包囲網 壱
末森城の織田勘十郎信勝が謀反した。急報に接し、信長様は出陣を取り止めざるを得なかった。誰が織田信勝に味方しているかを見極める必要があるからだ。そうでなければ、後ろから攻撃されるなんてこともありうる。
鎧姿のまま、急いで評定の間に取って返す。
「勘十郎が謀反とは真であろうな?」
那古野城から馬を駆けさせてきた林佐渡守秀貞が平伏する。
「はっ! 守山城の喜蔵様からの伝令であります。夜明けに守山城を奇襲され、撃退したところ末森の勘十郎様の兵であったと。急ぎ確認に向かえば、矢を射掛けられたとの由でございます」
「勘十郎め、乱心したか!」
「それと……」
林秀貞が言い淀む。かなり危険な状況なのになかなか話そうとしないのは、より危険な情報があるということだ。
固唾を呑んで見守る中、林秀貞が重々しく口を開いた。
「勘十郎様は……織田弾正忠、達成と名乗っておいでです!」
「まさか……弾正忠とは……」
「佐渡殿、それは誤報では済まされませんぞ」
佐久間半羽介信盛、佐久間大学助盛重といった家老たちが、林秀貞に確認する。
「誤報でこのようなことは言えぬ。確かなことだ」
信長様は弾正忠を名乗らずに、上総介を名乗った。では、使っていないから勝手に弾正忠を名乗っても良いという、そんな簡単なことではない。弾正忠家当主が信長様である限り、弾正忠を名乗って良いのは信長様だけなのだ。
わざわざそれを犯すということは、自分こそが弾正忠家の当主であり、信長様を打倒すると宣言しているようなもの。引く気はないという表明でもあった。
「賢しいな、勘十郎。誰の入れ知恵だ?」
「は? それはどういうことでしょうか?」
「奴が謀反を起こしたのなら、弾正忠を名乗るのは当たり前だ。驚くに値せん」
信長様は、家臣たちが慌てていたことを大したことがないと断じる。
脇息にもたれながら、口元に手をやって考えている様子からは、怒りの感情は見えない。
「わからぬか? 達成の諱よ。信を捨て、達を入れた。勘十郎の頭から出るはずのない考えだ」
「達でございますか……」
信長様の言葉を聞いた家臣たちは首を傾げる。その中で、林秀貞だけが顔を上げた。
「まさか、大和守家の名を?」
「そうだ。大和守家は代々、達の字を入れていた。達定、達勝とな。腹を切った信友は外れるが、勘十郎が滅んだ守護代家を考慮して達を入れたとみて間違いあるまい」
「目的は……大和守家旧臣たちの取り込みですな」
「決して多くない末森の兵力を、まだ野にいる奴らで補う気でいるのだ」
「そして、我らが今川侵攻に対処する隙を狙ったのでしょう。戦の準備をしていても、謀反とは思いませんからな」
本当にそうなのだろうか。あの織田信勝が、今川侵攻の機会を狙って謀反を起こした。確かに、この状況なら討伐も遅れるし、差し向けられる兵力は少なくなるだろう。
しかし、今川の侵攻が成功すれば自分たちだってただではすまない。そう考えると、謀反の時期がおかしいのでは。それに、蟹江城侵攻の時期がわかっていたかのようだ。何せ侵攻と同時に謀反を起こしたのだから。
偶然でないとすれば、誰かが仕組んだとしか考えられない。
織田信勝は、最初は今まさに侵攻を受けている蟹江城を守りたがった。もし、そこを今川が素通りできればどうなるか。熱田を瞬く間に占拠し、海上から素早く兵を送り込むことが出来る。
じゃあ、守山城はどうか。織田信勝が守山城を手中にしている状態なら、邪魔されず那古野へ攻め入ることが出来る。そうすれば、交通の中心となっている那古野から援軍を送ることが出来ない。援軍が届かない蟹江城は今川に抜かれ、熱田を押さえられるだろう。
織田信勝と今川が結びついていれば、全てが今川有利に働く。織田信勝の行動を、ただの拡大思考と考えていたが、そんなものじゃない。今川からの指示で動いていた。
「最悪な時期を選ばれたな。なあ、長三郎」
「違う」
俺の返答に前田孫四郎利家と佐々内蔵助成政が、首をひねる。
「選んだんじゃない。示し合わせたんだ」
「お前……それは……」
「まさか勘十郎様が今川と手を結んでいたというのか!?」
前田利家の大声に、俺へと注目が集まった。
「長三郎! 申せ!」
「はっ!」
信長様の命令に、俺は畏まって口を開いた。
「勘十郎様、いえ勘十郎は今川に奔ったものと考えます。勘十郎が蟹江城、そして守山城を欲したのは周知の通り。そのどちらかでも勘十郎の手にあれば、今川は労せず熱田を我らから奪えていたでしょう」
「それだけか!?」
「謀反は夜明けに守山城を攻められたことによります。その頃は、まだ蟹江城からの伝令が末森に達しているはずがありません。その意味するところは、事前に示し合わせて、今日同時にことを起こしたのです!」
誰もが信じられないという顔をしている。弾正忠家の一員が、今川と手を結んだというのは、それだけありえないことなのだ。
