村興し 弐
俺たちが屋敷を出ると、まだ村人たちが不安そうに櫓門の近くで佇んでいた。そして、篠岡八右衛門の姿を見ると、わっと駆け寄ってくる。
「八右衛門様、我らはどうなるんでしょうか?」
「八右衛門様!」
動揺する村人たちを、篠岡八右衛門がどうにか抑えようと両手を使って宥める。
「心配するでない。新たに御領主となった道祖長三郎様がどうにかして下さる。だから今は、落ち着いて指示を待つのだ」
「八右衛門様がそう仰るなら従いますが……」
不信感たっぷりの顔を俺に向ける村人。
自分だってここですぐに信頼を得られるなんて思っていない。でも、ここは俺が前に出るべきだろう。正直、どうにかできるかはわからない。その手がかりを探しに、これから村を回るのだから。
何か言おうとする篠岡八右衛門を手で制す。村人たちの視線に怯みそうになるのを、心のなかで叱咤して前に出る。
「大丈夫だ。お前たちを飢えさせはしない。この道祖長三郎に任せておけ」
どうにか、そう告げるけれども反応は良くない。
余裕のないこの時代では、言葉だけで人は動きはしない。実績や行動を示す必要がある。
村がこんな状態になっても、逃げ出さずにまだ村に残っているのは、それだけ篠岡八右衛門を信頼しているからだ。そして、その信頼は日頃から彼らと過ごして培ったもの。
まだ俺を信じはしないけれど、種はまけたはずだ。後は、頭を捻ってどうにかするだけ。
「さあ、道祖様が任せろと言っているのだ。散った散った。今は邪魔をするな」
心配している村人を篠岡八右衛門が手を振って解散させる。それでもなかなか去ろうとしないので、俺はもう構わずに歩き出した。すると、みるみると俺を避けていって、道が出来上がる。
「八右衛門、歩きながら話を聞く」
「はっ!」
俺は持ってきていた指出を懐から取り出し、篠岡八右衛門に示す。
「隠し田などはあるか?」
「ありませぬ。騙しては、助けていただけないかと思いまして」
「よし。じゃあ、村にいない田んぼの持ち主はどうだ、何か聞いているか?」
村は俺の知行地となったけれど、田んぼは他に所有者がいるかもしれない。そうした田んぼは村が管理して、税だけを納めることになっている。
こうした田んぼの所有者が誰なのか知っておく必要があった。田んぼ一枚に複数の所有者がいたり、耕すのも複数だったりする。だから、こうした情報は指出ではわかりにくく、村の協力がなければわからない。
「健在です。ただ、幾人かは先の戦で死んでおりますな。しかし、跡継ぎがいるのでそいつらに年貢を納めなければ……」
名前を上げていくが、聞いた限り大物はいそうにない。これは信長様の近くで文書を見ていたからわかる。馬廻りになっても、まだ人手不足だから使い走りにされていたからだ。
「心配ない。伝手を利用して、この村の田を放棄させる。もしくは、安く買い上げるかだな。新次郎が銭を持ってきたら、さっそくそいつらを回ってみよう」
この村に余計な手が入ってこないよう、できるだけ俺の物にしてしまうつもりだ。最初はそんなつもりはなかったが、村を救うには権利者は少ないほうがやりやすい。
「わかりました。ご案内します」
「あとは……寺社への油代か。これを放棄させるのは無理。俺の銭で払ってしまおう」
寺社は、油などの消費物を賄うために税収を守ろうと必死だ。
これが他国の寺社なら押領してしまうのだけど、近場の寺社だった場合面倒なことになりかねない。周辺の村を煽動して取り立てられでもしたら、目も当てられなくなる。
「その……ありがとうございます。まさか、そこまでしてくださるとは……」
「勘違いするな、八右衛門。お前の持つ田畑を全て取り上げるのだ。その代金だと思え」
「覚悟しておりました。村を救って頂けるのなら、先祖が築き上げた物を全て、差し上げます」
地侍と言っても、田畑を耕す百姓とそう変わらない。その百姓から、代々受け継いだ田畑を取り上げるのだ。
覚悟をしていたため、篠岡八右衛門はまっすぐ俺に視線を向ける。村がどうなるのか見届けたら、仕官を求めてさすらうつもりだろう。
でも、そんなこと許さない。
「その上で、三貫文の禄を与えるから、俺の家臣になれ」
「家臣……それがしを、家臣にするというのですか?」
「そうだ。俺は信長様、いや殿の命令で各地に行くことになる。在地に詳しい者がいれば、なにかとやりやすい」
それに、俺は武士としてはまだ若い。だから、地侍として経験を積んだ篠岡八右衛門がいれば、睨みが効くだろう。
「どうだ、八右衛門? 俺を助けてくれないか」
「……承知、いたしました。この篠岡八右衛門、道祖長三郎様にお仕え申します! どこまでも、お供いたしますぞ!」
篠岡八右衛門が跪き、頭を垂れて俺に忠誠を誓う。
「いずれ知行を十貫、二十貫にもしよう。それまでは、妻子のために耐えて頑張ってくれ」
「ありがたきお言葉、必ずやお役に立ってみせます」
「ああ、これからよろしく頼む」
俺が篠岡八右衛門の肩に触れようとした時、横の茂みから何かが飛び出してきた。
視界の端に、小さい何かが細い棒のようなものを持って突っ込んでくるのが見える。刀は間に合わないと、とっさに飛びすさろうとするが、間に合わずに棒が振り下ろされた。
斬られる!
