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天文二十三年五月、信長様は自らの居城を清州城に移した。それにともなって、家臣の多くも那古野から清須へと引っ越すことになる。
那古野から清須までの道は、それなりに整備されているが手間ひまをかけて道普請をした道には及ばない。そのため、清須城には象徴性はあっても、利便性は那古野の方に軍配が上がる。
しばらくは城の修復や何やらで金に余裕がないだろうから無理だけど、来年には道の整備拡張をした方がいいな。
俺は、引っ越しを終えた新しい我が家を見渡す。大事な荷物は刀と槍に甲冑の武具、解体した千歯扱きくらいだった。あとは適当に放ったらかしだ。姉はもうとっくに清州城に入っており、ここに来ることは絶対にない。この時代に来て、初めての一人暮らしだ。
とはいえ、周りに住むのもほとんどが同じような一人者の馬廻りたちだ。
信長様は、清州城に移ることから、新たに馬廻りという親衛隊のような部隊を設置した。人員は、主に武士の次男や三男、つまりは那古野勢がそのまま移項したようなものだ。以前と違うのは、臨時の銭雇ではなく、些少ながらみんな禄を貰えている。
勿論、人員には知行持ちもいて、俺もそのなかの一人であった。
「おい長三郎、引っ越しは終わったか?」
断りもなく、前田孫四郎利家がずけずけと新居に入ってくる。そして、部屋を見渡し呆れた声を出す。
「なんじゃこれは、なんにもないではないか」
「当たり前だろ。それで、わざわざ呆れに来たのか?」
「いやいや、ちゃんと用があるのだ。どうだ、今夜はうちで飯を食わんか? 内蔵助も来るでな。どうせ、一人では飯も作れまい」
確かに、食事のことを考えていなかった。今まで姉に頼りきりだったので、どうしたら良いのかわからない。
前田利家が、俺の肩を引っ張っていく。
「ほれ、情けない顔をしてないでゆくぞ」
「わかったわかった。引っ張るな。裂けたらどうしてくれるんだ」
「そしたら、あれだ、俺の従姉妹に縫ってもらえばいい。まつと言うのだがな、幼いのにこれがまたしっかりした子なのだ」
おい、待て、まつって前田利家の奥さんで有名なまつか?
俺はなおも引っ張り続ける手をほどいて、前田利家の隣を歩く。まるで我が事のようにまつの自慢をする前田利家。微笑ましいを通り越してうっとうしいくらいだ。
やがて、前田利家の新居が見えてくる。長屋なので、造りは一緒だった。
「戻ったぞ!」
「孫四郎様、おかえりなさいませ」
十歳にもなっていない女の子が、前田利家に頭を下げる。
「夕餉の方は、いま用意しておりますので」
「構わん。話して待っている。長三郎、この子がさっき言っていたまつだ」
「道祖長三郎様ですね。孫四郎様からお話は伺っております。従姉妹のまつにございます」
えらくしっかりした子だと思わず感心してしまう。
「ああ、道祖長三郎だ。よろしく」
「ほら、こっちに来い。もうすぐ内蔵助も来るはずだ」
手招きするので、火が入っていない火鉢を囲むようにして腰を下ろす。
「それで、急に飯なんてどうしたんだ?」
「いやなに、お前が困っているのではないかと思ってな。姉上殿が城に上がったから、一人になったろう。だからだな、その……」
察するところ、心配してくれていたようだ。妙に張り合うところがあるけれど、こんな風に気を使ってくれるので、本当に良い奴だった。
「気遣いはありがたいけれど、心配いらない。一人でもやっていけるさ」
「それならいいのだがな……」
火鉢をさすりながら、歯切れが悪い前田利家。
「孫四郎、来たぞ!」
そこに、ちょうど佐々内蔵助成政がやって来る。後ろに少年を連れていた。
