村興し 肆
「はあ、着いたなぁ」
俺は馬から降りると、思いっきり伸び上がった。視界の先には慣れ親しんだ領地の村がある。
信長様には本当に感謝しかないな。
本来であれば、清須まで信長様を最後まで送らなければならなかったのだが、途中で分かれることを許可されたのだ。さっさと妻の顔を見に行けと言われ、馬廻りたちからも囃し立てられながら上洛の一行から離脱したのだった。
馬も早く帰りたいのか、俺を鼻先で押すようにしてくる。
「わかったわかった。でも、見て回りたいから、ゆっくりな」
馬の手綱を引き、歩き始める。もう数え切れないくらい通った道ではあるが、歩いてみて行くと、拝領した頃に比べて、随分と整備が行き届いているのが見て取れる。
それはきっと、村に余裕が生まれてきていることにも因るだろう。
そうした変化を楽しみながら歩いていると、次第に遠くに見えていた村が近づき、遠目でも人の判別がつくようになる。
それは村人にとっても同様で、俺に気がついて手を振ってくる村人までいる。村人たちに手を上げて返事をしていると、遊んでいた子供たちまでが俺に気が付き、村の方に駆けていくのが見える。きっと、みんなに知らせに行くのだろう。
ほどなく、篠岡八右衛門が姿を表し、こちらに猛然と走ってくる。
「殿ー!!」
「八右衛門! 京から戻ったぞ!!」
「お帰りなさいませ、殿! 無事にご帰還されて、この篠岡八右衛門、安堵いたしましたぞ」
篠岡八右衛門は俺の前まで走って来ると、手綱を受け取って、馬引を代わる。
「京は如何でございました?」
「京の土産話はお預けだ。どうせみんな聞きたがって、何度も同じ話をしないといけないじゃないか。飯のときにでも話すよ」
「ははははは! まさしく、その通りですな!」
笹が笑い声を上げながら、馬の背にある荷物に目を留める。
「随分と物を買われたのですね。銭もかかったでしょう」
「そうでもない。商人と知り合ってな。安く売ってもらえたのだ」
堺で安井市右衛門は、本当に安く物を売ってくれた。さすがに南蛮の品は取り扱っていなかったけれど、京周辺で手に入るものを安く買えたのだ。
「それは良うございました。奥方様も、喜ばれましょうぞ」
「あ…ああ、そうだな」
妙に贈り物をする。贈り相手が妻だと言うのに、急に気恥ずかしくなってきていた。土産を買ってきたことは一度や二度ではない。しかしやはり、京の物となると特別な気がしてきたからだろう。
俺は恥ずかしさをごまかすために、話を逸らす。
「留守中、誰か俺を訪ねてきたか?」
「いえ、前田様や佐々様もいらっしゃいませんでした。清須の孫十郎殿が、状況報告とともに奥方様たちの文を送ってこられたくらいです」
「そうか、誰も来ていないのか……」
八風街道の黄和田という場所で話をした木地師の老人は、まだ来ていないようだ。
「もし、幼い子を連れた老人が俺を訪ねてきたら、知らせてくれ。俺の客だから」
「承知しました。しかし……幼い子を連れた老人となると、まさか木地師ですか?」
「おお、そうだ。来ていたのか!?」
「一日二日だけ村に滞在していましたな。女児が碗を売っておりました。ああ、もちろん、許可を取りに参ったのは老人ですが」
そうか、来てくれていたのか。でも、俺の名前を出していないようだし、どういうことだ?
