蒲黄売
信長様から藤吉郎を調べろと言われたものの、すぐに近づいては不審がられるだろうから少しの間距離を置くことにした。
前田孫四郎利家から、村井長八郎とともに槍の稽古をつけてもらっている新次郎が聞いたところ、色々と世話をしてやっているそうだ。順調に仲良くなっているようで何よりだ。これで、いずれ食事なりに誘いやすくなるだろう。
それよりも問題だったのは、俺の知行地のことだった。俺から村の有様を聞いて、信長様は怒声を上げて村井吉兵衛貞勝を呼び出した。
「わしに恥をかかせるとはどういうつもりだ!」
慌ててやって来た村井貞勝を叱り飛ばす信長様。
「はっ! いえ、そのようなことは決してございません!」
「では長三郎に与えた知行地は何だ!? 村は田植えすら出来ておらんと言っておるぞ」
村井貞勝が平伏しつつ、俺に顔を向けた。うなずいて本当のことだと伝えると、とても驚いている。
「すまぬ長三郎。まさか……逃散するような村を選んでしまっていたとは……」
「いえ、逃散している訳ではありません。それに、村井様に対して何も恨み言は持っておりませんので」
「しかしだな……初めての知行地。何かあれば、お主の名に傷がついてしまうぞ」
確かに、初めての知行地で村人たちが逃げ散ってしまったとあっては、笑い者にされるだろう。所詮は武士ではない成り上がり者だと。
そう思い至った時、なんとなく察しがついた。誰かが俺を陥れようとしたのだと。ただの被害妄想かもしれないが、たまに向けられる冷めた視線が脳裏をちらつく。
全ての指出と検地帳を村井貞勝が精査しているわけではない。元大和守家家臣の聞き取りだってそうだ。おそらく、どこかで捻じ曲げられたのだ。
薄ら寒いものを感じるけれども、こんなことで負けていられない。
俺は怒りが収まらない信長様に頭を下げた。
「どうか村井様をお叱りにならないで頂きたく思います。此度のことは必ず乗り越えてみせますので、伏してお願い申します」
「駄目だ。このままでは腹の虫が収まらぬわ」
もう村井貞勝への怒りではなさそうだった。村井貞勝も思案顔になっていることから、俺と同じ考えに至っているのだろう。
「吉兵衛、知行地を改めて調べよ。恩賞をやった者たちの分が優先だ」
「かしこまりました。すぐに調査いたします。しかし……恐らく限られた地だけの問題でありましょう」
言外に俺だけを狙ったと言っている。大掛かりにやれば、それだけ問題になって犯人が露見しやすくなる。俺だけなら、何かの間違いで済むという算段だ。
信長様がうなずき、持っている扇子を今にも折れそうな位に曲げる。扇子が折れてしまう前に、俺は信長様に平伏して願い出た。
「殿、お一つ……いえお二つ力を貸して頂ければ、我が知行地の問題を解決してご覧に入れます。そうすれば、さぞ面白いことになりましょう」
せっかくの企みが乗り切られたとしたら、計画した奴はきっとくやしいだろう。
「銭か?」
「いえ、銭ではありません。それなりの銭を動かせば、誰もが行き先を気にしますので」
そうなれば、どうにもならなくて信長様に泣きついたと陰口を言われる。今は城の奥で暮らす姉にも、心配をかけるだろう。
「まず、幾人かの者たちに安堵を頂きたいのです。殿に口添えする約束で、その者たちから村内の田を譲り受けたので」
「……よかろう。その者たちが申し出れば、安堵を出す」
これで問題なく田が譲られるはずだ。
「ありがとうございます。では、もう一つなのですが――」
本当なら、安堵状の口添えだけのつもりだった。でも、信長様が協力してくれるのなら、銭以上の価値ある物が手に入る。
俺は新次郎を清須に残して知行地の村へ向かった。新次郎は、前田利家に預かってもらっている。本人には言っていないが、藤吉郎の様子を後で聞くためだ。
村に戻ってみると、篠岡八右衛門が一人苦心している様子が見られた。村の男衆は力仕事にやる気を見せず、用水路と新田は僅かな進捗しかない。
篠岡八右衛門に問題があるよりも、俺のためにせっせと働きたくないのが本音だ。春まで乗り切れば、あれこれ口を出そうとする俺を追い出したいとさえ思っているだろう。
幸いだったのは、女子供は篠岡八右衛門の妻の指導で蒲を集めてくれていた。花粉は採取され、ちゃんと干して、ある程度乾燥されている。本当ならもっと乾燥させたほうが良さそうだけど、今は急ぐので仕方がない。
蒲黄を壷に詰め、俺は篠岡八右衛門とともに津島に向かった。
「よく来られた。名は、殿より聞いている。道祖……長三郎だったな」
「左様です。お見知り置き下さって恐悦至極に存じます」
目の前に座る人物、堀田孫右衛門正定に向かって頭を下げる。
商人ではあるけれども、ただの商人ではない。尾張と美濃を流れる長良川に多大な影響力を持つ津島を代表する商人。
さらには、信長様と斎藤山城守利政との正徳寺での会談にも協力している。
一応弾正忠家の家臣であるが、ただの名目にすぎない。
「それで、今日はどうされた? 殿のお名前を出してまで、この儂に会いに来るとは……」
本来なら、事前にお願いして時間を取ってもらうような人物だ。だけど、信長様の名前を借りて強引に会ってもらっていた。
「お時間をくださってありがとうございます。今日は、堀田様に買っていただきたいものを持参いたしました」
俺が後ろに控える篠岡八右衛門にうなずきかけると、そっと壷を俺に差し出してくれる。
「こちらでございます」
