいではないですか。それぐらいなら、大殿はお許しになるでしょう?」


 新次郎の提案通り、それは考えないでもなかった。


「駄目だ。全ての差配が終わって、時があれば戻る。もう、そう決めたのだ」


 前田又左衛門利家の追放。これがなければ、村に戻って(たえ)と千代に会う誘惑に勝てなかっただろう。

 前田利家は、ある意味俺のせいで、織田家を追放されて妻子に会うことができなくなったのだ。そんな前田利家を差し置いて、俺だけが会いに行くことなんて出来ない。せめて、前田利家が手柄を立てられる場を用意しなければ気がすまない。


「八右衛門」


「は、はは! 何かございますか!?」


 俺が呼ぶと、恨めしそうな三人を振り切って、篠岡八右衛門が走ってくる。


「ご苦労だった。村に変わりはないか?」


「村が豊かになっているので、また流民が増えました。銭で雇い、少し田畑の開墾を進めております。奥方様の下、皆が一致団結して守っております。問題はございません。」


「そうか。流民がだいぶ出ているのだな」


「昨年は暑く、東国では作物の出来が良くなかったと聞いております。我らのところは水があるので、大きく問題にはなりませんでしたが……尾張の南の方では……」


「わかった」


 尾張の南、つまり知多郡では不作であった。


「今年も、随分暑くなりそうです。無事に米が実ってくれればよいのですが……」


「そうか。確かに心配ではあるが、もしかしたら俺には恵みの暑さになるかもしれない」


 俺が勢いよく立ち上がると、家臣たちの顔つきがたちまちに引き締まる。


「八右衛門はこれまで通りに村を任せる。兵糧、銭は出来るだけ確保しておくように」


「承知いたしました。戦の準備を進めます」


「清十郎は殿への文を届けよ。孫十郎も、俺の頼れる親類へ書状を届けてもらう」


「殿の、頼れる親類、ですか?」


 前田基勝が首をかしげる。


 妻、妙の義実家である林家を除けば、俺には親類はいない。林家に書状を届けるのであれば、前田基勝ではなく、同じ林家の林新次郎を使うのは自明だ。そして、信長様の嫡男、奇妙丸も親類と言えなくはないが、まだまだ幼すぎる。


 俺に林家以外に頼れる親類がいないのを知っている前田基勝は、俺の言う親類を思いつかない。


「ああ、そうだ。(ばん)九郎左衛門尉((直政))殿に書状を届けてくれ」









「元気そうだな、長三郎。一向宗門徒に捕まっていた割には……」


「ええ、これこの通り。槍働きをするのに何ら問題はございませんよ」


「そうかそうか。それは祝着至極」


 俺の無事を口では寿(ことほ)ぐけれど、その顔に笑みは見られない。露骨に残念そうな顔もしないが、居なくなればよかったという考えが透けて見えるような顔だ。


「それで、今日は如何したのだ? 突然書状まで送ってきて、わざわざ会って話をしたいなどと」


「九郎左衛門殿が以前に仰っておられたではありませんか。我らは親類のようなものなので、遠慮はいらない、と。子が生まれたので、これからは親戚づきあいも必要と思ったまでです」


「……そうであったな。共に頼れる親族が少ない。協力しあっていかなくてはならん」


 お互い、微塵もそんなことは思っていない。塙直政にとって、俺は敵なのだとはっきりとわかる。最初は、俺は姉、向こうは妹がそれぞれ信長様と縁付いて同じような立場でありながら、奇妙丸だけが信長様の嫡子として扱われることに後ろめたさを感じていた。

 だが、もうこっちには守る物があるのだ。後ろ向きに避けてばかりではいられない。


 その時、庭先から子供の遊ぶ声が聞こえてきた。


「於勝丸様、でしたか? 健やかにお育ちのようですね」


「そろそろわんぱく気味になってきた。殿に似たのかもしれんな」


 信長様の幼少の頃なんて、知らないくせによく言うよ。


 お互い、信長様に仕え始めた時期はそんなに変わらない。知っているのは元服してからだ。指摘しようかと思ったが、ここは敵地であると思い直して口をつぐむ。


「奇妙丸様はどのようにお育ちだ?」


「お市様やお犬様をはじめとした、殿のご弟妹の方々に可愛がられてお育ちのようです。変ないたずらをお教えになられて、前に奇妙丸様に遊ばれてしまいました」


 どれだけ信長様に似ていようが、嫡子奇妙丸と庶長子於勝丸との差が縮まることはない。それは、次男である茶筅丸と於勝丸であっても同様だ。

 なぜなら、於勝丸は信長様が外で産ませた子供だからだ。外、つまりは織田家の奥を取り仕切る帰蝶様の管理していなかった女性。奇妙丸、茶筅丸、冬姫は帰蝶様の管轄下にある女性から生まれたため、信長様の血を引いた、織田家を継ぐ血筋として扱われている。そうではない於勝丸や三七郎などは、城の外で育てられていた。

