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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第三章 桶狭間の坂道
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笄斬り 弐

「一向宗との密約、なりました」


 夜、清州城の一室で、俺は信長様の居室にやってきていた。


「うむ。首尾は?」


「志摩までの海には海賊が多くなりましょう。それと、三河へと向かう門徒は今川の手を焼かせてくれるはずです」


 そして、織田家の後背地における安全の確保。


 今川がどこまで感づくかは読めないけれど、現時点では織田家が正面に注力するための交渉を願証寺と行っていたと判断するだろう。その結果が服部党の壊滅だと。


「少ないな。それでは、今川がどこまで動くやら」


「はい、道中考えておりましたが、今川がまだ急ぐ理由がありません。盤面を整えて、締め上げるという方法は継続できます」


 そう、今川にしたら、尾張・伊勢の一向宗と敵対しようが、面倒というくらいで、慌てて攻め入る必要はない。願証寺が挙兵してくれたら、何も問題はなかった。しかし、そうはならなかったからには、今川への餌が足りないのだ。


「そこで、第二の竿を投げ入れたいと思っております……」


「また何か、証文を書けというのか?」


「証文もあると便利かもしれませんが、与力をつけていただきたいのです」


「新次郎をやっただろう?」


 信長様がまだ連れて行くのかとでも言いたげな顔をする。


 言外にもうこれ以上は我慢しろと言うことだ。でも、我慢はしない。それが必要なのだから。


「簗田四左衛門((政綱))様……それに加えまして、塙九郎左衛門尉((直政))殿をお貸しください」


 自分よりも格上に当たる人物たちを与力として派遣してもらう。俺の無茶苦茶な要望に、容赦なく信長様に頭を叩かれる。


「たわけが。そのようなことができるか」


「与力と言っても、お二人にとって俺は信長様の命でやって来た伝令です。お二人には、俺の出す命令を信長様の命として、行動に移ってもらいます」


「それならば出来なくはない。しかし、今度はどのような策だ? また儂の命で長三郎が行方知れずとあっては、儂は帰蝶に殺されてしまうぞ」


 何かを思い出して、信長様がげんなりする。相当大変であったのか、俺を見る目に切実さが含まれていた。


「……捕まらない限りは、連絡を密にいたします」


 俺は頭を下げる。願証寺のことは、まさか監禁されるとは思ってもみなかったのだから、仕方がない。


「押して亀のように閉じこもられてはなりません。こちらは押すのではなく、今川を引っ張ります」


「それは前からわかっておるわ。その方法だ」


「考えてみれば簡単だったのです。これまでと逆をすれば良いのですよ。後は、中から出られないように袋を作り出します」


 俺は信長様の前に鳴海城周辺の絵図を広げた。


「おそらく、鳴海城をいくら攻めようが今川義元は出てこないでしょう。それこそ、以前活躍したという松平元康なりを派遣して岡崎にいる三河武士たちを使い潰しにします」


 信長様が絵図に見入っている。俺は鳴海城に『今』と書き加えた。そして、鳴海城をゆるく取り囲むようにして『織』といくつも書いていく。また、その外側の三河方面に『今』と加える。


「鳴海城は安祥城とも遮断されている、今川にとってまさに孤城。方針の変化により、今川にとって以前ほど鳴海城は重要ではなくなっています。あれば織田の目がそちらに向いて、都合が良い程度」


「以前の賽子勝負でも、鳴海を使って今川義元を釣り上げるというのは、凶と出たからな」


「はい。なので、こうします」


 俺は絵図にいくつかの修正を加える。信長様の目が険しくなっていく。


「この状況を作り出した上で、他にどうしても知多郡の力が必要です」


「わざわざお前が言うのだ。藤四郎((水野信元))ではあるまい」


「はい……知多郡大野を治める、佐治左馬允為貞を味方に引き入れなくてはなりません」


 佐治為貞は知多半島の伊勢湾側に勢力を誇っている。水野氏との関係から、織田とも接点を有しているが、今川にも通じている両属関係にあった。

 海賊も率いており、味方になれば今川の水軍勢力の牽制にもつながってくる。


「いいだろう。左馬允には息子がいる。そやつに妹の犬を嫁がせる」


 信長様の即断に、俺は思わず息を呑んだ。


「よろしいのですか? その……他にも方法はあるかと」


「これが一番確実だ。今ならば、お犬も粗略には扱われまい」


 その一言で、疑問が氷解した。信長様は、妹御との婚姻で佐治為貞を味方に引き入れることを以前から考えていたのだ。だが、状況次第によっては嫁いだ妹に危害が及ぶかもしれなかった。だから、実行に移せなかった。それが、今や見かけ上は織田家が押している情勢が出来上がっているのだ。