「別々の行動と思い対処すれば、敵に先手を取られます。全てを今川が動かしている。そう考えて行動すべきです」
「なるほど。確かに今川が後ろにいるのなら、勘十郎の行動も納得がいく。城を手にできなかったために、苦肉の策で諱を変えて来た……」
信長様は、納得してくれたが、すぐに考える仕草を取った。そして、河尻与兵衛秀隆に向かって問いかける。
「与兵衛、武衛の最近の行動におかしな様子はなかったか?」
「はっ。そのような点は……特には……」
「思い出せ。ここで誤っては取り返しがつかん。本当になかったのだな?」
「そう言えば、少し前になりますが……武衛様の直臣たちに振る舞いがあったそうなのです。そこで、かの松露がだされたと聞きました。大変珍しい茸と――」
「駿河の松露か!?」
河尻秀隆の発言をかき消す信長様の声。
「出処まではわかりかねますが、武衛様が松露と仰ったらしく」
「あのような貴重な茸、簡単に手に入る訳がない。それも家臣共に振る舞えるだけの量をだ。武衛への貢物ならわしを通すのだから、必ず気が付く。では、誰かが密かに贈った以外にはあるまい」
信長様が怒りのあまり戦慄いている。
「誰のお陰で尾張守護に成れたと思っているのだ。あの恩知らずが!」
「殿! では、武衛様までもが今川に!?」
「そう考えるしかないわ! 今川、武衛、勘十郎! 三者が繋がってわしを潰しに来おった! どういう密約かは知らぬがな」
考え過ぎとも思えない。織田信勝は斯波義銀と会っているのだから。恐らく、織田信勝が斯波義銀を今川に引き入れた。
これでは、城を留守にすれば、斯波家直臣たちが清洲城を乗っ取る可能性が出てきた。
「武衛様を捕らえますか?」
河尻秀隆が刀を手に立ち上がろうとする。
「証拠は何一つとてない。今武衛を捕らえれば、奴らに口実を与えるだけだ」
無念そうに河尻秀隆が腰を下ろす。斯波義銀を救ったことで、連絡役にもなっていた河尻秀隆には悔やみ切れないだろう。
そして、林秀貞が身を乗り出すようにして進言する。
「殿、武衛様が敵に回ったのならば、伊勢守家にも用心をせねばなりませぬ。これでは、我らは清須から兵を動かせませんぞ」
岩倉城を拠点に尾張上四郡を支配する織田伊勢守信安。弾正忠家とは縁戚関係にあったが、信長様の代になって疎遠となり、関係が悪くなっている。
いきなり攻め込んでくるほど悪くはないが、斯波義銀が命令すればこれ幸いと攻めかかってくるはずだ。
もうここまでくれば、確実に今川の手が伸びていると判断すべきだった。
内に斯波家家臣、外に織田信安。清洲城は、動こうにも動けなくされた。このままでは、蟹江城陥落を指を咥えて見ているしかない。
東に織田信勝改め織田達成、西に服部党、南に今川、北に織田信安、中央に斯波義銀。信長様は完璧に包囲されている。
どこかに兵を動かせば、その間に他のところから守りを破られてしまう。こっちが軍勢の機動力で守りを固めているのを知って、どこにも動けないように縛り付けたのだ。対応を誤れば、それで終わってしまう。
これで蟹江城なりが素通りされていれば、もう終わっていただろう。ぎりぎりのところで、信長様の判断が今川の策を狂わせてくれた。
「これほどの計略を巡らせるとは……やはりこれは太原雪斎の策でしょうな」
「半羽介よ、感心している場合でないぞ。これを退けなければならん」
「心配するな大学。この半羽介が守るのだ。清洲城は決して落とさせん」
不安になっている者、逆に強気になっている者、家臣たちは相半ばしている状態だ。
どう動くべきか。いや、それ以前に動くことが出来ない。どう対応するのかそれぞれが話し合って、もう収拾がつかない有様になっていた。
そんな中、信長様がおもむろに立ち上がる。騒いでいた家臣たちが、徐々に静かになっていく。
「考えが浮かばぬ。休憩だ。皆もそうせよ。くれぐれも武衛の家臣共に手を出すな」
そう言って、信長様が評定の間を出ていってしまう。
「と、殿、せめてどちらへ行かれるのかお教え下さい!?」
「奇妙の顔を見にだ。長三郎、ついて来い!」
「はっ!」
走って信長様の後を追いかける。だが、林秀貞が廊下まで出て何か言いたそうであったので、立ち止まる。
「念のために、奥に通じる箇所は兵を置いて固めておく。長三郎は殿をお守りしろ」
「承知しました」
「それと、こちらでも儂が主導して対応策を考えておく。もし殿が何か閃かれたら、すぐに伝えよ」
林秀貞が拳で、俺の胸を小突く。そして、微かにうなずく。
言外にお前も考えろと言っているのだ。恐らく、去年の那古屋城の籠城を進言したことで評価してもらえている。だが、ただの馬廻りの進言を何度も採用しては家臣たちの士気に関わる。
だから、信長様と二人でいる時に考えろということだ。
俺は、しっかりと首を縦に振ってから、信長様を追いかけた。




