室町殿 壱
尾張国から織田上総介が上洛したとのことだ。五〇〇計りであったらしい。異形の者が多かったという。
山科言継『言継卿記』二月二日条
永禄二年二月二日、織田家一行は京に到着した。
到着するまで、京といえば那古野すら比べ物にならない賑わった都市を想像していた。しかし、実態はそうではなく、物々しい城塞都市と形容するしかない都市であった。
京は、北を上京、南を下京とに別れており、それぞれが構えと呼ばれる土塀によって囲われている。さらには、あちらこちらに櫓が確認でき、堀までもがめぐらされている。
漠然と寺社が多く、帝や将軍が住んでいることから都会だと思いこんでいた。とてもそんな側面は確認できず、殺伐した雰囲気すら漂わせている。
予想を外れた光景に、最初はただ物珍しく首を巡らせるしかなかった。
だが、俺たち織田家一行に、京の人々から向けられる不躾な視線に気がつくと、首を巡らせずにただうつむくことしかできなかった。その理由はなんとなく察しがついてしまうからだ。
「あの……殿……」
俺の呼びかけに、信長様はちらりと視線をくれるだけで返事をしない。
「その……すごく目立っていませんか?」
「目立たせているのだから当然だ」
言外に、いちいちつまらんことを聞くなというのが伝わってくる。失敗したなどと微塵も思っている様子はない。
そりゃあ、信長様は昔から派手な格好してたから……。
俺はどうにか言葉を飲み込み、自分の格好を見下ろす。錦紗の布袴に紅梅の小袖、白と赤が鮮やかで見る人の目を引いている。もちろん、自分以外の馬廻りたちもそれぞれが目立つ格好をしており、当然一番目立っているのは花まで挿している信長様だ。
尾張で傾奇者として名を馳せた信長様は堂々と、むしろ当然といった様子で馬を進めている。さらに随行の馬廻りの多くが、着替える際に昔を思い出したのか楽しそうにしていたこともあり、京の人々に奇異の目で見られても何がおかしいところがあると態度で示している。
姉に傾奇者の格好を許されなかった俺やごく一部の者たちだけが、この状況にうんざりしながら耐えていた。
昔は、傾いた格好も意味があるとは信じていたのだけれど、もしかしなくてもあの服装については信長様の趣味だったんじゃ……。
「長三郎、諦めよ。尾張の出立前に五郎八とも散々意見申し上げたが、お聞き入れくださらなかったのだ……」
蜂屋兵庫介頼隆が、疲れた声で俺に明かす。
「知っておられたのなら、もっと早く言ってくださいよ……」
「すまぬ……殿があまりに自信を持って決められたから、京ではこんなものかと思ってしまったのだ」
「左様ですか……」
もう何も言えなかった。妙の出産が近いので、領地に引っ込んで準備を任せきり、道中も心ここにあらずで上洛に関して何も聞かなかった自分が悪いのだ。
「こうなれば早く五郎八と合流することだ。流石にこの装いも今日のみだろう。宿所につけばもう着ることもあるまい」
まだ帰路があります、それに将軍へ拝謁のために将軍亭へ赴くのも、と言いかけたところで止めておく。一縷の希望を口にする蜂屋頼隆の希望を絶つことはないし、俺自身もこれきりになることを望んでいるのだし。
俺は蜂屋頼隆に曖昧にうなずいておく。どうかこんな晒し者になるような事態がもう起きないことを念じながら。
織田家一行は、京の町衆の好奇な視線で歓待されながら、室町通りの裏築地町にまでやって来た。そこで、先行していた金森五郎八可近と合流した。
「殿、お待ちしておりました。寄宿の手配は済んでおります」
金森可近が報告すると、信長様が満足気にうなずく。そして、示されている屋敷に小姓を連れて悠々と入っていった。
その後に、金森可近・蜂屋頼隆と続いて、俺も信長様と同じ屋敷に入る。後ろでは、金森可近の家臣たちが他の馬廻りたちの分宿の場所を伝えていた。
金森可近は、信長様のために大きめな町屋へ交渉して寄宿させてもらえたようだ。
この時代、団体が宿泊できる所など滅多に無い。そのため、上位者は寺院や公家の屋敷などに逗留して、家臣たちは別れて周辺の家屋に寄宿させてもらうのだ。当然、嫌がられるし、銭で交渉しなければならない。戦の最中だと問答無用で住人を追い出したりするが、そのために寄宿免除などという免許状も発給されるくらいだ。
「尾張から殿が上洛されたことは、すぐに京中に知れ渡りましょうな」
傾奇者の格好をしていない金森可近は、俺や蜂屋頼隆をちらちらと見ながら、嬉しそうにしている。
「公方様へは?」
「仮の御亭となっておられる妙覚寺へは、すでに使者を遣わしました。近日中に公方様にお目見えできましょう」
「うむ……」
知りもしない他人の家であるのに、信長様はまるで自分が家主だと言わんばかりに上座に胡座をかいて座る。
そして、少し考える仕草をすると、蜂屋頼隆に顔を向けた。
「兵庫介、京中で公方様と三好について調べよ」
「拙者が、でございますか?」
蜂屋頼隆が困惑げに平伏する。
「そうだ。早く行け」
「かしこまりました。それでは、御前、失礼いたしまする」
蜂屋頼隆が少し首を傾げつつ、信長様の前から退いていく。
蜂屋頼隆はどちらかといえば、武辺寄りの人物だ。何かを調べるなどというのは、とても向いているような人物ではない。本人もそれがわかっているから、首をかしげていたのだろう。
それは、同じ美濃出身の金森可近の方が知っているようで、すっと信長様の前に膝を進ませた。
「殿、兵庫介はあまりそのようなことには向かないのではないでしょうか? どちらかといえば、長三郎の方がよろしいかと」
