笄斬り 壱
蟹江城の滝川左近尉一益とともに河内の服部党を壊滅させた俺は、信長様への報告のために清洲にやってきた。
「殿、奥方様にお会いにならなくてよかったのですか?」
前田孫十郎基勝が、問いかけてくる。言外に少しぐらい寄り道をしても大丈夫だったと言いたいのだろう。それは、道家清十郎と与力の林新次郎も同じようで、しきりにうなずいている。
「助十郎に文を持たせたから、大丈夫だ」
「しかし……」
「俺も会いたいのを我慢しているんだ。これ以上、惑わせないでくれ」
俺がそう言うと、三人ともしぶしぶと口を閉ざす。
俺だって会いたくて仕方がないのだ。無事に生まれたと聞いた時はどんなに嬉しかったことか。それは、一緒にいた三人もわかっているだろう。
しかし、優先しなければならないことがある。一向宗との密約に、河内における人員配置などの仕置に必要な報告、そして桶狭間方面の調査とやることが色々とある。どれも後回しにして良いものではないのだ。
「清洲は随分と寂しくなったな」
黙ってしまった俺たちを察してか、滝川一益が首を巡らしながら話題を替える。
「那古野への移転が、順調に進んでいるのでしょう。年内には、那古野の城が本城になると聞いていましたから」
「随分と早い。普請も全て済んではおらんだろうに」
「普請と作事をできるだけ並行して進めると聞いていました。殿は、よっぽど清洲を出たいのでしょう」
「さもありなん! 指揮を取っている五郎左殿は気を抜けまい! お気の毒なことだ!!」
滝川一益が大笑する。
丹羽長秀は信長様の養女、織田三郎五郎信広の娘を嫁に頂いている。つまり、織田家一門衆の外様格に成り上がっていた。それだけに、任される役は重要なものとなっているのだろう。織田家一門は、内紛によってその数を減らしているので、丹羽長秀の存在は貴重であった。
「ま、急ぐ理由は殿が清洲を出たいだけではあるまい?」
「さて? 一馬廻りにはわかりません」
声を潜めて俺に問いかける滝川一益に、俺は肩をすくめてみせる。
滝川一益が察している通り、那古野移転を急ぐのは今川家との戦いに向けてだ。町家などは防御施設、人は兵になるため、那古野への移転を忙している。今川が海を押さえようとしなければ、俺も普請に駆り出されていたかもしれなかった。
「いずれはわかることか。ともあれ、まずは殿にお会いせねばな」
俺が同意しようとしたとき、大声が響き渡った。
「道祖様! 帰っておいででしたか!? た、大変なことが起こったのです!」
大声の主は木下藤吉郎であった。
周囲の注目を集めながら、俺に駆け寄ってきた。
「久しぶりだな、藤吉郎。そんなに慌てて、どうしたんだ?」
「ま、前田様が……前田様が!」
「又左衛門がどうかしたか?」
「と、殿に……し……死罪を申し付けられました!」
木下藤吉郎の言っている意味がわからず、俺と滝川一益は顔を見合わせた。
「又左衛門が同朋衆の拾阿弥を斬り殺した?」
「はい……そうなのです。しかも、殿の眼前で……」
なんてことをしたんだ、あいつは。
「拾阿弥は又左衛門の物を盗んだか?」
「奥方のまつ殿の亡くなられたお父上の遺品を盗られたことがございましたが、それはちゃんと裁きはございました」
「又左衛門の留守中に、拾阿弥がまつ殿に会いに行ったなんてことは?」
藤吉郎が首を振る。
「その……佐々様にお聞きしたところ、殿の前で前田様と拾阿弥のやつが口論をしていたそうで……。前田様はかっとなられて、止める間もなく拾阿弥を斬り殺したと……」
「最悪だ……」
喧嘩口論で、相手を斬り殺した。完璧に喧嘩両成敗となる状況だ。相手を殺したのなら、死罪となるのは大いに有り得る。
目の間に信長様がいるのなら、どうして信長様に訴えなかったんだ!?
