村木砦 参
寺本城は伊勢湾に臨む小高い丘の上にある。
城に通された俺と滝川左近一益は、すぐに城主の花井勘八郎と対面できた。
「お目通り下さいまして、感謝いたします」
「加藤殿からの使者と聞いたが、何用かな?」
「はっ! 主は花井様と変わらぬ友誼をお望みです。贈り物を持参しましたのでお納め下さい」
後ろに控えていた俺が、そっと箱を前に出す。すると、人が近づいてきたのでずっしりと重い箱を手渡した。
「加藤殿はまめな方であるが、友誼を求めるためだけにわざわざお越しになられるとは、ご苦労なことだ」
こちらの望みがそれだけでないことは百も承知という顔つきだ。もちろん、これで終わってもらっては困る。本題はこれからなのだから。
「お話が早くて助かります。実は……お取次を願えないかと思いまして……」
「なるほど。加藤殿には日頃から世話になっているし、願いを叶えて差し上げたいが……どなたへの取次なのか……」
「当然……今川治部大輔義元様でございます」
滝川一益が深く平伏する。俺も平伏しているので、花井勘八郎の顔は見えないが、さぞ優越感に浸っていることだろう。
「それは難儀なことだ。我らは今川様の下では新参者。加藤殿の希望に沿えるかどうか……」
「先程の贈り物には、必要な物が入っております。お取次が叶えば、再び礼物を届けさせていただきます」
花井勘八郎は、家臣に贈り物の箱を開けさせた。中には、びっしりと丁銀が詰められている。
「これは!」
「熱田商人の総意でございます。如何でしょう、お取次頂けますでしょうか? ご無理と言うなら、鳴海の方にお願いするしかありません。まず花井様にお願いするのは、これまでの友誼故とお思いください」
「ま、任せてもらおう。ちょうど折りよく、今川様からの使者も来ておるのだ。儂から懇ろに取次いでおく」
「おお! 感謝いたします」
もう今川から人がきているとは思っていなかった。これは再び織田側に傾かせるのは無理だろう。
花井勘八郎が丁銀に浮かれている間に、滝川一益が僅かに振り向いてくるのでうなずいて応える。
ここからが本番だ。花井勘八郎を騙して、舟が問題なく寺本に着岸できるようにする。
「それにしても、すでに今川様のご使者がいらしているとは……。それだけ、花井様を重要視されていらっしゃるということでしょうな。そこで如何でしょう? 花井様と我ら熱田商人とで、今川様に贈り物をするというのは……」
「それは良いことだ。しかし、そのようにして、熱田は弾正忠家に責められないのか?」
「なに、心配はいりません。あの殿様はうつけでありますから。実は……こちら来る前に聞いたのですが、家臣たちと不和が生じたとか。勝手に帰陣してしまう家臣が相次いでいるらしいですぞ」
「なんと頼りのない。やはり今川様にお味方するのが正しかったのだな」
花井勘八郎が得心がいったとうなずく。滝川一益も追従の笑みを浮かべていた。
「では早速熱田から贈り物を届けさせましょう。明日にはこちらに運び、ご使者にお見せするということで」
「うむ、そうしよう。使者殿には今晩にでも熱田商人、特に加藤殿のことはよく伝えておく。何なら、そなたも共に宴に交じるか?」
「い、いえ、私などではとても恐れ多いこと。明日に主が来るでしょうから、その時に……」
ここまでは、ほぼ事前の打ち合わせ通りの展開だ。これ以上突っ込んでは、ボロが出るかもしれないので、引き下がったほうが良いだろう。滝川一益もそれがわかっている。
しかし、うまく事が運ばないことはよくあることだ。
「いや、やはりそなただけでも泊まってゆけ。熱田には後ろの小僧を戻せばよいではないか。良い話を持ってきてくれたのだ。振舞い酒を楽しんでいって欲しい」
「…………」
滝川一益が考えに詰まっている。事前の打ち合わせで出なかったことが起こって、沈黙してしまった。不審に思われる前に、なんとかしないといけない。
俺は、疑われるくらいならもう仕方がないと口を開く。
「宜しいではありませんか。私も共に残りますので、舟だけを戻し、主様にお伝えしましょう。実を言えば、船酔いを勘弁して欲しいと思っていました」
「船酔いを厭うとは情けない奴め。しかし、無理をさせても仕方あるまい。花井様、では我ら二人は一泊お世話になり申す」
うまいこと滝川一益も乗っかかってくれた。花井勘八郎は、上機嫌で特に不審に思っている様子はない。
静かにほっと胸をなでおろし、安堵の息をついた。
城は領主からの振舞い酒で大いに賑わっていた。漁村にも振る舞われており、遠くから騒ぐ声が聞こえてくるくらいだ。
そして俺たちは、城の片隅に泊められるという待遇を得ている。
「これはうまくいったと考えてよいのだろうか」
「目的は達成しました。殿もお喜びになられるでしょう。帰れなかったのは誤算ですが」
滝川一益はぐっと酒をあおる。ちなみに俺にも酒を勧められたが、少し舐めただけでしゃっくりが止まらなくなって駄目だった。どうやら俺は信長様以上の下戸のようだ。
「そういえば長三郎よ、お前は殿と賽子で勝負して召し抱えられたのであったな?」
「その通りです。村の夫役を賭けて、賽子で勝負を……」
「そうか。だが、最近は仲間内でもめっきり賽子をしなくなったと聞いたぞ」
「それは……」
