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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
5/101

槍働き

 槍を構え、ただ号令を待つ。緊張から呼吸が荒くなり、心臓もうるさいくらい鳴り続いていた。


 どうして俺はこんなことしてるんだよ。ただの小間使いが、槍持って戦うなんて……。


 対陣している敵がおぼろげに見えているし、向けている槍先もカタカタと揺れてしまっている。


「こら、長三郎。しっかりしろ!」


 言葉とともに、隣の男が頭を拳で殴ってきた。衝撃で、一気に現実に引き戻される。


「ちゃんと敵を見ろ。呆けっとしてると、転んで味方に踏み殺されるぞ」


「申し訳ありません! ありがとうございます、勝三郎様」


 俺の隣、信長様の乳兄弟である池田勝三郎恒興は、下がってしまった俺の槍を持ち上げる。そして、手本を見せるように自分の槍を構えてみせた。


「いいか。とにかくこの勝三郎の横から離れるんじゃないぞ。しっかり走って、付かず離れずにいるんだ。決して一人になるな」


「はい!」


 勝三郎恒興は、信長様の小姓であり、側近中の側近だ。年齢が近いだけに、身分差を越えて俺を弟分として扱っている。理由を聞いたら、同じ三郎だからと言っていた。まあ、信長様の周りは大人ばかりであるから、偉ぶる相手が俺くらいしかいないのもあるのだろう。

