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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
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私たち

 信長の陣幕に、平手政秀、佐久間大学助盛重、柴田権六勝家、内藤勝介という主だった面子が集められた。陣幕周囲には見張りが置かれ、話が漏れないように警備されている。


「若殿、今日の助勢は助かりました。あのままいけば、我が備えは壊滅したでしょう」


「ああ」


 信長の短い返事に、佐久間盛重が怪訝な顔をする。柴田勝家も、眉間にしわを寄せてそのやり取りを見ていた。


「大学、今は危急の話があるのだ。権六も座れ」


 平手政秀が床几(しょうぎ)を示して二人を座らせる。


 信長は腕を組み、ただ目を閉じていた。政秀は息をゆっくり吐いてから、重々しく口を開く。


「末森で……殿がお倒れになられた」


「なっ! それは(まこと)か?」


 勝家が腰を浮かせる。


御方様((土田御前))からの知らせだ。ご容態の方はまだわからぬ。明日にもなれば、再び早馬が来るだろうが……」


「このような時に……なんてことだ」


 盛重が自分の太腿にこぶしを振り下ろす。


 危機はあったが、不利な戦況は織田方に傾きつつある。それが崩れさろうとしていた。


「若殿には一刻も早く、末盛にお戻り頂きます。右備えは勝介が大将を……」


「親父は身罷ったわけではない。ここで今川を退け、三郎五郎((織田信広))を助ける。それから末盛に戻っても変わらん」


「若殿! 殿が、お倒れになられたのですぞ。若殿がお戻りになられないで、もしものことがあれば……」


 政秀が言い聞かせるように説得するが、瞑目したまま動かない。


「政秀の言う通りにして下さい。ここは我らにお任せを」


「左様です。今日は醜態をお見せしましたが、二度と遅れはとりませぬ。どうか殿のもとへ」


 勝介と盛重も言い募る。


「戻ってみろ、親父に笑われる。大吐を吐きながら三郎五郎を助けることができんのか、とな」


 陣幕に集まった者たちにしてみたら、それは子供じみた頑固さであった。本当に子供であったのならまだ強引に言い聞かせることもできるが、主家の成人した嫡男相手にそんなことはできない。


「お前たちももう自陣に戻れ。親父のことは、くれぐれも外に漏らさないようにしろ」


「お願い申し上げます。どうか、もう一度お考え直し下さい」


「くどい!」


 怒気を露わにし、足を踏み鳴らして陣幕を出て行く信長。


「行くぞ、わっぱ!」


 取り残された四人は、疲れた表情で顔を見合わせる。


「如何する? このまま本当にもしものことがあれば、殿に合わせる顔がない」


「まったくだ。しかし、若殿のあのご気性……儂は心配でならん。あれならば、弟御の勘十郎((織田信勝))様こそが……」


「慎め、権六。今、そのような話をするな」


「……すまぬ」


 盛重にたしなめられて口を閉ざす勝家。


「明日にもまた連絡は来る。どのようなご病状であっても、もう一度若殿にご帰城いただくように説得する。皆は今川を打ち破ることだけを考えるように。若殿のことは任せてもらう」