「おお、来たか。長三郎、そこの子が俺の家臣、村井長八郎だ。内蔵助を呼びに行かせていたのだ。元服したばかりだが、なかなか見どころがあるぞ」
「なんだ、今日は孫四郎の家臣のお披露目といったところか。わしも新しい家臣を連れてくるのであったな」
佐々成政が、俺達と同じように腰を下ろす。
「長八郎は、酒を買ってこい。戻ったら水も汲んできてくれ。こやつは酒を飲めないのでな」
「承知いたしました。すぐに行ってまいります!」
前田利家が村井長八郎に銭を渡すと、さっと走っていってしまった。三人だけになったところで、佐々成政が声を潜めながら口を開く。
「聞いたか? 五郎左殿が清須の普請奉行をお努めになるそうだ」
「それは俺も聞いた。城内の修復と城壁の修理だそうだな。いやはや、あの鬼の五郎左殿が普請などできるのかと驚いたわ」
「そんなこと言っている場合でないぞ、孫四郎よ。馬廻りの大将たる五郎左殿が普請奉行だ。我らも、いつ何時お下知が下るかわからんのだ。今まで通り、槍を振るっているだけというのではいかん」
佐々成政の言うことはもっともだった。知行持ちの馬廻りは、戦時では家臣を率いたり、家臣がいなくても禄を貰っている者たちを率いて小部隊の指揮官になったりする。
平時では、これまで通りに信長様のお世話をする小姓であったり、身辺警護や雑用をこなす近習だった。それに加えて、何らかの仕事が割り振られていっているのだ。
情けない顔を浮かべる前田利家。
「お、俺は槍しか振るえん。そんな役目は……内蔵助や長三郎がやってくれ」
「俺はもう、代官として清須と村を行き来することが決まっている。諦めて槍働き以外も覚えるんだな」
俺が肩を叩くと、前田利家はさらに情けない顔をして頭を抱えてしまう。
「長三郎は家臣をどうにかせねばいかんな。それに清須の家を留守にしては、危なかろう。まさか、武具を持って行き来するわけにはいくまい。銭も家にあるのであろう?」
それを言われてはぐうの音も出ない。周りは知り合いばかりだが、ずっと留守になるかもしれないのだから物を置いておくには流石に不用心だ。
「信頼できる小者と家臣を召し抱えなければならん。早めに動いたほうが良いぞ。今はどこもが人手不足だからな。良い者はすぐに引っ張られてしまう。わしも孫四郎も実家から融通してもらったが、さて長三郎は伝手を頼るしかあるまい」
「伝手と言っても、人手不足なのに紹介してくれないよ。してくれても、使えない奴かもしれないだろ」
使えない上に、紹介なので簡単に追い払えない。嫌でも付き合って行く必要がある。
「贅沢言っている場合か? 今は信用出来る者が必要なのだ。いざ帰ったら、家の中が空だったでは話しにならん。使えなくても、裏切らない奴だ。紹介する手前、それくらいの人物は送ってくるさ」
「そんなものか。でも誰に頼ったものかな」
それが一番の問題であったが、結局まつの手料理が出来上がるまでに結論は出なかった。料理は、数えで八歳が作ったと言うのにそれなりに美味であった。
友人二人は家臣に小者、家を管理する下女が揃っている。実家からの支援があるのとないのとでは、こういうところで差がつくものかと痛感する食事であった。
「姉ちゃんについてるんだろう、何しに来たんだ」
「随分な言いようね、長三郎。お通様が心配されているから、こうしてわざわざ様子を見に来たんじゃない」
前田利家の家で夕食を取った翌日、今度は妙が訪ねてきた。
妙は、信長様の側女となった姉の侍女をしている。とはいっても、姉は今でも帰蝶様の傍に仕えているようなので、姉の代わりに帰蝶様の用事をするのがほとんどだそうだ。
しなくてもいいのに、適当においていた荷物を妙がてきぱきと片付けていく。その様子を眺めつつ、俺は一緒に土間へと追い立てられた、妙が連れてきた所在なさげに立ち尽くす少年を指差す。