「何もわからなくても構わん。公方様と三好とのことについては、上洛前に弥三郎にも命じておる。兵庫介は餌と釣り針よ」
「それは……何を釣り上げるおつもりで?」
「さてな。京では、何が釣れるのか、知らねばなるまい。そのためには、まずは餌を垂らしてみなければならん。兵庫介なら某かに食いつかれても、生きて戻ってこれよう。だが、こやつは駄目だ。茶屋などに行かれて、茶立女に骨抜きにされてはたまらん」
信長様が俺を指差す。顔が笑っているので、からかっているのがわかる。
「なるほど、確かに京で今の長三郎を一人にするのは、少しばかり心配ですな」
金森可近も同意して、大きくうなずいて、声を上げて笑う。
身重の妻が待っているのに、遊女で遊ぶわけがない、と声を大にして言いたいところだが、この旅程で妙のことを口に出したらいつもからかわれているので、口をつぐむしかない。
すると、そこに金森可近の下につけられている馬廻りが一人駆け込んでくる。
「殿、妙覚寺より、戻りましてございます」
「申せ」
短く命じる信長様の声は固い。
「公方様は、殿のご上洛をたいそう喜ばれているとの由でございます」
そう言上すると、馬廻りは平伏したまま続きを口にしない。
「どうした? 続きを殿に申せ」
金森可近が戸惑いつつそう促すが、馬廻りはさらに頭を低くする。
「そ……それだけでございます……」
「殿は公方様の命によって上洛したのだぞ。それなのに、公方様から殿へのお言葉もなく、ただ、喜ばれているだけだと……」
「よい、五郎八。慣れない地で苦労だった、下がっていよ。五郎八、すぐには公方様からお呼びはかかるまい。皆に酒を振る舞え」
「はっ!」
金森可近は得心がいかない様子で、馬廻りを連れて出ていく。
大事な戦を前にしての突如な上洛の命。それがわかっているからこそ、金森可近は将軍、足利義輝による信長様へのぞんざいな対応に困惑しているようだ。
信長様が追い払う仕草で小姓にも退室を促す。小姓も退室すると、俺は信長様の前に置かれた火桶に近づき、手をかざす。
「室町殿に侮られましたか」
「誰かと比べておるのかもしれん。さて、誰が出てくるのか……」
信長様も俺と同じように火桶へと両手をかざす。
わざわざ信長様を上洛をさせたということは理由があるはずだ。それなのに後回しにされてしまっている。呼び出した相手に対応できないほど人材が少ないとも思えない。そうなれば、信長様よりも先に対応しなければならない人物が来ているか、まもなく到着するのだろうということ。
「兵庫介殿が釣り上げてきてくださるのを期待するしかありませんね」
この時代の情報収集は、噂に頼るしかないのが実情だ。その噂も、人から人へと伝えられていく中で大きく歪んでしまっていることが多々ある。
実際に見聞きした者から、直接話を聞くのが一番信用できるのだ。
蜂屋頼隆の行動を見て、誰かが動き出してくれれば、公方様との面会前に対策を立てやすい。味方が少なく、勝手がわからない京で、命を狙われることはできるだけ避けたい。
「京に留まり続けるのは危険かもしれん」
「では、大和か摂津へ?」
大和国は興福寺が巨大な力を持っており、一時の伸長こそ許しはするが、他勢力の恒久的な進出を阻み続けている。
そして摂津国には、芥川城があり、そこには三好筑前守長慶がいるのだ。
どちらも安全とは言えないかもしれない。しかし、将軍、三好、朝廷を筆頭に様々な勢力が入り乱れる京よりかは安全とも思えてくる。
「三好とは会う気も起きん。大和、そして……堺に行くか」
三好は斎藤治部大輔高政を重要視している。だからこそ、三好と会う必要があるとも言えるけれど、斎藤家から織田家へ関心を移させるには、今川をどうにかするしかない。今の織田家は、天下の大大名にとっては、荒らされても良い緩衝地帯なのだ。
せめて今川の尾張進出の芽を摘んでからでないと、話を聞いてくれまい。丁寧なもてなしをされて帰されるだけだ。
信長様もそう考えたから、大和を経由して堺に足を運ぶ結論に至ったのだろう。堺の町は、町衆である会合衆が自治をする特異な町であり、南蛮人との貿易港でもある。鉄砲の玉薬なども、この町にいる商人から購入している。
「では、そのように五郎八殿へ伝えてまいります」
「うむ」
気のない返事をして、信長様は火桶の炭をじっと見つめ続けている。
「何か、お気になることでも?」
「大事ない。下がっていよ」
俺は、頭を下げてそっと部屋から出ていこうとする。そこで、ふと自分がまだとてつもなく目立つ服装をしていることに気がついた。
信長様、敵を釣り上げるためにわざと目立つお姿をされた?
ちらりと振り返るも、答えてくれそうな様子で雰囲気ではないので、俺は黙って部屋を出ていった。
夜、蜂屋頼隆が戻り、美濃者を見たという報告が信長様になされた。そして、時をおかずに同様の報告がもたらされるのだった。
茶立女は戦国時代に遡れないかもしれません。でも、性に奔放な時代でもあったようなので、似たような職?はあっただろうということで、まあ見逃してください。
幕府という語は当時ではたぶん使われていないはずです。室町殿は、将軍への呼び方でもありますし、現在教科書で習う室町幕府という組織に対しても使う呼び方です。もし、これまでの会話文で幕府という語を使っていたら……これも見逃してくださったらうれしいです。
おそらく、文体が変わっていると思います。これも、できれば見逃してください。




