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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第二章 尾張統一の道程
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政略婚

 信長様の美濃衆優遇の噂は、瞬く間に広がっていった。実際、そう思われてもおかしくないように美濃衆を抱え込んでいってるのだから、信じるものは多い。


 今や領地に戻る者が出てきており、はっきりと末森に加担するのまでいる状況だ。


 末森の織田弾正忠達成と短期決戦に持ち込むために、一時的とはいえ形勢不利な状況に持っていく。太原雪斎の緻密さに比べたら、なんとも無茶な方法だと我ながら呆れてしまう。しかも、これで林佐渡守秀貞を味方にできずに形勢逆転できなければ、もう敗北を待つのみだった。


 そして、今俺の前には新次郎が畏まって座っている。


「新次郎、今日を限りにお前に暇を出す」


「はい。林の家でも、那古野に集まるようにとお達しが来ております。道祖様には、長らくお世話になりました」


 清須にいる林家の関係者たちは、続々と那古野に移動していた。恐らく、噂を聞きつけた林一族の重鎮が、織田達成擁立のために動き出しているのだろう。人質にされないように、一族を那古野に集めているのだ。そのため、林一族の誰かを召し抱える家でも密偵を疑うなんてことも出ている。

 そんな不穏な状況下とあっては、断腸の思いで新次郎には出ていってもらうことになった。


 俺は一通の書状を懐から出して、新次郎に渡す。


「それを林様に届けてくれ。くれぐれも、他の者に知られないように」


「承知しました。必ず、お届け致します」


 新次郎が書状を押し頂くようにし、それから懐にしまう。


 ちょうどそこに、新次郎とともに那古野に向かう(たえ)が顔を見せる。


「主従の別れは終わったの?」


「まあな。妙も、急なことで大変だとは思うけれど……」


「本当よ。いきなり暇を出されたんだもの、驚いたわ。まあ、帰蝶様のご意思ではなさそうだったから、お恨みはしていないんだけどね」


 気丈にも笑っているが、その目は寂しげであった。


「大丈夫とは思うけれど……お通の残した奇妙丸様と離されるのは、悲しかったわ。もう、お会いすることもないかもしれないから」


「たぶん……奇妙丸様とすぐ会えるようになる。きっと大丈夫だ」


「ええ、そうね」


 俺の言うことを、ただの気休め程度にしか受け取ってくれなかったようだ。少しの間だけ目を伏せて、そして笑顔で別れを告げる妙。


「これまでありがとう、長三郎。戦が終わったら、また会いましょう。だから、無事でいて」


「ああ、俺なら大丈夫だよ。すぐに、会うことになるさ」


 そうして、二人は清須を去り、那古野に移っていった。









 ついに八月を迎えると、不穏な動きを見せていた那古野の林家が動き出した。


 林美作守が、声高に信長様を非難して、対立姿勢を明らかにしたのだ。しかもそれに、前田孫四郎利家の実家である荒子も同調した。

 前田利家はひどく動揺し、家臣の村井長八郎とともに実家に乗り込もうとさえして、佐々内蔵助成政や藤吉郎とともに取り押さえるのに苦労した。


 そんな一幕もあったが、林秀貞は少しも動く気配は見せず、中立派をうまくまとめているようであった。


 そして、とうとう林美作守が動き出した。同調した各家を動かして熱田への通路を遮断したのだ。


 これを予期していたかのように、信長様はすぐに佐久間大学助盛重を派遣して、庄内川を越えるための拠点を名塚に確保させた。渡河の戦いになれば、ただでさえ人数が少ないこちらが不利になってしまうからだ。


