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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第三章 桶狭間の坂道
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甥っ子

 信長様に続いて屋敷の奥に向かうと、間延びしたような声が聞こえ、さらには笛や小鼓の音が響いてくる。


 そこで、信長様が猿楽師を留めているということを思い出した。


「猿楽でしょうか?」


「そうだ。帰蝶が、奇妙に芸事を見せたいというのでな。流れの猿楽師を呼び寄せたのだ」


「しばらく留め置かれると聞きました」


「うむ。このまま仕えさせようかと思っている」


 どうやら信長様は、猿楽師をかなりお気に召しているようだ。機嫌良さげに歩く信長様の後ろを歩きながら、聞こえてくる音に耳を澄ます。


「最近、同朋衆などを増やしていらっしゃいますね」


「大名として、それなりの格を示さなくてはならん。織田家はこれまでとは違うのだ。親父の代には、蹴鞠などをしていたからな」


 成り上がり者と(そし)りを受けないようにしなければならないということか。


 信長様は以前から曲舞(くせまい)の稽古をしており、それに猿楽が加わるようだ。


「他にも、拾阿弥という者をお召し抱えになったとか」


「拾阿弥はうまい茶を入れる」


 信長様はただそれだけ答える。登用したばかりの拾阿弥が、家臣たちの中で評判が悪いのを知っているのだろう。


 信長様が承知しているのなら、俺がこれ以上何かを言うまでもない。それに、会ってもいない俺が拾阿弥のことを諫言するのは(はばか)りがある。


 会話が途切れたところで、ちょうど庭で行われている猿楽師による演目が見えた。だが、残念ながらもう終わったらしく、深々と頭を下げていた。


「見逃したな、長三郎」


「仕方がありません。いずれ、拝見する機会はありましょう」


 縁側に帰蝶様付きの侍女たちがおり、頭を下げる侍女たちの前を通り過ぎて、庭を見通せる部屋の前にたどり着く。


「まあ、殿。それに長三郎も。突然、どうかされましたか?」


 帰蝶様が奇妙丸を膝に抱えながら、目を丸くしている。その隣には、大きいお腹を抱えた吉乃様がおり、奇妙丸の傅役の林佐渡守秀貞もそばに控えていた。


 帰蝶様の腕の中にいる奇妙丸は、じっとしていられないのか左右に揺れている。そして、俺を指差して言葉を発する。


「ちょーさぶろー、ちょーさぶろー」


 何が楽しいのか、俺の名前を楽しげに連呼して笑う。


 数カ月ぶりに会うのだが、どうやら俺を覚えていたらしい。体も記憶にあるときよりも幾分か大きくなっているようだ。


「長三郎を奇妙丸に会わせようと思っただけよ」


「左様でございますか。さあ、奇妙丸。長三郎のところまで行ってごらんなさい」


 帰蝶様が腕の中から奇妙丸を開放すると、奇妙丸は俺のところまでだっと走ってくる。膝をつき、少し腕を広げて抱き迎えようとすると、さっと躱されてしまう。

 そして、俺をぺしっと叩くと、さっと帰蝶様のもとに逃げ込んでしまった。


 信長様たちが大笑し、俺は目を白黒させるしかなかった。


「見事にやられたな。今のは、最近の奇妙丸様のお気に入りなのだ」


 林秀貞が笑いを隠そうとせずに、俺に歩み寄ってくる。


「林様が教えられたのですか?」


「まさか。いつのまにか、あのような悪戯をされるようになったのだ。どうやら、お市様やお犬様がお教えになったらしい」


 信長様の妹、お市の方とお犬の方が相手では、林秀貞でも強く出られないだろう。


 まあ可愛らしい悪戯というか遊びなので、笑っていられる。しかし、帰蝶様の後ろに隠れながら、俺の隙を見計らっているようなので、油断できない。


「やれやれ、あのお年でもう機を伺うとは……頼もしい限りです」


「まったくだ。奇妙丸様は、良き将となられるだろう」


 そして林秀貞と笑っていると、奇妙丸にまた足をぺしっと叩かれてしまった。追いかけようとすると、今度は信長様の後ろに隠れるのだから始末に悪い。


 信長様は満面の笑みで、良くやったと言わんばかりに奇妙丸の頭をなでている。


「狙われておるということは、気に入られている証だ。そう目くじらを立てるでない」


「目くじらなど立ててはいません。やられて黙っていることが出来ないだけです。そうだ、林様に折り入って話があるのですが……」


「長三郎がわしに話とは珍しい。(たえ)に子が出来たのか?」


「い、いえ、そうではなく。当家で預かっている新次郎のことなのです」


 子ができたという言葉に反応して、一斉に俺に視線が向けられるが、新次郎のこととわかるとそっと逸らされる。


「実は、新次郎が元服した後も当家に委ねていただけないかと思いまして……。無論、知行などはこちらで用意します」


 俺がそう言うと、林秀貞は腕を組んで難しい顔をする。


「それはいかんな。新次郎の家に、儂が申し訳が立たん。弟なりがいれば良かったのだろうが、家にはあいつ一人。家を継がねばならんし、先祖伝来の田畑が多少なりともあるのだ。それを相続する身で、軽々とお前に仕えては問題があろう。いくら一族の長三郎の下とは言えな」


