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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
31/101

濡れ衣

 織田孫三郎信光は、わずかな手勢だけを引き連れて清州城に入城した。もう何度も清須城に入っていることから、大和守家の対応も慣れたものだ。


 守護代である織田大和守信友は、織田信光と織田三郎信長の不和の噂が広まるとすぐに接触を図ってきた。そして、書状のやり取りから直接会うのも時間はかからず、すぐに協力して織田信長を排除することで合意した。

 あまりにもあっさりと引っかかるものだから、最初は家臣たちとともに疑ったくらいだ。しかし、探りを入れた結果、織田信友というよりも大和守家家老の坂井大膳が萱津での戦いで一族を失った復仇に燃えているのだとわかった。織田信友は実権を坂井大膳にほぼ奪われており、言い成りになっているらしい。


 そんな状況だからこそ、容易く清州城を落とせると判断した。本来なら、寺本城を攻略したように兵を入れて乗っ取るつもりであった。

 織田信光としては、一刻も早く弾正忠家を盛り立てたいと思っての策だったのだが、当主織田信長から性急だと諌められている。


 そして今回の来訪は、守護斯波義統を介した和解のお膳立てのためだ。勿論、和解というのは建前でその場に織田信長を呼び出して亡き者にする計画になっている。

 どのようにして場を整えるのか、詳細が決まってから信長と守護斯波義統をどうやって奪うのかを相談する気でいた。


「孫三郎よ、よく来たな」


 斯波義統の挨拶に、織田信光は頭を一層下げて平伏する。


「ははっ! 此度は我らのことでお骨折りくださるとのこと、誠に恐悦至極にございます」


「よいよい。今は尾張一国が和合することが大事。守護たる儂が動くのは当然のことだ。それに三郎とは桃巌((織田信秀))の葬儀後に会って以来だが、あの聞かん坊も儂の言うことは聞こう」


 機嫌よく話す斯波義統。この守護も実権を失って久しいが、もしかしたらこれを機に復権を狙っているのかもしれない。

 その後も、長々と織田信長をたしなめた話が続き、如何に自分に影響力があるかを語っていく。


 織田信光は内心で辟易しながら、相槌を打ったり、時には驚いたりしながらご機嫌取りをしなければならなかった。


「おお、そうだ。酒を持ってこさせて、和解の前祝いをしようぞ。お主が土産に持ってきた刈谷の白魚を肴にするのも良いのう。どうも最近、外に出るのを控えるように言われておって、退屈しておったのだ。それと、息子の岩竜丸にはこっそりと川狩りに行かせておる。夕刻には戻るだろうて、夜には良い魚を楽しめようぞ」