そう思ったが、柔らかい物が胸に当たって黄色い粉が舞い散る。
「なっ!」
いったい何が起こったのかわからない。驚きに硬直している間に、篠岡八右衛門が襲撃者を掴み上げた。
「殿に何てことをするのだ、この悪戯小僧が!」
襲撃者は、ただの子供であった。茂みの奥から、もう何人かの子供が恐る恐るこちらを見ている。
「申し訳ありません。こやつは、恐れ知らずの悪戯者でして。それがしも時折、襲われるのです」
「まったく、良い度胸というか物を知らないというか。下手したら斬り殺されるぞ」
胸についた粉を数回払うが、全然取れない。
「親に、よく良い聞かせておきます」
「そうしてやれ。斬られてからでは遅い」
まったく。初めて家臣を得たというのに、全然締まらない。まだまだ信長様のようにはいかないってことなのだろうか。
俺はため息をつき、篠岡八右衛門に掴まれたままの懲りてない様子の悪戯小僧を見る。そして、その手に持っている物を取り上げた。
振り下ろされたのは、俺が暮らしていた村にも生えていた蒲だった。田んぼや沼によく生えている。
「殿はお怪我はありませんか?」
「ああ、足も挫かなかった。それにしても、まさか蒲だとは」
蒲の雄花を触ると黄色い粉が手につく。指で弄っていると、似た物を思い出す。
これ、もしかして血止め薬の蒲黄じゃないのか? 滝川一益が持っていた物は、もっとサラサラしていたけれど、乾燥なり振るいにかけていたとすれば……。
「ほれ、殿に謝罪せよ」
篠岡八右衛門が悪戯小僧に謝らせようとする。不承不承で膝を地につけようとした悪戯小僧を、俺は両手で抱き上げた。
「よくやった! もしかしたら、良い物を見つけたかもしれんぞ!」
訳も分からずおろおろと慌てだす悪戯小僧を抱き上げたまま、俺は大きく笑い声を上げた。
「今年は米を作らないですと?」
「そうだ。今更種籾を手に入れても苗にする時間はないだろう。もちろん、来年の分の種籾は買うことになるがな」
夜、俺は篠岡八右衛門の屋敷で、食事をしつつこれからのことを相談していた。
「しかし、秋からの村人たちの食い物はどうしましょうか……」
「秋の収穫後に米を買う。収穫後すぐに買う輩はいないだろうし、今買うよりも安く済むはずだ」
「そのような大量の銭をお持ちなのですか!?」
「いや、貯めてはいたが、とても足らんだろう。田畑の購入費や寺社への払いもある」
絶対に必要になると、姉はずっと俺の禄を貯めていた。使用人だって雇えたのに、勿体無いと自分で全てやっていたのだ。
そうして貯めた銭も、村人全員を養うことは出来ない。
「では、一体どうやって?」
「あちらこちらにある蒲から蒲黄を収穫して売る」
薬である蒲黄は、誰もが持っているわけではない。きっとそれなりの値段で売れるだろう。それに貯めていた銭の残りを加える。
「蒲から取れる粉が売れるとは思えないのですが……」
「とにかく、今は信じてくれ。上手く行かなければ、借金でもして銭を確保するから心配するな」
この時代の借金取りはすさまじい。武士からでも問答無用で土地、刀や槍、鎧を奪っていく。できれば、世話になりたくないものだ。
「わかりました。殿がそう仰るのなら」
口ではそういうが、まだ納得していない様子だ。
しかし、篠岡八右衛門は俺を信じてついてくるしかない。それは、村の連中も一緒だ。
「女子供には近隣から蒲を収穫してもらう。他の村へは礼金を払い、食い物にするから売ってくれと伝えるように。雑草処理をしてやるのだ、これも安く済む。村の蒲は、粉だけを取って抜かないようにさせる。上手く行けば、来年にも売れるからな」
「周囲には馬鹿にされてしまいそうですな」
嫌そうな顔をするが、構っていられなかった。
「男衆には水路を作ってもらう。そして、新たな田んぼをな。畑以外、どうせやることが殆どないのだ。遊ばせるにはもったいない」
案内で見て回った田んぼは、どれも沼のようであった。故郷の田んぼもそうだったから、この時代では普通なのだろう。
この時代で農作業するまで、収穫くらいには田んぼに水がないのは当たり前だと思っていた。けれど、水を抜かないのかと聞くと、父と姉は呆れていたものだ。水を抜いたら土の恵みが流れていってしまうと。だから、二毛作をやらないでわざわざ別に作った畑で麦などを作ったりする。
「西国でしているという裏作をやるためには、これまでと違った田んぼが必要になる。そのために、男衆を雇う。働けば、それに応じた米を秋に配布する」
「裏作、ですか。西国で冬に麦を育てる田んぼがあると聞きましたが、それですかな」
どうやら、二毛作については聞いたことがあるようだ。でも、水を抜くなんて言ったらきっと村人たちは怒り出すだろう。しかし、ここを乗り越えれば、きっと来年は渋々でも言うことを聞かせられるはずだ。
木曽三川で水が豊富な尾張は、湿地帯も多くて湿田ばかり。これを、用水路の整備をすることで根本から手を入れていく。
二毛作をして、村の収穫量を上げる。その条件を整えるために、姉が貯めてくれていた銭全てを使って村人たちの信用を得るための賭けに出るのだ。