 そして俺は、篠岡八右衛門と新しく家臣となった前田孫十郎基勝、足軽数名を連れて、雨が降る中を那古野へと向かった。


 那古野では、すでに林美作守が兵を連れて出陣していたが、それでも千近くの兵が残っている。金で雇ったらしき兵が多いが、今なお中立を守っている家の足軽も少なくない。


 俺たちを遅れてやって来た者たちだとでも思っているのだろう。誰にも止められることなく、那古野城の大手門まで来ることが出来た。


「止まれ! 何者だ!?」


 雨具である笠と(みの)を身にまとっている俺たちを、林家の守備兵が誰何(すいか)する。


 俺は、雨を弾く笠を少し上げ、顔を見せて告げる。


「弾正忠家当主、織田上総介様が家臣、道祖長三郎である。林佐渡守様にお目通り願いたい」


 守備兵たちが顔を見合わせた。信長様を裏切っているに等しい状況の中、その信長様からの使者がやってきたのだ。

 俺たちは槍を向けられたまま待たされ、そして兵に連れられて新次郎がやって来た。


「道祖様……どうして……」


「新次郎か。久しぶりとも言えないが、元気そうでよかった」


 驚きの表情を浮かべる新次郎に、俺は気負うことなく声をかける。


「話に聞いたときは驚きましたが、本当に道祖様が来られたなんて。どうぞ、城内にお入り下さい。佐渡守様がお会いになります」


「それは良かった。ここで門前払いになっては、おめおめと殿のもとに帰れないからな」


「もしかして、元からこうするつもりだったのですか?」


「勿論だ。お前に託した林様への書状に、しっかり(したた)めておいたからな」


「こうなることを知っておられたのなら、あんな風に暇を出すことはなかったでしょう!」


 新次郎が背伸びをして怒ってくるが、俺は頭を押さえつけて新次郎の髪をぐちゃぐちゃにする。


「何をするんですか!?」


「もし次があったら教えてやるから、早く林様のところに連れて行け。それとも勝手に行っても良いのか?」


 新次郎が何か言いたげなのを口をへの字にして我慢する。そして、足音をわざと鳴らして怒っているのだと主張しながら歩を進めた。


 信長様からの使者が来たことを聞いたのだろう、あちらこちらから視線を向けられながら、城内を進む。勝手知ったる城ではあるが、こうも視線にさらされると違う城のように思えてしまう。


 そんなとき、ちょうど(たえ)も顔を見せた。驚きに目を見張り、片手が口元を押さえている。使者が俺だとは露とも思っていなかったのだろう。


 そんな妙に、俺は安心しろとうなずいて見せた。伝わったかはわからないが、軽く手を振ってくれる。


 そして、俺たちは大広間に通された。信長様が当主では不安であるが、かといって背くのも踏ん切りがつかないという家臣たちが揃っている。奥にいる林秀貞は、かつて信長様が座っていたところで待っている。


 新次郎が脇に下がり、俺と前田基勝が大広間の真ん中を歩いていく。中央を過ぎたところで、平伏して頭を下げる。


「道祖長三郎、林様への使者としてまいりました。ご無沙汰いたしております」


「長三郎、前置きはいらん。殿は何と言ってきておるのだ?」


「いえ、殿は何もおっしゃってはおられません」


「どういうことだ? 以前の(ふみ)には、会いに参上すると書いてあったぞ。殿のお考えを、伝えに参ったのではないのか?」


「左様です。殿のお考えではなく、それがしのお願いを伝えに参りました。勿論、殿はご承知のうえですが」


 大広間が騒々しくなる。俺に対して不信の目が注がれる。林秀貞もそれは例外ではない。


「しかし、まずは此度の美濃衆ご贔屓(ひいき)の流言についてです」


 俺が話し出すと、騒然としていた室内が静まり返る。


「殿はお思いもしなかったことであり、お心を痛めておいでです。美濃者を召し抱えるは、美濃を攻略するに必要不可欠なこと。それを殿のご贔屓とされてしまっては、驚く他にありますまい」


「では、我らの勘違いであったというのか!?」


 一人が激昂し、声を上げる。


「その通りです。根も葉もない噂をお信じなり、家中を騒がし奉りましたな」


「されど、清洲城の女衆が暇を出され、奥方様((帰蝶))のお側に美濃のおなごが上がったそうではないか。さらには奇妙丸様の周りに、尾張の者が誰一人としておらんのはどういうわけか!」


「はて、美濃の出であるそれがしには、お世継ぎの奇妙丸様のお近くに、尾張の者がいないようには見えませぬが?」


 前田基勝が、声調を駆使して、よく通る声で反論する。たったそれだけで、相手の怒気を押さえ込んだ。頭ごなしに否定するのではなく、話を聞こうという気にさせられてしまう。