「その場で死罪となるところを、御家老衆の方々や、佐々様をはじめとした御馬廻衆がお諌めして、なんとか免れました。しかし、前田様は筆頭家老の林様に預けられて蟄居に。ご自宅は閉門されております」
「まつ殿は?」
「身重ですので、さすがの殿もご実家の荒子への移動をお認めになられました。今は、佐々様のところにおります。ご自宅の閉門は、村井長八郎が……」
俺と滝川一益は、揃って腕を組んで唸るしか出来なかった。
拾阿弥にどれだけ問題があろうとも、喧嘩両成敗は武士の基本原則だ。これを疎かにすることはできない。
「とにかく、殿にお会いするしかあるまい。及ばずながら、拙者も力を貸そう」
「滝川様、道祖様! どうか、前田様をお救いくだされ!!」
額づいて懇願する藤吉郎。
だが、俺たちには任せてくれと言えるような自信はなかった。
「左近、服部党退治、よくぞやってくれた。見事な働きである」
「勝手に動きましたことは、謝罪の言葉もございません」
信長様は機嫌が良さそうだ。前田利家の件で機嫌が悪いと思っていたが、笑顔で家臣と接しておられる。
「それは構わん。機を逃さず、よくぞ動いぞ。恩賞以外に、何か望みはあるか?」
「ありがたきお言葉にございます。であれば、我が下知に従いました者どもにも、働きに応じた相応の褒美をくださればと存じます」
滝川一益は、河内侵攻に際して、蟹江城周辺の土豪たちを緊急動員した。信長様に与えられていた権限の内であるが、理由をつけて動かなかった者や戦いの終盤になって勝ち戦に駆けつけてきた者などがいる。戦いに備えていた者たちと、そうでない者たちとしっかり差をつけてやらないといけない。
池田勝三郎恒興が、すっと信長様に文書を差し出す。
「うむ……ほう……」
恐らく、誰がどのような手柄を上げたのかを、確認されているのだろう。時折、信長様は滝川一益にどんな働きだったのかを詳しく説明させている。
機嫌よく確認されていたが、次第に雲行きが怪しくなってくる。目が鋭くなり、声も固くなっている気がする。
近習たちはその空気を察したのだろう、顔つきが緊張仕出していた。
そして、信長様は池田恒興に顔を向ける。
「これだけか?」
「はっ! 滝川様よりは、それだけお預かりしております」
信長様の機嫌が目に見えて悪くなっていく。滝川一益や、周囲の家老衆もようやく気がついたようだ。さっきまでの和やかな雰囲気が霧散してしまっていた。
「荒子衆の名がない。どうした?」
前田利家の兄、前田蔵人利久をはじめとした前田家の名前や、その家臣の名前すら一人も載っていない。
「そ、それが……此度の戦には……参陣いたしませんでした」
「参陣しなかった? 前田家は左近、お前の親類であろう」
「左様でございます。従弟の娘が、前田蔵人の妻であります」
「その親類が、戦場に一兵も出さなかっただと? 蟹江を左近に任せていたからこそ、荒子衆との結びつきを期待していたものを……」
これは、前田利家の助命を願い出るどころではない。前田家は、いや前田利久はこれまで信長様の意に反することばかりしてきた。許されていたのは、弟である前田利家や佐脇籐八郎良之の存在あったからこそだ。
「前田の者どもに期待はできんな! のう、籐八郎!?」
ちらりと佐脇良之を見れば、うなだれてしまっている。佐脇家に養子に入ったとはいえ、実家のことだ。佐脇良之も無視は当然できない。何か言おうとするが、言葉が出ないようだった。
俺は、すっと膝を進めて、信長様の前に出る。
「殿、ご報告したき儀がございます」
「長三郎……」
言葉を切る信長様。無礼を承知で、俺は信長様の許可が出る前に口を開く。
「妻の妙が、女児を生みましてございます。千代と名付けました」
諌める言葉ではなく、全く違う道祖家の話に信長様が拍子抜けした顔をする。だが、思い出したかのように顔を緩ませ、自らの膝を打った。
「おう、そうであったな! 妙から帰蝶に文が参って知らされたわ! それについては、実におもしろきことがあったのう、内蔵助!!」
「はは! 誠に、長三郎とは奇縁で結ばれておるようです」
佐々内蔵助成政までも、信長様の前に、俺の隣にやってくる。
俺はわけもわからずに首を傾げている。
「こちらも、子が生まれた。男子だ」
佐々成政が、俺に告げる。
「名をな、松千代丸とつけたのだ」
「まつ、ちよまる?」
「おう。子の名前が同じと知った時は驚いたぞ」
「内蔵助、お前……名を盗りやがったな?」
「そ、そんなことするか! 第一、うちの方が早く生まれたのだぞ!」
俺と佐々成政が、取っ組み合いを始めた。
「嘘をつけ! 清洲で生まれたのをいいことに早く報告しただけだろ!? こっちが田舎で生まれたからって! 」
「この! やるか!!」
佐々成政と取っ組み合いをしながら、そのまま人を避けるようにして外に飛び出す。周囲から囃し立てられながら、相撲のように押し合いになった。当然、俺が押し負けて、地面に土をつけられてしまう。
俺は、勝ち誇る内蔵助の足を持ち上げて、転ばせる。そして、取っ組み合いを続けようとしたところで、笑い声が響いた。
「長三郎! 土がついたお前の負けだ!」
「はは。承知しました」
俺と佐々成政は、その場で膝をついて、信長様に頭を下げる。
「まったく、実に仲の良いことだ」
仲の良いことを強調するからには、とっさに佐々成政とふざけあって話題を反らせたことを知られてしまっているな。
「よし。内蔵助、長三郎! 松千代丸と千代を娶せよ」
「はっ!……は?」
信長様は何を仰っておられるのだ? 千代と内蔵助の息子を結婚させろ?
「良い話ではないでしょうか。その際は、媒酌人には某が」
「いやいや、林様。二人とも馬廻りであれば、媒酌人にはこの丹羽五郎左衛門がなりましょうぞ」
「今すぐに娶せるわけではあるまい? 将来、儂の与力になっていれば、儂こそが相応しかろう」
家老たちまでもが参戦し、俺の娘の将来が決められていこうとしている。
「うまくいったな、長三郎」
「いや、娘をお前の息子にはやらないからな」
「そんなこというな。松千代丸は良い男になるぞ。親に似てな」
「お香殿だけが親なら安心だが、父親の方が駄目だ」
俺たちは、再び取っ組み合いを始めた。結局、信長様からお叱りを受けるまで、それは続くのであった。
7時の予約投稿をすっかり忘れてしまっていました。
笄斬り、一話で終わらせるつもりだったのですが、終わりませんでした。桶狭間まで話が行くのに、まだかかりそうです。
次話でもお付き合いくださったら、幸いです。




