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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第二章 尾張統一の道程
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清洲越

 信長様が、ただ一騎だけで馬を前に進める。それに呼応するようにして、織田三郎五郎信広も徒士(かち)で進み出てきた。織田信広は、謀反を起こしたというのに悪びれることもなく堂々としている。


「三郎よ、儂の動きを知っておったのか?」


「美濃が動くにはおかしな時期であった。そして、今美濃と手を組まれて厄介なのは三郎五郎くらいしかいない」


「ふん、考えていたよりも高く見られたものだ。そして、儂は三郎を見くびっていたということか」


 織田信広が肩をすくめ、馬上の信長様を仰ぎ見た。


 兄でありながら、生まれのために弟の下風(かふう)に立たざるを得なかった織田信広。兄として、どうしても信長様を過小評価せざるを得なかったのかもしれない。いや、きっと自分よりも下だと思いたかったのだろう。兄という矜持を、それで慰めるしかなかった。


「今回のことは、全て儂が美濃の斎藤高政と仕組んだ。妻や娘、家臣の多くは関わっておらん」


 信長様は兄の言葉にわずかにうなずき、顎で連れてきている織田信広の妻子を示す。


 妻と娘は、縄で縛られてはいない。心配そうに夫と父を見ていた。それを見届けた織田信広が、その場にどかっと腰を下ろす。そして、手ずから鎧を脱ぎ始めた。


「勝手な言い分であるが、儂の腹でことを収めて貰いたい」


 鎧を脱いだ織田信広が、拳を地につけて深く(ぬか)づくように平伏する。


「どうか……伏して、お願い申し上げます」


 織田信広の家臣たちがざわついていた。彼らは戦って果てることを承知しているのに、主君が自分だけの命で助命を願い出てくれている。腕で顔を隠し、泣いている者までいるようだ。


「面を上げよ」


 信長様が命じるが、織田信広はじっと頭を下げて動かない。信長様が織田信広の切腹で終わらせると言わない限り、頭を下げ続けるつもりだ。


「面を上げよ、三郎五郎!」


「はっ」


 信長様の再度の下命に、織田信広が頭を上げる。すると、信長様が下馬して織田信広の前に立つ。


「先程の戦ぶり、見事であった。三郎五郎の武篇、(しか)とこの目に焼き付けたわ。これからまだまだわしのために働いてもらわなければならん」


「儂は……謀反をしたのだぞ?」


「謀反なら他の者どももしておる。三郎五郎だけを切腹させるような恨み、わしには無いのでな」


「だが……それでは、他の者が納得すまい」


 織田信広が未だに信じられないという顔をしている。だから、家中の反対を上げた。


「そうだな。では、三郎五郎の娘をわしの養女に迎えよう」


 みんなの視線が織田信広の娘へと注がれる。まだ十歳にもなっていない娘。人質として、娘を信長様の養女にするという提案だ。人質を取ったのだから、体裁は整う。


 だが、信長様はそれだけでは済まさなかった。


「五郎左! わしの義娘(むすめ)を嫁にしろ!」


 突然の命令に、丹羽五郎左衛門尉長秀が目に見えて狼狽(うろた)えた。


 それはそうだろう。誰しも、いきなり主君に結婚を命じられた上に、それが義理とはいえ主君の娘であるならなおさらだ。


「は、ははっ! 有り難き、幸せにございます!!」


「うむ。祝言は先のことになるが、これで五郎左は弾正忠家の一門よ。これからも励め!」


「畏まりました! 丹羽五郎左衛門、お家の名に恥じぬ働きをご覧に入れてみせましょう!」


 これで、丹羽長秀は家老になることが確定した。信長様に忠実な家老という裏切る心配のない人物に、人質が与えられることになったのだ。

 織田信広にしても、娘が家老格に嫁がせられるというのは安心できる。これから織田信広は、丹羽長秀によって見張られることになるけれど、娘婿と思えば監視されているとは感じない。そして、織田信広は丹羽長秀と協力して、信長様に逆らわない限り家中に影響力を持てる。


