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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第二章 尾張統一の道程
50/101

包囲網 弐

 信長様について清洲城の奥に向かうと、次第に赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。清洲城ではお馴染みになりつつある奇妙丸の泣き声だった。


 信長様が泣き声の聞こえる方向に歩いていき、遠慮することなく障子を開ける。すると、室内には奇妙丸をあやす帰蝶様と土田御前がいた。


「まあ、殿! 長三郎まで……」


 帰蝶様が突然のことに目を丸くしている。


「三郎、何かあったの? 急に出陣を取り止めたと聞いたけれど。それに、鎧姿のままなんて……」


「……なに、心配ありません。少し、奇妙の顔を見ようと思いまして……」


 信長様が泣いている奇妙丸を土田御前から受け取り、あやそうとする。だが、奇妙丸は余計に泣きじゃくり、全然泣き止んでくれない。


「奇妙丸は本当に三郎にそっくりだこと。昔は三郎も、殿が抱き上げたら火のついたように泣いて」


 土田御前が困っている信長様から奇妙丸を取り上げる。信長様が大声を出したら怒るというのに、奇妙丸が泣いていると喜んで世話をしようとするのだから、孫がよっぽど可愛いのだろう。

 土田御前は、もうすっかり清洲城に居着いてしまっていた。信長様の弟や姉妹も一緒で、女の子たちの声が聞こえてくる。


 そんな家族の一幕に、鎧姿では違和感でしかない。帰蝶様は何かを察したらしく、土田御前を外に出そうとする。


「義母上様、奇妙丸を少し散歩させてくださいませんか?」


「ええ、そうね。鎧を着た三郎がいたら、奇妙丸が怖がって泣き通しでしょうし」


 (たえ)を含めた侍女たちを引き連れ、土田御前が出ていく。それを見送ると、信長様はどかっと乱暴に座り込んだ。俺も信長様に続いて腰を下ろす。


「いったいどうされたのですか? 今川の攻撃があったと聞き、慌てて出陣しようとされていたのに……」


「勘十郎が謀反した。恐らく、武衛ともども今川についたようだ」


 帰蝶様が両手で口元を押さえる。そして、土田御前たちが出ていった方向を見やる。


「心配するな。ここには近寄らせん。だが、しばらく奥から出るでないぞ」


「わかりました。女たちにそれとなく注意しておきましょう」


「うむ。それで……」


 両手両足を投げ出し、帰蝶様の膝に頭を載せる信長様。


「長三郎、何ぞ考えはあるか?」


「本当に休憩されるのですね」


「そう言ったであろう。それにしても暑くて敵わん。帰蝶」


 帰蝶様が黙って扇で信長様をあおぐ。少し俺にも風が来るようにしてくれているから、頭だけは下げておく。


「完全に手玉に取られています。自分たちの行動をあえて晒すことで、こちらは東西挟撃を信じ込まされてしまいました」


「まさか、裏で勘十郎と繋がっているとはな。何を餌にしたことか」


「十中八九弾正忠家当主の座ですね。あのままいけば、信長様は揺るぎない地盤を築き上げることになりました。もはや、一家臣として生きる道しかありません。そして、その生き方を選べなかったのでしょう。」


「ふん、母上も言っていたが、分け与えなかったために追い詰めすぎたということか」


 恐らく、そうなのだろう。戦勝や道普請で、織田達成は様々な物を取り損ねている。信長様が清洲城すら手に入れたことで、支持基盤にも動揺があったはずだ。味方が減り、もうどうしようもなくなったときに今川が接近した。そして、自分が身を立てるには今川の手を取るしかないと、信じ込んだ。


「武衛様も、尾張守護にはなれましたが、先代以上に実権はありません。逼塞していたところを、自分が守護代として盛りたてるとでも言ったのでしょう。達の字は、大和守家旧臣だけでなく、武衛様への表明でもあるはずです」


「今頃、大いに喜んでいることだろう。戦が終われば、恩知らずには報いをくれてやらねばならん」


 憎々しげに信長様が舌打ちする。


「まずは、如何にして蟹江城を救うのかです。あそこが落ちれば、より苦境に立たされますから。那古野の兵は招集が始まったばかり。加えて末森にも対応しなければなりませんし、援軍を出せるまで蟹江城が持ちこたえられる保証はありません」