どうしても言葉が出てこない。賽子は言ってみれば賭博だ。平手政秀の言葉を受けて、賭けはやる気がしなくなっている。
「どうせ、誰かに賭博は良くないことだと言われたのだろう」
「……そうです。お亡くなりになった平手様から……」
「平手様か。それは重いな。わしも賭博で首が回らなくなったところを殿に救われたから、偉そうには言えん。だが、忌むべきほどのものか?」
「正直、わかりません。でも……身を滅ぼすと言われ、殿にも悪い影響を与えると」
「確かにその通りだ。博打にのめり込み、身を滅ぼした者は多いのだから。鎌倉殿の御代から、幾度も禁令は出されてきた」
滝川一益が二つの賽子を取り出した。そして、椀の中に落とし入れた。
「田畑を賭け、武具を賭け、侍としてどうしようもなくなる輩が多かったのだろう。でも無くならんのはどうしてか」
「……儲けたいからでしょう」
「否定はできんが、それだけではない。古来より博打は神意を伺う手段だからだ」
「神意ですか?」
「そうだ。双六は占いであり、生まれた子供の吉凶すら占った。我らも、賽子勝負によって運をはかっている。陣幕で賽子を振るのは決して欲だけではない。自分の命を懸けるに足る運があるのかを知るためでもある」
俺も腰袋からサイコロを取り出した。久しぶりに三つのサイコロを手の中で弄くり回す。
「どうだ長三郎、賭けをせぬか? わしはこれを賭けるぞ」
俺がやると言う前に、滝川一益は小さな貝を眼前に掲げて見せた。
「この中には蒲黄という物が入っている。まあ、血止め薬よ」
「血止め薬? そのような物があったのですか。全く知りませんでした」
「昔、巫女との博打で手に入れたものだ。どうだ? やってみぬか?」
血止め薬なんて体験したことがなかったから、是非とも欲しい。しかし、そんな貴重な物に対して俺は賭ける物なんて持っていない。
「申し訳ありませんが、見合う賭物がありませんので……」
「今日は特別だ。運を賭ければ良い」
「運ですか?」
「そうだ。ここでお前が勝てば、勝運がついているのだから、戦で活躍して手柄間違い無し。負ければ死なぬように殿の近くから動かなければ良い。言ってみれば、吉凶占いだ」
要するに無料で出来るおみくじみたいなものか。
でも、他ならない命を懸ける場において、験を担ぐのは重要なことだ。未来での考えにしたら、気休めにもならないかもしれない。けれど、この時代では出陣にあたって日取りを占ったり、出陣式での験担ぎは何度も見た。
それで勝てるわけではないが、力を奮い立たせる一因になっている。
「滝川様がそれで良いというのなら、やりましょう」
「では、四一半で勝負だ」
久しぶりの賽子勝負。俺は自然と、胸が熱くなっていた。
翌日、信長様が率いる本隊は無事に寺本城膝下の漁村に着岸した。
そして、武器や具足を詰め込んだ箱を贈り物と称して城内にいれ、完全武装した上で城内から攻め入ることに成功したのだ。
寺本城は呆気なく陥落し、花井勘八郎の妻子は人質として那古野に送られることになる。また、今川からの使者は自害しているのが発見された。
寺本城陥落後、続いて佐久間半羽介信盛と織田孫三郎信光も無事に到着し、陣容が整った。まだ昼間であるが、今日は行軍せずに寺本城の後始末をし、明日出発となる。
漁村や城下町は放火こそされなかったが、寝床として兵たちに占拠されることになった。
そして昨日花井勘八郎と面会した部屋で、俺と滝川一益は信長様と対面した。
「戻らなかったので、気取られたかと案じたが、その必要はなかったな。大義であった左近」
「お言葉、忝なく存じます。されど、今回は長三郎にも助けられました。ぜひ、長三郎にもお声掛け下さい」
俺に視線を向ける信長様。満足げな笑みを浮かべているのを見ると、俺も嬉しくて思わず笑顔になってしまう。
「よく左近を補佐した。長三郎よ、よくやったな」
「ありがとうございます!」
味方のふりをして堅固な要塞に入るのは、よく聞く話だ。俺はそれを拝借しただけだが、これほどうまくいくとは思っていなかった。
無事に上陸できたら御の字と考えていただけに、それ以上の成果に信じられない気持ちだ。
「殿、この長三郎は舟には弱いですが、なかなか見どころがありますぞ」
「ほう、舟に弱いのか」
「それはもう。昨日戻らなかったのは、舟に乗りたくないなどと駄々をこねたためで」
「滝川様! 嘘をおっしゃらないで下さい!」
「長三郎がどう舟に弱いか見なければならんな。緒川城を救援したあとは舟で熱田に戻るとしよう」
意地の悪い企みを話す信長様は実に楽しそうだ。俺としては、村木の砦を落とせたら鳴海城を攻めて帰ることを提案したかったのに、このままでは叶いそうにない。
しかし、俺としてはあんな舟に乗りたくないというのが本音だ。だったら、どうするか。どっちが吉で凶なのかを決めればいい。
俺は、さっとサイコロを取り出した。
「舟で熱田に帰るか、それとも鳴海の別働隊と合流して陸で帰るか。どちらが良いか勝負で決めましょう!」
一瞬信長様が驚いて目を見張るが、すぐに好戦的な顔つきになる。滝川一益も、笑い声を上げた。
「よかろう。わしの賽子は、熱田社の破損した柱から作りし賽だ」
三つの賽子を取り出して掲げて見せる信長様。
「誰ぞ、椀を持て!」