「そうですか……林様のお力で何とかなりませんか?」


「ふむ。一族を率いる儂に願い出てもどうにもならん。いっそ殿にお願いしてはどうだ?」


 そうして、奇妙丸を抱えて猿楽師と話をする信長様に顔を向ける。


「元服した新次郎を与力として貸して頂くのだ。長三郎が何らかの役目を与えられるのなら、人手が必要になることもあろう」


 なるほど、与力として新次郎に来てもらうというのは良さそうだった。そうすれば角も立たないし、いずれはそのまま本当に家臣に出来る日が来ることもある。


「わかりました。また、殿にお願いしてみます」


「儂も娘婿のために力添えはしよう。それで、(たえ)に子が――」


「長三郎、来い!」


 林秀貞の言葉を遮るようにして、信長様が俺を呼ぶ。


 俺は林秀貞との会話を打ち切って、信長様に駆け寄って平伏する。


「何用でしょうか?」


「この者が、猿楽師の大蔵太夫だ」


「大蔵太夫十郎でございます。こっちが息子で、兄の新之丞と弟の藤十郎になります」


「道祖長三郎と申す。以後、お見知りおきを」


 大蔵太夫は、世慣れした雰囲気で、息子たちもしっかりしているようであった。新之丞は目つきがするどくて意気が強そうだ。そして、藤十郎はどこか利口と言うか、生意気そうな様子が出ている。


「なかなか強情で、儂には仕えられんというのだ」


「芸を磨くため、まだ一つどころに留まるのは控えております。御嫡男の奇妙丸様のため、今しばらく、二年ほどは尾張に留まらせて頂きますが、その後はまた別の国に参りたいと考えています」


「殿、大蔵殿のお考えを尊重すべきでしょう。それに、二年もあれば、説得の機会はありましょうし」


「わかっておる。長三郎に説得しろと言うつもりはないわ。お前を呼んだのは、この者たちの当座の住まいを用意させるためだ。清須と那古野の両方に用意せよ」


 同朋衆として召し抱えるのなら城内に住まいの用意はできるが、そうでないなら城外に滞在のための場所を用意しなければならない。


「承知しました。できるだけ早く、大蔵殿の住まいを整えます」


 そう口にしたのは良いが、どれほどの広さが必要になるのかいまいちわからなかった。親子三人だけの広さではなく、稽古なども必要だろうし、日常の世話のための人を雇わないといけない。

 それに那古野での場所も確保する必要があるとなると、色々と面倒な仕事になりそうだった。

 道普請までの繋ぎの役目というわけだ。


「よろしくお願い申す」


「稽古場などもご入用でしょう。後ほど、必要なものを詳しくお聞きいたします」


「承知しました。殿様、それでは一度下がらせて頂きます」


 大蔵親子が揃って信長様に頭を下げ、そして与えられている部屋に下がっていった。


 それを見送っていると、また奇妙丸に叩かれてしまう。ばっと逃げる奇妙丸。俺が追いつかない程度の速さで追いかけだすと、奇妙丸が声を上げて逃げ惑う。

 信長様や帰蝶様の後ろに逃げこめば、俺は回り込んで奇妙丸を捕まえるふりをする。すると、また声を上げて楽しそうに逃げ出してしまう。


 そのまま何度かわざと逃がした後で、俺は足を早めて奇妙丸を捕まえる。そして、一気に抱き上げて肩の上にのせて肩車をした。


 肩にのった奇妙丸は終始ご機嫌で、俺の頭を嬉しそうにぺしぺしと叩いてくる。


「奇妙丸は長三郎がお気に入りね。そういえば、昔から長三郎には泣かなかったわね」


「ふん。長三郎、わしと代われ」


 帰蝶様の一言に、よく泣かれていた信長様は気分を害したようだ。今度は信長様が奇妙丸を肩に載せようとするが、奇妙丸は嫌がって俺の髪を掴んで離さない。


「ちょ、殿、止めて下さい。奇妙丸様が、髪を掴んで!」


「動くな長三郎。奇妙丸、こっちに来るんだ!」


「いや!」


 結局、髪が奇妙丸にめちゃくちゃにされた。当の奇妙丸は、父親と叔父で遊んでご機嫌の内にかくっと寝入りこんでしまった。


「直りましたよ、長三郎殿」


「吉乃様、わざわざありがとうございます」


 髪を直してくれた吉乃様に礼を述べる。


「いいえ。とてもおもしろいものを見せてもらいましたから。その御礼です」


 そう言って、口元を隠して吉乃様が楚々と笑う。


「腹の子が生まれたら、ぜひ我が子とも長三郎殿に遊んでもらいたいものです」


「ええ、機会がありましたら……」


 また髪を引っ張られるのはごめんだけど、子供の相手は嫌ではなかった。


 俺が吉乃様と約束したところで、部屋に一人の男がやってきた。


「拾阿弥でございます。皆様に、お茶をお持ちしました」


 茶を載せた盆を傍らに置き、平伏する拾阿弥と名乗る男。


 そして、信長様たちに茶を配って回り、最後に俺のところにやって来た。


「どうぞ」


「あ、ああ……」


 みんなからは嫌なやつだと聞かされていた。だが、今のところは全くそう見えない。これは、信長様の前だからだろうか。


 茶を受け取るために手を伸ばそうとしたところで、どうも嫌な予感がして手を引っ込める。


「どうされました?」


「そこにおいてくれ。さっき奇妙丸様を肩にお乗せしていたからか、思うように手が動かなくてな」


 そう言うと、温和だった拾阿弥の顔が一瞬真顔に戻った。そして、すぐに温和な顔に戻ると、俺の示したところにお茶を置いて下がっていった。


 どうも一筋縄ではいきそうにない様子だ。


 俺は、拾阿弥が持ってきた異様に熱いお茶を手に取り、ため息を漏らした。

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