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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第二章 尾張統一の道程
43/101

前触れ

 新次郎から(たえ)の言葉を聞いた俺は、取るもの取り敢えず清須へと走った。こんなことならば馬を買っておくべきだった。しっかり乗れるようになってからと思っていたのが悔やまれる。馬があれば、もっと早く清須に戻ることが出来たのに。


 後ろからついてくる新次郎が、必死に食い下がっているようだ。朝から走ってきて、また清須に走って逆戻りは可哀想に思えるけれども、俺は走るのを止めたりはしない。ひたすら、駆けに駆け続けた。


 そして、清洲城に到着すると、(たえ)が今や遅しと俺を待っていてくれた。


「待ってたわ、長三郎。でも……殿様にお会いする前にさすがに着替えたらどう?」


「着替えなんかよりも、姉ちゃんのことだよ! どうなんだ!?」


 妙に詰め寄るが、するりと躱されてしまう。


「私よりも殿様にお聞きなさい。さあ、着替えに戻るわよ。いくらなんでも、そんな格好で会わせるはずないでしょう」


 見下ろせば、服は土埃と汗に汚れて汚かった。確かにこんな格好では、姉に会わせてもくれないだろう。


 仕方なしに、俺は長屋に戻って着替えを済ませる。そうしている間に、置いてきた新次郎も長屋に戻ってきた。思っていたよりも早く追いついてきたことを褒めると、恨みがましい目が途端に嬉しそうにしている。


 もしかしたら、信長様もこんな気持だったのかな。


 昔の自分を思い出しながら、俺は信長様から恩賞で貰った大小の刀を佩いた。









「長三郎、遅いぞ」


「遅れてしまいまして、申し訳ありません」


 清洲城では、初めて信長様の部屋に通された。部屋には姉と帰蝶様も揃っている。


 久しぶりに見た姉は、これまでよりも随分上等な着物を身に纏っており、嬉しそうというか恥ずかしそうにしていた。


「気にすることないのよ。殿は、早く長三郎に教えたくてうずうずしていただけなのだから」


 帰蝶様が澄ました顔で言うと、信長様は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「帰蝶は黙っていよ。それでだな、長三郎。……実はだな……」


