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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第三章 桶狭間の坂道
86/101

意気込

 斎藤治部大輔高政との遭遇の翌日、大和国に向けて出発した。


 京を南下し、大池ま(巨椋池)で進むと、宇治川沿いに東に移動したところで宇治の対岸に到着する。そこから宇治橋を渡って、宇治郷へ。


 信長様は、宇治郷で茶道具を興味深げに見てまわる。


「殿、お買いになるのですか?」


 俺の質問に信長様は答えず、じっと茶碗を手に持って、様々な角度から見つめていた。


「あの……殿?」


「黙れ、長三郎」


 信長様は、すげなく命令する。


 俺は、気付かれないようにそっとため息をつき、商家の中に連れてきていた馬廻りたちに外に出ているように手で合図する。


 信長様も、茶碗なんて見て何がいいんだか。


 茶の湯に興味を示した信長様が、まさかここまで熱心に茶道具を見るなんて思いもしなかった。これまで、馬にはこだわっていたのだけれど、もしかしたら新しい趣味に目覚めるかもしれない。


 信長様の趣味ということは、つまりは俺も付き合わされるに決まっている。馬に乗るようになってから、馬具がどうとか博労が来るから来いとか言われているので、察しがついている。


 最初に店主から聞いた値段だけで、俺には縁の無いものと思っていたのに……。


 もう一度ため息を付きそうになったとき、信長様が茶碗をそっと置いた。


「うむ。やはり京の近くは物が違うようだ。尾張で茶を見たが、まず道具の美しさから違う……。長三郎もそう思おう?」


「確かに……違うように見えます……」


 正直、違わないと言いたいが、こんなこともわからないのかと怒られるに決まっていた。


「これは尾張に茶人を招かなくてはならんな」


 茶の湯の良さは全然わからないけれど、信長様の心が落ち着かれたようで安心した。


 昨日は、竹中半兵衛が大変気に食わなかったようで、一日中不機嫌だったのだ。今日だって、宇治まで重苦しい雰囲気の中での移動で、気苦労が多かった。


 当然、俺の気苦労を知りもしない信長様は、控えていた店主と熱心に話をしだす。


 まだかかりそうだね。


 そう思ったとき、外で馬廻りたちの誰何(すいか)する声が聞こえる。


(なん)ですのん、あんさんらは? 誰かって? 見てわかりまへんか? え? わからん? どこをどう見ても商人(あきんど)でしょうに! ちゃんと見てくれんと困りまっせ。さあ、わかったらどいてどいて。店に入れてんかって、はよ()どいてぇな。邪魔邪魔。も〜わからん人らやなぁ。わては商人や、()うに。え? 荷を見せろ? 何であんたらにそないなことせなあかんの!? あ! わかった。あんさんら、わいの売りもんを見たいねんな? も〜そやったらそうとはよ()()うてぁな。ほな見せたるけど、只見(ただみ)はあかんで〜ちゃんと()うてや〜。でもあんさんらに買えるかな〜? 銭なかったら、借金してでも買うてもらうからね!」


 な、なんだ? 見張りがほとんど口を挟めないうちに、どんどん話が進んでいる?


 馬廻りが困った顔つきで、俺に顔を向けた。俺に相手をしろと言いたいらしい。


 何でこんなときに限って、俺の上役は誰もいないんだよ。


 心のなかで毒づきながら、俺は仕方なくうなずいて、商人を店内に入れさせた。商人は、俺と同じか少し年上のようで、立派な身なりでがっちりした体つきをしていた。


「今度はどなたですの? わてはいつになったら商売させてくれますのんや? ここの店主にも表の人らにも売らなあかんし、あんまり時間かけんとって。そうや、自分((あなた))も買うてくれたらっ」


「いやいや、ちょっと待て! しゃべるな!」


 大きな声で静止すると、商人は両手で口元を抑えて、これでいいのか?という様な態度を見せる。


「ああ、ありがとう。俺は尾張の織田家に仕える、道祖(さや)長三郎だ。すまないが、店の者との商談なら少し待っていてくれないか。今はうちの殿が、店主と話をしていてな」


 商人は何も答えない。じっと、俺と見つめ合う。


 な、なんだこれは?