「ありがとうございます。でも、お犬様でしょうか? 姉であるお市様が先では?」


「市は恩知らずとの関係があったからな。あそこも尾張だ、いらぬ考えをする者がおるやもしれん。市を嫁に出すなら、尾張以外が良かろう」


 お市は追放された斯波義銀の婚約者であった。確かに、口さがない者たちがいては、かわいそうである。


 元々は俺の考えで、斯波義銀の婚約者になったのだ。だから、ただ深く頭を下げるしかなかった。


「良い。決めたのは儂だ」


「はっ」


 俺が頭を上げると、信長様は広げていた絵図に知多郡に大きく『織』と書き入れる。


「こうすれば、今川の首を取れるのだな?」


「……賽子を振りましょうか?」


「いや、まだ賽は振らぬ」


 信長様が頭を振る。


吉兵衛((村井貞勝))所之介((島田秀順))には、用意をさせておく。長三郎は、その通りにやってみよ」


「かしこまりました」


 俺が頭を下げて退室しようとすると、信長様が咳払いをする。


「何でしょうか?」


「いや……斎藤治部めの話は聞き及んでいるだろうな?」


「願証寺にて聞いております」


 斎藤治部大輔高政は、将軍足利義輝から一色(いっしき)の姓を使うことを許された。そして、義輝の『義』を偏諱として受け、官位も進める予定だそうだ。一色左京大夫義龍となる。


「公方様は随分と大判振る舞いされましたね。室町殿に従えば、大きな利があると示しました。信長様が美濃へ手出しするのを許さないという表明ですね」


「ああ。だから、こちらも美濃者たちを今は静かにさせてある」


「これも、こちらは押せません。だから……」


「出させるというのだな?」


 俺がゆっくりうなずくと、信長様は脇息にもたれかかり、考え込む。


「美濃者は顔が知れている。尾張の者を使って、美濃からこちらに手出しをさせれば……」


「はい。公方様の面子を潰すのは、向こうになります」


「よかろう。そちらは、誰かにやらせよう」


「かしこまりました。では、今川の方にかからせて頂きます」


 今度こそ、退室しようとするが、信長様が俺を睨みつけているので、諦めた。


 言いたいことは察しがついている。


「又左衛門のことは、信長様のお考えどおりがよろしいでしょう」


藤吉郎((木下))のように庇わんのか?」


「藤吉郎とは訳が違います。如何に拾阿弥が悪かろうと、斬り殺した又左衛門を無罪放免にはできないでしょう。又左衛門のことは、織田家中の大事となりえます」


「拾阿弥は……お前のことを死んだ死んだなどと言いふらしておった。叱りつけておいたのだが、あの日も、又左に長三郎は死んだと言い放ちおった。それに怒ったのだ」


 あの短気野郎! 内蔵助((佐々成政))も知っていただろうに、どうして言わなかった!?


 前田利家も佐々成政も、俺が死んだなどとは欠片も信じなかったはずだ。きっと、何か密命を帯びて連絡がつかないだけだと。そんな俺を無駄死にしたかのように馬鹿にする拾阿弥。短気な前田利家は我慢できなかった。


 俺の考えが甘かったばかりに、前田利家が罰を蒙ることになる。


 涙が出そうになるのを、歯を食いしばって耐える。何も、言葉にできなかった。信長様が、そんな俺を黙って見ている。


 何か言われたら、きっと信長様にすがって前田利家を許してくれと懇願してしまっただろう。もし許されでもしたら、織田家に傷がついてしまう。そして、許されなかったならば、きっと俺は信長様に複雑な心を持ってしまう。


「……御前、失礼仕ります……」


 俺は、どうにかそれだけを口にして、信長様の居室を退室しようとした。信長様に背を向け、襖に手をかけた時に、背中へ声がかけられる。


「又左のことは、家老衆の言い分も尤もであった。死罪ではなく、織田家より追放とする。お前が伝えてまいれ」


「かしこまりました。……ご下命どおりに、いたします」


 追放、つまりは浪人となることだ。前田利家が、帰農できるはずがない。士官を求めて、流離うことになるだろう。その間、妻のまつや、もうすぐ生まれる子供はどうなるだろうか。そうなることを、俺が伝えなくてはならない。


