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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
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安祥城

 天文十八年、太原雪斎を大将とした今川軍は駿府を出陣、鎌倉街道((東海道))を西進しつつ各地で兵力を統合していった。そして、岡崎城を支援する今橋の吉田城に、総勢一万を超える大軍となってその姿を現す。


三郎五郎((織田信広))様、今川軍が吉田城に入りました。物見(ものみ)によれば、一万はくだらないものと……」


「思ったよりも早い……あの年寄りめ、準備を整えていやがったな」


 太原雪斎には煮え湯を飲まされ続けている。昨年の小豆坂で大敗。そして三月に松平広忠が死んだ時にも攻めかかってきた。なんとか撃退したものの、落城寸前まで追い詰められた。おそらく、その際に今回の準備を整えながら駿府に帰城したのだ。そして、こっちがもう攻めてこないと油断し、さらには稲刈り前という最悪の時期に攻めてきている。


「岡崎の動きはどうだ?」


「これまでの大人しさが嘘のように動き回っています。こちらが刈田の前に稲を刈ろうものなら……邪魔をしてくるでしょう」


「だが、みすみす奴らに刈田狼藉を許すことはできない。兵を出して岡崎を牽制しつつ、できるだけ収穫させるとしよう」


「そのように」


 命令を実行するために兵が走り出ていく。


「末盛の親父はどうだ? 今回は動いてくれるのか?」


「殿は病のために動けないそうです。代わりに平手政秀様が援軍を率いて来られます」


「平手の爺か……さて、どれだけ連れてきてくれるか……」


「それと、三郎様、若殿も参陣するとのことです」


「三郎がか? ……ふん、まああいつが大将でないだけましだな」


 信広は別に信長を嫌っているわけではない。しかしこの一大事に、自分の守る安祥城が信長に経験を積ませるための舞台とされるのは気に食わない。


「いつ頃に到着する?」


「おそらくは、そろそろ末盛城を出ると思われます。何もなければ、到着するのは二日三日といったぐらいでしょう」


「ぎりぎり……だな。どうにか吉田に集まっている今川より早く着くか」


 信広が安祥城周辺の絵図を広げる。


「問題は奴らがどう来るかだ……」


「はい。まず考えられるのが……吉田から岡崎の城へ、そしてこの安祥城」


「その場合は、矢作川での戦いになるな」


 安祥城と岡崎城との間に横たわる矢作川。そこで渡河を阻止する戦いとなる。


「もう一つが……南の西尾城か……」


「はい。吉田から西進、伊勢街道に進路を取り、矢作川を越えて西尾城を攻める。そして北上してくるでしょう」


 幡豆郡の西尾城は、尾張守護の斯波氏と縁戚にある吉良義安が治めている。そのため、西尾城はこちらと協力関係にあった。

 現在、今川を食い止める防波堤となっている矢作川。その上流は安祥城、下流は西尾城がおさえている。


「西尾に援軍を送っては、こちらが手薄になって岡崎が脅威となります。かといって西尾が一万もの今川を止めるのは……」


「ああ、攻められたらどうやっても西尾は落ちる。岡崎が取れていれば、こんな苦労はなかったのだが……」


「どうなさいます? このままでは、吉良殿も今川に下るやもしれません」


「……吉良殿には末森からの援軍が到着次第に加勢すると伝えておけ。まだ西尾を通ると決まったわけではないが、降伏しないように念のため引き止めておく」


「かしこまりました。さっそく伝令を出します」


 伝令が慌ただしく行動を開始する。


 信広は、絵図の吉田城を指差し、指を岡崎城に動かしていく。


「こう来る場合、援軍と合流して矢作川を挟んで対峙することになる。川を利用して、おそらく持ちこたえられるだろう。そして……」


 今度は吉田城から海沿いに指を動かして西尾城、そして北に動かす。


「問題はこう来る場合だ。時期が悪いからな。平手の爺が如何に集めても……手勢は一万を上回ることはないだろう。何もない平地で、多数と戦うことは避けたい」


「では、籠城すると?」


「……そうするしかあるまい。援軍と物資の一部を城に入れ、城内を充足させる。そのうえで、残りの援軍には外で今川を引きつけてもらう」


 安祥城には全軍を入れることは出来ない。近隣の町や村から逃げ込んでくる者もいるし、城内に人を入れすぎると動きが取れなくなってしまう。兵糧を入れる蔵にも限度があるのだ。兵が少なすぎては防備が手薄になって守れなくなるが、何でも詰め込めばいいというものではなかった。

 籠城戦は、相手が諦めるまで粘るか、味方が来るまで持ちこたえて撃退するかの二通りだ。今回は両方の動きが取れる。

 こちらの援軍に対して今川は、行動を阻害できるだけの兵を差し向けないといけない。そうすれば、安祥城への攻めが和らいでくれる。つまりは落城しにくくなるのだ。今川が諦める可能性が高くなる。

 もう一つは、援軍が今川を撃破して包囲を解くということだ。


「それでは、問題ないように思えますが?」


「いや、ある。……今川がこちらの動きを抑止する兵のみ残し、全力で援軍を撃破に向かうことだ。もし援軍が撃破されたら、絶望の籠城戦の始まりとなる。そうなったら……」


 後は、もはや言うまでもなかった。三月の籠城戦は記憶に新しい。降伏しても、最悪は斬首されることもあり得る。

 誰しもが覚悟を決め、籠城の準備に取り掛かった。









 末盛城から安祥城への援軍は、一部がすでに進軍を開始していた。その中には、信長に率いられた那古野勢も含まれている。先行するのはできるだけ早く安祥城に到着し、味方を勇気づけるためだ。早くしなければ、安祥城から脱走兵が続出するかもしれない。