 どうしていいかわからずに見つめ合っていると、商人が目で口を抑えている手をどけていいか問うてくる。


 脱力して、答える気にも起きなくなったので、うなずいて答える。


「それならそうとはよう言ってくれんと困りますがな。そういうことでしたら殿様が終わるまで待ちましょ。あ、わては安井市右衛門いいます。あんじょうよろしく頼みますわ」


「そ……そうか、それはすまなかったな、安井殿……」


 身なりからして、どう見ても行商人ではなさそうだ。年齢からしどこか大店の跡取りか、商売もしている土豪の息子であろう。


「そや、ひとつ聞きたいことがありますねんけど、よろしいでっか?」


「ああ、構わない」


「では一つ……」


 そう言うと、急に黙り込む安井市右衛門。じっと俺を睨みつけるように、見てくる。


 不穏な空気が漂い始め、俺はいつでも動けるように全身の力を整える。


「あんさん……」


 安井市右衛門が一歩踏み出し、手を懐に入れる。


 俺の手が刀に伸びたかけたところに、安井市右衛門が俺に突進してくる。そして、顔面に向かって懐から出したものを突き出した。


「あんさんの名前、どんな字でっか? よかったら、ちょっとここに書いてもらいたいんやけど、ええでっしゃろ?」


 目の前には、名前がびっしりと書かれた紙束、横帳が突きつけられていた。









「へ〜道祖殿、もうすぐ子供が生まれるんでっか?」


「そうなんだ。だから、早く尾張に帰りたいのだがな」


「そりゃそうですがな。えろう心配でっしゃろ?」


 あの後も大変であった。信長様に物を売ろうとする安井市右衛門を必死に止め、信長様が機嫌の良い間に大和へ向けて出発することができた。


 それなのに、こともあろうに安井市右衛門が追いついてきたのだ。なんでも、商人は速さが第一とのことだ。


 そして、大和、堺に行くという織田家一行の道案内を買ってでたのである。


 とまらず喋り続ける安井市右衛門の相手を誰かがしなければならず、当然それは俺にお鉢が回ってくるのだ。


「道祖殿の家は大和の出でっしゃろ? 感慨深いんとちゃいますか?」


「いや、うちは元々尾張の農民だ。農民の子だった俺を、殿がお引き立てくださったのだ。どうして大和だと?」


「そうでしたんか。いやぁ、字が道祖(どうそ)で『さや』って呼ぶのも珍しいよって、これは大和の道祖(どうそ)神社の氏子やと思ったんですわ。ちゃ()いましたんや、これは失礼失礼」


