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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第三章 桶狭間の坂道
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村興し 肆

「はあ、着いたなぁ」


 俺は馬から降りると、思いっきり伸び上がった。視界の先には慣れ親しんだ領地の村がある。


 信長様には本当に感謝しかないな。


 本来であれば、清須まで信長様を最後まで送らなければならなかったのだが、途中で分かれることを許可されたのだ。さっさと妻の顔を見に行けと言われ、馬廻りたちからも(はや)し立てられながら上洛の一行から離脱したのだった。


 馬も早く帰りたいのか、俺を鼻先で押すようにしてくる。


「わかったわかった。でも、見て回りたいから、ゆっくりな」


 馬の手綱を引き、歩き始める。もう数え切れないくらい通った道ではあるが、歩いてみて行くと、拝領した頃に比べて、随分と整備が行き届いているのが見て取れる。

 それはきっと、村に余裕が生まれてきていることにも因るだろう。


 そうした変化を楽しみながら歩いていると、次第に遠くに見えていた村が近づき、遠目でも人の判別がつくようになる。

 それは村人にとっても同様で、俺に気がついて手を振ってくる村人までいる。村人たちに手を上げて返事をしていると、遊んでいた子供たちまでが俺に気が付き、村の方に駆けていくのが見える。きっと、みんなに知らせに行くのだろう。


 ほどなく、篠岡八右衛門が姿を表し、こちらに猛然と走ってくる。


「殿ー!!」


「八右衛門! 京から戻ったぞ!!」


「お帰りなさいませ、殿! 無事にご帰還されて、この篠岡八右衛門、安堵いたしましたぞ」


 篠岡八右衛門は俺の前まで走って来ると、手綱を受け取って、馬引を代わる。


「京は如何でございました?」


「京の土産話はお預けだ。どうせみんな聞きたがって、何度も同じ話をしないといけないじゃないか。飯のときにでも話すよ」


「ははははは! まさしく、その通りですな!」


 笹が笑い声を上げながら、馬の背にある荷物に目を留める。


「随分と物を買われたのですね。銭もかかったでしょう」


「そうでもない。商人と知り合ってな。安く売ってもらえたのだ」


 堺で安井市右衛門は、本当に安く物を売ってくれた。さすがに南蛮の品は取り扱っていなかったけれど、京周辺で手に入るものを安く買えたのだ。


「それは良うございました。奥方様も、喜ばれましょうぞ」


「あ…ああ、そうだな」


 (たえ)に贈り物をする。贈り相手が妻だと言うのに、急に気恥ずかしくなってきていた。土産を買ってきたことは一度や二度ではない。しかしやはり、京の物となると特別な気がしてきたからだろう。


 俺は恥ずかしさをごまかすために、話を逸らす。


「留守中、誰か俺を訪ねてきたか?」


「いえ、前田様や佐々様もいらっしゃいませんでした。清須の孫十郎殿が、状況報告とともに奥方様たちの(ふみ)を送ってこられたくらいです」


「そうか、誰も来ていないのか……」


 八風街道の黄和田という場所で話をした木地師の老人は、まだ来ていないようだ。


「もし、幼い子を連れた老人が俺を訪ねてきたら、知らせてくれ。俺の客だから」


「承知しました。しかし……幼い子を連れた老人となると、まさか木地師ですか?」


「おお、そうだ。来ていたのか!?」


「一日二日だけ村に滞在していましたな。女児が碗を売っておりました。ああ、もちろん、許可を取りに参ったのは老人ですが」


 そうか、来てくれていたのか。でも、俺の名前を出していないようだし、どういうことだ?