 大将である平手政秀の言に、諸将はうなずいた。









「本当にお戻りになられないのですか?」


「お前までしつこいぞ。ああ……戻らん。戻って欲しくば、今川を一日でも早く倒す策でも考えるのだな」


 言外にお前には無理だろうと言っているのが分かる。


 何も言えない俺を無視して、信長様は鹵獲した火縄銃をあちこち弄くり回していた。


「どのようにするのかわからんな。この棒はどうするのだ? わっぱ、拾ってきたのはお前だろう」


「……わかりません。とにかく、持ってるのを全部取ってきたんですから」


 本当は知っている。焔硝を使った玉薬こそ実物は初めてだが、他は江戸時代に作られた物を触ったことがあるのだ。使い方はいろいろな本に載っていた。


「生かして捕えるべきだったな。明日も出てくるのであれば、捕まえて聞き出す」


 忙しなく玉や槊杖を触っている。しっかり確かめているようでいて、心ここにあらずだった。


 信長様、本当は末盛に行きたいんじゃないか。


「やっぱり末森城にお戻りになるべきです。そんなご様子では、明日の戦に支障が出てしまいます」


「問題ない。親父も……大丈夫だ。病でどうにかなるはずがない」


「……俺も……おっとうが出陣するとき、思ってました。無事に帰ってくる、戦で死んだりは死ないって……」


 信長様がようやく俺に顔を向けた。


「俺、おっとうのために草鞋も作ったんです。おっとうはそれを履いてった。それで、出陣前に槍を渡したのも俺です。……帰ってきたら、一緒に……田んぼに工夫してやろうって。親子で……名を成してやろうって約束したんです。なのに……おっとうは帰ってきませんでした」


 俺は、信長様の目をまっすぐに見つめる。いつもなら、いらぬことを言うなと怒られるところだけど、信長様も俺の目を見て真剣に聞いてくれていた。


「この世に、常の住み家はありません」


 たぶん、織田信秀が死ぬことはない。信秀の死は諸説あるが、どれも先だったはず。しかし、もしかしたら信長様がそばにいて声をかけていたから助かったということもありうる。

 確定していることなんてありはしないのだ。


「草葉にかかる白露や水面に映る月のように……あっけないものです」


 正座をし、額を地につける。


「末森に……お父上のもとに、戻ってください。今は、意地を張るときではございません」


「この三郎信長に、一度口にしたことを曲げよと。わしは、親父の前で三郎五郎を助けると言ったのだ。それを取り下げろと、そう言うのだな長三郎」


「はい。殿の性根を、曲げて頂かなければなりません」


「……助次郎! 椀を持て!」


 平手助次郎勝秀を声高に呼ぶ信長様。すぐに助次郎が椀を持ってくる。


「わしに言うことを聞かせるのだ。わかっていような」


 俺は顔をあげ、腰袋に手を伸ばした。


「サイコロ勝負……ですね」


 自分のサイコロを取り出して、助次郎が置いた椀にそっと入れる。


「あの時と同じ、賽の目を合わせた数だ。此度は賽子をそっちから振れ」


「かしこまりました」


 椀の中のサイコロを手に取る。


「私が勝てば、信長様は末盛にお帰りになられる」


「わしが勝てば、戦が終わるまで帰らん」


 あの夫役の免除の時から、信長様とは幾度もサイコロで遊んでいる。しかし勝負したのは、あれ一度きりだ。久しぶりの勝負に、心がざわつく。


 俺は、サイコロを握りしめて呼吸を落ち着かせる。


 椀の上にサイコロを握りしめたこぶしを持っていく。そして、思い切って指を開いてサイコロを落とす。


 サイコロが椀の中で跳ね、飛び出しそうになったが無事に中で転がる。


「私の出目は……三、六……六! 合わせて十五になります!」


 よし。これは勝った!


 その場で飛び上がりたい気持ちをどうにか抑えこむ。


「では……殿も、お振り下さい」


 信長様が無言で椀の中からサイコロを取り出す。手の中でサイコロを弄っている。


 俺はその様子を見つめ、ただじっと待つ。


 やがて信長様が、手のひらを返すようにしてサイコロを椀に放り込んだ。


「殿の出目、四……五………六……合わせて十五!」


 ここで四五六(しごろ)なんて……どんな運してるんだよ。物によったら、即俺の大負けだ。


 高い数字を出した自分のことを棚に上げて毒づいても、結果は変わらない。


「互いに十五となりました。引き分けにございます」


 引き分けだったらどうするか決めていなかった。信長様の顔を見ると、渋い顔をしている。信長様にしても引き分けになるとは思っていなかったのだろう。


「如何なさいますか? もう一勝負……」


「いや……分けと出たのだ。一度出た勝敗を歪めるのは良くなかろう」


 信長様が立ち上がる。


「爺のところに行く。助次郎、ついて来い。 わっぱは出立の用意を整えておけ」


「何をなさるのですか?」


「一度末森に戻って親父に会う。それから兵を率いて戻ってくるのだ」


 俺は信長様を見送ると、サイコロを腰袋にしまってから、置き去りにされた火縄銃を片付けた。

 火縄銃だけはこんな戦場に置いていけない。まだ貴重な代物のはずだし、玉薬は下手したら火事を引き起こしてしまう。俺も取り扱うのは初めてだけど、何も知らないやつに任せるよりはましだ。