 そう思うと、体の震えを止めることは出来なかった。襖に手をかけたまま、震え固まる俺。頭の中に色々なことが浮かんでは消えていく。


 すると、後頭部に衝撃が走った。


 振り向くと、信長様が拳を固めて、背後に立っていた。


「前田又左衛門利家に伝えよ。織田家より追放とする。その罪を贖うにふさわしい手柄を上げる時まで、と」


 手柄を上げれば許されて、また共に織田家で馬を並べられる。


「信長様、あ、ありがとう、ございます」


「儂の言葉を最後まで聞かぬからだ。早く行け!」


「はい!」


 俺は、乱暴に襖を開け放つと、大急ぎで廊下を走る。途中、待たせていた家臣たちの驚く声を振り切って、前田利家が預けられている林秀貞の屋敷へひた走った。









「長三郎、随分見かけなかったが、元気そうではないか」


「又左衛門……」


 前田利家は、林家の屋敷の一室で、静かに謹慎していた。


「今回の手柄話をしに来てくれたのか?」


 前田利家は、何事もないように接してくる。いや、いつもと違って、嫌に落ち着いている感じだった。


「まだ手柄は上げていない。これからだよ」


「なんだつまらん。久しぶりに長三郎の手柄話を聞けるかと思ったのだがな」


「ああ、そうだな。できなくて、本当に……残念だよ」


 俺が前田利家の前に腰を下ろすと、落ち着いていた前田利家がどこか気もそぞろになっていく。


「拾阿弥……盗人がまつの(こうがい)を盗みおったので、斬ってしまったわ。まったく、死んでからも腹立たしいやつだ。長三郎もそう思うであろう?」


「ああ……そうなのか……それは、確かに腹立たしいな」


 俺のために怒ったと、意地でも口にしないつもりだ。俺は、前田利家の意を汲んで、話を合わせる。


「盗みを出来ないように、腕を斬れば良かったんじゃないのか?」


「いや、それなら口だな。口がなければ、うるさくなくなっただろう」


「それだと結局、首を斬ることになってしまうじゃないか」


 他愛ない話を続けて、時間を潰していると、ばたばたと音がして部屋に二人の男が入ってくる。


「前田様! お元気にされておりましたか!?」


「おう、長三郎に呼ばれて、様子を見に来たぞ」


 藤吉郎と佐々成政が、矢継ぎ早に前田利家に話しかける。そして、持ってきた膳を車座になった中央に置いた。そこで、三人が俺に顔を向ける。


 俺は大きく息を吸い、告げる。


「前田又左衛門利家……殿よりのお言葉である」


「はっ!」


 前田利家が居住まいを正して平伏した。


「お前を……織田家より追放する」


 平伏していた前田利家は、拳を握りしめ、額を床につける。佐々成政と藤吉郎の二人も驚いていた。無罪と信じていたのだろう。


「謹んで、ご処分をお受けいたします」


「追放するが!」


 前田利家が顔をあげようとするので、俺は大声で言い放つ。前田利家が、再び頭を下げた。


「家中を乱したのに値する手柄を上げた時、前田又左衛門利家の帰参を許す」


 陣借りとして織田家のために戦い、手柄を上げろ。前田利家が織田家に戻りたいのなら、そうするしかない。


「殿に……お伝え頂きたい。前田又左衛門は、必ず、必ず手柄を上げてまいります、と」


「承知した。帰参を信じている」


 そのための戦を、俺が整える。


 藤吉郎と佐々成政もうなずきあって、居住まいを正した。


「前田様……まつ殿のことはご心配されるな。佐々様とこの藤吉郎が荒子までお届けします。その後のご様子についても、お伝えいたします」


「戦となるのなら、鳴海城の方であろうな。兄に話をしておくから、陣借りするなら、佐々家を頼ってくれ」


「二人共、忝ない」


 藤吉郎が、膳に並べている碗の内三つに酒を注ぐ。そして、俺の前にある碗には水を入れた。


「前田又左衛門の武運を祈る」


「いや、ちがうぞ、内蔵助」


 佐々成政の音頭に前田利家が文句をつけ、そして椀を掲げた。


「我ら、(まこと)の友に武運を!」









 道祖長通、羽柴秀吉、前田利家、佐々成政の四人は、織田家中にあって様々な逸話が存在する。その一つが、前田利家による同朋衆の拾阿弥を殺害した笄斬りである。永禄二年、形見の笄を盗んだ拾阿弥を斬り殺した前田利家は、織田家を追放された。

 放浪し、困窮するところを助けたのがこの三人であったそうだ。『織道振賽録』には、織田信長が寵童であった前田利家を助けるために、道祖長通を遣わし、博打を教えて困窮を助ける場面が描かれている。

 なんとか、2話に収まってくれました。次は東に向かいます。


次話も拙作にお付き合いくださったら幸いです。

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[良い点] 日本史詳しくないけど、純粋に面白いです。 [一言] 友情に乾杯!
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