「では、もしまた来たら引き止めてくれ」


「わかりました。村の衆にも伝えておきます」


「頼んだ」


 村に来てくれていたということは、拒絶されているわけではないのだろう。孫のために、住みやすいところを探しているのかもしれない。


「村には誰が残っている?」


「拙者の他には、清十郎と藤十郎の二人だけです。清十郎が藤十郎に槍の稽古をつけていますよ」


「清十郎め、新次郎の代わりを見つけたな」


 道家清十郎・助十郎の兄弟は、林新次郎と槍を競い合っていた。新次郎が道祖家を離れ、兄弟だけの競争に飽いてきていたのは知っている。それが、とうとう遊び道具を見つけたというわけだ。


「藤十郎は預かっているのだ。怪我はさせるなと兄弟には言い聞かせてくれよ」


「抜かりはございません。だから稽古なのです」


 それは怪我をさせそうになったということか? 止めさせるつもりはないが、もしかしたら猿楽師に戻るかもしれないのに、怪我でもされたら大変だ。


「話は変わりますが、道杉が六つ目の弧輪車を完成させました。水路を作るのに、使っています」


「これまでとどこが違う?」


「中の土を捨てやすくなりましたな。肝心の車はまあ、これまで通りです」


 よく進歩はしているようだが、まだ完成への道は遠いかもしれない。


 弧輪車は村のあちらこちらで使われ始めている。工事以外に、物の運搬にも活用されている。そして、子供たちが農作業を手伝うのにも使えていた。


「まあ、いいさ。少しずつでも使えるようになっているのなら。道杉には慌てる必要はないと……俺から伝えておく」


「その方がいいでしょう。道杉は、少し弧輪車に執着が強いようなので」


「ああ、少し、弧輪車から離れたほうがいいだろう。生まれる赤ん坊のために何か作らせるよ」


 そう告げたところで、俺ははたと気がついた。肝心な妻の様子を聞いていなかった。


「妙は……どうしている?」


 俺が、少し声を落として聞くと、篠岡八右衛門は心配無用と笑う。


「奥方様もお腹の御子様も、健やかにされております。我妻が夫を放ったらかしにして、ついておるのですぞ。それに妻だけでなく、村中の女達が代わる代わる見守っております」


「ああ、ありがたいことだ」


「ご出産までは村に居られるのでしょう? 大殿も、殿のお子がお生まれになろうという時にまで殿をっ」


「いや、考え事がまとまれば村を発たねばならないんだ。八右衛門以外は連れて行くことになるだろう」


「奥方様が残念がりますな……」


 ちょうど、村屋敷に到着した。堀に土塀を巡らし、簡単な物見櫓もある。

 そのまま開かれている門をくぐると、道家清十郎と大蔵藤十郎が、出迎えてくれる。


「殿、お帰りなさいませ!」


「殿! ご無事で何よりです!!」


 二人は、競うようにして俺を労い、馬の背の荷物を見つけて、目を輝かせる。


「まったく、馬を馬小屋に連れてゆけ。荷物は、勝手に開けてはならんぞ。まずは奥方様にな」


「ははっ! かしこまってござる。行くぞ、藤十郎!」


「清十郎殿、お待ちください!」


 篠岡八右衛門の命令に、道家清十郎が素早く反応して、さっさと馬を戻しに行く。藤十郎も遅れじとついていく。


 俺と篠岡八右衛門が揃って苦笑しながら屋敷に上がると、お腹を大きくした妙が出迎えてくれた。


「お帰りなさい。京は如何でした?」


「大変だったよ。往復をずっと殿に遊ばれていたよ」


「まあ、そうですか。では、殿が……大殿様に遊ばれるようなことをしたのですね……」


 何やら、雲行きが怪しい。妻の言葉の端々に棘がある。


 俺は妙が怒っている理由がわからず、助けを求めるように篠岡八右衛門を振り返る。しかし、そこには既に姿が見えない。


「あいつ……逃げやがった」


「殿、妻の出迎えも受けず、何をされているのです?」


 普段、そんな口調を俺にしたことがないくせに!!


