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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
32/101

守る戦

 那古野城に織田大和守家の軍勢が迫っている。城下の民衆はすでに城の中に逃げ込むか、他へ避難をしていた。


 大和守家の兵はざっと二千といったところらしい。本来ならこの那古野城を落とすには少なすぎる。だが、こちらは那古野城に篭っている味方が四百程だ。城を満たすには全然足りなかった。城の規模に対して城兵が少ないと守りが手薄になってしまって突破されやすくなる。城の防備を活かせられないのだ。


 幸いにも、水・食料・油・矢などの消費物資をかき集めて、籠城の準備はぎりぎりのところでどうにか間に合った。


「思ったよりも早く来おったか。もっと遅くても良かったものを」


 大手門の櫓の上から遠くを眺めて佐久間半羽介信盛がひとりごちる。


 隣りにいる俺も目を細めて大和守家の軍勢を観察した。当然のことながら、守護の仇討ちに燃えているというよりは余裕さがあるように見える。豊かな那古野を乱取りで荒らすのを楽しみにしている感じだ。


「せっかく人も家も増えてきたと言うのに、それが焼かれてしまうのか……」


 弾正忠家も鳴海城を散々放火したのだから、人のことは言えない。けれども、少しずつ盛り上がってきた城下を見ている分だけ、失うのを惜しいと思ってしまう。


 すると佐久間信盛が俺の肩に手を置いた。


「戦の習いよ。それに、城はともかく家はまた建てれば良い。今は城を守ることに注力するのだ。長三郎であったな、殿から聞いておる。もしもの時は帰蝶様を必ずお連れするのだぞ」


「はい。それは、厳命されておりますので必ず」


「まあ、この半羽介信盛が大手門を守っておるのだ。奴らの一人たりとて中には入れさせぬので、無用な心配であるのだがな。何日でも持ちこたえてみせよう」


 佐久間信盛が豪快な笑い声をあげる。大将の余裕な態度に、大手門を固めていた兵たちの緊張が和らいでいった。

 そして、櫓から身を乗り出して兵たちを鼓舞する。


「皆の者! よいか、清須の大和守家などという臆病者共に遅れを取るな! 奴らは長年、恐れ多くも亡き武衛様を盾にしてきた連中だ。そして、今度は武衛様弑逆を我らに擦り付けた! 臆病にして卑怯な輩ではあるが、手柄には違いない。功名を立てるは今ぞ! 臆せず戦うのだ!!」


 拳を振り上げ、建物を震わすほどの鬨をあげる兵たち。


 佐久間信盛は劣勢な状況にあって、微塵も負けるとは思っていない振る舞いだ。笑みすら浮かべて、籠城戦を楽しんでいるようであった。


「佐久間様はこの戦、勝てるとお思いで?」


「我らが城を守りきればな。そして、そうなれば第一の功は誰の者かのう」


 とぼけた言い方だが、自分こそがそうだと言わんばかりの態度である。どうやら佐久間信盛という人物は、逆境に活路を見出す人物のようだ。

 しかし、だからこそこの大事な場を任されたのであろう。


「さあ長三郎よ、手柄の上げ時であるぞ」


 腕を組み、刻一刻と近づいてくる軍勢を眺めつつ、佐久間信盛は顔を引き締めた。









 喚声を上げながら突っ込んでくる敵兵に向けて、つぎつぎと矢を放つ。かつて信長様とともに修練した弓は、敵兵に吸い込まれていくように命中する。特に狙うのは弓を持った兵か、足軽よりも立派な鎧兜をまとった指揮官級の武士だ。


 だが、矢が刺さっても敵はなかなか前進を止めない。矢が刺さったまま大手門や土塀に取り付こうとする。


 そのために、山のようになっていた矢を瞬く間に消費していく。


「矢が足らないぞ! もっと持って来い!」


 残りの矢を確認して、身を隠しながら櫓の下に向かって怒鳴る。怒鳴らないと敵の喚声にかき消されて聞こえないからだ。

 