「壷? 随分と出来の悪い物だ……」
そりゃ村にあるやつだからな。豪商から見たら、大したものではないだろう。
俺は苦笑を浮かべて頭を振る。そして、壷の口を覆っている紙を取り、そっと壷を前に出した。堀田正定が壷の中を覗き込む。
「何だこれは……。粉?」
「ええ。血止めの薬となる、蒲黄でございます」
俺の言葉に、堀田正定の顔つきが変わる。これまでは、分不相応にも信長様の名を使って会いに来て、物を売りつけにきた成り上がり者に対応する顔だった。
しかし今は、津島での堀田一族の繁栄を築き上げた傑物、まさにその顔だ。
「漢方か。どこでこれだけ手に入れた」
「我が知行地にて。堀田様には、これを買って頂きたいのです。如何でしょうか?」
堀田正定は蒲黄に触れ、感触を確かめている。本物かの確認と、少しでも安く出来ないかと粗を探しているのだ。
「本物のようではある。しかし……」
「信用できない、と。では、少し試してみせましょう。小刀なりをお貸し下さい」
俺は断りを入れ、小刀を受け取る。そして、腕を少し傷つけた。じわっと血が出てくる。
その傷に、俺は蒲黄をつけた。初めて使った時は、量がわからずに全部使ってしまった。だけど今回は来る前にちゃんと実験している。まだ貴重な物ではあるけれど、目の前で失敗するよりもよかった。
「うむ、血は止まったな。どうやら、まがい物では無いようだ。ふむ……では、いくらでこれを売りたい?」
「壷まるごとで……百貫文」
俺は堀田正定を睨みつけるように見る。相手は、つまらない様子で俺を見返した。相場を知らない輩と思われていた。
「興が削がれてしまうわ。この壷だけで、百貫文とは……。話にもならんな」
堀田正定が立ち上がり、部屋を出ていこうとする。
「もっと考えてくることだ。ふっかけるのは、悪しきことと知れ」
「本当に帰られて宜しいのですか? 壷、丸ごとでございますよ。それがしは、他の津島の商人に持ち込んでも構わないのです」
「脅しにならん。それに百貫出す輩は、どこにもおらん」
「では、仕方がありませんね。これで、御暇いたしましょう。それにしても……堀田様はこれが欲しくはありませんか」
正に部屋から出ようとしていた堀田正定に、俺は壷を覆っていた紙を広げてみせる。紙には、数行の文章と信長様の花押、信長様が発給した蒲黄商売の免許状だ。
これがあれば、信長様の支配領域なら蒲黄は堀田家が独占的に商売できる。
「それは……まさか!」
「はい、殿よりの免許状でございます。あとは、これを持っていき、殿に堀田様の名前を書いてもらうだけ」
信長様にこっそりと用意してもらった。銭は大量になるので発覚してしまうけれど、免許状なら信長様が書いてしまえば誰にもわからない。
「銭百貫。決して、高くはありますまい」
してやられたという顔をする堀田正定。
「堀田様にもう一度お尋ねします。百貫文で、壷ごとお買いになりますか?」
「わかった……百貫文で買おう」
「ありがとうございます」
俺と篠岡八右衛門が揃って頭を下げる。これで、税が取れない分を補って余りある臨時収入が得られた。用水路と新田の作業にも、藤吉郎がやったように褒美を用意できる。
「なぜ、早くこれを出さなんだ。初めから出しておれば良かっただろう」
「そうすれば、堀田様には買い叩かれると思いました。一文でも高く売るため、浅知恵を絞った次第です」
「確かに、初めから免許状を売るのだとわかっていたら、百貫文では買わなんだな……」
「ご不快な気分にさせてしまったのなら、謝罪いたします」
俺がもう一度頭を下げようとすると、笑ってそれを止められた。
「よいよい。素人と侮った儂がしくじったのだ。道祖長三郎、殿より聞いていたが、なかなか目端が利きよるわ」
「お褒め頂き、恐縮でございます」
「して、銭はどうするのだ。百貫文だと、二人では持って帰れまい」
「一貫文だけ持ち帰ります。他は秋まで預かって下さればありがたいのですが」
秋になったら、今度は銭を米に変えなければならない。豪商の堀田家なら米商人にも顔が利くだろう。必要分を用立ててくれるはずだ。
「わかった、残りの九十九貫文はこちらで預かろう」
「助かります」
俺は大きく息を吐く。篠岡八右衛門も安心して笑顔を浮かべている。これで、村の食糧問題に心配はいらない。
堀田正定が証文を書きながら、思い出したと顔を上げる。
「そう言えば、殿にはまだお話ししていないのだがな」
「なにか、ありましたでしょうか?」
首を傾げる俺を手招きする堀田正定。近づくと、耳打ちされた。
「今川らしき者たちが、津島に出入りしておる」
「本当ですか?」
「確定ではない。なかなか尻尾を見せんので、手こずっておるのだ。恐らく、何者かが手引しておる」
他国の者がこっそり行動することは難しい。それは津島という人の出入りが多いところでも同じだ。まだわからないということは、この周辺を知っている誰かが匿っているとしか考えられない。
「津島を戦場にしたくはない。お主からも殿に伝えて、ここは我らに任せて欲しいと進言してくれ」
普通ならこんなことは俺に頼まない。けれど、信長様に免許状を用意して貰ったのだから、近しい立場にいると考えてのことだろう。
藤吉郎、そして今川の関係者と思われる連中。繋がりがあるのかないのか、まったく見えない。けれど、今川はやはりまだ手を緩めるつもりはないようだ。
俺は堀田正定にうなずき、篠岡八右衛門には気にするなと手を振った。




