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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
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道と林

 津島から那古野の道普請を提案して五ヶ月余り、ついに工事が開始された。提案した津島から那古野への一直線の道ではなく、織田信秀が末盛城に移る前に居城にしていた古渡城があった場所までの道だ。そして熱田から那古野までの道を古渡経由で整備する。

 二つの道を途中の古渡で合流させて、どうにか出費が許容範囲に収まったようだ。


 当初、熱田の商人たちは利益を見いだせずに有徳銭を渋っていた。熱田から那古野までの距離が短いのだから、それも無理からぬことだ。

 しかし、津島の商人たちが大いに乗り気なうえに、参詣道にもなることから津島神社までもが銭を供出したことで流れが変わった。熱田社が津島神社に負けていられないと商人たちに圧力をかけ、有徳銭を出させたのだ。


 お陰で広く参詣道として周知されたために、心配された道中の村々の抵抗はなかったらしい。むしろ功徳になるうえに、銭や米まで貰えるとあっては黙って見ていられない。秋の収穫前の一稼ぎと、田んぼを女子供、老人に任せて鍬や鋤などを片手に道普請に参加する農民が続出した。


 普請は、道幅を拡張して、さらに出来るだけ真っ直ぐで平らになるように計画された。道を無意味に蛇行している箇所を直線にする。そして、元々平野であるから、平らにするのは容易なことだろうが、道々に岩や切り株、木の根などが埋まっていたりする。そうした通行に邪魔なものを取り除いていく予定だ。


「ようやく始まったぞ、長三郎」


「俺としては、まさか実現するとは思っていませんでしたよ」


「大きく動く必要があると啖呵を切っておいてよく言う」


「いや、二十近くの村に影響を与える普請が、俺の発想で始まるなんて信じられないです」


「では今のうちによく見ておけ。いずれお前が、奉行として差配するようになるのだからな」


 俺は黙ってうなずいた。


 信長様は、この道普請を広げていくつもりだ。南からやって来る今川に対応するため、裏切った鳴海城方面に素早く出陣できるようにする。


「吉兵衛、問題はないか?」


「はっ! 滞りなく進んでおります。考えていたよりも多くの人足が集まっているので、もしかしたら年を跨ぐことなく終わるやもしれません」


「それは良いが、くれぐれも収穫に影響がないようにせよ」


「心得ております。お任せ下さい」


 村井吉兵衛貞勝が頼もしく請け負った。吏僚として、そこは抜かりない自信があるのだろう。


 今や村井貞勝は、吏僚において家老の林佐渡守秀貞に次ぐ地位を確立している。村井貞勝だけでなく、信長様に付き従う家臣たちは続々と己の立場を築いていた。旧臣たちは力を失いつつあり、新しい家臣が台頭する世代交代がおこっている。


「殿、ご報告いたします」


 やって来たのは島田所之介秀順だった。


「所之介か。どうした?」


「はっ。勘十郎((織田信勝))様が、熱田の商人に接触しているようです。どうやら、道普請が気になっているご様子。如何なさいますか?」


「勘十郎め、末盛で大人しくしておれんのか。熱田の加藤家は何か言っておるのか?」


「誤魔化していましたが、恐らく以前から何かしらの接触があるのでしょう。しかし、道普請で有徳銭を出したのです。勘十郎様に靡く気配はありません」


 信長様がうなずいて、愉快そうに笑った。


 道普請は、皆が思ってもいなかった副次効果が出ているようだ。熱田の商人は、亡き信秀存命時に織田信勝と関係を持っていた。信長様の支配する地域になっていたが、信勝とも関係が続いている。それが、今回の道普請で一気に信長様へ傾いた。

 薄れていく影響力を取り戻そうと、躍起になり始めたので露見したのだろう。


「勘十郎には熱田に関わるなと使いを出す。所之介は熱田の者共を引き締めておけ。熱田、津島への介入は誰であっても許すな」


「承知しました。お任せ下さい」


「吉兵衛、普請は油断なくせよ。特に熱田から那古野は何としても今年中に完成させるのだ」


「はっ!」


 二人が命令を受けて動き出す。


 俺は村井貞勝に、かねてから作っている千歯扱きを活用してもらおうかと思ったが、やっぱり止めておく。去年に米で脱穀の実験をして、ある程度の成功を収めた。しかし、もし変なことになって道普請が遅れては迷惑になるだけだ。