 押し寄せる敵の数はどんどん増してきている。それに比例して、こちらへも被害が出てきていた。さらには大手門や土塀を壊そうと槌を持っている兵まで投入され始めている。


 その時、櫓の上に滝川左近一益が姿を見せた。配下の鉄砲持ちを二三人連れている。


「そこを変われ長三郎!」


 ぱっと矢狭間を滝川一益に譲る。そして、素早く矢狭間から鉄砲が放たれる。


 滝川一益の鉄砲衆は分散されず、危険なところを援護して回っていた。彼らが来るということは、この大手門が今一番窮地なのだ。


「あちこち押し寄せてきて手が回らん! 今のうちに矢を運んでおけ!」


「承知しました。ここはお願いします!」


 急いで、一緒に矢を放っていた仲間と矢を取りに走る。いつまでも滝川一益たちを拘束できない。


 矢は、敵の火矢などの攻撃が飛んでこない場所に運び込んでいる。俺は鎧を鳴らして走った。走りながら周囲を見回すと、侍女たちも手当やらで何やらで駆け回っている。


 その侍女の中には姉の姿もあった。


「姉ちゃん!」


 俺は仲間から離れて姉に駆け寄る。姉はちょうど(たえ)と一緒に矢を運んでいた。


「長三郎、ちょうど良かった。矢を持ってきたわ」


「ここにいちゃ危ないじゃないか! 帰蝶様と一緒にいてくれよ」


「じっとなんてできるわけないでしょ。帰蝶様も、手負いの人たちの手当をしているのよ」


 危険な状況になったら逃げてもらわないといけないのに、どこにいるのかもわからないのではもしもの時には間に合わなくなる。


「お妙も何か言ってやってくれ」


「心配しなくても私がついているんだから大丈夫。危なくなったら、帰蝶様とお通を抜け道に連れて行って長三郎を待つわ」


 そう言って妙は、持っていた矢の束を俺に押し付けてくる。


「ああもう、わかった! だったらせめて中で帰蝶様と一緒にいてくれ。心配で戦えないだろ」


 押し付けられた矢を抱え、姉からも矢の束を取り上げてしまう。このまま攻撃が飛んでくるかもしれない大手門に近寄らせる訳にはいかない。


「ええ。ごめんなさい。どうか無事でいて頂戴ね」


 姉と妙が心配げに見上げてくる。


「大丈夫。こんなところで死んだりはしない。さあ、もう行って」


 二人が城内に入っていくのを見送ると、矢を取りに行った仲間がちょうど戻ってきた。俺は受け取った矢の束を抱えなおして、櫓に戻るために足を早める。


 櫓に入ろうとしたそこに、矢が山なりに飛んできた。


 村木砦のように時間をゆっくりと感じることはなく、そのまま隣を走っていた仲間に突き刺さる。


「あっがっ!」


 仲間ががくっと膝をついて倒れ込む。俺は持っている矢の束を櫓の中に入れると、慌てて引き返す。


 だが、仲間は胸に矢を受けており、もはや助かりそうに見えない。口元から血を吐き、俺をじっと見つめてくるが、どうしようもなかった。


「すまない」


 何もできないことへのただの言い訳だとわかっている。それでも、謝る言葉しか出なかった。仲間がそのまま静かに息絶える。


 そして、俺は死んだ仲間を置いて、転がっている矢の束だけを拾い上げた。









 那古野城は、敵の攻撃を三日間に渡って防ぎ続けた。二日目には夜襲も行われ、三日目には土塀の一角が崩されて内部へ敵の侵入を許してしまう。なんとか撃退して木材で塞いだけれど、敵はまたそこを狙って突破を試みるだろう。

