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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
3/101

出会い

 三月に行われた三河国の小豆坂という場所での戦は、織田方の敗北に終わった。幾人かの武士も討たれてしまい、足軽にも多くの被害が出た。


 父も脇を槍で刺されて深手を負い、逃げる最中に息を引き取ったと聞いた。なんとか生き延びた村の仲間が、せめてもと遺髪だけを持って帰ってくれたのだ。

 村から戦に行った足軽たちは、どうも配置場所が悪かったそうで、とくにひどい被害だった。帰ってくるのも少なく、村の男手がだいぶ減っている。


 田植えについては、どうにか村で一致団結して終わらせることができた。自分と姉だけでは、とても全てを終わらせられなかったであろう。今は日々の農作業で一杯一杯になっている。

 だが、今は忙しいことが逆に良かった。父の死を考えなくて済むからだ。子供の身では過重労働ではあるけれど、考えごとをする暇もないのはありがたい。


「長三郎、最近無理していない?」


「……姉ちゃんこそ、俺のこと言えないだろ」


「あたしはいいの。おっとうも言ってたでしょう、長三郎が家長なんだから、それを支えるのが家族よ」


「じゃあ、姉ちゃんを守るのは俺の役目だ。だから……絶対に姉ちゃんを楽させてやる」


「ありがとう。でも、あなたは自分のことを考えなさい。姉ちゃんのことは大丈夫なんだから」


 姉はそう言って取り付く島もない。俺よりも早く起きて、遅くまで仕事をしている。大人がいないのになんとかやっていられるのも、姉が無理をしているお陰なんて情けなさ過ぎる。


 どうにかしてこの状況を抜け出したいけれど、どうにもいい考えが浮かばなかった。金があれば一息つけるのだが、蓄えなんてありはしない。


 くそ。なんで俺はこんなときに何も出来ないんだよ。


「わっぱ!」


 悪態をつき、手の中にあるサイコロを転がしても、何ら考えが浮かんで来ない。


「おい、そこのわっぱ!」


 金……金……いっそのこと田んぼも畑も手放して、姉ちゃんとおおきい町に……。


「くぉら、わっぱ! さっきから呼んでるだろうが!」


「なんなんだよ、さっきから!」


「やっと気がついたか。聞きたいことがある、こっちに来い!」


 腰に刀をさした武士が数名こちらを見ている。しかも、馬に乗っているのまでいた。


 俺は慌てて足元まで駆けていき、平伏する。


「わっぱ、村の(おとな)はどこにおる。案内(あない)せよ」


「は、はい。えっと、そのぉ、はい案内いたします」


 武士たちの前を緊張しながら歩く。父が出陣するときに武士を見かけたが、こんなに近くで接するのは初めてのことだ。姉には何かあれば斬り捨てられると言われていたので、さっき呼ばれていたのに気が付かなかったことが恐怖でしかない。


「わっぱ」


「はい! なんでしょうか!?」


 騎乗している、若いのに一番偉そうな武士が話しかけてきた。


「先の三河での戦、ここの足軽はどうなった?」


「……いっぱい、死にました。おっとうも……帰ってこなかった、です」


「そうか、いらぬことを聞いた」


「いえ……」


 そのまま会話はなく、一番近い老の家まで案内した。老は俺に他の老たちを呼びに行かせ、結局村中を駆け回ることになった。

 そうこうしている間に、村に偉い武士が来ていることが知れ渡って、みんなが農作業を放ったらかして集まってくる。


「長三郎がお連れしたんですって?」


「うん。急に来て、案内しろって……」


「何しに来たのかしらね……」


「被害がひどかったから、きっと年貢を減らしてくれるんだよ」


 そうであって欲しい。


 姉との話を聞いていた他の村人も同じ意見なのだろう。何度もうなずいている。きっと年貢減免の話に違いない。それは、苦しい生活の中での希望だ。年貢減免の話は瞬く間に広まっていった。


 そして、朗報を待ち望む村人の前に、老たちが姿を現す。老たちの顔つきが厳しい。なかなか話をしようとしない老たちに、村人がざわめく。無言の押し付け合いの後、一番の長老が進み出て口を開く。


「この村に……夫役(ぶやく)が申し付けられることになった」


 そんな、うそだろ。


 思わず姉と顔を見合わせる。どうやら聞き間違いではないようだ。


「しかし、この村には夫役に出せる人手はない。そのために夫銭(ぶせん)を出すことになる。各家にどれだけ割り当てるかは、また後で決めるが、みなは覚悟しておくように……」