 なかなか千歯扱きに日の目が当たらないけれど、まあ仕方がない。少なくとも、姉には効果を見てもらったことで、冷たい目で見られなくなった。

 それでも本格的に使っていくのは、いずれちゃんと自分の領地を貰えたときにした方が良いだろう。


 それにしてもこの時代の土木工事は、まさに人海戦術としか言いようがない。機械がないのだから当然だが、道具が農具というのもまだ違和感を拭えない。用途が似ているから問題はないのだろう。でも、もっと効率をよくできないものかと思う。

 土運びの(もっこ)にしても、二人かそれ以上の人数で運ぶ土の量にしては決して多くない。一輪車があればもっと土を運べると思うし、工事が楽になるはずだ。やはり道整備とともに、物を運搬する能力をどうにかしないといけない。


 道が整備されたら、車借なんかを導入できないかな。別に牛じゃなくて、ヨーロッパみたいに馬でもいい。でもそれだと那古野と熱田の短い間しか無理か。津島からだと橋をちゃんとする必要があるだろうし、難しいな。

 まあ、何をするにしても、まだまだ出世しないといけない。


 俺は普請を見守る信長様を仰ぎ見る。


「信長様、このまま津島までの普請も見に行きますか?」


「いや、今日は那古野に戻り、後日また巡検するぞ」


 信長様は少しずつ出来上がっていくさまを見るのが楽しいようだ。その気持ちはわからないでもない。俺も発案者として道普請の出来は楽しみだ。


 そうして、道々の普請を監督しながら帰れば、結局那古野城に戻ったのは夕暮れ時になっていた。









「ねえ、長三郎。ちょっと来てもらっていい?」


 不寝番を前田孫四郎利家に引き継いで、家に戻る途中で(たえ)に呼び止められた。


「どうしたんだよ、急に。俺、腹が減ってるうえに眠いんだから、今度じゃ駄目なのか?」


「いや……たぶん、来たほうがいいと思うな……。長三郎の話を聞きたいっておっしゃってるから……」


 妙がバツの悪そうに頬を掻く。


 俺をからかってはぐらかすことはあるけれども、こんな妙は珍しいというか見たことがない。


「話を聞きたいって、誰だよ?」


「その、殿様には内緒みたいだから……外で名前を言うのはちょっと……」


 信長様に内緒?


 俺が剣呑な目つきをしたからだろう、余計に小さくなる妙。本当に困っているという様子だ。


 それを見ると、自分がいじめているように思ってしまう。


「ああ、もう。わかった、ついてくからそんな顔するな」


「ありがとう、長三郎」


 俺の返事に、妙はほっとしている。よっぽど逆らえない相手なのだろう。


「じゃあ、案内するわ。ついてきて」


 僅かな明かりを頼りにして妙の後に続いて歩く。誰もいない廊下が小さく軋む音が響く上に、夏場のぬるい夜風が気持ち悪い。そのためか、前を行く妙までもが不気味に見えてくる。


 そう思っていると、妙が急に立ち止まった。思わずびくっとして、振り返った妙に妙な顔をされてしまう。


「どうしたの?」


「い、いや、なんでもない。それで、ここなのか?」

 

