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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
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城生活

「そこのわっぱ、道を教えよ」

「はて? どこへの道でしょうか?」

「のどが渇いたので、川を探しておる」

「それならここに水を入れた瓢箪がございます」

「おお、ではそれを貰おう」

「お飲みになられたな。飲んだのだから銭を払って貰いましょう」

「なんと図々しい奴だ。決して払わぬぞ」

「ならば賽子で決めるはいかが?」

「賽子とあれば引くことは出来ぬ。さあ、勝負とまいろう」

                          ――織道振賽録――









「信長様、もう城に帰りましょう!」


 俺の叫びを無視して、信長様は馬を駆けさせ続けている。


 十一歳の子供に馬を追いかけさせるなんて、どんな神経しているんだよ!


 心のなかで悪態をついても、馬は止まる気配を見せない。俺は馬を見失わないように走るしかなかった。

 どうして見失ってはならないのかというと、勿論主君を一人にしてはいけないというのがある。しかし、幸いにも主君信長はそれでは怒らない。俺が馬を見失わないようにするのは、信長お付きの武士である助次郎、平手勝秀からくどくどと嫌味を言われるからだ。


 もういい加減に限界というところで、ようやく信長様が馬を走らせるのを止めてくれた。そして、並足で円を描くようにして待っていてくれる。


「遅いぞわっぱ! もっと速く駆けよ」


「そんな……無茶な……」


 昨年に信長様が村に夫役を懸しにきたとき、俺は賽子勝負を持ちかけて免除を勝ち取った。俺は勝負をふっかけた人物がまさか織田信長と思わず、名前を聞いて頭が真っ白になった。その後、斬られなくてよかったと腰を抜かしたのは、今でも笑いの種にされている。


 そして俺は、面白いやつということで、信長様に小間使いとして召し抱えられた。姉も那古野の城で下女として働いている。信長様たちが帰る際に、家や田畑はあれよあれよという間に売り払われてしまい、ほぼ身一つで那古野城に連れてこられたのだ。まるで人さらいにあった気分だった。

 城での生活は村よりも快適だ。朝から晩まで働くことには変わりないけれど、姉と二人で農作業をするよりも仕事に追われないのできつくない。

 父のことも、ゆっくり姉と話し合うことが出来た。仕事を理由に溜め込んでいるより良かったと思っている。それに遺髪は信長様の計らいで坊主に供養してもらえたのだ。そのお陰か姉に切羽詰まった様子がなくなって、新しい仲間と楽しく仕事をしている。俺はというと、毎日朝夕と馬を追いかける苦行を味わっているのだが。


「まだまだだな。だが、わしを見失わなくなったのは褒めてやる」


「あり、ありがとう、ございます……」


 そりゃこうも走らされたら体力もつくよ。武士なんだから馬の稽古が大事なのはわかるが、今は他にやることがあるだろうに。


 俺は信長様の馬を引きながら、馬上の主を見上げる。


「信長様、お聞きしてもいいですか?」


「なんだ?」


「もうすぐご結婚だというのに……こんなことしていて良いんですか? 家老の平手様も、お気にされていましたよ」


 信長の家老を務める平手政秀。信長様には何を言っても効果がないと悟ったのか、小間使いとしてほぼ付きっきりになっている俺に小言を言ってくる。そんなことは、自分の息子の助次郎勝秀に言えばいいものを、言い返せない俺を呼び出すのだ。金勘定に長けた風流人であるようだけど、小間使いの俺には嫌味なじじいでしかない。


「また平手の(じい)に小言を言われたな。お前が気にすることはない」


「気にはしません。でも、相手の方にまだお会いしてないじゃないですか。美濃からこっちに来たのに、信長様の顔も知らない。さすがにかわいそうですよ」


 信長様の結婚相手、美濃の斎藤利政((道三))の娘、帰蝶様はすでに那古野城に到着していた。だというのに、まったく会おうともせずに、一日中あちこちを駆け回っている。まるで嫁から逃げているようだった。


「顔を知らないのはわしも同じだ」


「そんな屁理屈を仰っていないで、会いに行かれてみたら良いじゃないですか。姉ちゃんは綺麗な方だって言ってましたよ」


 姉は帰蝶様の下で雑用をやることが多いらしい。美濃から帰蝶様と一緒に来た侍女の手伝いをし、話をしたことはないけど近くで見る機会があったと、夜に教えてくれた。


「こんなことになったのも親父が情けないせいだ。親父が美濃で負け、三河でも負けた。どうしてわしが親父の尻拭いをせねばならん」


 おいおい、反抗期かよ。そりゃ、まあそんな年齢でもあるけれど、それを嫁にぶつけるのはいくらなんでも違うだろ。


「殿様も好きで負けたわけではないでしょう。最近は病で体調を崩しておられると、平手様からお聞きのはずです。ここはお父上をご安心させると思って……」


「わっぱ!!」


 信長様の怒声に首をすくめる。やばい、これは本気で怒ってる。


「わしに向かって偉そうではないか。餓鬼のくせに、説教までたれるとはな……」


「そ、そんな……そんなつもりでは……。おれはただ……姉ちゃんが……」


(つう)がなんだというのだ」


「……放っておかれる帰蝶様が、気の毒だって言うから……」


 言っちゃったよ。まあ、俺があんな平手の嫌味じじいや会ったこともない織田信秀なんかのために動くわけがない。


 また叱られるのではないかと馬上を見上げるが、信長様はじっと前を睨みつけるようにしている。


「……今日は賽子では許さん。城まで駆けるぞ、ついて来い!」


「え、そんな急に!」


 俺は駆け出す馬を、また必死になって城に着くまで追いかけた。









 馬小屋の前で、大の字になって倒れ込む。かつてなく走らされて、もう立っていられなかった。よく振り切られなかったと自分を褒めてあげたい。

 