「では、もしまた来たら引き止めてくれ」
「わかりました。村の衆にも伝えておきます」
「頼んだ」
村に来てくれていたということは、拒絶されているわけではないのだろう。孫のために、住みやすいところを探しているのかもしれない。
「村には誰が残っている?」
「拙者の他には、清十郎と藤十郎の二人だけです。清十郎が藤十郎に槍の稽古をつけていますよ」
「清十郎め、新次郎の代わりを見つけたな」
道家清十郎・助十郎の兄弟は、林新次郎と槍を競い合っていた。新次郎が道祖家を離れ、兄弟だけの競争に飽いてきていたのは知っている。それが、とうとう遊び道具を見つけたというわけだ。
「藤十郎は預かっているのだ。怪我はさせるなと兄弟には言い聞かせてくれよ」
「抜かりはございません。だから稽古なのです」
それは怪我をさせそうになったということか? 止めさせるつもりはないが、もしかしたら猿楽師に戻るかもしれないのに、怪我でもされたら大変だ。
「話は変わりますが、道杉が六つ目の弧輪車を完成させました。水路を作るのに、使っています」
「これまでとどこが違う?」
「中の土を捨てやすくなりましたな。肝心の車はまあ、これまで通りです」
よく進歩はしているようだが、まだ完成への道は遠いかもしれない。
弧輪車は村のあちらこちらで使われ始めている。工事以外に、物の運搬にも活用されている。そして、子供たちが農作業を手伝うのにも使えていた。
「まあ、いいさ。少しずつでも使えるようになっているのなら。道杉には慌てる必要はないと……俺から伝えておく」
「その方がいいでしょう。道杉は、少し弧輪車に執着が強いようなので」
「ああ、少し、弧輪車から離れたほうがいいだろう。生まれる赤ん坊のために何か作らせるよ」
そう告げたところで、俺ははたと気がついた。肝心な妻の様子を聞いていなかった。
「妙は……どうしている?」
俺が、少し声を落として聞くと、篠岡八右衛門は心配無用と笑う。
「奥方様もお腹の御子様も、健やかにされております。我妻が夫を放ったらかしにして、ついておるのですぞ。それに妻だけでなく、村中の女達が代わる代わる見守っております」
「ああ、ありがたいことだ」
「ご出産までは村に居られるのでしょう? 大殿も、殿のお子がお生まれになろうという時にまで殿をっ」
「いや、考え事がまとまれば村を発たねばならないんだ。八右衛門以外は連れて行くことになるだろう」
「奥方様が残念がりますな……」
ちょうど、村屋敷に到着した。堀に土塀を巡らし、簡単な物見櫓もある。
そのまま開かれている門をくぐると、道家清十郎と大蔵藤十郎が、出迎えてくれる。
「殿、お帰りなさいませ!」
「殿! ご無事で何よりです!!」
二人は、競うようにして俺を労い、馬の背の荷物を見つけて、目を輝かせる。
「まったく、馬を馬小屋に連れてゆけ。荷物は、勝手に開けてはならんぞ。まずは奥方様にな」
「ははっ! かしこまってござる。行くぞ、藤十郎!」
「清十郎殿、お待ちください!」
篠岡八右衛門の命令に、道家清十郎が素早く反応して、さっさと馬を戻しに行く。藤十郎も遅れじとついていく。
俺と篠岡八右衛門が揃って苦笑しながら屋敷に上がると、お腹を大きくした妙が出迎えてくれた。
「お帰りなさい。京は如何でした?」
「大変だったよ。往復をずっと殿に遊ばれていたよ」
「まあ、そうですか。では、殿が……大殿様に遊ばれるようなことをしたのですね……」
何やら、雲行きが怪しい。妻の言葉の端々に棘がある。
俺は妙が怒っている理由がわからず、助けを求めるように篠岡八右衛門を振り返る。しかし、そこには既に姿が見えない。
「あいつ……逃げやがった」
「殿、妻の出迎えも受けず、何をされているのです?」
普段、そんな口調を俺にしたことがないくせに!!
