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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第二章 尾張統一の道程
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村興し 参

 天文二十三年も夏を過ぎて秋となり、世間ではすっかり収穫の季節となっていた。


 村で夏から進めてきた新田は、わざわざ地形を変えてまで四角形にしたので、普通に田んぼを作るよりも随分と手間がかかってしまった。それでも、後々のことを考えれば四角形に作っておいたほうがいい。

 普通ならもっと早く楽だったと篠岡八右衛門が苦笑していた。


 試しに水を張ってみたところ、どれもがちゃんと水を(たた)えてくれた。


 だが、問題は排水であった。一見順調に水は流れていったのだが、どうしてもあちこちで水が残ってしまうのだ。さらに、数日待ってみても土が湿り気を帯びていてなかなか乾かなかった。土の中に染み込んだ水が、どうしても抜けないのだ。これは本格的に米作りをした時には、水を抜いても長い期間ぐちゃぐちゃになっていることだろう。


「殿、やはり水は抜かないほうが良いのでは? 確かに、これだと稲は刈りやすいでしょうが……」


「それだと苦労して水路を作った甲斐がない。きっと、何かが足りていないんだ」


 千歯扱きだって、形になるまで数年かかってしまったのだ。さらには実際にどれだけ使えるのかの実験もまだだ。だから、こんなことでへこたれたりはしない。


「しかし、やはり土が駄目になってしまうのではないかと恐れる者がいます」


「そのことは、昔父と姉に言われたから知っている。だけど、どうにかならないか考えてもいる。それをしてからでも遅くはない」


 栄養が不足するのはなんとなくわかっている。不足しているのなら、足してやればいいだけのはずだ。とりあえず、春になったら刈敷を試して見るつもりだった。

 麦で刈敷をやって、二毛作がうまくできるかはやってみなくてはわからない。でも、二毛作と刈敷は同じ鎌倉時代に広まったはずなのだから、組み合わせて駄目なはずはない。


 俺は、地面についていた手のひらにまとわり付く湿った土を払い取る。


「今はこれでいい。まだしばらく乾かしたら、麦を植えてくれ」


「……承知しました。その準備は出来ております」


 不承不承といった様子で篠岡八右衛門が首肯した。うまくいくと信用しているというよりも、恩があるので付き合ってみようという感じだ。


 そして、新田については、篠岡八右衛門の田畑を耕していた何人かの小作人たちに任せることになっている。可能なら従来の田畑も担当してもらうが、広くなった新田の方に労力を取られて、とても無理だろう。


「それと(がま)を焼く準備は出来ているか?」


「もうあちらは十分に乾いておりましょう。しかし、幾度か灰は撒いておりましたが、蒲を焼くのは初めてです」


 灰を撒くことは土に良いということは伝わっていたらしい。しかし、これまでは簡単に灰を撒くことができなかった。何せ、藁は生活に利用されるし、草木は暖を取るための燃料に使われる。全ての家に囲炉裏があるわけではないので、灰は貴重なものであった。


 今回は、大量に採集していた蒲の葉、茎や根を乾燥させており、それを焼くことにしたのだ。食用にしても良かったかもしれないが、金に余裕があるうちに出来ることは試しておきたい。


 新田から用水路を確認しながら屋敷に戻ると、もう村人が集まってきていた。それぞれ畑に生えていた雑草を持参しており、草木灰を畑に撒いたことがない者たちすら多くいる。ただ蒲や雑草を焼くだけなのに、どこか楽しそうであった。


「お、長三郎様がいらしたぞ」


「お二人に道を開けろ」


 村人たちが率先して道を開けてくれる。俺は清須との往復をしながら、少しずつ村に馴染んでいた。やはり銭を配っていたのが大きかったようだ。銭で信用を買っているように思えて落ち込んだけど、村人たちに還元していると思うことにした。その方が村人たちも動いてくれているのだし。

 これで収穫が上向いていけば、村人たちからちゃんと信用されていくのだと信じている。


 屋敷の脇に、草木灰を作るために穴をすでにいくつか掘らせていた。延焼防止などのためだ。


「どうぞ、殿」


 篠岡八右衛門が松明を渡してくれる。俺はそれを穴の底に、火が消えないようにして置き、その上から蒲を少しずつ足していく。

 他の穴でも、同じように蒲に火が付けられた。そして、燃え上がらないようにゆっくりと蒲と持参された雑草が焼べられていく。


 俺は途中でやりたそうな村人に変わってもらい、この神事を行うような雰囲気になってしまった草木灰作りからそっと離れた。


「殿、どうかされましたか?」


 篠岡八右衛門が、いつの間にか近くに佇んでいた。そっと瓢箪も差し出されたので、受け取って口をつける。


 火の近くにいたので、喉が渇いていたからちょうど良かった。


「いや、これで収穫が良くなればいいと思っていただけだ」


「不敬は承知でいいますが……殿は、不思議なお方ですな」


 俺は弾かれたように篠岡八右衛門を見る。同じことを平手政秀に言われたのを思い出したからだ。


「それがしの様に村に根を張る地侍でもないというのに、このように村のことに心を砕いておられる。普通なら、収穫を気にするだけで足繁く通う事なんてありません」


「乗りかかった舟だからな」


「それなら百貫文を手に入れたところで引くのが常道。いくら普請に取り掛かっていたと言えども、それでもなお新田を拓き、水路も拵えた。殿は、この村をどうなさるおつもりか?」


 篠岡八右衛門がその目つきを鋭くさせる。


「別に村をどうするもこうするもない。俺はただ恩ある信長様……殿についていく。その為には力が必要だし、この村はその一歩だ」


「大殿のためだというのですか?」


「突き詰めれば、そうなるのだろうな。戦で勝つには兵が必要だ。兵を養うには銭も米もいる。そのために……できるだけのことをやっておきたい。村が豊かになればいいとか、人々に笑っていて欲しいなどと、そんなことは考えてもいないのだ」