 珍しく言いよどんでいる信長様。俺はただ、信長様を見つめてじっと待った。


(つう)に子ができたのだ」


 姉ちゃんが信長様の御子(おこ)を身ごもっている。いずれその時が来るだろうと漠然と考えていたけれど、一年と経たず実現するとは思っていなかった。


 俺は姉に視線を向けると、嬉しそうにうなずく。俺も姉にうなずき返し、平伏して頭を下げた。


「姉の懐妊、誠に祝着に存じます。あとは……お世継ぎとなる男子であることを祈るばかり。ともあれ、まずはおめでとうございます」


「うむ」


 信長様が笑顔でうなずいている。その隣で、帰蝶様はただ目を伏していた。


「姉ちゃん……あ、いや、お通様にもお喜びを申し上げます」


「いつもどおり、姉ちゃんでいいのよ。長三郎にそんな風に言われたら、まるで姉弟でなくなってしまったようなんですもの」


「じゃあ……姉ちゃん、おめでとう。体に気をつけて、丈夫な御子を産んでくれ。きっと……おっとうも喜んでくれるよ」


「ありがとう。そうね、この子が生まれたら、おっとうを供養してくれたお寺にお参りしないといけないわ」


 姉がお腹あたりを撫でる。その様子を見ると、できれば産まれてくるのが女の子であって欲しいと思った。女の子なら、姉が自分の手許で育てることが出来るから。


「いつ……産まれるの?」


 姉に尋ねるが、これには帰蝶様が答えてくれる。


「来年の春が過ぎて、初夏から中夏(ちゅうか)といったくらいだそうよ」


 ということは、遅くても五月あたりくらいか。その辺りになると自分に信長様の血を受け継いだ甥ができる。


「じゃあ、それまでにはお布施とかはちゃんと用意しておくよ。お布施が知行地からの収入なら、おっとうはもっと喜んでくれるだろうし」


「ええ、きっと喜んでくれる。一緒に、おっとうを喜ばせてあげましょう」


「そうだね、きっと喜んでくれる」


「できれば、長三郎に嫁がいるともっと喜んでくれるのだと思うのだけど……」


「なっ! なんだよ、突然!? 俺には、まだ早いよ!」


 姉が意地の悪い笑みを浮かべている。


「あら? そんなことはないわ。もう十六で、来年には十七。そろそろ、似合いの人を探してもいいじゃない。知行も、立派なものなのだし」


「それは良いな。帰蝶、女衆で長三郎に似合いのはいるか?」


 信長様までもが、姉の言葉に乗り、俺の縁談を考えだした。帰蝶様がちらっと俺を見て、考えるような仕草をする。


「そうですね……お通と相談して考えておきましょう。長三郎に誰が良いのかを」


 主君が勧める縁談なんて断れるわけがない。結婚は家の事情であったりを勘案して、愛情抜きで決められることが多い。自由恋愛がないわけではないが、珍しい部類に入ってしまう時代だ。


「き、帰蝶様まで何を仰るのですか!」


「では、長三郎には誰か良い娘がいるのかしら?」


 それを言われると言葉が出ない。俺は口をパクパクさせて、結局黙り込んだ。


 そんな俺の様子を見て、信長様と姉が声を出して笑った。ひとしきり笑った後、信長様が顔を引きしめた。


「よし、帰蝶と通はもう下がっておれ。わしはまだ少し長三郎と話がある」


「承知しました。さあ、お通。行きましょう」


「はい。じゃあ、長三郎。体に気をつけなさいね」


「姉ちゃんも、体に気をつけて。帰蝶様、姉をよろしくお願いいたします」


「……ええ、任せておきなさい」


 帰蝶様と姉が部屋から退室していく。外にいた(たえ)が、任せろとうなずくので、俺もうなずいておいた。


 襖が閉まると、俺は信長様に向き直る。


孫右衛門((堀田正定))から連絡があった。やはり津島に来ているのは今川であったそうだ」


「では、信長様が仰った通り、舟を使って尾張に来るのですか」


「そうなるが……長島に入るのか、どこかを攻め落とすのか見当がつかん」


 浄土真宗、一向宗徒と手を結んで長島に入り、弾正忠家を西から脅かす。もしくは、尾張西部のどこかの城を攻め落として圧迫する。どちらも考えられることであった。


「今川を匿っている者は判明したのですか?」


「そっちは、まだはっきりとはわかっておらんそうだ。推測を言えば、服部左京進友貞ではないかと言っておるがな」


「服部、友貞ですか」


 尾張西部の海西郡、河内とも呼ばれる場所に根を張る服部党の首領。長く海西郡を押領して、これまでどの陣営にも属そうとしなかった独自勢力。服部党なら、津島周辺でも今川を匿うことが出来た。


「あの辺りをつつけば、津島が難渋することになる」


 津島から川を下れば、すぐに長島であり服部党が跋扈する地域だ。尾張美濃を流れる長良川と揖斐川の河川舟運で栄える津島は、出口を抑えられて苦しくなる。


「こちらの金の流れを断つ気でいますね。泣き所をよく知っている」


 もう、今川が尾張東部から攻めて来るには、時間がかかりすぎるだろう。その間に信長様は態勢を整えてしまう。その前に、舟を使って軍勢を送り込んで、東から攻める隙を作るつもりだ。


「服部党となると、こちらからは手を出せません。今川が動き出してから、反撃するしかないでしょう」


 海西郡は混沌としていて迂闊に手が出せない。津島が脅かされること以外にも、長島の一向宗にまで飛び火することだってあるのだ。藪をつついたら、蛇どころか大蛇が飛び出すかもしれない。