「……ええ」


 跪き、そっと障子が開けられる。妙が動かないことからすると、俺に入れということなのだろう。


 俺は腹をくくって部屋に入る。


 中は灯り一つだけが照らしており、一人の男が鎮座していた。


「林様……どうして林様が……」


 林秀貞。吏僚の首座であり、信長様の筆頭家老。


 昨年の清須攻めでは遅参という失態を演じるが、見事に清州城を攻めて汚名をそそいだ。


「兄者だけではない」


 明りが届かない隅から、ぬっともう一人が現れて灯りの前に座る。


「林、美作守様」


 兄の林秀貞と弟の林美作守。信長様を支える旧臣たちの中で最上位に位置する二人だった。


「長三郎よ、座れ」


「はっ。失礼致します」


 俺も板床に置かれた灯りの前に座る。


 背後では妙が静かに部屋に入り、障子が閉められる音がした。


「林様……このようなお呼び出しをなされるとは、如何されましたか? それも、内密になんて……」


「ああ、殿に近しいお前ならば、殿のお考えを知っていよう」


「お考え?」


「そうだ。殿が弾正忠家をお継ぎになって一年半ほど経った。この弾正忠家を、どのようになさるおつもりなのか、それがまったくわからん」


 秀貞が腕を組みつつ、髭をいじっている。


「殿はお一人で決められてばかり。我らを交えて合議することがない」


 信長様は昔から家老たちと話し合うことはなかった。呼び出して、何か意見や考えを述べさせはするが、すでに決定している中においての聞き取りばかりだ。


「古くから弾正忠家に仕える者たちから不信の声が上がっている」


「以前からそうなのではありませんか。皆様がうつけと呼んでいらした頃から」


「いつまでもうつけでいられては困るのだ。いかに戦に勝とうとも、ご信頼できぬ方にお家を預けられないと考える者はいる」


 信長様の権力は戦での勝利に支えられている。先年での鳴海城での戦いで武勇を示し、さらに織田大和守家との勝利で得た領土をちゃんと分け与えた。

 しかし、それでは足らないという。


「これは何も先の戦で遅参したから言うのではない。家老衆がいるのは、合議で決定を下すため。合議したからこそ、皆が納得してご命令に従うのだ」


「だが、殿は我らを蔑ろにして、意のままに従うものだけをそばで重用されている」


 林美作守が憤懣やる方ないといった風情でこぼす。俺を睨んでいることから、俺にもいい感情がないのだろう。


「お前は控えておれ。それで、長三郎よ。殿は弾正忠家を如何にされるおつもりなのだ?」


 弾正忠家をどうするのか。そんなの聞いたことが無い。聞いているのは今川に対抗するということだけ。


「…………今川に、対抗するとだけ聞いています」


「それだけか? 今川に備えるため、桃巌様((織田信秀))のように大和守・伊勢守の両守護代家を従えるのか。それとも、両家を滅ぼすお考えなのか。三河をどうするのか。まったく仰っていないのか?」


「はい……聞いておりません……」


「お主以外で、誰か知っていそうな者は?」


 俺は黙って首を横に振った。池田恒興、村井貞勝、丹羽長秀といった面々が思いつくが、信長様からそんな話を聞いているとは思えない。


「やはり殿は何も考えておらんのだ。兄者、これでわかったろう」


「静まれ。ただお一人の胸に仕舞っているのかもしれん」


「あのうつけがそんな考えのはずがない。時間の無駄であったな」


 林美作守が、我慢ならないとばかりに足音を立てて部屋を出ていった。


 秀貞は大きくため息をつき、首を振る。


「家中に不和の種を撒きたくない。あれは儂が黙らせておくから、殿には内密にしてくれ」


「はっ」


 今、弾正忠家を分裂させるのは得策ではないだろう。もっと信長様が力をつけなければ、勝っても分裂を機に衰退するかもしれない。何せ周りが敵だらけなのだ。


「殿にはくれぐれも漏らさないように。儂はみなを落ち着かせることに専念する」


「かしこまりました。もし何か聞くようなことがあれば、林様にもお伝えします」


「頼んだぞ。しかし、公にしたくはない。何かあれば、そこにいる妙に言うように。それで儂に伝わるのでな」


 振り返ると、妙が頭を下げている。


「妙は我が家に仕える家の末の子だ。城に奉公に出したが、ちょうどよくお主ら姉弟と親しい。話していても不信がられまい」


「一つお聞かせ下さい。……林様は、殿の、信長様のお味方でありましょうか?」


「儂は弾正忠家を盛り立てたいと思っているだけだ。そして、それは今のところ三郎信長様こそ相応しいと考えている」


 今のところ、か。織田信勝なりが相応しいと思えば、乗り換えるってことだな。


「承知しました」


「平手政秀が生きておれば、こんな心配は儂がせずともよかったのだがな。あやつの代わりを儂がするしかあるまい」


 疲れた表情を見せる秀貞。


「儂では殿のお考えはわからんし、声も届かんだろう。だから長三郎、お前に頼むのだ」


 俺は黙って平伏した。最後まで味方であるとは限らない人物であるけれど、信長様のためなので協力するのは吝かではない。


 そうして、林秀貞も部屋を出ていく。俺は、同じく残っている妙に向き直った。


「その……よろしくね、長三郎……」


 妙がなんとも言えない表情を浮かべている。そして、俺も似たような表情をしているだろう。


「ああ……とりあえず……送るよ。真っ暗だし……」


「うん、ありがとう」


 結局、家に帰るのはさらに遅くなってしまい、姉にはえらく怒られてしまう。暗くて道を間違えたという言い訳を信じてもらうのにもえらく時間がかかり、大変な一日だった。


 とはいえ、道普請はうまくいっているし、信長様に反感を抱く連中との伝手もできた。うまくすれば、こちらに味方させることが出来るだろう。うまく回りだしたことに満足しつつ、その日はいつの間にか眠ってしまった。

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