「それでも殿は、村のために何かと手を尽くして下さっている。我らをただ扱き使うことだってできるというに」


「そんなことをしたら、八右衛門がみなを連れて逃散してしまうだろう」


 俺も睨みつけるようにして篠岡八右衛門を見返す。やがて、どちらからともなく笑い声を上げた。

 御恩と奉公で結ばれていながら、君臣お互いを利用しあっていたのだ。成り上がり者には、似合いの関係とも言えるだろう。


「殿、家臣にしてくださった時にどこまでもお供すると申しましたが、改めて誓わせて頂きたい。篠岡八右衛門は、終生を殿について参りましょう」


「いいのか? 村を利用しようとしている俺で」


「扱き使われたり無関心も困りものですから、利用しようとしているくらいが丁度いいのです」


「そうか……これからも、よろしく頼む。俺は何もかも足りていない。だから、何かと補ってくれ」


 篠岡八右衛門が俺に向かって跪いて、頭を垂れた。


「委細、承知仕りました。して、大殿はどこまで行かれるのでしょうか?」


 信長様がどこまで行くか。そんなことは決まっている。


「……天下だ」


「は? 天下、ですと?」


 尾張半国の領主が天下を目指す。普通なら馬鹿げた考えだけど、俺だけがそれを叶えると知っている。


 篠岡八右衛門が、我慢できずに吹き出して、再び笑い声をあげる。


「いやはや、殿はとんだ大嘘つきでございますな。して、天下人のために我ら木端侍は何が出来ましょうか」


「天下人までの道を作り、示すのだ」


 俺も顔を緩めて、両手を広げた。


「道を作るぞ、八右衛門。普請だ!」


「では、普請の修練が肝要。これからも、水路を作り、田畑を拓きましょうぞ」


「来年には清須と津島までの道普請もあるからな。今回のことを活かして、我が村の者たちの働きをご覧に入れるのだ」


 口に出すと、どうしてかどんどん興が乗ってきてしまう。


「いずれは城を、そして川をも作ってみせよう」


 まだ手に持っていた瓢箪の水を口に含む。何故か篠岡八右衛門が止めようとするが、その前に一気に飲み下す。


「そうだ! 琵琶湖だ! 近江の湖と揖斐川や長良川を繋ぐというのはどうだ!?」


 村人たちが大声を上げる俺を、何事かと振り返る。


「そうすれば、水運で尾張、美濃、近江、山城に河内と摂津、全てが結ばれるぞ!」


「殿! 今日はもうお休み下さい! 清須と村を行き来し、きっと疲れておるのです」


「いいや、休んでいられん。さっそく、この考えを信長様に聞いて頂かねば!」


「お前たち、殿をお止めするのを手伝え! 酔ってしまわれた!」


 何だどうしたと集まってくる村人たち。


「酔ってなどいない! 酒など飲んでいないのだからな! これは高揚というのだ!!」


「酒が入っていた瓢箪に水を入れたそれがしが(わる)うございましたから、どうかお静まりを!」


「思いついた! いっそのこと、若狭にも繋げるのはどうだ!? これは大仕事になるぞ。ぜひ信長様に進言する必要がある!」


 信長様にお会いするために清須へ戻ろうとする俺を、羽交い締めにして邪魔をする篠岡八右衛門。村人たちまでもが俺を押さえ込もうとしていた。


「殿がご乱心された!」


「乱心など、するも――」


 突然、喉元にせり上がってくるものがある。


 俺の異変を察した村人が、まさかという顔をして慌てて離れていく。篠岡八右衛門が逃げようと羽交い締めを解いたところで、我慢できず口から吐き出された。









「どうして朝になっているんだ」


「殿、お目覚めでございましょうか」


 篠岡八右衛門の妻が障子の向こう側から声をかけてきた。


「ああ、起きている。それで、なぜ朝になっているんだ? 灰を作って、八右衛門と話をしていたと思うのだが……」


 障子が開けられると、縁側の向こうの地べたに篠岡八右衛門が正座をしているのが見える。


「さあ、どうしてでございましょうね。それよりも、清須から新次郎殿が来ております。火急の報告がお有りだとか」


 何やら触れてはいけないことのようだ。俺は起き上がり、殊更篠岡八右衛門を見ないふりをして居間に急ぐ。もしかしたら、戦が始まるのかもしれない。


「新次郎! 何があった!?」


「大殿がお呼びございます。至急、登城せよとのお達しで」


「わかった、急ごう。何があったか聞いているか?」


「それが……お達しを持ってきたのが、お妙殿でして……詳しくは教えてもらえなかったのです」


 妙が? もしかして姉に何かあったのか?


 起きたばかりで見苦しい格好ではあるけれど、とにかく急がなくてはならない。新次郎がまだ何か言おうとしているのを無視して、屋敷の外へ出ようとする。


「何でも、目出度いことだから早く来るようにと」


 新次郎の言葉に、俺は盛大に蹴躓(けつまづ)いてしまった。








 織田信長がまだ尾張の支配を進めている頃、道祖長通には幾人かの家臣がいたとされている。その中の一人が、篠岡八右衛門であった。後々長通の偏諱(へんき)を受けたとも言われるが、確かな証拠は一つもない。

 道祖長通に長く仕え、『道祖実記』には股肱の臣の一人と記されており、永禄始めころからその活動を見出だせた。恐らく、家臣となったのはそれよりも前のことであろう。

 お酒が弱い人の近くでは誤って飲まないように気をつけて下さい。また、騙してお酒を飲ませても当然いけません。軽い気持ちでも絶対に駄目です。今回の話はあくまでお話です。

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