 今回の戦に備えて、那古野から末森までの道は少し整備されている。道を整えたことで、敵にも機動力を与える結果になった。まさか防備の内側に敵が現れるとは思ってもいなかったのだから。


「だからといってここからは出せん。勝幡城の三郎五郎((織田信広))も、津島の防衛で動けんだろう。……太原雪斎め、念入りに準備を整えている」


「まさしくその通りです。こちらの対応策が、清洲城からの速攻と看破されたうえで、動きを封じられました。何度も同じ手は食わないということでしょう。そして、現在今川は攻勢をかけていますが、我らを釘付けにしているだけで問題ないのです。やがて、今川領から援軍がやって来るのですから」


「攻めるも守るも地獄か。もはや、吉凶に委ねるしかあるまい」


 現状を確認するほど、詰んでしまっているとしか思えない。これが軍師というものなのかと感心してしまう。

 これを崩すには、太原雪斎の予想を越えていくことが必要。理詰めでは、どこを探しても道が残っていない。それじゃあ、理詰め以外、人意の及ばない不条理が選んだ道を選択すればいい。


 だからこそ、信長様は吉凶と言ったのだ。


「信長様」


 俺の呼びかけに、信長様が体を起こす。雰囲気が変わったことに気がついた帰蝶様が困惑している。


「東西南北より二つお選び下さい」


「北と南だ」


 信長様の即答に俺はうなずく。そして、ほぼ同時にお互いが腰袋からサイコロを取り出す。


「帰蝶! 銭と椀だ」


「え? は、はい。ただいま」


 帰蝶様が、廊下に控えている侍女に急いで指示をする。二人揃って、サイコロを手の中で弄んでいると、侍女が銭と椀を運んできた。銭は小さな壷に入っていて、百文程度しかなさそうだ。