「それは大いに楽しめそうですな。是非ともご相伴に預からせていただきたく存じます」


 益体もない話を延々と聞かされるよりは、酒宴の方が断然良い。水野藤四郎信元から贈られてきた白魚を持参した甲斐があったというものだ。


 斯波義統が人を呼ぼうとした時、慌てた人の駆ける音が聞こえてくる。そして、すぐに足音の主が転がり込んできた。


「織田大和守、謀反! 甲冑を身にまとい、四方を取り巻かんとしております!!」


「何だと! そんな馬鹿なことが!」


 斯波義統が驚愕する中、織田信光がすぐさま外に向かって駆け出す。


 本当か確かめるためであり、もしもの時は急いで逃げなければならないからだ。当然守護の御殿は清洲城内にあり、手勢も少ないので逃げるのは困難になる。


 だが、外に出るまでもなく、表の方から喚声が聞こえてきていた。


 織田信光だけでなく、守護の家臣たちも次々と表に走る。ある者は刀、ある者は槍と武器を携えているが、鎧を着ている者は一人もいない。


 表広間まで来ると、すでに戦闘は始まっていた。守護側の誰もが決死の覚悟で戦っており、敵を圧倒している。


「孫三郎様! ご無事で!?」


「おお、そなたらも無事であったか!」


 すでに守山から連れてきた家臣たちが集まってきていた。


「何としてもここを落ち延びなければならん。脱出できそうなところを探すのだ」


 激しい戦闘が行われていて、もう正面から出ることは不可能だ。周囲の堀や塀から抜け出るしかない。


 家臣たちを引き連れ取って返し、女官たちが右往左往する中を庭先に向かう。しかし、その間に周囲の屋根から矢が射掛けられ始める。


「駄目です、孫三郎様! もはや、逃げ道はありません!」


「おのれ、大和守に坂井大膳……」


 目を怒らせ、拳を震わせる織田信光。


 あちらを欺くつもりが、すっかり欺かれてしまっていた。まさか、守護にまで手をかけるとは想像もしていなかった。


「こうなれば一人でも多く敵を打ち倒し、あの世への道連れにしてくれる!」


 天文二十三年四月、織田大和守家を牛耳る坂井大膳は、他の家老衆たちと談合をし、絶好の機会だと守護の住まいに四方から兵を押し寄せさせて取り囲んだ。守護の家臣たちや同朋衆までもが比類なき働きを見せるが、四方の屋根上から弓を散々に射掛けられてしまう。ついにはもはや叶わないと、御殿に火をかけて斯波家一門の歴々は切腹して果てたのであった。









「孫三郎が武衛を(しい)した上に、それをわしが命じたというのか! いったい何が起こっている!?」


 清州城での斯波義統殺害は瞬く間に尾張国内に広まっていった。その実行犯が織田孫三郎信光であるという話とともに。

 当然、疑いの目は弾正忠家当主の信長様に向けられた。信長様と織田信光の不和は、見せかけであり、目的は守護と守護代を除くことにあったという筋書きだ。

 清州城では、弾正忠家討伐のための軍勢が集結しつつある。


 信長様も急ぎ兵を集めているが、領地を動かないものがほとんどだ。誰もが守護を殺したとされる信長様に味方することを躊躇している。


「詳細は不明です。ただ、孫三郎様が武衛様の御殿に入ったのは確かとのこと」


 村井吉兵衛貞勝の表情は苦渋に満ちている。織田信長が主犯とばかりで、入ってくる情報が少なすぎるのだ。


「与兵衛はどうした? 何も言ってこんのか」


「一向になにも……。人を遣わせましたが、どうやら清須にはいないようでして……」


「一刻も早く探し出せ! それと、領地から動かない家臣どもには今一度参集の命を出すぞ」


「ははっ!」


 広間に集まっていた者たちが一斉に動き出す。それは小姓たちも同様で、実家に対してすぐに那古野に集まるように伝えるため、すでに出ている。

 そのため、自然と信長様の近くには俺だけが残されることになった。


「信長様、恐らく……こちらが引っ掛けられました」


「そんなことはわかっている。孫三郎が武衛を弑逆するはずがない。こちらの手を逆手に取られてしまった」


「大義は向こうにあります。兵も集まらず、もはや野戦することはできません。兵を集めつつ、籠城の仕度をなされるべきです」


「忌々しいが、それしかあるまい。奴らは那古野を灰燼に帰し、全てを奪うつもりだ」


 那古野が焼き払われれば、商人たちの行き先は当然清須ということになる。邪魔な守護と弾正忠家を葬った上で、活気を失った清須を活性化させる気なのだろう。


「もはや詮無きことです。今は目の前の戦に勝利することを考えるべきです。今のところ兵は三百ほど、これがどれだけになるか……」


「籠城しても救援はどこからも来ないのではな。城に逼塞させられている間に、裏切りが出よう」


 水野信元は今川と睨み合っており、美濃の斎藤利政も尾張上四郡を支配する織田伊勢守家が邪魔をしてすぐには来ることができないだろう。そして、勘十郎信勝を担ぎ出したい連中を筆頭に、信長様を快く思わない者たちはこれ幸いと大和守家に味方するはずだ。