 俺が守る大手門は、佐久間信盛の指揮でどうにか敵を撃退し続けている。しかし、大手門はすでに限界を迎えつつあった。ここを破られれば、もう敵が城内に雪崩込むのを防ぐことはできない。中にはまだ防御施設はあるけれど、もはや士気を保つことは困難だ。


 そして、今日が四日目。昇ってくる朝日を見ながら、俺は差し入れられた握り飯を頬張っていた。佐久間信盛や滝川一益といった面々も、敵のいる方向に注意しながら握り飯を食べている。


「さて、今日は遅いな」


「こちらに余力がないと悟られているのでしょう。昨日などは一発も鉄砲を放っていませんし。事実、玉薬はもうほとんど残っておらんのですわ」


「左近、それではわからん。あとどれくらい打てそうなのだ?」


「一挺あたり……三、いや二発でしょうな。矢と違って、敵の放ったの物を拾うなんてできないもので」


 玉薬に使う硝石、焔硝は貴重なものだ。貿易港となっている堺などから買い付けているが、高価なので多くは買えない。


 佐久間信盛が黙ってうなずき、残った握り飯を口に放り込む。


 この三日間、佐久間信盛は悲観的なことを言わなかった。力強く兵を鼓舞し続けている。しかし、今朝はまだ何も発していない。


 もう、この大手門は昼までもたないだろう。それよりも前に、また土塀が崩されることもあり得る。


「長三郎」


 俺を手招きする佐久間信盛。駆け寄るが、佐久間信盛の視線は前を向いたままだ。


「大手門から少し下がったところにいよ。そして、お主の判断で帰蝶様のもとへ走るのだ」


「佐久間様」


「要らぬ心配だが、帰蝶様にもしものことがあっては殿に面目が立たん」


 黙ってうなずく。まだ強がっているけれど、限界だと一番理解しているのは、この佐久間信盛だ。


 そして佐久間信盛は、大手門を守る生き残りたちに向かって檄を飛ばす。


「皆の者、よく戦っておるぞ! お主らは、奴らの攻撃を幾度も跳ね除けた剛の者たちだ。命の限り戦い、その名を決して汚すでない! 敵に無様を見せようものなら、家の恥と心得よ! 力を振り絞って戦うのだ!!」


 決死の檄に、鬨の声が上げる。だが、それは初日とは違って数も力強さも足りなかった。


 そして、四日目の戦いが幕を開けるようとしたとき、遠くで法螺貝が鳴るのが聞こえてくる。


 俺は思わず、敵の陣がある方向を見た。敵の一斉攻撃にしては動きが見えない。聞き間違いかと思ったが、佐久間信盛や滝川一益、他の面々も法螺貝が聞こえた方向を凝視している。


「貝は鳴ったか?」


「鳴ったぞ。絶対に法螺貝だ」


 やがて喚声が聞こえてくる。ここ数日とは違って、敵が突撃してくる喚声ではない。


 矢狭間から覗き込んでいた一人が、声を上げる。


「見えた! 紋は足利二つ引! 武衛様の、斯波家の旗です!」


「ついに、ついに殿が来たか! こちらも討って出るぞ! 急ぎ皆を集めよ!」


 さっきまでの絶望感が一気に払拭された。元気なく、項垂れていた者たちが生気を取り戻し、怪我で動きがぎこちなかった者も無傷のように動き回っている。


 俺たちは、最低限の者たちだけを残し、後ろからの奇襲に慌てる大和守家の軍勢に襲いかかった。


 敵の本隊は前後からの攻撃にあって瞬く間に崩れていく。散々攻め立てられた仕返しとばかりに逃げようとする敵を打ち取った。


 そして、敵が逃げ散り、疲れ果ててぼろぼろとなっている俺たちの前に、信長様が姿を見せる。


 だが、信長様はいつもと違って一人の少年を立てるような位置にいた。


 少年の名前は、斯波岩竜丸。尾張守護であった斯波義統の息子。この少年の存在によって弾正忠家は救われたのだ。

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