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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第二章 尾張統一の道程
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兄と弟 壱

 那古野城の改築が公表され、その準備が始められている。まずは那古野城の堀が拡張され、大まかな城の形が形成されようとしていた。


 清須の城下町は、那古野への移転をどうするかで持ちきりだ。戸数にして二千に及ぶ家が移動するのだから、事前にどうするかを考えておく必要がある。移動しろというだけでは、混乱して何が起こるかわかったものじゃないのだから。そして対策としては、城下町の名称そのままの場所を用意して、同じ場所に移るということが考えられている。


 また、武士たちはどう集住させるのかということで意見が別れていた。那古野城を取り巻く、城下町の一箇所に集める、城下町を囲うように四方に分散させるといった意見が出ており、決着がついていないようだ。重臣たちの中で意見が割れており、まだしばらくは話し合いが行われるだろう。


 織田家が、那古野城の改築で盛り上がっている中、清洲城の一角では不気味な静かさが支配していた。尾張守護、斯波左兵衛佐義銀の屋敷である。


 信長様の清須移転は、斯波義銀にとって寝耳に水の事態であった。だから、清洲城こそが尾張守護の居城だと言い張り、移転に反対の意向を示したのだ。

 だが、信長様は意見を承ったという返事をするだけで、直接会うことをしなかった。これには斯波義銀は怒ったそうだが、それ以上何も出来はしない。斯波家家臣団は蟹江城で壊滅しているのだから。そして、残った家臣団は共に戦った河尻与兵衛尉秀隆などに引き抜かれようとしていた。また、清須城下町の寺社などからは顰蹙(ひんしゅく)を買っているので、清須の旧勢力にすら味方がいなかった。斯波家の屋敷は、日々孤立を深めていた。


 斯波義銀の婚約者となっているお市の方に合わせろという声も聞こえなくなって、信長様は機嫌が良さそうである。


「武衛様が、外部の者と接触を持った様子はございません」


 陰気な顔をした男、(はふり)弥三郎重正が報告した。以前、織田信広の謀反を伝えた騎馬武者だ。陰湿そうな印象であるが、踊りや能狂言が得意という変わった人物である。


「そうか。しかし、このまま黙ってるはずはない、か」


「仰る通りです。実は、鳥の羽を所望しているようなのです」


「羽を? 何に使うというのだ?」


「恐らくは等持院((足利尊氏))様の弟、大倉宮((足利直義))と同じでございます」


「毒、というわけか……」


 信長様が、蜜柑を口に運びながら思案顔をする。そして、無造作に俺に向かって手を伸ばしてきた。


 俺は信長様に、自分用にと皮をむいていた蜜柑を渡す。本当なら小姓なりがやることを、下げられているために俺が代わりにしているのだ。


「されど、確かな証拠なしに武衛様を害するのは外聞がよろしくありません。毒には警戒をするにとどめ、やはり松岳道悦様にご証言頂くのがよろしいかと」


 祝重正の提言に、信長様が顔をしかめる。


「あいつを表に出すには、どうも不安が残るのだ。まだ、俗世との縁が切れていないようでな」


 最近発覚したことに、松岳道悦こと織田信勝に新たな子供が出来ていた。斯波義銀が今川と通じていたことを証言させようとしたところで発覚したのだ。信長様はそれはもう激怒し、身ごもっている女性と引き離した。

 死んだ兄弟たちの菩提を弔うために出家させたというのに、務めを満足に果たしていなかったのだから、怒るのは無理はない。


 俺は、蜜柑の皮をむくのを止め、居住まいを正して頭を下げる。


「殿、ここは一つ、松岳道悦様をお試しあっては如何でしょう?」


「あいつに何をさせるつもりだ、長三郎?」


 信長様が俺を睨みつけているけれど、俺は臆することなく口を開いた。


 その数日後、織田家に激震が走る。織田家当主である信長様が突如倒れたのだ。









 信長様の不予は、弘治三年の十二月になっても回復することはなかった。


 家中は、織田三郎五郎信広と家老たちによって問題なく統制されているけれど、長引くに連れて家臣たちの中には不安を隠しきれない者たちがいる。何しろ、先代の織田信秀も病気で亡くなっているのだから、みんなが最悪の事態を想像するのは仕方がないことだ。