「わっぱ、明日も早駆けだ。今日はもう下がって休んでいろ」


「……はい……わかり、ました」


 つまりは明日も全力疾走ってことか……。


 信長様は俺を置いてさっさと城に入っていった。俺は、邪魔そうに見てくる馬の世話係の目を逃れるために立ち上がろうとする。そのとき、すっと影が差し込んできた。


「今日は若殿に置いていかれなかったようだな」


 平手助次郎勝秀だった。いい歳して親子揃って俺に嫌味を言う、面倒な人だ。


「助次郎様……はい、どうにか……」


「どうだか。若殿に泣きついて、そういうことにしてもらったのではないのか? それともまた賽子でか?」


 この助次郎勝秀は、俺のような小間使いをいびって何が楽しいのだろうか。武士にもなっていないただの子供だぞ、俺は。


 ぐっと髪の毛を掴まれて顔を上に向けさせられる。もうへとへとになっていて、痛いけれど逆らう気にもなれなかった。


「若殿に気に入られているからって、いい気になるんじゃないぞ。お前のような村で生まれた小僧が、平家物語を知っていた珍しさから、そばに置いておられるだけだ。それが無くなれば、小間使いとしても用済みだ。別のやつに取って代わられるんだよ」


「自分の立場は……重々承知しております」


 ふんっと鼻を鳴らして、髪の毛を開放された。そのまま、助次郎は背中を見せてどこかに行ってしまう。


 まだ殴る蹴るといった暴行を加えられないだけましだと思う。信長様に泣きついても、向こうの方が側近歴は長いのだ。そう簡単に信じては貰えないだろうし、子供の戯言だと片付けられて、よけいにひどいことになるかもしれない。


「平家物語は失敗だったかな」


 助次郎は事あるごとに平家物語を持ち出してくる。ある時は信長様の前で、この和歌を知っているかと聞いてきたり、平家物語の合戦話を披露したりなんかもする。確証はないけれど、天下三不如意を覚えていなくて悔しかったのではないだろうか。自分が覚えていなかったことを、村の子供が覚えている。変な優劣心に火をつけてしまったのだ。

 俺は平家物語の全てを覚えているわけもなく、大人しくご高説を聞いていたのだが、その態度も癪に障ったのかもしれない。


「姉ちゃんには何もしないし、しばらく我慢するしかないか」


 明日も走るのだから、早く帰って休もう。疲れた体を引きずって、どうにか家路についた。









「長三郎が信長様に言ってくれたの?」


「何を?」


 俺は姉が持ってきてくれた握り飯を頬張りながら首を傾げる。


「信長様が帰蝶様に会いに来てくれたの。それに、お話もされたのよ」


「へー。そうなんだ……」


 あの信長様がねぇ。時間的に帰ってきたらすぐに行ったのか。


「信長様、どんなお話をしてたの?」


「そんなの分かるわけないじゃない。長三郎と一緒で、あたしも下っ端なんだから。お二人の部屋に入ったこともないわよ」


「まあ、そうだよね」


 自分だって信長様の小間使いだが、信長様の部屋に入ったことはない。帰蝶様の世話を臨時に手伝っている姉にしても、そりゃ入れるわけないか。

 ちゃんとした身分なり信用を勝ち取らないと、重要な仕事は任せてもらえないし、話もなかなか聞いてくれないのだ。


 だから、生活が楽になっても、現代知識を活用する機会なんて巡ってこない。ちょっと目端が利く小僧の扱いから、抜け出ることはなかった。

 それも仕方のないことだと思う。何せ実績もない、運が良かっただけの子供だ。こうして、生活の心配をしなくて良くなっただけでも儲けものと納得している。


「それで、長三郎から帰蝶様のこと言ってくれたの?」


「まあ……言ったけれど……。俺が言ったからって、信長様が聞くとは思えないよ」


「うん。でも、ありがとう。帰蝶様の顔、ちょっと見えた。うれしそうというか……安心した様子だったから」


「……姉ちゃん、まだ足らない。もっと食うもんない?」


 握り飯を平らげて、手についた米粒を舐め取る。決して、姉にお礼を言われた照れ隠しとは違う。


「はいはい。最近は本当によく食べるようになったわね」


 これだけ走り回った上に成長期なのだ。少し食べただけでは、逆に腹が減ってしまう感じがするくらいだ。


 仕方ないと腰を上げる姉。姉が戻ってくるまで、寝転んで待っていることにする。


 このまま信長についていっても、数十年は問題ないはずだ。でも、どうにかしてもっと姉を楽にさせてやりたい。そのためには、歴史に影響をできるだけ与えず、それでいてある程度の地位を確保しないといけない。さらには死なない立場にいることも重要だ。


 どうしようかと考えながら、うとうとと睡魔に襲われ、姉が戻ってくる前に寝てしまった。

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