 その夜のうちに、信長様は俺と僅かな供回りだけを引き連れて戦場を離脱した。右備えの指揮は内藤勝介に引き継がれ、信長様が集めた那古野勢もその指揮下に収まる。

 本当なら那古野勢の中から誰かを選びたかっただろう。しかし、まだ指揮を任せられるだけの人物はいない。将来的にはともかくとして、この若く功名心に溢れた連中を本当にまとめられるのは今のところ信長様しかいないのだ。それは、最悪の形で証明されることになる。









 信長様は末盛城で父親の見舞いをするとともに、安祥城へのさらなる援軍の用意を進めた。しかし、なかなか兵は集まらず、そうしている間に平手軍右備えが打ち破られたとの報告が届けられる。内藤勝介は討ち死にし、平手軍は刈谷付近まで後退した。水野信元の援護でどうにか陣容を保っている有様らしい。そのような戦況ではますます兵が集まらない。信長様はもう末盛から動くことはできなかった。


 結局、安祥城は十一月に開城、降伏した。織田信広は捕らえられ、人質開放を巡って平手政秀が交渉に当たる。難航するかと思われたが、意外にも尾張で人質となっている松平家の後継者竹千代との交換で決着がついた。

 松平竹千代、後の徳川家康は二年に及ぶ尾張での人質生活だったからか、まだ七歳だというのに落ち着いた様子が気味悪い。けれども、そんな人物が織田信長、豊臣秀吉を差し置いて長期政権を作り上げるのだ。これからの成長を考えると末恐ろしい人物だ。


「お世話になりました。備後様のご平癒を祈念しております」


「竹千代殿も三河で息災であられよ」


 言葉短く挨拶を交わす信長様と松平竹千代。十六歳と七歳では特に接点はなかったようだ。あっさりと別れを告げると、松平竹千代は安祥城へ向けて出発した。


「わっぱ、わしは間違っていたのか? あのまま、わしが末盛に戻らなければ……」


「……俺にはわかりません。でも、みんなを率いることが内藤様にはできなかった。信長様に代わる大将がいない。私たちには、将の数が足りていないのです。勿論、そうした不利を覆す精強さも欠けてしまっている。まだまだ、やることはありますね」


「ふん。私たち、か。そうだな……その通りだ」


 信長様が俺の背中を叩く。思わずたたらを踏んで、どうにか転ばないで済んだ。振り返ると信長様が精悍な笑みを浮かべていた。


「那古野に戻るぞ! ついて来い、長三郎」


 俺を置いて、さっさと行ってしまう信長様。俺は背中をさすりながら、走って後を追いかける。


「置いてかないでくださいよ」


「お前が遅いのだ。さっさと来い」


 追いつくと、烏帽子ごと髪をぐしゃぐしゃにされてしまうのだった。









 後世に書かれた『道祖実記』では、道祖(さや)長通(ながみち)が織田信長の小姓であったと記している。賽子で遊んでいた長通を見かけた信長が、その才覚を見込んで自分の側近くに置いたというのだ。比較的信用できる史料の『信長録』には、いつも童子を連れていたとあり、この童子が長通ではないかと考えられている。

 道祖長通の父親が足軽であったというのは、どの文献にも共通している。そんな長通が知恵者として、後世には織田信長の軍師と呼ばれるようになるのは、この小姓時代に様々なことを信長とともに学んでいたからであろう。

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