 夫役は、人に課せられる税だ。やることと言えば土木工事などの労働だが、戦などでの運搬役もある。機械などがないこの時代では、拘束される日数も長くなるかもしれない。それが嫌ならば、代わりに銭を収めるのが夫銭だ。


 うちに銭なんてないぞ。そんなのがあるなら、こんなに苦労していない。


 今、この村で金がある家なんて少数だ。何人もが田畑を、そうした少数の人に売り払うことになるだろう。


「長三郎……あたしが……」


「だめだ、姉ちゃんは……俺が守る」


 姉を金を持っている家に売るなんて、できるわけがない。この戦国時代、身売りするのは生き延びる手段の一つではある。俺が金を稼いで買い戻すことも可能だけど、姉をそうした身に落としては父やこの長三郎に顔向けできるわけがない。


 来る途中に話しかけてきた武士が、家の奥にいるのが見える。俺たちはこんなに苦労しているのに、すました顔に腹が立つ。


 俺は腰袋からサイコロを取り出す。三つのサイコロだけが、俺の持ち札だ。


「何を考えているの。止めなさい、それを手放してはだめ」


「これを……売ったりなんてしないよ」


 そうだ、売るんじゃない。これで……勝負するんだ。


 俺はざわめく村人たちからそっと離れて、こっそり老の家に入る。そして、できるだけきれいな木の椀に水を入れてから武士のいる部屋に移動した。


「さっきのわっぱか。何用だ」


「水を……如何(いかが)かと思いまして……」


 部屋に入ると、すぐに護衛に止められる。


「ちょうどのどが渇いていた。持って来い」


 奥にいる若い武士が偉そうに寄越せとばかりに手を出している。


 俺はできるだけ粗相のないようにして、そいつの目の前まで椀を持っていく。


「どうぞ」


「うむ」


 差し出した椀を受け取り、ぐいっと一飲する武士。そして、椀が突っ返される。


「では、銭を頂きたく存じます」


「なに?」


「あなた様はのどが渇いておられて、水を所望されました。物には値というものがございます。ですので、水の代金を頂きとうございます」


 俺は手をついて頭を下げる。


「ほう……水を出すように言われたのではないのか?」


「私は、水は如何かとお聞きしたのです。ただでお出しするとは、一言も……」


 俺は何をやっているんだ。こんなことやって、もし姉ちゃんと一緒に斬られでもしたら……。


「このわっぱが! おかしなことを言いおって!」


 武士の一人が俺を踏みつける。潰れてしまいそうなのを、体を踏ん張ってどうにか耐えた。


「どうかされましたか? な、ちょ、長三郎か! お前、なにをした!?」


 騒ぎを聞きつけて、老たちが足音を響かせて戻ってくる。


「この方に、水の代金を頂いているところです」


「馬鹿者が! 申し訳ありませぬ。物を知らぬ小僧がとんだご無礼を!」


 老たちが慌てて土下座している音が聞こえる。


「わっぱ……名を長三郎というのか」


 踏みつけられていた背中から重圧が消えた。


「はい。織田家足軽の道次郎が息子、長三郎にございます」


「奇遇よな。わしの名も三郎という。同じ名に免じて、此度の無礼は許してやろう。だが、銭は払わん」


「お(しわ)いことを仰られる方です。では……賭けをいたしませんか?」


「賭け……とな」


 俺は頭を上げて、三郎という武士を仰ぎ見る。近くでみると、より若く見える。現代では中学生か高校生くらいといったところか。


 俺は、三郎が飲み干した椀にサイコロを落とし入れる。


「サイコロ三つ。出た目を合わせた数で勝負します。三郎様が負けた場合、夫役は水の代金ということにしていただきます」


「それでは、わしだけが賭けを支払うことになる。夫役に代わる物を、(なれ)には出せまい。それでは賭けにならぬわ」


「私が負けたときは……そのサイコロを差し上げます」


「ふむ……所詮は童子よな。このような賽子が……」


 椀の中のサイコロを手に取る三郎。回してみたり、力を入れたり、サイコロ同士を打ち付けあって材質を確かめている。


「木ではない。土器(かわらけ)……いや焼き物ではないな。角や牙の類でもなし、まさか骨か?」


「いいえ。どれでもありません。そのサイコロ、賭けになりませぬか」


「……良いだろう。わしが勝てば、この賽はもらい夫役はそのまま」