「そして、西が動き出せば、今度は東から来るはずです。緒川城の水野様にも警告なさるべきかと」


「東西挟撃。御大層なことをしてくれる……」


「全くです。さすがは今川義元、海道一の弓取りだけはあります。もしくは、太原雪斎でしょうか」


 三国を有する大名ともなると、やることが大きすぎる。尾張半国相手に、少しも手を緩めない。むしろ、跳ね除ける度に凶悪になっていた。

 伝え聞くところ、夏に北条氏康の娘が今川義元の跡取り今川氏真に嫁いだらしい。これで、今川は北の武田と東の北条と縁戚となり、背後を固め終えた。残すは、北条と武田の婚姻だ。それも、遠いことではないだろう。


「今川が動くとするのなら早くて春となりましょう。もしくは、最も嫌な時期を選ぶかもしれません」


「秋だな」


 信長様の断定に、俺は深く首肯した。


 秋なら、地力の差が嫌でも出てくる。目的を完遂できなくても、こちらの収入に打撃を与えることが可能だ。収穫前に襲い掛かってくるのが、今は一番困るし、かつての安祥城での戦いもある。今川は収穫の忙しい時期にでも大軍を動かし得る力を蓄えているのだ。


「評定を開き、重臣ご一同に周知させておくべきでしょう」


「秋の収穫が終わり次第に評定を開くつもりであった。それまでに、さらに調べさせておく」


 おそらく今川が動き出すまで一年を切っている。それまでに、こっちも準備を整えておかなければならない。









 信長様の部屋から退出すると、帰蝶様の侍女が俺を待っていた。


「長三郎殿。主がお待ちになっております。こちらにお越し下さい」


「帰蝶様が?」


「左様でございます」


 頭を下げるが、有無を言わさない様子であった。


 本当に忙しい一日だ。


 そっとため息をつく。そして、俺は帰蝶様が待っているという部屋に案内された。


 部屋で待っていた帰蝶様は、物憂げな様子を見せていた。そんな帰蝶様に、俺は頭を下げる。


「お呼びと聞きました。どうかなさいましたでしょうか?」


「あなたに……謝っておきたいと思ったのです」


「謝る? 姉のこと……でしょうか?」


 帰蝶様が俺に謝るとしたら、姉のことしか考えつかない。もともと、信長様と帰蝶様が相談して、姉は側女になったのだから。


「ええ。本当なら、お通に謝るべきなのでしょうが……どうしてもできそうにない。私が……お通に嫉妬しているのだから」


「帰蝶様……」


 悲しそうに顔をうつむかせてしまう帰蝶様。自分で決めたことなのに、いざ動き出したらどうしようもない気持ちが溢れているようだ。


「あなたから家族を取り上げた。お通からも、子供を取り上げることになるかもしれない。悪いのは自分なのに、どうして私には殿との子が出来ないのかと、腹が立ってしまう……。どうしてお通との間にはすぐに子が出来たのかと、あの子を……」


 帰蝶様は、それ以上言葉が出てこないようであった。複雑な感情が渦巻いているのだとわかる。


 自分勝手な女だと責めるのは容易い。もしかしたら、帰蝶様自身もそれを願っているのかもしれない。でも、帰蝶様の立場を思うと俺も何も言えなかった。


「誰かにこの思いを吐き出したかった。そうすれば……お通を守ることに耐えられる。ごめんなさい、長三郎。心配しないで、お通は私の大事な家族と思って、大事に守ってみせるから」


「帰蝶様のご心情、心の痛み、お察し致します。吐き出したくなれば、いつでもこの長三郎をお呼び下さい。言葉だけでなく、平手でも拳でも、この身に受けとめましょう」


「……大丈夫よ。この思いを知っている者がいるだけで、耐えられるから」


 帰蝶様が立ち上がり、部屋を出ていこうとする。俺は少し頭を下げると、軽く撫でるように頭を叩かれる。


「やっぱり、これだけさせて頂戴」


 つい手が出てしまったと困った笑みを浮かべて、帰蝶様は部屋を出ていった。さっきよりも、少しすっきりした顔に俺は安堵する。


 帰蝶様は、約束通りに姉を大事にしてくれるだろう。


 俺は叩かれたのか撫でられたのかよくわからない頭を押さえて、立ち上がった。

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