 奇妙丸を連れた帰蝶様と、お腹を大きくした吉乃様が毎日のように信長様を見舞っている。だが、その表情が明るくなることはない。


 ここに来て、信長様は松岳道悦を桃巌寺から呼び出した。


「勘十郎……三郎五郎とともに、織田家を支えよ」


「承知しました。どうか、兄上はお心やすく、お過ごしください」


 得意げな顔を浮かべて、頭を下げる。その様子を、織田信広が忌々しく見つめているが、松岳道悦は気にした様子がない。


「兄上のご症状、何者かに毒を盛られたと考えます。しかし、何も心配はいりません、禍根となる芽は、全て取り除いてご覧に入れましょう」


「勘十郎、殿が毒を盛られたなど、滅多なことを言うものではない」


「事実を言ったまで。それとも、三郎五郎には心当たりがあるのかな?」


「お前に人のことが言えたことか!」


 織田信広が激高して掴みかかろうとするのを、柴田権六勝家が間に入って止めさせる。他の家老たちも協力して二人を引き離す。


「お二人とも、殿の前で争うのはお止め下さい!」


 どうにか二人を離したところで、林佐渡守秀貞が松岳道悦に問いかける。


「それで、松岳道悦様は毒にお心当たりが?」


「恐らくは鴆毒(ちんどく)だろう。そして兄上に毒を盛ったのが三郎五郎でなくば、武衛様以外にはおるまい」


「まさか! 武衛様が殿を暗殺などと!」


「考えられぬことではあるまい。兄上、お任せくださいますな?」


 許可を求めるというよりかは、ただ確認するような口調だ。


 信長様は、目をつむり、弱々しくうなずくだけで応える。


 それを見て、勝ち誇った顔で松岳道悦は立ち上がった。


「これよりはわしが差配する。まずは、兄上を暗殺しようとした輩に罰を下してやるとしよう」


 そして、重臣たちを引き連れて、信長様の部屋から出ていく。その後ろを、織田信広が不承不承で続き、部屋を出る時に、信長様にうなずきかけた。


 障子が閉められ、信長様と俺だけが部屋に残される。


 信長様が、大きく息を吐きだして、俺に顔を向けた。


「長三郎、念のため三郎五郎についておけ。勘十郎があの様子では、いつ斬り殺すかわかったものではない」


「かしこまりました。もしものときは、お止めいたします」


 俺は信長様に頭を下げ、部屋を後にする。部屋を出ると、池田勝三郎恒興、河尻与兵衛尉秀隆らが控えていた。


「松岳道悦様はご自分の立場が分かられてはいないようだ。家老衆にあれこれと指示を出しながら歩いていったわ」


「今は我慢してください。それほど……長くはかからないでしょう」


「だといいがな」


 そう願うという風につぶやくと、二人は信長様の部屋に入っていく。









 松岳道悦は、すぐさま斯波家の屋敷に突入した。難なく鴆毒の材料が発見され、信長様毒殺を(はか)ったと弾劾したのだ。


 そして、今川と接点があったことを明らかにし、先の動乱が尾張を治める斯波義銀に原因があると声を上げた。

 人のことを言えないのだけど、松岳道悦は巧みに自分は斯波義銀に利用されたのだという流れを作り出そうとしている。その上で、自分を助命した恩ある兄を殺そうとする斯波義銀を、主家と言えども許しがたいと自害させようとした。自分が関わっていなかったという、証拠隠滅を企んでいるのは明らかだ。


 松岳道悦は声高に自害を主張するけれど、斯波義銀を殺すことは、いくら命を狙った相手といえども外聞が悪い。信長様は、密かに家老たちに命令して、重臣一同の総意という形で尾張からの追放で決着をつけた。