「私が勝てば、夫役は水の代金と相殺です」


 三郎がうなずく。これで賭けは成立だ。


「それでは、すでにサイコロを持っておられるそちらから投げていただけますか?」


「よかろう」


 三郎がサイコロを放り入れる。椀の中で回転し、サイコロが何度もぶつかってから出目を示す。


「三郎様の出目は二・五・五となります。合わせて十二!」


 ここにいる全員に聞かせるため、わざと声を張り上げる。


 こっちからしたら三郎の出目はそれなりに厳しい数字だった。状況は最悪ではないが、良いとも言い難い。機嫌が良さそうな三郎が憎らしい。


 俺は椀の中からサイコロを取り出し、ぐっと握りしめる。


 これで負けてしまっては、本当にどうしようもなくなる。勝負するなんて、考えるんじゃなかった。俺だけではなく、姉のことがかかっているのだ。こんな博奕に費やすのではなく、もっと他にあったんじゃないのか。


「どうした? 早く賽を投げるといい」


「ええ……」


 サイコロを振らずに、じっと椀を睨みつけていると、軽く背中を引っ張られる。


 振り返ると、いつの間にか姉が近くまで来ていた。


「本当に……あんたって子は……」


「姉ちゃん、ごめん。でも、こうするしかなかったんだ」


 そうだ。弱気になっちゃダメだ。他に道なんてあるわけない。あるならとっくに考えついていた。だから、これしか道はないのだ。


 俺は覚悟を決めて、手の中のサイコロを弄くり回す。


「お待たせしました。……振ります」


 サイコロを椀の中へ投げ入れる。木の椀とサイコロがぶつかって乾いた音を鳴らす。


「私の出目は、三……五……六。合わせて……十四になります!」


 村人たちから、一斉に歓声が沸き起こった。三郎は、握りこぶしを震わせている。


 これは、夫役を無かったことにしてもらっても、なにか他で絞られるかもしれない。


 抱きしめてくる姉を引き離し、俺は三郎に頭を下げる。


「三郎様はご存知でありましょうか?」


「……何をだ?」


 とても不機嫌な声になっている三郎。


「この世には、どんなお方であっても思い通りにならない物が三つあるのです。一つは賀茂川がもたらす水の害。一つは山門が抱えし法師たち」


「そして……賽の目」


 三郎が諦めの表情を浮かべた。握りこぶしも力を失っている。


 平家物語に書かれている白河院の天下三(てんかさん)不如意(ふにょい)。絶対的な力を有した治天の君すら、思い通りにできなかったものだ。


「その通りでございます。どうか、ご納得されますように」


「わかった。この村へは此度の夫役は課さない」


「文書にて……承りたく存じます」


「お前は本当にわっぱか? 随分とよく回る頭よ」


 その問いに、本当のことを答えられるはずはない。俺は、再び手をついて頭を下げた。


「もちろん、私はただのわっぱにございます」


「……まあ、よいわ。おい、紙と筆を用意せよ」


 武士の一人が慌てて用意を整え、三郎自らが筆を走らせる。


 そして、書き終わったものを俺に投げるようにして寄越す。それを老たちに持っていく前に、しっかり文面などを確認する。署判には、信長と書かれている。


 信長? ……三郎、信長。


「もしかして、織田……信長、さま?」


「なんだ、知らなかったのか。わしが織田三郎信長である」


 面白いものを見つけたという顔をする織田信長。

 俺は、歴史上の偉人を前に、頭が真っ白になっていた。


 







 織田信長の初見文書は、天文十八年(一五四九)の熱田八ヵ村中宛の制札である。近年発見された天文十七年の夫役免除を記した文書写しは、写しであることを差し引いても文書の形式からあまりに逸脱した書き方で、正文(しょうもん)があったとはとても考えられない。そして、文言からしても後世に偽作されたものだろう。

 賽子遊びを好んだという織田信長。その信長が、賽子勝負で負けたから夫役を免除するというのは、話としてはおもしろい。しかし、信頼できる史料としては使えない。

 おそらく、この偽文書(ぎもんじょ)は、創作された織田信長と道祖長通との出会いの賽子勝負を参考に作られたものと思われる。

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