「三郎……いえ、殿。感謝に、堪えません。多大なる御恩、この命を捧げて、奉公いたします」


 織田信広が再び頭を下げる。これからは兄として信長様に仕えるのではなく、一臣下として信長様のもとで戦うという宣言であった。


 満足気にうなずく信長様。俺からしたら、どこかほっと安堵しているように見えた。


 それから信長様は、織田信広が率いる勝幡城の兵を吸収し、再び軍勢を北へと動かす。だが結局、黒田城に到着する前に斎藤高政は軍勢を退いたようだ。

 いつまでも織田信広による清洲城陥落の報が届かないので、岩倉城の救援を完全に諦めたのだろう。


 そのまま、黒田城救援の軍勢は岩倉城攻略に向かうことになった。


 岩倉城を包囲している佐久間半羽介信盛と合流し、包囲攻撃を強める。すでに籠城して二ヶ月余りになるために、岩倉城からの反撃は日に日に弱まっていった。

 やがて、大手門が開かれて織田伊勢守家は降伏した。


 弘治三年九月、ついに尾張国内で信長様に反抗する勢力が潰える。

 伊勢守家の当主である織田信賢は、国外に追放された。そして、伊勢守家に仕えていた家臣たちはすでに領地を奪われているため、仕官を求めてさ迷うことになる。

 そうした悲喜こもごもはあるけれど、信長様によって尾張は統一されたのだ。残る敵は、国外を除けばただ一人、斯波左兵衛佐義銀だけになった。









 岩倉城が落城したことで、清洲城に家臣たちが集められることになる。恩賞などは褒美がすでに配られていたが、加増についてはまだ行われていないからだ。


 清洲城の評定の間に、家老たちが集結している。その末席には、丹羽長秀が慣れていなさそうに座っていた。


「尾張統一、祝着至極にございます。家臣一同、謹んでお慶びを申し上げます」


 家臣を代表する形で、筆頭家老の林佐渡守秀貞が言上する。


「亡き桃巌《(織田信秀)》様ですら果たせなかった偉業、誠に素晴らしいことにございます」


「うむ。尾張統一を成し遂げたのは、そなたたちの働きも又大きい。そなたたちも、大いに誇ると良い」


「有り難きお言葉」


 家臣たちが一斉に頭を下げる。


「そなたたちに恩賞を与えるのだが、その前にみなに告げておくことがある」


 信長様が一旦言葉を切り、評定の間を見渡す。そして、おもむろに口を開いた。


「聞いている者もいようが、尾張統一を果たした今、わしは那古野城を全面的に改築することにした。そして、清須から那古野に全てを移す」


 尾張の中心地である清須を那古野に移動させる。それは、字義どおりだけの意味ではない。清須は旧態の尾張支配の象徴なのだ。それを信長様に縁のある那古野城に移すというのは、尾張支配を新しく信長様によって(おこな)っていくという宣言に等しい。

 

 その意味を察した家臣たちは、騒ぐよりも顔を紅潮させて、自分たちが尾張支配を担っていくということに興奮する。


「良きお考えでございます。そもそも、この清須は先の武衛様などが殺された縁起の悪い城でありました。弾正忠家、いえ……()()家が尾張を支配する以上、それにふさわしい場所に移るのは当然のことであります」


 一門衆筆頭の地位についた織田信広が、弾正忠家ではなく織田家と言い直す。もはや、尾張に織田家と呼べるのは信長様たちしかいない。自分たちが唯一であると、そう主張しているかのようだ。


「大和守家、伊勢守家、そして斯波家ではなく、織田家こそが尾張の支配者であると民と諸国は知ることになりましょう」


 もはや斯波家すら敵ではなかった。すでに斯波家の声望は地に落ち、誇れるものは血筋のみになっている。その斯波家から、住み慣れた清洲城をも奪ってしまう。


 信長様が笑みを深くしてうなずく。


「清洲城は廃城とし、その建材は那古野城の改築に利用する。町家も全て那古野に移し、清須には田畑だけとなろう」


 だから俺に、清須の家はほどほどで良いと言ったのか。信長様は、清須に何一つ残すつもりがない。それは、今川についた斯波義銀への復讐のようだ。


「新たな那古野の縄張りは、五郎左に任せている。五郎左、良いな?」


「お任せ下さい。堅城であった清洲城すら霞む城を築いてみせます」


 以前から丹羽長秀や村井吉兵衛貞勝、島田所之介秀順を派遣して準備を整えていた。できるだけ早く城を仕上げて、今川が攻めて来ても対応できるようにするのだろう。最悪、那古野城に籠城することすらありえるのだから、その守りは軽視できない。


「他の者たちは、命があり次第、清須の家を那古野へと移せるようにしておけ。他にも、奉行を命じることもあるし、知行に応じて夫役などを申し付けつることがあろう。油断なく、備えておくように」


「承知しました」


 林秀貞が代表して、信長様に応える。


 夫役があることは構わない。けれど、それが農繁期などでないことを祈るだけだ。こればかりは普請の進捗などがあるだろうし、何とも言えなかった。

 そして、今回加増を受けると、その分だけ夫役を多く出さなければいけない。引っ越しとなったら、家屋を解体して木材を運ばなければいけないので、人手が必要になる。今のうちに、篠岡八右衛門に命令して準備を整えておくほうが良さそうだ。

 また、番匠などは引く手数多になるだろうから、自分たちで出来るようになっておく必要がある。


 尾張の大半を支配するようになったというのに、どうやら信長様は俺たちをのんびりさせる気はさらさら無いようだ。もしくは、岩倉城落城までの間が休息の時間のつもりだったのか。


 とはいえ、かつての策、今川の大風が吹く前に城の柱を太くすることは叶った。信長様が跡目を継いで六年の月日をかけて、ようやく成し遂げられた。

 今川と斎藤を相手にした新たな策を考えるとともに、城に巣食った最後の白蟻を退治するだけ。


 俺はふと、斯波義銀の住む屋敷の方角を見た。


 このまま、黙っているなんてことはないはずだ。ほぼ手足をもがれた状況で、斯波義銀がどう動くのか。いっそ襲えたら楽なのだろうが、一応は主家なのだからそういう訳にいかない。松岳道悦こと織田信勝の証言をどう活用するか、俺は論功行賞を眺めながら考えていた。

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