「援軍ってどれぐらいの人数になるんですかね」


 俺は馬上の信長様に問いかける。


「爺のことだ。いつもなら万の軍を用立てるだろう」


「いつもなら、ですか?」


「そうだ。お前は村の出だ。この時期に何があるかわかっていよう」


「稲刈り……。じゃあ、そっちに人手が取られてしまって、兵が集まらない?」


 信長様は答えず、ただ厳しい視線を前に向けている。


 稲は刈り取るだけでは終わらない。乾燥させて、それから脱穀しなければならない。そうしてから、年貢を収める用意をする。領主もこれを邪魔しては、自分の首を絞めることになってしまう。

 だからこの時期は村への負担をかけたくないのが本音だ。


 小説で転生した人たちが真っ先に千歯こきとか作るのはこのためか。


 収穫の労働効率を上げれば、余った人材を他の場所へ投入することが出来る。それは敵よりも優位に立てるということだ。


 鉄だと無理だけど、千歯こきって確か竹でも良かったよなぁ。帰ったら作ってみるか? あとは唐箕……はなんか使い方が難しいって聞いたな。ハンドルを回す速さがどうたら……。そうなると、やっぱり中の風を送る羽とかも工夫が必要だろうし、今の俺じゃ簡単には作れない。


 実物があるわけでもなく、ただの概念を形にしてくれるような酔狂はこの時代になかなかいない。金を出して作れと言っても、下手したら金を持ち逃げされることだってあるのだ。理由をつけて、いつまでも作らないなんてこともあるだろう。


 豊臣秀吉みたいに成り上がらないと、やっぱり俺には無理だな。


 無意識に、信長様から貰った、腰に差している刀に手を添える。


「こっちが稲刈りで兵が集まらないなら、向こうもそんなに多くないってことは?」


「周到に用意していたなら別だ。同じ年に二度、それもわざわざこの時期に兵を出して来た。準備をしていたと考えるべきだな」


「信長様は、どれぐらいになると考えています?」


「最悪……数万。どんなに良くても、一万を下回ることはあるまい」


 一万人。口に出せば簡単だが、実際はとんでもない数になる。装備と物資を持った足軽の間隔を二メートルと仮定して、二列になって道を進ませるとする。すると、その長さは十キロメートルにもなる。これに騎馬や兵糧などを運ぶ駄馬と陣夫、諸々を含めると行軍の列はもっと長くなるのだ。


「一万……安祥城が持ちこたえ――」


「無理だな。諦めろ、どうあってもこちらより多い敵と戦うことになる」


 予測していたのだろう、質問の途中に答えられてしまう。


「長三郎、事ここに至ってはやるしかないのだ。今川がどれほどの大軍であろうともな」


 信長様が、俺をわっぱと呼ばなくなった。略式ではあるけれども、元服を済ませたからだ。姉と帰蝶様に見守られて、信長様に烏帽子を被せられた。これで俺は十一歳でありながら、成人になったのだ。だから、子供を意味するわっぱは合わなくなった。


「……そうですね。もう俺も、元服したのですから……死んだおっとうみたいに、ちゃんと戦わないと……」


「長三郎!」


 信長様が大声をあげた。周囲が驚いて振り返ってくる中、信長様が俺にもっと寄れと手招きする。


 俺は馬に乗った信長様の横に並ぶようにして歩く。すると、馬から乗り出すようにして頭を殴られた。篭手をはめているため、いつもよりとんでもなく痛い。足を止め、うずくまって痛みに耐える。


「阿呆。帰蝶に言われて仕方なしに元服してやったが、やはりわっぱはまだわっぱだな。お前はとにかく、このわしに引っ付いて離れなければ良い。ちょろちょろと鼠のように動き回られては、邪魔になるわ」


 織田信長が、大笑して遠ざかっていく。


 涙目になりつつ痛みをどうにか堪え、走って追いかけようとすると、後ろから肩を叩かれる。


「そうだぞ、わっぱ。手柄をあげる邪魔をしてくれるなよ」


「わっぱ、今度は今川の貝で走り出すんじゃないぞ。間違えてわしらまで走っちまうからな」


「手柄をあげて借金返さないと、槍とか全部を持ってかれるんだ。前に出てちょろちょろしてたらぶん殴ってやる」


 模擬戦に参加していた顔馴染みたちが、俺の肩を叩き、笑いながら通り過ぎていく。


「帰ったらお前の姉ちゃんを紹介しろ」


「おいおい! あの娘っ子は俺も狙ってんだぞ、抜け駆けするんじゃねえ」


「功名はやったもん勝ちよ」


 ただふざけあって、恐怖に耐えているのではない。事に及んでは一所懸命に、ただ死力を尽くすのみ。死におびえて気負う俺とは違って、自然体で命をかけようとしている。


 これが、武士なのか。こんな人たちと肩を並べて、成り上がろうってのか。


 俺はみんなの背を見つめながら、武士の一端を垣間見た。無性に悔しくて、涙が出そうだ。


「若殿、わっぱが若殿に置いてかれて泣いてますよ。ちょっと待ってやったらどうですか?」


 ちょうど通り過ぎていったやつが、笑いを忍ばせながら声を上げる。すると、周りも俺をからかって笑い出した。


「な! 違う! これは頭を殴られたからだ! 絶対に、違うからな!!」


 笑われつつ、俺は走って信長様を追いかけた。追いつくと、声が大きくてうるさいとまた殴られてしまった。それでも俺は、わっぱと呼ばれたので笑顔だった。

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