 まさか、こんな窮地に陥るとは考えもしなかった。史実よりも早くに、信長様を死なせはしないと誓ったというのに。でも、まだ完全に終わったわけではない。


 信長様はもう手はないとばかりに乾いた笑いを浮かべる。


「帰蝶と通を連れて美濃に落ち延びよ。岳父殿なら、お前たち姉弟も疎略にはしまい」


「いいえ……そんなご命令は聞くことができません」


 険しい表情を浮かべて、信長様が俺を怖い目つきで睨みつける。俺は目をそらすことなく、強い眼差しを向けた。しばし視線が交差する。

 目をそらさなかったのは、ここで引いては負けだと思ったからだ。


「わしの言うことを聞いておればよい」


 これでは、村木砦のときと同じだ。でも、今度は引き下がるつもりはない。


「いいえ、負けた時のことしか考えていない信長様の言うことは聞けません」


「何だと!?」


「俺は、このようなところでつまずくような方にお仕えしてきたのではありません。こんな……たかが尾張一国も支配できずに終わる織田信長などは、俺の主君では無い!」


「長三郎! (なれ)はこの信長にとんだ口を聞いてくれるな!」


「おお! 何度でも言うてやる! 俺の目の前にいるのは織田信長ではない! 信長のなり損ないだ! そんなんで、よく今川に対抗しようとしたわ。馬、弓、鉄砲に兵法、何でもかんでもがむしゃらに稽古して、うつけと呼ばれて馬鹿にされてもやめなかった織田信長はどこにいった!?」


 織田信長が立ち上がり、俺の胸ぐらを掴みあげる。


 殴られるのも覚悟したが、ただ掴み上げる手を震わせるだけだ。俺の知っている織田信長なら、こんなときは絶対に殴る。俺なんかに手を上げるのを我慢する理由がない。


 だからこいつは、織田信長であるはずがないのだ。


「俺の知っている織田信長は……俺の主君はな!」


 胸ぐらを掴んでいる手を払い除け、胡座をかいて座り込む。


「天下を征し、日本に覇を唱えるお方なんだよ!」


 織田信長が、負けるはずがない。俺みたいな異分子が混ざっている程度で、負けていいはずがない。


「史書に名を刻み、死後何十年、何百年も語り継がれていく方だ」


 諦め、考えるのを止めた織田信長に、俺は腰に佩いた刀を鞘ごと抜いて突きつける。俺の意図がわからないのだろう、織田信長は戸惑いつつも刀を受け取った。

 そして俺は、両手をついて、頭を差し出すようにして平伏する。


「ここで諦めなさるというのなら、そのような信長様は見たくもありません。どうかこの首を刎ねて頂きたく存じます」


 不思議と体は震えなかった。ここで斬られるのなら、それも仕方がないという思いがあるからだろう。


 頭上で、刀が鞘から抜き放たれる音がした。


 俺はそっと目を閉じ、その時を待つ。


 信長様が、首を切りやすいように俺の正面から側面に動いていく。


 那古野城内は喧騒に包まれているはずなのに、今は何の音もしない。


 首筋に刃の冷たい感触が当てられる。感触がなくなると、信長様が刀を振りかぶったのだとなんとなくわかった。


 そして、静寂に包まれた部屋に刃鳴りだけが響く。









 首筋に、額に尖ったものを突きつけられたような、なにやら形容し難い気持ち悪さを感じられる。


 まだ生きている。


 俺が目を開けると、襟首を掴まれてぐいっと強引に頭を上げさせられた。そして、何か言う間もなく拳骨で頭を殴られる。


 俺はあまりの痛さに頭を抑えてうずくまった。


「随分と好き勝手に言ってくれたな、長三郎」


「も、申し訳ありません、でも、俺は……」


 言い訳しようと頭を上げると、もう一度頭を殴られてしまう。


「そうまで言うなら、何か手を考えてみよ。主君殺しと呼ばれる状況をどうにかしろ」


「では……本当に孫三郎様が武衛様を手にかけたのかを確認することから始めましょう。先程、信長様が帰蝶様をお逃しになろうとしたのと同様、逃れた女性がいるやもしれません。まずはその方を探すのです。大和守家は、威を示すためにも十分に兵を集め終わるまで攻めてきません」


「時間との勝負となるか。よし、籠城の手配をしつつ、与兵衛を探す人数を増やして清須方面を探す。長三郎は吉兵衛に急ぎ伝えよ」


 敵の罠にかかってしまったけれども、まだ最悪ではない。こちらに気づかれないようにするために、大和守家は事前に城攻めできるだけの兵を集めることができなかった。そのため、こちらには若干の時間の猶予がある。

 ここで逆転できるだけの手札を揃えなければ負けてしまう。


 俺は、村井貞勝に信長様の命令を伝えるために駆け出した。

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