「銭を半分に分けておけ」


 帰蝶様に命じると、信長様が手ずから椀を二人の中央に置いた。帰蝶様が銭を大まかに二等分にする。


 そして、分けられた銭の片方を信長様が椀の横に動かす。


「この銭で、南」


「承知しました。では、振ります」


 俺が無造作にサイコロを椀に放り込むと、分厚い茶碗が低い音を鳴らす。


 出た目は一・五・六。


「出目なし。振り直します」


 帰蝶様が俺と椀を交互に見るなか、もう一度サイコロを放り込む。


 乱暴に放り込んだために飛び出しそうになりながら、どうにか椀の中に留まって目を出した。


「目は六・六・四。よって親の出目は四になります。どうぞ、次お振り下さい」


 信長様は俺の言葉を受けて、俺と同じように椀の中に賽子を放り込んだ。


 椀の中をぶつかり合いながら、長く回る。やがて、出てきた目は四・五・六。


 占いなので特別な役を考えていないから、これは出目なしになる。それでも、信長様の豪運に息を呑まざるをえない。


「……出目なしです。もう一度振って下さい」


 信長様が、一つ一つ賽子を掴み上げて手の中で転がす。そして、再び椀の中に放り込んだ。


 木と陶器が素早くぶつかりあう音が響き、間もなく賽子が目を示す。


「目は三・三・二。子の出目は二になるので、親の勝利になります」


 俺が銭をごそっと持っていくと、何故か帰蝶様が悲しそうな顔をする。


 だが、それを気に留めず、信長様が残った銭を椀の隣に置いた。


「残りの銭、全部で北だ」


「承りました。では、親から振ります」


 なんとなく仕組みがわかったのか、帰蝶様が拝むように手をすり合わせている。


 今度も、サイコロを椀の中に放り込んだ。放り込んだというのに、今回は全然回らずにすぐ目を出す。


 示している目は、二・二・四。


「親の出目は四になりました。お振り下さい」


 微妙な数字だが悪くはない。俺が椀の中のサイコロを回収していると、帰蝶様が恨めしそうに見てきた。そして、訴えるように信長様に縋り付く。


「あ、あの、殿」


「帰蝶は黙っていよ」


 信長様が、引っ付いている帰蝶様をそのままにして、椀の上に手を伸ばす。次の瞬間、手を開いて賽子を椀に落とし入れた。


 信長様の賽子もあまり回転せずに目を示す。


「二・三・四、出目なしです。お振り下さい」


 忌々しそうに信長様が賽子を回収する。そして帰蝶様は、もう信長様の片腕を抱え込んでしまっている。


 しかし、信長様はそんな帰蝶様に構わず賽子の一つ一つを(いじく)っている。念を込め終わったのか、信長様が間髪入れず賽子を椀に放り込んだ。


 これまでになく勢い良く賽子が回り、お互いを(はじ)き合ってから止まる。


 賽子が示すのは二・四・六。


「出目なしです。次が最後となります」


 俺の言葉に、信長様がうなずいた。帰蝶様も、信長様の片腕を抱きしめながら手を合わせている。


 回収した三つの賽子を固く握りしめる信長様。そして、やにわに賽子を椀の中に軽く放り投げた。


 軽く数回、賽子と椀がぶつかった音を鳴らす。三人が注視する中、賽子が出目を出す。


「四・四・六。子の出目は六。子の勝ちになります」


 宣言とともに、帰蝶様が大きく息を吐きだし、俺の顔を伺いながら銭を取ろうとする。


「子の勝ちになりますので、銭はお取り下さって構いません」


 そう言うと、帰蝶様がいそいそと銭を回収して、一枚一枚数えながら壷に入れていく。


 それを尻目に、俺は賽子を銭と一緒にしまった。


「北と南、北が吉と出ました。なので、まずこの清洲城の開放を行います」


 清洲城の軍勢は、斯波義銀と北の織田伊勢守信安によって行動を封じられている。これを開放すれば、東と南の問題を解決できるだろう。


「南の蟹江城、左近を見捨てるか?」


「滝川様に弾正忠家から援軍を出せません。なので河尻殿に率いてもらい、武衛様の家臣団を派遣するのです」


「清洲城から武衛の戦力を無くすのか。そうすれば、留守を狙われなくて済む」


「左様です。武衛様は渋りましょうが、信長様が頭をお下げになれば、必ず天秤にかけるはずです。どちらが得なのかと」


 そうなればあの若い斯波義銀に抗えるだろうか、自分を蔑ろにしていた男が助けてくださいと頭を下げに来ている快感に。もちろんより苦しめたい欲求が勝るかもしれない。それでも、まだ切り札はある。


「もし動かないのであれば……不敬を承知で申し上げますが、お市様と武衛様との縁談をご提案下さい」


 今年十六歳の斯波義銀は、結婚していない。まだ九歳とは言え、あの美姫との結婚を提案されて心が動かないことはないだろう。


「あのような恩知らずに市はやらん!」


「形だけでも構わないのです。全てが終われば、此度の罪を明らかにして如何様にもなさいませ」


 信長様が憎々しい顔つきで、斯波義銀の屋敷の方角を見る。


「わかった。もしもの時は市との縁談を話す」


 断腸の思いだと感じられる声音で、吐き捨てた。そんな様子で、ちゃんと頭を下げてくれるのか心配になるくらいだ。


「東は大方殿様に向かってもらいます。無理を承知でお母上に降伏を願い出てもらい、少しでも時間を稼ぎます。念のため守山城は死守をお命じ下さい。北の伊勢守家を素早く撃破し、後顧の憂いをなくして東と南に当たりましょう」


 問題があるとすれば、蟹江城が守りきれるのかという点だった。斯波家の家臣団も、決して多くはない。あとは、どちらに運があるのかという話だ。


 運をもぎ取るためには、伊勢守家を素早く動けなくさせなければならない。そのための手札も、幸い手許に揃っている。








 その日の内に、斯波家の家臣団五十名余りが河尻与兵衛秀隆に率いられて那古野城に向かった。那古屋城で武装と物資を整えて、明日にも蟹江城に合流することになる。

 そして、信長様は軍勢のほとんどを連れ、織田伊勢守家に直轄地押領の罪を鳴らして攻撃を仕掛けた。

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