 だが、雰囲気からとても口に出せるような状況ではなかった。


「た、妙? 何かあったのか? そ……その、機嫌が……」


「いいえ、ありませんよ」


 笑顔がものすごく怖い。


「あ、そ、そうなのか。えっと……」


 笑顔の妙は、動こうとしない。この場で洗いざらい吐けと、笑顔が語っている。


 一切心当たりがない俺は、助けを求めて視線をさまよわせる。だが、屋敷内で隠れて様子を伺っているであろうに、誰も視界に入ってこない。


「そうだ。土産。京の反物があるんだ。俺、取ってくるよ」


「清十郎! 殿の荷物、検分するから奥の部屋にね!」


 こけたような音が響き、清十郎の声だけが聞こえてくる。


「かしこまりました! おい藤十郎、そっちの荷を持て!」


「待ってください! 置いていかないで!」


 慌てて走り去る音だけが聞こえる。退路は断たれてしまった。


 まだ肌寒い時期だからだろうか、足が震えそうになるのを、なんとか奮い立たせる。


「えっと、だな。手を……」


 妙がすっと目を細める。


「手を……だな。出してくれないか?」


 今度は訝しげな顔つきになる妙。だが、黙って両手を差し出した。


 俺は懐に手を入れ、小さな木箱を取り出す。そして、妙の手に置いた。


 妙の視線が、俺と木箱を言ったり来たりする。本当は後に渡すつもりだった。でも、背に腹は代えられない。


 木箱をそっとあけると、大和で買った土作りの小犬お守りが、ちょうど妙の方を向いていた。


 みるみる妙の顔つきが変わる。


 それを見て確信する。この場を切り抜けるには、ここしかない!


「大和の法華寺で買った。巫女が言うには、安産のお守りなんだそうだ。だ、だから、その……お前のために、買ってきた……」


「とても可愛らしい。ありがとう、殿」


 帰宅して、ようやく妻の優しい声を聞いた。


 俺は、心のなかで胸をなでおろし、妙の肩を抱いて、巫女が語ってくれたお守りの由来を語り聞かせながら、屋敷に上がった。









「仕方ないでしょう? 清須や那古野のみんなから、長三郎は京で遊女と遊んでいると聞いたけど、大丈夫なのか、なんて文に書いてあるんだもの」


 誰だそんな法螺話(ほらばなし)を流しやがったのは!? 絶対に探し出してやるからな。


 青筋が浮かびそうになるのを我慢して、珍しく俺に寄りかかってくる妙を笑顔で受け止める。


「そんなことするわけないだろう? 俺は、ずっと帰りたいと言っていたから、殿にも呆れられたんだぞ」


「そうなの? 本当に?」


「本当だとも。それに、寝る時以外はずっと殿の傍らに居たんだ。聞いてくれたっていいぞ」


「じゃあ、信じるわ。ごめんね、長三郎。疑ったりして……」


 上目遣いでが愛おしくなって、なんでも許せる気になる。


「信じてくれて、嬉しいよ」


 でも、わかっているのだ。伊達に幼馴染をやっていない。妙は、絶対に帰蝶様経由で確認を取る。朝一番に誰かが清州城まで文を届けに全力で走らされるだろう。


「しばらくは村に居られるんでしょう?」


 いつもは見せない甘えた姿に心が揺れる。


 何も言えず、黙ってしまった俺を見て、妙は察しがついたのだろう。そっと目を伏せた。


「そう……」


「すまない」


「いいの。大丈夫よ。武家の妻なんだもの。この子も、わかってくれるわ」


 大きくなったお腹に手を添え、子供を慰めるようにゆっくりとさする。


 俺も、妙の手に手を重ねる。


「名前……千代(ちよ)ってどうかな?」


「本当に長三郎が考えたの?」


「当たり前だろ」


「ならいいの。男子なら千代丸。女子ならお千代ね」


 二人で微笑み合う。


「勝ってくる」


「ええ……待ってる。家や村のことは任せて」


 絶対に、今川義元に負けてやるものか。勝って、ここに無事に帰ってくる。二人のもとに帰ってくるんだ。

サブタイトルの村興しはこれで終了となる予定にしています。

村は復興したので、次は発展かなっと思っています。だから興しはこれで終了です。


次話も拙作にお付き合いください。

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