「奇妙丸様のお側には尾張の方がいらっしゃいます。むしろ、その方しかいないのが現状であります。那古野にいては、そのようなこともお見えになれないのか」


「誰だというのだ、それは?」


 前田基勝が、その問いに答えず、顔だけを俺に向けた。


「長三郎……そなたか……」


「はい。現在奇妙丸様に近侍しているのは、この道祖長三郎しかおりません」


 林秀貞が真偽を見分けようとするかのように俺を凝視する。だが、これは事実だ。美濃衆は信長様の馬廻りや近習に抜擢されているが、まだ奇妙丸にはつけられていない。

 今現在、家臣の中で奇妙丸を訪ねることができるのは、叔父である俺だけなのだ。


「なるほど。弟たちはまんまと流言に引っかかって、当主に弓引いたというわけだな」


「その通りでございます」


 俺が深く頭を下げる。恐らく、俺が噂を流した張本人だと林秀貞は気づいているだろう。これが吉と出るか凶と出るかわからない。


 再び大広間内がざわめき始めた。

 今からでも止めに行くべきなのではないか。そんなことしたら謀反人たちに同調していると思われたらどうするのか。

 そんなことを相談して、もはや落ち着きがなくなっている。


「長三郎よ、まだ女衆が遠ざけられたことを説明しておらんぞ。今はともかく、将来奇妙丸様に侍るのが美濃衆でないとは限らんのだからな」


「女衆については、縁談があったからです。そのため、一旦家に戻しただけのこと」


「何、だと。それは……真、なのか?」


 さっきまでざわついていたのが、再び静寂に包まれる。顔を見合わせあって、大広間の外に視線を向けたりしていた。おそらく、妙のことを考えているのだろう。


「遠ざけられたという侍女、村井吉兵衛様の娘は佐々内蔵助との縁談があります。その他に――」


 数人の名前を上げて、その度に誰それとの縁組が決まったと説明していく。


「そして……林様の一族お妙は、不肖ながらこの長三郎が相手でありました」


「信じられん。妙からは、何も聞いておらんぞ」


「まだ奥方様からお話があろうという段階でありました。お話がいく前に、流言が広まってしまい、林美作守様が声高に非難されたので、この話はなかったことに……」


「なんということだ。妙を呼んで参れ! 話を聞かねばならん!」


 林秀貞が妙を呼びに行かせる。


「林様、話を戻しまして、お願いがございます」


「そう言えば、願いがあると申しておったな」


「はい……実は……」


 わざと言葉を区切り、耳に意識を集中させる。勿体つけた俺の行動に、みなが固唾を呑んで見守っていた。


「林様に、奇妙丸様の傅役(ふやく)となって頂きたいのです」


「わ、儂を奇妙丸様の、傅役にか!?」


 傅役は教育係だ。信長様にとって平手政秀がそうであったように、親子に次ぐ大きな影響を与える存在。それを、林秀貞に務めてもらう。


「殿と奥方様も賛成しております。しかし、一つ条件が……」


「条件とな」


 林秀貞が少し身を乗り出すようにしている。


「はっ。条件は、それがしと林様のご一族の誰かとの婚姻です。ですので、以前話のあったお妙を嫁に頂きたく存じます」


 奇妙丸の叔父である俺と、弾正忠家で大きな力を持つ林一族との政略結婚だ。これで奇妙丸は、母方の親族として林一族という後ろ盾を持つことになる。義母の帰蝶様の親族、斎藤新五郎なりが将来力を持っても、十分対抗できるだろう。


「そ、それは我らにとって願ってもないことだ。美濃衆の跳梁を案じていた諸家は何の心配もいらなくなる」


「まったくだ。まさか、殿が我らのこともちゃんとお考え下さっていたとは」


「おお、まさに不幸な行き違えであったわ」


 これまでとは違った騒ぎが起こる中、俺の隣に誰かがそっとが腰を下ろした。視線を横に向けると、妙が同じく俺を見ている。


「来たか。妙よ、儂は聞いていなかったのだが、そこの長三郎との縁談があったそうだが、真実か?」


 林秀貞の質問に、妙が手をついて頭を下げる。


「真でございます。されど、この話は流れてしまったものと、とうに諦めておりました」


「そうか、真であったのか」


 林秀貞が顎を擦る。胡乱げな視線に俺も妙と同じように頭を下げた。


「林様! こうしてはおれませんぞ! 殿をお救い申し上げねばなりません」


「そうだ。このままでは、不忠者として名が残りましょうぞ!」


「林様、お下知くだされ!」


 大広間に集まっていた家臣たちが、立ち上がって出陣を催促する。


「よし、皆の者。殿をお救いするぞ! すぐに用意致せ!」


 拳を振り上げ、喚声を響かせる。そして、どっと大広間から飛び出していった。


「孫十郎、皆に準備せよと伝えてくれ」


「承知しました」


 後ろに控えていた前田基勝も、具足の用意に篠岡八右衛門と合流するために部屋を走り去っていった。


 顔を正面に向けると、林秀貞も立ち上がって奥に下がろうとしていた。しかし、その前に立ち止まり、俺を睨みつける。


「長三郎、次に家中を割るような策を(ろう)せば、殿が許しても儂が許さんからな」


「肝に銘じます」


「それと、妙とのことは戦の後だ。それまでに、二人でちゃんと話し合っておれ」


 どうやら、妙との縁談も嘘だとばれていたらしい。俺はもう一度、深く頭を下げた。


 林秀貞の足音が遠くなってから、頭をあげる。すると、今度は妙が目の前にいる。


「どうして清須での別れのときに、一言でも言ってくれなかったの? そうしたら、もっと簡単に話を合わせられたのに」


「お前を……政略の道具に使うようで踏ん切りがつかなかった。この場じゃなかったら、嫁にくれなんて言えなかったんだ」


「そう……まあ、奇妙丸様のためでもあるし、我慢しておくわ」


 信長様に、お市の方を政略に使わせておいて、自分は土壇場にならないと政略結婚に踏み出すことができなかった。そして、妙の気持ちを確かめなかったのは、どれだけ気持ちがあったとしても、今回の政略に結びついてしまうからだ。


 結局のところ、俺が臆病者でしかなかったということだ。


 そんな俺に、妙が三指を突いて丁寧に頭を下げる。


「不束者ですが、末永く宜しくお願い致します」


「こちらこそ……よろしく……」


 こうして、俺は、政略結婚をすることになった。

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