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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第二章 尾張統一の道程
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鬼柴田

 弘治二年七月末、織田弾正忠達成との休戦が終わりそうな中、弾正忠家内である噂が流れ始めた。


 織田信長の嫡子である奇妙丸の周囲を、新たに召し抱えた美濃の武士たちで固めるというのだ。

 それと同じくして、奇妙丸の義母である帰蝶の侍女にも美濃の関係者が上がり、以前からの侍女の幾人かが遠ざけられた。それだけでなく、美濃の地理に明るい者たちは次々に高い禄高で召し抱えられていく。


 殿は美濃衆を優遇している!


 瞬く間に、噂は真実であるかのように広まっていった。


 今は本領を失っている美濃衆は、大した勢力にはなっていない。しかし、美濃を攻め取った後はどうなるか。そして、周囲を美濃衆に固められた奇妙丸が弾正忠家を継いだら、尾張衆は冷遇されてしまうのではないか。


 弾正忠家に長く仕える者ほど、こう考える輩が続出した。家を守らなければならない旧臣たちは、次々と不安にかられ、当然対抗馬に流れていってしまう。


 つまりは末森にいる織田達成にである。拮抗した勢力が、明らかに織田達成に傾いたのだ。


 八月になると、林美作守を筆頭に弾正忠家旧臣たちは、織田達成擁立に動き出す。その一環として、林家の与力にいる荒子・米野・大脇城を動かして、清須と那古野・熱田間の通行をせき止めてしまう。


 そんな中、林佐渡守秀貞は那古野城で沈黙を守っている。弟の行動を制止しようともせず、どちらにも味方しないという中立の立場を貫いていた。そこに、積極的に裏切るのを良しとせず、さりとて美濃衆の風下に立つのも嫌だという者たちが集っている。


 弾正忠家古くからの家臣たちが離れていく中、織田信長は那古野方面への通路を遮断されたことで、佐久間大学助盛重に庄内川を越えた先の名塚に砦を作らせる。それによって、川を越える橋頭堡を確保したのだ。


 それを受け、末森城の織田達成はついに清須へと兵を動かす。今川との共闘では一歩も動くことのなかった柴田権六勝家が大将を務め、その軍勢は二千にものぼる。それに、那古野からは林美作守に率いられた七百が加わり、一路清須に向けて兵を進めた。


 翌日には、対する織田信長も軍勢を末森に向けて出陣させる。


 そうして遂に、那古屋城の北にある稲生で、両軍は対峙した。織田信長の兵は千に届かず七八百。柴田勝家は、佐久間盛重が築く名塚の砦に兵を分派しているので千七百余り。


 織田達成有利の状況で、戦いは始まった。









 東に柴田勝家、南に林美作守、そして後方少し先には川が横たわっている。織田信長の軍勢は四方を囲まれた状態で、戦いに臨もうとしていた。


 織田信長は、本陣を少し丘になっているところに置き、柴田勝家の軍勢を見つめている。


「まずは権六にあたるぞ」


「殿、先に数の少ない林美作を崩したほうが良いのでは?」


 数々の戦功を上げて、とうとう織田信長の側近にまで昇進した森三左衛門尉可成(よしなり)が意見する。


「美作は動かん。奴らを攻めている間に、権六に後ろを攻められては敵わんからな」


「なるほど、確かに、林美作は些か遠いですな」


 名塚砦方向への逃げ道を塞いでいると言えば聞こえはいいが、その動きは積極性に欠けていた。旧主を攻撃するのに躊躇いがあるのか、もしくは漁夫の利を狙っているかのようであり、脅威は高くはない。


