岩倉城
織田伊勢守家が居城とする岩倉城は、五条川を利用した二重の水濠によって守られている。まさに攻めるに難く、守るに易い城である。
浮野での戦いに敗北した織田左兵衛信賢は、伊勢守家の本城であるこの難攻不落の岩倉城に逃げ込んだ。そして、岩倉城に逃げ込んだのは織田信賢とその軍勢だけではなく、木曽川流域の諸城から落ち延びた将兵などもいる。
まず信長様は、岩倉城の城下町を焼き払い、そこの住民たちを城内に追い立てた。そして、そのままぐるりと岩倉城の四方を取り囲む。
「殿、もはや岩倉城は鼠一匹這い出る隙間もありません。いよいよ次は城攻めを?」
「城攻めはせぬ。このまま岩倉城を囲い続けるのだ」
信長様の指示に、本陣に集まっていた備を率いている大将たちがざわついた。
本陣の隅で聞いていた俺は、そこでようやく信長様が以前に絵図の岩倉城を指先で丸く囲ったのを思い出した。あれはそのまま、岩倉城を兵糧攻めにしようということだったのだ。だから、出来るだけ岩倉城内に逃げ込めるように追い立てた。
そして、今は七月なので城中にある兵糧の備蓄にも影響があるだろう。戦に敗北し、周囲を取り囲まれた岩倉城は、さらに兵糧が日に日に減っていく恐怖と戦うことになる。
「五郎左!」
「はっ!」
「陣夫を使って小牧山から木を切り倒し、岩倉城を鹿垣で囲え。奴らが出てこれないように二重三重に作れ」
「仰せの通りにいたします」
丹羽五郎左衛門尉長秀が頭を下げる。
「他の者は堅固に構え、五郎左が鹿垣を築くのを助けよ」
「岩倉城に付城を築いて動きを封じるのではなく、城ごと囲って出られなくしてしまうというのですか?」
佐久間半羽介信盛の驚嘆の声に、信長様がうなずく。
かつての安祥城のように、籠城戦は援軍である後詰が来るのを期待して城にこもり戦うのだ。今回、木曽川流域の諸城をこちらが抑えたことで、美濃からの援軍は簡単に来ることができない。だから、援軍に来るならば、相当な軍勢を引き連れてくるはずだ。
もしそうなったら、援軍に呼応して岩倉城から打って出られて面倒なことになりかねない。信長様は岩倉城を完全に孤立させ、美濃と呼応できなくさせようとしている。そして、降伏するまでいつまでも待つつもりだ。
もしくは、岩倉城という餌を吊り下げておいて、美濃からの援軍を誘っている。斎藤新九郎高政は、援軍を出さないのなら同盟者を見捨てたことになり、援軍を出せば地の利を得た敵と不利な戦いとなってしまう。どちらにしても信長様に有利に働く。
自分が提案した木曽川流域を先に攻め取ることを、うまく活用されている。
「無理に城攻めをして足軽を損なうことはありませんな。鹿垣で囲い守りを固めれば、千もいれば十分に守れましょう。足軽の多くを、収穫前に村へ帰せます」
林佐渡守秀貞が、腕を組み幾度か軽くうなずいてみせる。信長様は、そんな林秀貞に顔を向けた。
「まだ伊勢守家を倒したわけではないぞ。油断をするな。佐渡は早急に伊勢守家の領地を調査せよ」
「申し訳ありません。すぐに指出を提出させ、速やかに上四郡を御手に属させます」
「それと伊勢守家によって田畑を押領されていた者たちを探し出せ」
「承知しましたが……まさか田畑をお返しになるおつもりですか?」
信長様はその問いには答えず、残っている諸将を見る。
「半羽介と大学、それと権六は五郎左が鹿垣を完成させるまで、それぞれの場を堅守するのだ。左近は五郎左の代わりに馬廻りを率い、本陣を固めよ」
「はっ!」
指示を受けた諸将が、声を揃えて平伏した。
弘治三年の八月となり、岩倉城の封鎖は問題なく進行している。当初命じられていた鹿垣は滞りなく完成し、更には鹿垣と岩倉城との間に逆茂木すら設置されていて、簡単には突破できないように工夫が加えられている。
そこで、信長様は足軽たちを戻すことに決めた。残るのは、丹羽長秀が率いる馬廻りと滝川一益によって再編された鉄砲衆だ。そこに選抜された足軽たちと金で雇われた牢人が加わる。
俺は篠岡八右衛門と連れてきた足軽二人を村に帰すことにし、ついでに清須の妙に手紙を届けてもらう。
しかし、それを少し後悔するとは思ってもいなかった。
「長三郎が妻に文とは、なかなか心憎い真似をする」
「まったくだ。祝言をあげるまで、そっけない態度を取っていたくせして」
信長様の本陣は、岩倉城近くの誓願寺に置かれている。信長様をいつまでも陣幕暮らしをさせる訳にはいかないからだ。今は、夕食を終えて戦話などで無聊を慰めていた。
そこで俺は、前田孫四郎利家と佐々内蔵助成政の二人に文を送ったことがばれて、酒の肴にされかかっている。
「孫四郎はともかく、内蔵助に言われたくないぞ。俺は知っているのだからな、お前が奥方に何度も文を送っているということを」
「な、何を言っておるのだ! この佐々内蔵助が、妻に連絡を取っているなど。あれは、その、村井様にこちらの情勢を伝えているだけだ!」
