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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第二章 尾張統一の道程
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各裁き

 来たときに降っていた雨は、もうすでに止んでいた。


 妙の手によって鎧具足を身につけた俺は、同じく鎧をまとった家臣たちとある物を広げている。


「これを大殿から頂戴したのですか」


「そうだ。俺が来たときはひと目で分かるようにと仰っていた」


 篠岡八右衛門と足軽によって広げられた旗指物。円の中に三つの四角。その紋様は、まるで椀の中に投げ入れた賽子のようである。

 那古屋城に向かう前、信長様から持って行けと渡された物だ。本来なら自分で用意するのだが、良い図柄が思いつかずに手付かずになっていた。


「立派なものです。よく賽子を振るわれる殿によくお似合いですな」


 前田孫十郎基勝は、布をなでながら旗指物を褒める。

 家臣二人や連れてきている足軽たちは、どこか誇らしげであった。


 俺は、広げられた旗指物に竿を通し、そして地面に突き立てる。


戦場(いくさば)では、この旗に恥じぬ働きを示さなくてはならない。お前たち、これからも頼むぞ!」


 俺の檄に、家臣たちは拳や槍を掲げて鬨の声をあげた。


 そんな俺たちを、(たえ)と新次郎が見守ってくれている。俺は、家臣たちと同じように鬨の声をあげながら旗指物を掲げて、二人にもしっかりと示す。


 陽の光を浴び、その旗は燦然(さんぜん)と輝いていた。









 那古野城に集まっていた千余りの兵は、二手に分けられることになった。油断しきっているであろう、守山城と末森城を一気に落としてしまうためだ。

 これには林佐渡守秀貞が半数を率いて向かうことになり、残りの半数は林一族の林源左衛門信勝という人物が統率して信長様の援軍に赴くことになった。

 俺たちは、当然信長様の方に向かうことにし、不利な状況であろう戦いに間に合うように急ぎ出陣した。


 しかし、雨が降っていたために道はぬかるみ、なかなか思うように進軍することが出来ない。那古野から清須までの道は整備されているというのに、肝心な時に思い通りにはいかなかった。


 そのため、両軍が戦っている稲生に到着したのは、すでに一戦及んでからとなってしまう。喚声が轟いていた戦場に姿を見せれば、ちょうど柴田権六勝家の後背を攻撃できる位置に出ていた。


 その柴田勝家と対陣している信長様の方は、不利な状況下で負けている様子はない。


 柴田勝家は、着いたばかりの俺たちを味方と思っているはず。そう考えたら、もう雄叫びをあげて走り出していた。家臣たちも遅れずに、俺の後に続いている。そして、釣られる形で林信勝が率いる軍勢が追ってきて、法螺貝も後ろから聞こえてきた。


 そして、そのまま一気に背中を見せている柴田勝家の軍勢に突っ込んだ。


 自分でもなんと言っているのか分からない叫びをあげて、何事かと後ろを振り向いた足軽に槍を突き入れる。

 篠岡八右衛門と前田基勝もまた、俺の左右を固めるようにして槍を振るう。そして、俺が突き刺した槍を引き抜いたところで、足軽たちが更に奥の敵足軽に槍を突き刺す。


 予想だにしていなかった背後からの攻撃に、驚愕と混乱がさざ波のように伝わっていく。


 俺たちの後に続いて、林家の軍勢が襲いかかり、一気に柴田勝家の陣形が乱れる。


「林美作守、裏切り!」


 がむしゃらに槍を振るっていると、そんな声が各所で叫ばれている。どうやら、俺たちを林美作守の軍勢と勘違いしているようだった。


「林家は上総介様にお味方する! もはやお前たちが帰る城はないぞ!!」


 さらに混乱を広めるために、あらん限りの声で叫ぶ。


 すると、何とか戦おうとしていた敵足軽たちが、見るからに及び腰になった。そして、明らかに北東方向に逃げ出そうとしている。


「押せぇ!」


 俺は最後の一押とばかりに、家臣たちに下知を叫ぶ。


 俺の下知に反応したように、篠岡八右衛門が槍を捨てて、敵の武士に組み付いて押し倒す。そして、兜を押し上げて抜き放った脇差しで首を突いてとどめを刺す。


 前田基勝は、足軽たちと協力して一人の武士を取り囲んで首を上げようとしていた。


 俺も負けていられないと逃げ出した敵を目で追うと、こちらに向かって敵が二人駆けてくる。


 一人が突き出した槍を、半身(はんみ)になって(かわ)す。そこに、もう一人が槍を叩きつけてきたので、持っている槍でどうにか防ぐ。

 槍で押し合いをしていると、槍を突き出してきた方に横から組み付かれてしまう。


 間近で顔を見ると、まだ俺よりも年下の武士らしき少年。


 少年に組み付かれて、身動きが取れないところを、残った一人が槍を捨てて刀を抜いて迫ってくる。そちらも、組み付いているのと良く似た顔立ちの少年であった。


「兄者! 早く!」


「おう! しっかり押さえ込んでいろよ!」


 息の合った攻撃だと思えば、兄弟らしい。


 しかし、感心している場合ではなく、このままでは首を取られてしまう。組み付いている弟の方を、強引に引き離そうとするが、なかなか離れない。

 そうしている間に兄の方が、もう手にしている刀の届く所まで来てしまう。俺ごと弟を斬らないように、慎重になっているおかげでまだ斬られていない。それがわかるので、引き離そうとするのではなく、暴れて弟を盾にして斬られない位置取りに動く。