 弟分と言えば聞こえが良いが、やっていることは使い走りでしかない。しかし、彼のそばにいると平手助次郎勝秀もちょっかいをかけてこないから助かるのだ。


「矢が飛んでくるが、気にせず走れ。止まったら味方に突き飛ばされて踏み殺されるぞ」


 もう嫌だと叫びたい気持ちをぐっと我慢する。とにかく転ばないようにしないといけない。こんなことなら、自分用の草鞋をさっさと作っておくんだった。

 支給された草鞋に視線を向ける。どうも、勝三郎の話を聞いていると、自分の物でない草鞋が不安でたまらない。それを言ったら装備一式借り物ではあるのだが。


「もうそろそろ貝が鳴る。敵の貝と間違え――」


 突然、法螺貝の音が鳴り響いた。


 俺は反射的に足を踏み出し、全力で走り出す。

 敵もすでに走り出しており、まばらに弓が飛んできていた。狙って放たれたものではないため、まず当たる心配はないが、怖いものは怖い。


 前を向いているのが怖くなり、ちらりと横を見ると勝三郎どころか誰も横を走っていない。


 思わず止まりそうになるが、勝三郎に教えられた踏み殺されるという恐怖でどうにか走り続けられた。


 どんどん敵が迫ってくる。もう相手の必死の形相もわかるくらいになり、槍を握る手に力が入る。


 相手より先に突き刺す。それだけを考えて距離を測りつつ走った。すると、急に敵の槍が跳ね上げられる。俺は絶好の好機と思い、一気に槍を突き刺すために速度を上げる。

 だが、敵にやりを突き刺す前に、頭上からいくつもの衝撃が叩きつけられた。


 俺は、何があったかも分からずに前のめりに倒れ込む。そして、痛みでのたうっている間に、敵が目前に迫っていた。


 敵の動きが、やけにゆっくりに見える。槍を拾わないといけないと思っても、体が動かない。


 もう駄目だと思ったところで、今度は敵の頭上に槍が叩きつけられた。俺とは違って倒れ込むことはせず、槍を振り回して寄せ付けないようにする。


「長三郎、無事か!?」


 勝三郎や他の味方が槍を振り回しながら俺の前に出てくれる。


「早く立って槍を持て! もたもたするな!」


「は、はい!」


 俺は痛みを我慢して槍を手に立ち上がる。そして、勝三郎の横に並んだ。


「槍は刺すんじゃない! 叩きつけるんだ!」


 勝三郎が怒鳴る。俺は言われた通りに、槍を叩きつけるよう振るう。


「いいぞ長三郎! その調子だ!」


 とにかく勝三郎の言う通りに、雄叫びを上げながらがむしゃらに槍を振るい続けた。


 そして、もう槍を持っていられないくらいに疲れてきたところで、貝の音が響く。その音に反応し、味方も敵も槍を振るう手を止めて、槍を杖にしてその場に座り込んでしまう。


 俺も肩で息をして座る。汗が滝のように流れ、喉もカラカラになっていた。


「最後まで頑張ったな。えらいぞ」


 勝三郎が俺の隣に腰を下ろす。お互い疲労困憊の状態だった。息を整えつつ、丘の上を見上げる。


 そこには、馬に乗った信長様がおり、嫌味じじいこと平手政秀と何やら話し込んでいる。


「もう一戦やれとか言われませんよね……」


「今回は怪我人も多そうだ。若殿も……さすがにそんな無茶は言わんだろう」


 俺たちは本当に戦をやっていたわけではない。言ってみれば模擬戦、もしくは訓練だった。槍や矢じりには被せ物をして、刺さりにくい状態にしている。


 信長様は、ご結婚を機に那古野城を完全に掌握した。城は元服の時に譲られていたけれども、その実務は家老たちが務めていたのだ。

 信長様がまず始めたのは、武士の長男以外を金を使って集めることだった。実家で跡を継ぐこともできず、さりとて農民になるには若すぎるという者たちが、小遣い欲しさに続々と集まってくる。そして、時折こうして模擬戦をさせている。俺も今回は初参加させられた。


「もう参加したくありません。俺はただの小間使いですよ」


「小間使いでも戦いに出ることはあるさ。まあ、お前はもうちょっと慣れないとな。敵方の法螺貝で走り出していたぞ」


「あー、だから横に誰もいなかったんですね……」


「若殿からはよく見えただろうな。長三郎が一人で突っ込んでいくのが」


「あんなところから見て、俺ってわかります?」


 勝三郎はにやにやと笑って楽しそうだ。たぶん、信長様が気がついていない場合、一人で突っ込んだ間抜けは俺だって報告するつもりなんだ。


「ほら、若殿のところに行くぞ」


 憂鬱な表情を浮かべる俺の背中を叩き、疲れを感じさせずに勝三郎が立ち上がった。


 なんでこの時代の人たちってこんなにタフなんだよ。


 俺も槍を杖にして立ち上がり、勝三郎の後ろをついて行った。









 信長様のところにつくと、まだ平手政秀と話し込んでいた。


「若殿、やはりこんなことに金子(きんす)は使うのは……」


「いや、使う。金は爺がどうにかしろ」


 渋い顔を浮かべる平手政秀。その後ろにいる助次郎勝秀も良い顔をしていなかった。


 信長様が、話は終わりだとばかりに俺と勝三郎の方に顔を向けてくる。そして、意地の悪い笑みを浮かべる。


「おお、そこにいるのは一番槍を狙ったわっぱではないか!」


 それに釣られるように、周囲の武士から笑い声が上がる。一番槍の功名を狙ったと言えば聞こえは良いが、ただの間抜けだとみんなわかっているのだ。


「いや、はははは。見ておられたのですか。初参加なので気合を入れたのですが、失敗してしまいました」


「この阿呆が。死んで姉を悲しませたくなかったら、励め」


「……はい」 


 信長様の睨みつける視線を受けて、戦に出たくないなんてとても言えない。


「それで、初めて戦ってみてどうであった」


 どうであったって簡単に言うけど、何を聞きたいのか言って欲しいよ。


 俺は槍をさすり、思ったことを口にする。


「槍って刺さないんですね。おっとうは、槍に脇を刺されて死んだと聞いていたので、刺すとばかり……」


「勿論、刺すこともする。しかし、突きやすい体は鎧に弾かれやすく、刺さりにくい。手足は突きにくく、槍を掴まれたり踏まれたりして逆に窮地に陥るかもしれん。それに、手足を刺してもなかなか止まらん」