佐々成政が、恥ずかしさで顔を赤らめて俺に詰め寄る。そんな態度では、養父の村井吉兵衛貞勝に送っているのではないと丸わかりだ。
周囲から笑い声が上がり、お前のせいだと佐々成政が俺を掴み上げようとする。
「長三郎! 内蔵助!」
そこに、上座の信長様からお呼びがかかった。俺と佐々成政は、俺たちを呼んだ信長様を見、そして一度顔を見合わせたら、競い合うようにして信長様のもとに走る。そして、信長様の前で平伏した。
ちらりと見れば、丹羽長秀と滝川一益は呆れ顔だ。
「二人共、そんなに妻が恋しいのなら、清須に帰してやろうぞ」
「いいえ、妻が恋しいなどと、決してそのようなことはありません。殿の馬前で戦うことが、第一義でありますれば!」
佐々成政が慌てて言い募るのを、信長様は面白げに眺めている。それを見て、俺は黙っていることに決めた。何か言えば言うだけ、信長様や周囲を楽しませるだけだろう。
だが、そこに佐々成政を助けるかのように騒々しい足音が近づいてきていた。さっきまで騒いでいたのが嘘のように静まりかえり、足音だけが聞こえてくる。
そして、二人の男が広間に飛び込んできた。一人は藤吉郎だ。
「申し上げます! 岩倉城に動きがあるようでございます!」
「この目で確かに見ました! 大手門の小門が僅かな間、開いておったのです!」
藤吉郎が自分の目を指差しながら大声を上げる。それを、もう一人の男が藤吉郎の頭を押さえつける。
「馬鹿者! 問われたら答えろと申したであろうが!」
「しかし浅野様、今は寸暇を惜しむときですぞ! 奴らの夜襲が今にも始まるかもしれないのです!」
浅野と呼ばれた男に頭を下げさせられながら、藤吉郎が叫ぶ。
そして信長様は、手で示して藤吉郎を解放させる。
「猿の申す通りだ。五郎左、奴らの夜襲を迎え撃て」
「かしこまってございます」
丹羽長秀がすっくと立ち上がって、広間にいる馬廻りたちを睥睨する。鋭い眼光に、酒を飲んでいた者たちの酔いが一気にさめていく。
「よし、馬廻りは儂について来い! 行くぞ!!」
丹羽長秀が、信長様にも劣らない怒声を張り上げる。俺たちは立ち上がり、固めた拳を振り上げて雄叫びを叫んだ。
岩倉城は南に大手門があり、搦手門は反対の北にある。どちらの門も誓願寺からはほぼ等距離だった。丹羽長秀は、念のために搦手門側にも援軍を派遣し、残りを率いて大手門に急ぐ。
俺は誓願寺の外で待機していた前田孫十郎基勝と合流して、大手門に向かって走る。浮野の戦いで手柄をあげた道家兄弟もまだ一緒だ。論功行賞が林秀貞の調査が終わってからになったので、まだ信長様からの感状を頂いただけで、恩賞そのものにありつけていないからだった。
俺たちが大手門の方に来たときには、すでに戦いが始まっていた。喚声や怒号、叫び声が各所から聞こえ、それに混ざって剣戟の音が響く。
奇襲ではあったようだが、こちらが劣勢の様子はなかった。あの浅野という男が警戒させていたのだろう。
俺たちはすぐに戦いに加わり、三重の鹿垣の一つ目を突破してきた敵を目標に定める。
道家兄弟が先頭になって敵に躍りかかる。それで敵が乱れたところを、俺と前田基勝、足軽二人で一人ずつ仕留めていく。
そこに、前田利家が槍を振り回して、突破された鹿垣の前に一人で立つ。
「孫四郎、危険だ! 下がれ!」
敵は鹿垣の各所を攻撃しているが、開いた突破口にはそれ以上が群がってきている。この突破口を拡大して、一つ目の鹿垣を取っ払うつもりだ。
俺の声が聞こえなかったのか、前田利家は槍を振るって敵を寄せ付けないようにしている。
「殿、敵が多いです。奴ら、夜襲が成功したときから、大手門を開けて続々と新手を送り込んできているのでは!?」
暗くて大手門は見えないけれど、十分ありえることだ。だったら、前田利家がさらに危ないことになる。
「孫四郎を下がらせる! ついて来い!」
鹿垣内の敵を一掃したところで、俺は前田利家のもとに向かう。
さすがの多勢に無勢で、前田利家が率いる足軽が倒れ伏している。村井長八郎はまだ健在で、前田利家の後ろに回ろうとする敵を寄せ付けないでいた。
「孫四郎! 死ぬ気か!?」
「長三郎か! こんなところで死にはしない! それよりもここを防ぎ切るぞ!」
「危険だ! せめてもう少し下がれ!」
しかし、前田利家はそれでも下がろうとせずに、敵を引きつけるように見事な槍さばきを見せている。
仕方がないので、俺は敵と戦う道家兄弟に向かって叫ぶ。
「清十郎! 助十郎! 孫四郎を下がらせる! 少し前に出て戦ってくれ!!」
道家兄弟がそれぞれ目の前の敵を倒すと、前田利家と並ぶようにして戦い始める。
「いい加減にしろ、孫四郎! 命を粗末にするな!」
「心配はいらん。こんなっ!」
前田利家の言葉は途中で切れ、被る兜の側面から矢が生えているような姿を晒していた。