「動くな! 押さえていっ!」


 兄が痺れを切らして、怒声を上げたところに横合いから槍が叩きつけられた。不意の出来事に兄が膝をついて倒れる。


「兄者!」


 弟が兄を心配して、俺への拘束が緩む。そこを、とっさに蹴り飛ばして引き離した。


 引き離された弟が、きっと俺を睨みつける。


 だが、その後ろから前田基勝が飛びかかって、押し倒す。刀を抜こうとするのを、俺は手をかざして制止した。


「殺すな、生け捕れ!」


 槍を叩きつけられた兄の方も、篠岡八右衛門に乗りかかられてもがいていた。さっきの俺の声が聞こえていたのだろう、篠岡八右衛門は刀を抜かずに兄の腕を締め上げている。


 そして、足軽たちもやって来て、二人を縄で縛りあげた。


「ご無事で!?」


「ああ、八右衛門のお陰で命拾いした。ありがとう」


「勿体無いお言葉。我らこそ、自らの手柄を前にして殿を一人にしてしまいました」


「いや、不用意に一人で前に出た俺が悪かったのだ。孫十郎もよく来てくれたな」


「殿がご無事で何よりです。して、この二人はどうしましょうか?」


 縄で縛られながら、堂々としている兄弟を示す。斬るなら斬れという態度だった。


「もう決着はついた。それに、こんな子供の首を取るほど、手柄に飢えてはいない。捕虜にし、家族から身代金などを払わせればいい」


「承知しました。ではそれがしにお任せ下さい」


「わかった。頼むぞ、孫十郎」


 前田基勝が首肯し、兄弟にこれからのことを話して聞かせる。


 兄弟を前田基勝に任せ、俺は周囲を見渡す。もう柴田勝家の軍勢は北東に逃げ散ってしまっていた。


 その上、南の方向にいたはずの林美作守の軍勢も、信長様の軍勢によって攻められているのが見える。遠くからでも、明らかに信長様が押しているのがわかるくらいだ。もう、あちらでも決着がつくだろう。


 俺は、誇らしげにたなびく旗指物を見上げ、この戦いが勝利に終わったことに安堵で胸をなでおろした。









 稲生での戦いは、終わってみれば信長様の大勝利であった。


 守山と末森の両城は、林秀貞の手によってあっけなく落ちたらしい。末森城にいた織田弾正忠達成は、津々木蔵人とともに捕らえられて監禁されている。

 捕らえられた時に、慌てふためいていた織田達成を、林秀貞は斬ろうかと悩んだそうだが、戦場でもならないところで手に掛けるのを恥ずかしく思ったらしい。

 そして、今は切腹せずに信長様の裁きを待つように言って、監禁するに留めた。


 そんな織田達成に味方した柴田勝家は、どうにか末森まで落ち延びたが、落城している様を見て降伏する。また、林美作守は稲生の戦いで命を落とした。聞いた話だと、信長様自身に突き倒されたところを小者に首を取られたそうだ。


 そうして、全てが一段落したところで、清洲城に各人が集められた。


「佐渡よ。守山と末森の手並みは見事であった」


「ありがたきお言葉。されど、殿の窮地に駆けつけなかったのは事実。如何様にも、ご処分を賜りたく存じます」


 林秀貞が深く頭を下げる。


 信長様はついっと隅にいる俺へと視線を向けたので、かすかにうなずいて答える。


「そうか。では、処分を言い渡す」


「ははっ!」


「那古屋城城代の任を解き、我が嫡子奇妙丸の傅役(ふやく)を任じる。見事、日ノ本一の武士にしてみせよ」


 集まっていた家臣たちが、特に美濃衆がざわつく。噂の通り、自分たちが近侍すると思っていたのだろう。

 尾張衆は安心した顔つきでいる。信長様を裏切ることはなかった家臣たちでも、やはり内心では不安だったのだ。


「かしこまりました! この林佐渡守秀貞、身命を賭して奇妙丸様の傅役を務めさせていただきます!」


「うむ。奇妙はわしに似ているらしいのでな。覚悟しておれ」


「はっ!」


 林秀貞がより一層頭を下げてから、筆頭家老としての位置に戻る。


 そして、信長様が池田勝三郎恒興に手で合図すると、すぐに評定の間の前にある庭に柴田勝家と津々木蔵人が連れてこられる。(むしろ)を引いただけの場所に、家老二人がひれ伏す。両者とも墨染の衣、つまりは喪服を纏っていた。