 ここに、武家の名門にして大名である斯波武衛家は終焉を迎えることになる。斯波義銀は、僅かな供たちと伊勢の方角に去っていった。そのまま、畿内に向かうことになるだろう。


 斯波義銀を追放とした松岳道悦は、自分が織田家の当主であり、尾張の国主かのように振る舞い始めた。ただ、最終的な判断を信長様に仰ぐという形式を守ってはいる。ちゃんと信長様をたてているため、織田信広などは歯がゆい思いをしていた。


「増長しているが、どうやら問題はないようだな。勘十郎はよくやっている」


 信長様は安堵した様子を見せる。


「しかし……まだ安心はできません。やはり、最後にお確かめあってから安心されたほうがよろしいでしょう」


「わかっておる。もしものときは……勘十郎を斬ろう」


 安堵の表情から一転して、信長様は険しい顔つきで置いてある刀を見た。


「では、今夜にでも」


「うむ。勝三郎や与兵衛らにも伝えよ」


「かしこまりました」


 命令を下すが、乗り気な様子ではない信長様。


 しかし、ここで不安の種は除かれなければならないことを承知している。


 信長様は瞑目し、腕を組んで何かを考え始めた。


 邪魔するわけにはいかず、俺はそっと部屋を出ていこうとする。


「長三郎」


「はっ。何かありましたか?」


「いや……何でもない。気にするな……」


 とても何でもないという様子ではなかった。考えても、慰めの言葉しか出てこない。でもそれは、信長様の望む言葉ではないと思った。


 俺はそっと障子を開ける。視線の先に庭が見え、そこに姉が立っていた。


「っ!」


 姉ちゃんと声が出そうになったが、視界のどこにも姉の姿がない。俺は、息を大きく吸い込んで、そして吐き出した。もう一度、視線だけを動かして、庭を見る。しかし、やはり姉の姿は見えない。


 ただの目の錯覚に過ぎない。姉は死んだのだし、昼間に幽霊なんて馬鹿げている。叱咤して欲しいという願望が、姉の姿を見せただけ。


 だが、姉に仕事をしろと怒られた気がしたのは確かだ。


 だから俺は、開けようとしていた障子を閉ざして信長様に向き直った。そして、胡座をかいて頭を下げる。


「信長様、俺は……姉ちゃんが……信長様の側女になるなんて、本当は嫌でした」


 信長様が目を開けて、俺を見た。急な話に戸惑い、言葉が出ないようだ。


「それでも……姉ちゃんを信長様の側女にするのを認めたのは……姉ちゃんが決めたことだからです」


 家長として、家のためではなくて本人の意志を優先して判断した。それは、この時代の家長としては失格だろう。


「姉ちゃんの意志を、無駄にしたくはなかった。信長様のお子を産むという、意思を全うさせてやりたかったのです」


「そうか。だが、それで(つう)は死んでしまったぞ」


「姉ちゃんが死んだことは悲しいです。でも、姉ちゃんはきっと満足していました。だから、俺は……姉ちゃんを側女にしたことを後悔していません」


「勘十郎が、自分で選んだことと言いたいのか?」


「ご兄弟で争うことを(いと)うお気持ちはお察しします。勘十郎様は、それを知ってなお信長様と争うことをお選びになったのかもしれません。挑んでくるのなら……全力でお応えするのが、武士の道ではないでしょうか」


 偉そうなことを言っているのは自分でもわかっている。しかし、言うしかなかった。


「そうか……」


 信長様が立ち上がり近づいてくる。そして、俺の前でしゃがみ込む。


「長三郎」


「はい!」


 返事をすると、頭に衝撃がはしった。痛さで頭を押さえながら顔を上げる。


 信長様の握り拳を見て、そこでようやく頭を殴られたのだとわかった。


「生意気を言っていないで、さっさと行け」


「はっ! 生意気を口ずさみ、申し訳ありません。すぐに手配いたします」


 いつもの表情に戻っている信長様に、ほっと安堵しつつ、俺は今度こそ信長様の部屋をあとにした。

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