「道祖神社なんてのがあるのか?」


「さいです。賽の神やから、まさに勝負事の神様ですのんや」


「それは……行ってみたいな」


 懐のサイコロを思わず撫でる。自分がこの時代にいることと関係があるとも思えないけれど、奇縁を感じてしまう。


「では、わても同行させてもらいまっせ。前から行きたい思とったのですわ。これも縁、言うもんでっしゃろうなぁ」


「あ……ああ、そうなのか。では、ぜひにも……」


「商いも、ここが勝負所やと思うときがありましてな、だから道祖神社の石をすこぉしもろ()ときたいと思ってましたんや。ほんまにご利益があるかは知りまへんけどな」


「石?」


「ええ、石です。何でも、境内にある荒神っていう石には不思議な力が宿ってるっちゅう話で、なんと勝負に強なるいうんですわ」


 勝負に強くなる、賽の神か。


 ぐっとサイコロを撫でていた手に力が入る。


「なんや、えろう気ぃ張ってますなぁ。ええこっちゃええこっちゃ。やっぱ男は勝負に出なあかん。道祖殿はわいの見込んだどおりのお人やわ」


「だから、さっきの横帳の名前を書かせたのか?」


 勢いに負けて横帳に名前を書かされた。びっしり書かれた交名の末に道祖長三郎と自署したのだ。そいうえば、どうして名前を書かされたのか聞いていなかった。


「ええ、さいです」


 安井市右衛門は、横を流れる木津川に視線を向ける。


「夢がありますんや。どでかい夢が」


「どのような夢だ?」


 俺の質問に、安井市右衛門は大きく腕を広げる。


「水の道ですわ!」


「み、水の道?」


「そう、水の道! 商人は稼がなあかん。えろう(いっぱい)稼ぐためにはぎょーさん(たくさん)物を運ぶ必要がありますんや。物を運ぶんには、舟のせるんがいっちゃん(一番)ええ(良い)! だから、わいはそのための道を作りたい! あの横帳は、協力してくれそうなお人たちの名前。今のわいの、一番の財産なんですわ!!」


 水の道、水路……運河か!


 なにか、ずっと前に言った気がする。いつ、誰に言ったのかも覚えていないけれど、自分も同じようなことを言った気がする。


 言っていたのは、とてつもなく大きな、川では済まないような気もするけれども、もし安井市右衛門がそれを作るという時には、協力したいと思った。


「安井殿……すばらしい夢だ。ぜひ、俺も協力させて欲しい」


「道祖殿なら、きっとそう言うてくれはると信じてましたわ」


 俺と安井市右衛門は、がっちりと手を組む。


 弧輪車(ひとつわぐるま)円匙(えんし)を完成させたら、きっと安井市右衛門の力にもなる。


 信長様のためだけではなく、自分自身でもやりたいことを見つけた気がしていた。


「これは道祖神社で、石を手に入れないといけないな」


「まったくですわ! あっ! でも、道祖殿はその前に寄ってったら良いところがありますんやこれが」


 道祖神社に思いを巡らしていると、安井市右衛門が俺の肩をばしばしと強く叩く。


「ど、どこだ?」


 痛みに耐えながら聞くと、安井市右衛門は満面の笑みを浮かべる。


「法華寺ですわ」


「法華寺?」


「そ! 法華寺には尼さんが作るありがた〜いお守りがあるんですわ。ぜひ、身重の奥方に買っていきなはれ! きっと気に入りはる。土で作った小犬の置物でな、これがまた可愛いこと。反物とかを買うて帰るのは当然として、あっ反物はわてが用意するよって心配いらんよ、もちろん安うしときますわ。そんでな、反物を渡した後、二人っきりのときに渡してあげたらもう、この! 果報者!!」


「うるさいぞ、長三郎!!」


 信長様の大声によって、さすがの安井市右衛門もすっかり大人しくなり、その後の道筋は静かなものになった。









 その後、大和では東大寺や興福寺、春日社などを見て回ったが、道祖神社には信長様が一言、遠いと仰って行くことが叶わなかった。決して遠くはなかったはずだが、信長様の近くを離れるわけには行かないのだから諦めるしかなかった。

 安井市右衛門も残念がったが、いずれ行く機会があるだろうと夜、水路について語り合いながら共に行く約束をした。


 堺見物では、信長様が茶器や鉄砲、玉薬を購入し、尾張に送るように手配して、早々に京に戻ることになった。


 金森五郎八可近からの伝令で、泉涌寺の僧侶が信長様と面会したいと文が届いたというのだ。


 駿河の松露、尾張の政常の小刀に続いて、大和のご当地の名産、法華寺の土作りの小犬です。現在でも奈良県にある法華寺で売られているらしく、お守り犬というようです。厄除け、長寿、安産のお守りになります。

 道祖神社も猿田彦神社として現存しています。石には削られた跡があるようですが、くれぐれも削ろうとしたり、落ちている石も持ち帰ろうとしないでください。


 そして、出したかった人物、安井道頓の若き頃になります。名前はいろいろ説がありますが、ひとまず有名なのにしておきました。

 できるだけ大阪弁にしてみましたが、変なところはあると思います。


 最後に出しました泉涌寺から、次話で誰が出てくるか予想できますでしょうか? ちなみに名前や業績に道に関することはありません。

 お時間がありましたら、考えてみてください。考えるまでもなくお分かりの方には脱帽するしかありません。


 それでは、次話でもよろしくお付き合いください。

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[気になる点] 水の道、琵琶湖疎水が作りたいのかな?
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