 対陣している柴田勝家もわかっているのか、林美作守と連携を取ることなく前進してきていた。


「向こうもやる気のようです。いつかの借りを返してみせましょうぞ」


 丹羽五郎左衛門尉長秀が、かつての萱津での戦いを思い出してやる気を見せる。兵数に差があるが、それをものともしていない。


「五郎左、油断するな。権六は手強い」


「殿がそうまで言われるとは、相手にとって不足はありませぬ。必ずや敵を叩いてみせましょう」


「逸るな。あやつの戦ぶりは、萱津でじっくりと見た。権六を先頭にして、一気に突っ込んでくる。並のものでは受け切れはしない」


「では、如何せよと?」


 丹羽長秀は、探るような視線で主君を見やる。自分の指揮では勝てないと言うのか。そう責める目でもあった。


「正面から戦おうとすれば、負けるぞ。五郎左の手並み、わしに見せてみよ」


「……御馬前が少々手隙になりますが、よろしいですか?」


 少しの沈黙の後に、丹羽長秀が静かに問いかける。織田信長は逡巡なく、うなずいてみせた。自分の命が危険にさらされようとしているのに、少しも躊躇いがない。


 丹羽長秀は主君の覚悟を察し、頭を下げる。


「承知しました。では、それがしは前に出ます」


 丹羽長秀が指揮を取るために前線に出る。そして、森長可が直属の足軽を率いて周囲を固めた。他にも、直属の馬廻りが多少は残っている。


「この状況、清洲城に残された半羽介殿が聞けば悔しがったでしょうな。自分がいれば、三左の出番などなかっただろうに、とでも言われましょう」


「半羽介なら言いそうであるな。だが、だからこそあやつは清洲城に残してきたのだ。岩倉城が動けば、清洲城を守れるのはあやつくらいだ」


 数百の兵は、佐久間半羽介信盛とともに清洲城に残っている。岩倉城の織田伊勢守信安に、留守を狙われる可能性もあるからだ。


 そんなことを話している間に、柴田勝家の軍勢が迫ってきていた。両軍から、まず弓矢の応酬が行われる。


 矢が飛び交う中、柴田勝家の軍勢が前進を止めない。矢を無視するかのように、柴田勝家軍の中から一団が突き抜けるように前に出る。


「あれは……先頭にいるのが、まさか柴田権六どのですか?」


「そうだ。権六は、最も先頭で戦をする。他の者どもは、それについて前に進むだけよ」


 森可成から呻き声のような声が漏れる。


 柴田勝家の戦法は、足軽大将程度までがやるそれである。まだ森可成程度の将が兵を率いるならわかるが、全軍の総大将が先頭で槍を振るうなど、そう見れるものではなかった。それも、兵数的に有利であるに関わらずだ。


 一見無謀とも言えるし、下策にも見えるが、その効果は大きい。総大将が最前線で槍を振るっているのだから、兵たちは鼓舞されて引くことを知らないかのように前に進み続ける。