 将来的に信長様が二人を正式に織田家へ入れたとしても、それは奇妙丸や茶筅丸、信長様の実弟たちよりも低く置かれることだろう。


「まだ幼いというのに、大人を翻弄なさるとは、将来が楽しみだ。長三郎も鼻が高かろう?」


「滅相もありません。帰蝶様や傅役(もりやく)の林様が、しっかりお育てになっておられる故でしょう」


 塙直政は、相変わらず冷めた表情を向けてくる。何を企んでいる、と問いかけているようだ。


 塙直政との会話は神経がすり減るので、もう用向きに入ることにする。俺は姿勢を正し、塙直政と真っ向から対峙した。


「殿は、於勝丸様のご将来を心配しておいでです」


 塙直政の眉が少しだけ反応した。だが、それ以外はまったく反応を示さない。


「織田家も以前に比べ、格段に大きくなりました。殿がそうであったように、元服までに御子様たちにはそれぞれ一城を与えたいと考えておられるようです」


「ほう……」


 まだ表情は変わらないけれど、皮算用が始まっているはずだ。於勝丸が一城を持つようになれば、塙直政はその家老になることは間違いない。織田家中枢での栄達か、於勝丸の家老になるのか、悩ましいところだろう。


「しかし、於勝丸様や三七郎様には、それが出来ない」


 出世の希望から絶望へと叩き落とすけれど、塙直政は冷静だった。ゆっくりと俺の言っていることの裏を考えている。


「九郎左衛門殿には、訳がお分かりでしょうか?」


 塙直政は、腕を組み、瞑目して考え始めた。組んだ腕の指先が、数回腕を打ったところで、目を開けた。


「拙者の貫目か?」


「その通りです。於勝丸様の家老になられるには、身代(しんだい)が心もとない。それは当然、こちらでも同じことです」


 こんな話、当然あるわけがない。塙直政が、裏切ることなく与えられた命令を遂行して貰うための誘導だ。信長様の命令という建前はあるが、俺が関わっていることでどのような行動に出るかわからない。そのまま遂行してくれればいいが、美味しいところだけを掠め取ろうとされて、失敗なんてことになったら目も当てられない。

 だから、どうしても成功させて、手柄にしなければならないと思って貰う必要があった。


「お互いに出世しなければならないということだな?」


「はい。九郎左衛門殿とともに成し遂げ、早めに条件を満たしておくようにと、殿より仰せつかっております」


「そうか……なるほど……」


 於勝丸の家老にならないとしても、手柄を上げたいはず。こちらとしては、こんな面倒な格上の同僚を使いたくはないけれど、もともと鳴海城周辺で動いていたのは、簗田四左衛門((政綱))と塙直政を含めた与力たちだ。活用しない手はない。


「殿のご命令は?」


 腹が決まったのであろう、端的に聞いてきた塙直政の前に、俺は絵図を広げた。


「これまで、鳴海城攻略のために、簗田様が中心となって鳴海周辺を織田家に靡かせておりました」


 塙直政が、黙ってうなずく。


「当然、鳴海城の山口はそれを良しとしていないでしょう?」


「今なお、国人土豪衆の引き抜き合いは行われている。どうにか、鳴海周辺をこちらが抑え込んでいるのが現状だ」


「それを利用する手を、殿はお考えになられました」


 言葉を切り、塙直政と向き直る。


 勝負どころだ。簗田政綱をこいつに動かしてもらわなくてはならないのだから。


 俺が絵図で示しながら策を語ると、それを聞いた塙直政はしばらく黙考する。


「承知した。委細、我らに任せておくといい」


 自分がやるから手出しするなということだろうが、それは想定内の上にこっちにとっては渡りに船だ。


「では、お任せいたします」


 俺は絵図をしまい、立ち上がる。ここに来て、初めて塙直政が表情を変えた。眉間に皺を寄せて、こちらの意図を伺っている。


「くれぐれも秋までにお願いいたします。それでは、これにて失礼」


 俺はそう言い置いて、塙直政の邸宅を後にした。

まず、いつも誤字脱字のご報告をありがとうございます。見直しの時間を多く取れないために、とても助けられております。


さて、全然話が進まず、申し訳ないです。もう少しテンポよくストーリーを展開させたいのですが、うまくいきません。

せめて、週の投稿数を多く出来ればいいのですが……申し訳ないです。


それでは、次話もお付き合いくださったら幸いです。

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