「だから叩きつけて相手を倒すんですね」


「そうだ。倒れたのを組み敷いて首を取る。これで、手柄になるのだ。それに倒れている方がとどめを刺しやすいしな」


 お陰で体のあちこちが痛いですよ。模擬戦なのに、骨が折れているやつもいた。よく五体無事でいられたものだ。


「それで終わりか?」


「……叩きつけるなら……槍をもっと長くしてみるとか、ですか?」


「お前も知っていよう、槍は持参するものだ。全員に槍を作り直せと言ってみるか?」


「すいません。無理ですね……」


 折れてもいないのに槍を新しく作り直せといったら、もうそいつらは来なくなるだろう。それに、一人二人が槍を長くしても意味がない。


「じゃあ、槍はこっちで作って、貸し与えるなんかはどうでしょう。手柄を上げたら、槍をそのまま褒美であげてもいいかと」


「わっぱ、槍を作る銭はどこから出てくるのだ」


 間髪をいれずに嫌味な口調で口を挟んできたのは、助次郎勝秀だった。


「槍の一本や二本ではないのだぞ。数百の槍を拵える銭を、どうやって用立てるというのだ」


「……そんなに銭がありませぬか?」


「那古野だけではな」


 これに答えたのは平手政秀だ。銭がないということを認めたくないのだろう。


「若殿、所詮は小僧の言うことです。槍のことはお忘れ下さい。那古野の金蔵は、あの者たちを養うだけで精一杯と申し上げておきます」


「爺、どうにかならんか? 熱田か津島から金を集めるとかあるだろう」


「なりませぬ。末盛の殿からもお許しは出ませんぞ」


 信長様の父織田信秀は、美濃との和睦が済むと、その居城を古渡からより東になる末森に移していた。今川の動きに対応しやすくするためだ。心配なことは、ずっと体調不良が続いていることだろう。


 まあ、去年の敗戦や居城の移転などで金がいくらあっても足りない状態なのだと思う。そんなときに、うまくいくかもわからない、しかも農民上がりの小僧の思いつきに金を出せない。


 平手のじじいにしたら、信長様がこうして人を集めているのにも反対みたいだし、無理だろうな。あーあ、信長様、不機嫌だよ。そのとばっちりを受けるのは俺なんだから、勘弁してくれよ。


「わかった、もう良い」


 信長様は模擬戦場に馬を進める。俺以外からも話を聞くのだろう。


 置いていかれるわけにもいかず、疲れた足を引きずるようについていこうとしたら、前を平手政秀が遮った。


「あ、あの……なにか御用でしょうか?」


「若殿にいらんことを言うな。金を湯水の如く使っては、いざという時の備えがなくなるのだ」


「でも、ああして訓練していたら、戦のときに活躍してくれるんじゃ……」


「あんな小勢で何が出来るというのか。万の敵を前にしたら、一人も残らず逃げよるわ。戦は数の戦いなのだ。金を用意しておき、戦の時に万の味方を用意する。そうすることで、万の敵と戦えるというもの」


 精兵を作ろうとしている信長様と、数を揃えようとしている平手政秀。素人考えではどっちがいいかはわからない。しかし、将来的にはともかく、現在は織田信長の考えが正しいはずだ。それは歴史が証明している。


「若殿が鍛錬するのは当然のことだ。それは構わない。だが、戦の何たるかをまだわかっていない若殿に、浅知恵をさえずるのはやめよ」


「しかし――」


「確かお前は算術をそれなりに出来ていたな。元服するくらいには、よき役を用意してやる。なんなら姉には縁談もだ。武士でないお前には、うまい話であろう」


 おいおい、俺の望むものを用意してくれるってか。


「よいな、若殿をこれ以上惑わすでないぞ。主君を諫めるのも我らの務めだと心得よ。わかったな?」


 平手親子に挟まれて、さらにはうまい餌までぶら下げられた。歴史通りに、信長の好きにさせなければならない。なのに、それを邪魔するように命令されている。

 俺はとりあえずこの場を逃れるために、黙ってうなずくしかなかった。

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