 また、織田達成も同じ墨染の衣姿で評定の間に姿を見せる。傍には、母親の土田御前が付き添っていた。


 織田達成が、粛々と信長様の前に座る。そんな織田達成を、異母兄織田三郎五郎信広が憎々しげに見ていた。


「勘十郎、兄たる情けだ。潔く腹を召せ」


「待って、三郎。お願い、命だけは、どうか……」


 土田御前が、すがるように信長様に意見する。だが、信長様は母に言い聞かせるように、ゆっくり首を振った。


「母上、それはなりません。喜蔵((織田秀俊))は殺され、もしかすれば喜六郎((織田秀孝))すら勘十郎の(はかりごと)で死んだやもしれぬのです。生かしておけば、弾正忠家は纏まりません」


「喜蔵殿は残念でありました。しかし、勘十郎が喜六郎を殺すなどと、そのようなことはありません。だって、実の弟なのですよ」


「母上は末森の生活でお疲れなのです。今はお休み下さい。奇妙丸にも久しく会っていないでしょう」


 信長様が小姓たちにうなずいて、土田御前を連れ出そうとする。土田御前は弱々しく抵抗するが、数人がかりで連れて行かれた。


 そして、土田御前がいなくなったところで、織田達成が口を開く。


「兄上、私は武衛((斯波義銀))様の秘密を存知しています。それをお教え致します」


「今川と繋がっていたというのであろう。そんなことはとうにわかっておるわ」


「しかし、私がいればこそ武衛様の罪を鳴らすことができる。腹を切れば、それも叶いません」


 斯波義銀が今川と通じていたというのは、状況証拠にすぎない。確固たる証拠はなかった。追放なりするには、世間が納得する理由が必要である。


 織田達成の言葉を受けて、信長様が判断に迷ってしまっている。


 そこに、織田信広が立ち上がった。


「殿。いや、三郎! ここは兄として言わせてもらう。勘十郎はここで斬るべきだ! こいつは、生かしておいても弾正忠家の害にしかならん。武衛など、後からどうとでもなるのだ。惑わされるな!」


「お前の言いたいことはわかる。だが、今は下がれ三郎五郎」


「下がらん! 喜蔵と喜六郎の無念を考えるのだ、三郎!」


 織田信広の強弁に、信長様が頭の痛そうな顔をする。斬りたいという心はあるが、斯波義銀排除の理由も捨て難い。


 そして、信長様は立ったままの織田信広を無視するようにして判決を言い渡した。


「時が来れば、武衛の罪を証言せよ。それまでは、喜蔵たちの菩提を弔うように」


「三郎!」


「出家だ」


 信長様の判決に、織田信広は不服を叫ぶ。しかし、もう決めたことだと取り合わなかった。


 織田達成は、助命された感謝もなく、澄ました顔で頭を下げる。それを、誰もが憎らしく見るしかない。それは、信長様も例外ではなかった。


 目障りだと手で追い払う仕草をし、織田達成が連れ出されていく。織田信広は、怒って評定の間を出ていってしまう。


 信長様は、ため息をつき、庭で判決を待つ二人に視線を向ける。


 津々木蔵人は、織田達成助命に自分も助かると思っているようで、来た時に比べて殊勝さが見えない。同じ立場の柴田勝家は、目を閉じたまま小揺るぎもしていなかった。


「津々木蔵人、勘十郎の家老でありながら、主を諌めずに今川に加担したこと万死に値する。勘十郎助命に免じて、斬首ではなく切腹を許す。速やかに腹を切れ」


「ば、馬鹿な。それがしも、武衛様の証言が出来ます! どうか、しゅ、出家を!」


「連れて行け!」


 織田達成の罪を一身に受けるようにして、津々木蔵人が強引に引っ立てられていく。命乞いを叫ぶ津々木蔵人を、誰もが呆れて見送った。


 そして、視線は最後に残った柴田勝家に注がれる。


「柴田権六勝家!」


「はっ」


「そなたの稲生での武篇、実に見事であった。また、今川に味方せず、弾正忠家への忠義を示した」


「ありがたき御諚。冥府への、良き土産ができましてございます」


 柴田勝家は深く頭を下げる。


「お主は斬首も切腹もせん。また、出家をさせる気はない」


 信長様の言葉に、柴田勝家が顔を上げた。その顔には、戸惑いが見られる。


「これからは勘十郎のではなく、弾正忠家家老の一席に名を連ねよ。その武篇を期待しておる」


「殿のご器量を見抜けなかったそれがしに、過ぎたるお言葉を頂戴して恐悦至極にございます。しかしそれでは……ご家中に不和が生じましょう」


「これまでのこと、主に忠を示しただけだ。そして、これからはわしに仕えよ。良いな、権六」


 柴田勝家が感極まって、(いわお)のような顔を歪める。(ぬか)ずくほどに頭を下げ、声を張り上げる。


「御意のままに、我が全てを捧げてお仕えいたしまする!」


 柴田勝家の言上に、信長様は満足げに、そして鷹揚にうなずいてみせる。


 こうして、一抹の不安を残しつつ、弾正忠家の内紛はひとまず幕を下ろすことになった。

 織田達成謀反から一年近く、尾張下四郡は再び信長様が掌握することになる。そして、尾張内の主な敵は織田伊勢守家を残すのみとなった。

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