 実際、柴田勝家が接触したところは、徐々に下がり始めていた。


 少しして、報告が後方へ続々ともたらされる。


「山田治部左衛門殿、柴田権六勝家の手にかかってお討ち死に!」


「佐々孫介殿、討ち取られました!」


 吉報は届けられず、凶報だけが報告されていく。


 織田信長は、凶報にいちいちうなずいて応えるだけで、特に動じる気配を見せない。事前に予想していた被害であるようだった。


「殿、少しお下がりを」


「要らぬ口を挟むな、三左。今わしが下がれば、こちらの負けにしかならん」


「では、せめて足軽どもを前に出します」


「うむ」


 森可成が率いる足軽が、織田信長の前面に展開される。他の馬廻りたちも、織田信長と足軽に挟まる位置に移動した。


 少しずつ、怒号が迫ってきている。


 そして、間もなく丹羽長秀が率いる馬廻りたちを突っ切って、柴田勝家の先鋒集団が姿を見せた。敵の、織田信長の本陣を見つけて、一気に突っ込んでくる。


 森可成が足軽とともに、突っ切ってきた先鋒集団に突撃していく。


 すぐに混戦となって、あちらこちらで首の取り合いが行われる。


 やがて、馬廻りたちも押され始めた。そこに、大音声(だいおんじょう)が響き渡る。


「弾正忠家が当主、織田上総介信長である! 弾正忠家が与えし数々の恩を忘れ、弓引く愚か者どもよ! わしの首を取れると思うのなら、かかってくるが良い!!」


 槍を持ち、仁王立ちする織田信長の怒号が、周囲の喚声をかき消した。声を聞いた誰も、思わず首をすくめ、その場に立ち止まってしまう。


 だが、織田信長が堂々と一歩ずつ前に進むと、森可成以下の足軽たちが奮起して、敵を押し返し始める。


 そして、終には恐れをなして引き下がっていく。


「逃がすな! 本陣まで攻め込まれて、逃げられたとあっては恥ぞ。必ず打ち取れい!」


 森可成が叫び、さらに圧力をかけて敵を倒していった。


 そこに、中央を突破していた柴田勝家軍の攻勢が急激に弱まっていく。中央を突破させておき、そこに敵兵が流れ込んだところを、上手く左右に逃れた兵が攻撃をかけ始めたのだ。


 ほぼ左右に割れてしまったのにも関わらず、潰走もせずにうまく敵を挟撃し始めた。


 ここにきて、柴田勝家は嵌められたことを悟ったはずだ。中央突破したのではなく、させられたのだと。


 普通なら、敵に中央突破されて本陣にまで攻めかかられたなら我先にと逃げ出している。だというのに、織田信長の馬廻りたちは踏みとどまって耐え抜いた。


 丹羽長秀の指揮も()ることながら、これまで織田信長とともに戦い抜いてきた連帯感が、彼らを潰走させずに踏みとどまらせていた。


 そのまま敵を三方から押し込めていくようであったが、柴田勝家軍は素早く後退を始めた。


 太鼓、法螺貝が鳴らされて、閉じようとしていた逃げ道をこじ開けられてしまう。そして、開けられた逃げ道から瞬く間に柴田勝家軍は下がっていった。


「五郎左、最後の詰めを誤ったか。いや、これは権六の指揮を褒めねばならんかな」


 柴田勝家自身が殿(しんがり)を務め、兵たちが包囲から逃れていく。


「これは参りました。まさかこうも早く抜き出るとは」


 森可成が感嘆の声を上げる。


「五郎左も悔しかろう。途中までは見事に策に嵌ったのだからな」


 あのまま本陣を目指しても、進むか引くかを迷っても致命傷になっていた。そこを、包囲されると気づいたら瞬く間に兵を下げた。総大将でありながら、最前線で槍を振るうような猪武者と柴田勝家を侮っていたら、逆に突き殺されてしまうだろう。


「武篇を示しながら、あの器量。勘十郎には過ぎたるものだ」


「まさしく」


 織田信長の柴田勝家の賞賛に、森可成も賛同した。


 柴田勝家の殿も脱出し、やがて柴田勝家は軍勢を少し下げる。丹羽長秀も、ばらばらになってしまった陣形を整え、再戦に備えた。


 両軍とも被害はそれなりにある。だが、まだ決定打とはいえなかった。それに、このまま消耗戦を続けても、林美作守だけが残る結果になり、負けが確定してしまう。


 その林美作守の軍勢は、柴田勝家と戦っている間にさっきよりも近づいてきている。また柴田勝家と戦っていれば、今度は後ろから攻撃されかねなかった。


「如何なされますか? 引くならば、今のうちでしょうが――」


 森可成が途中で言葉を切り、柴田勝家の斜め後方を指差す。


「新手が来ました。あれは……林の旗です。数は、五百ほどでしょうか」


 那古屋城の方向から、柴田勝家の軍勢に向かって一直線に駆けている軍勢。


 織田信長は、手のひらを眉の上にかざし、影を作って南東から向かってくる一団を見る。林の旗とともに見える、三つの四角が描かれた旗指物(はたさしもの)


「来たか!」


 織田信長が声を上げるのと同時に、新手の軍勢が柴田勝家の軍勢に後方から攻めかかった。

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