「じゃあ、この子はなんだよ? 城の新しい小間使いかなんかか?」
「ああ、私の遠縁の子よ。新次郎! ご挨拶なさい」
「新次郎と申します。よろしくお願いいたします」
緊張し、頭を下げる新次郎。妙とは違って、遠慮というものを知っていそうであった。
「道祖長三郎だ。あれが親戚だと苦労するだろう」
「い、いえ、そんなことは――」
「ほら片付いた。長三郎、もう終わったから上がっていいわよ」
手を払い、まるで自分が家の主人のように手招きをする。俺はため息を付いて、もう示されるがままに座った。そして、妙と新次郎が俺に対面して座る。
さっきまでとは打って変わって、妙がかしこまっていた。
「それで? どうせ俺の様子を見に来ただけじゃないんだろう」
「ええ。……お祝いが遅れましたが、ご出世を遂げられて祝着に存じます。慌ただしく挨拶できなかった故、当主林佐渡守秀貞からも言いつかっております」
林秀貞は、那古野城を任されるようになってから佐渡守と名乗るようになったらしい。正直、正式に任官された訳でもない官途名を名乗る意味はよくわからない。
「ああ、こっちも引っ越しで忙しかったし、那古野を一日も早く修復しないといけないからな」
林秀貞とは信長様について協力関係にあった。でも、清須と那古野に離れたのでそれも切れそうになっている。どうやら林秀貞は、まだ協力していきたいらしい。
「はい。そして、この新次郎を長三郎様の下に置いていただけないかと……」
「その子を?」
新次郎が緊張の面持ちで頭を下げた。
恐らく、妙に代わる林秀貞との連絡係なのだろう。
「この子は元服はまだ先の話、それまでは小間使いとしてお使いあれとのことです」
どうも伝手の無さを見透かされているようで気分が悪い。でも、渡りに船なのはたしかだった。
「代官として家を留守にすることが多くなる。誰もいなくなるから、留守を任せることになっても大丈夫なのか?」
「出来れば付き従いたく思いますが、ご命令とあれば!」
やる気を見せる新次郎。まあ、留守を任せて、孫四郎や内蔵助に様子を見てもらったら問題ないだろう。少なくても荷物を持ち逃げしそうにはない。
「じゃあ、これから頼んだ」
「はっ! 誠心誠意、お仕えします!」
何はともあれ、奇縁から小間使いを得ることが出来た。元服するまでの間だけど、それまでには別の人材が探せるだろう。
その様子を見ていた妙が、さっきまでとは打って変わって親しい友人に雰囲気が戻っていた。
「長三郎、さっき見たけど、水瓶に水が全然ないのよ。新次郎に汲ませてきてくれる?」
「は? はぁ」
新次郎が困った顔をしてこちらを見るので、黙ってうなずいておく。どうせ水は必要になるのだから。
初仕事が水汲みとは釈然としないだろうけど、俺なんて信長様が乗った馬をひたすら追いかけることだったのだ。それに比べたらぜんぜん問題ない。
新次郎が家を出ていったところで、俺は妙に向き直る。
「姉ちゃんはどんな様子?」
「お変わりないわ、まだね。長三郎のことをすごく心配していた。何か伝えておくことはある?」
もう簡単に姉と会うことは出来ない。少なくても、妊娠するまでは。
「……元気にやっているとだけ伝えてくれ」
「ええ、片付けもできていない部屋でね」
笑顔で俺をからかう妙。俺を元気づけようとしてくれているのだと長い付き合いなのでわかった。そして、俺の立場が大きく変わったのに、こうして以前通りに接してくれるのは安心できた。
その夜は、妙があれもないこれもないと怒りながら作った夕食を新次郎とともに平らげた。
初めての部下というのは変な感じである。けれど、次は家臣を探す必要があるのだから、これにも慣れないといけないだろう。