だが、雰囲気からとても口に出せるような状況ではなかった。
「た、妙? 何かあったのか? そ……その、機嫌が……」
「いいえ、ありませんよ」
笑顔がものすごく怖い。
「あ、そ、そうなのか。えっと……」
笑顔の妙は、動こうとしない。この場で洗いざらい吐けと、笑顔が語っている。
一切心当たりがない俺は、助けを求めて視線をさまよわせる。だが、屋敷内で隠れて様子を伺っているであろうに、誰も視界に入ってこない。
「そうだ。土産。京の反物があるんだ。俺、取ってくるよ」
「清十郎! 殿の荷物、検分するから奥の部屋にね!」
こけたような音が響き、清十郎の声だけが聞こえてくる。
「かしこまりました! おい藤十郎、そっちの荷を持て!」
「待ってください! 置いていかないで!」
慌てて走り去る音だけが聞こえる。退路は断たれてしまった。
まだ肌寒い時期だからだろうか、足が震えそうになるのを、なんとか奮い立たせる。
「えっと、だな。手を……」
妙がすっと目を細める。
「手を……だな。出してくれないか?」
今度は訝しげな顔つきになる妙。だが、黙って両手を差し出した。
俺は懐に手を入れ、小さな木箱を取り出す。そして、妙の手に置いた。
妙の視線が、俺と木箱を言ったり来たりする。本当は後に渡すつもりだった。でも、背に腹は代えられない。
木箱をそっとあけると、大和で買った土作りの小犬お守りが、ちょうど妙の方を向いていた。
みるみる妙の顔つきが変わる。
それを見て確信する。この場を切り抜けるには、ここしかない!
「大和の法華寺で買った。巫女が言うには、安産のお守りなんだそうだ。だ、だから、その……お前のために、買ってきた……」
「とても可愛らしい。ありがとう、殿」
帰宅して、ようやく妻の優しい声を聞いた。
俺は、心のなかで胸をなでおろし、妙の肩を抱いて、巫女が語ってくれたお守りの由来を語り聞かせながら、屋敷に上がった。
「仕方ないでしょう? 清須や那古野のみんなから、長三郎は京で遊女と遊んでいると聞いたけど、大丈夫なのか、なんて文に書いてあるんだもの」
誰だそんな法螺話を流しやがったのは!? 絶対に探し出してやるからな。
青筋が浮かびそうになるのを我慢して、珍しく俺に寄りかかってくる妙を笑顔で受け止める。
「そんなことするわけないだろう? 俺は、ずっと帰りたいと言っていたから、殿にも呆れられたんだぞ」
「そうなの? 本当に?」
「本当だとも。それに、寝る時以外はずっと殿の傍らに居たんだ。聞いてくれたっていいぞ」
「じゃあ、信じるわ。ごめんね、長三郎。疑ったりして……」
上目遣いでが愛おしくなって、なんでも許せる気になる。
「信じてくれて、嬉しいよ」
でも、わかっているのだ。伊達に幼馴染をやっていない。妙は、絶対に帰蝶様経由で確認を取る。朝一番に誰かが清州城まで文を届けに全力で走らされるだろう。
「しばらくは村に居られるんでしょう?」
いつもは見せない甘えた姿に心が揺れる。
何も言えず、黙ってしまった俺を見て、妙は察しがついたのだろう。そっと目を伏せた。
「そう……」
「すまない」
「いいの。大丈夫よ。武家の妻なんだもの。この子も、わかってくれるわ」
大きくなったお腹に手を添え、子供を慰めるようにゆっくりとさする。
俺も、妙の手に手を重ねる。
「名前……千代ってどうかな?」
「本当に長三郎が考えたの?」
「当たり前だろ」
「ならいいの。男子なら千代丸。女子ならお千代ね」
二人で微笑み合う。
「勝ってくる」
「ええ……待ってる。家や村のことは任せて」
絶対に、今川義元に負けてやるものか。勝って、ここに無事に帰ってくる。二人のもとに帰ってくるんだ。
サブタイトルの村興しはこれで終了となる予定にしています。
村は復興したので、次は発展かなっと思っています。だから興しはこれで終了です。
次話も拙作にお付き合いください。




