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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
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蝮の文

「わっぱよ、お前に名をやろう」

「はて? 名でございますか?」

「そうだ。賽子を振っていて思いついた」

「殿の博打好きには参りまする。まさか賽子ではありますまいな」

「主を馬鹿にするとは何事か。まあ、聞くがよい」

「しかと聞きましょう」

道祖(さや)と名付ける。どうだ、良き名前であろう?」

()()とは何でございます?」

「刀の鞘と賽子の神である道祖神を懸けたのだ。以後は道祖と名乗るのだ」

「やはり賽子ではございませんか」

                          ――織道振賽録――









 信長様が眼尻を釣り上げて、俺をじっと睨み続けている。


「爺が自害した。どうしてこのようなことになる?」


「皆目、わかりません……」


「最後に会ったのはおのれであろうが!」


 信長の近くにあった蜜柑が投げつけられる。蜜柑は俺の肩に当たり、若干潰れて床に落ちた。


「本当に……わからないのです。お伝えしたように、平手様は蟄居を解かれたお礼に参上すると言っておられました」


「他には!?」


「五郎右衛門殿を引き立てて欲しいと仰っていました。もう隠居して、年寄りだからとも……」


 本当に、どうしてこんなことになったんだ。もっと、引き止めておけばよかったのか? もしかして、俺が変なことを言ったから自害したんじゃ。あのとき、強引にでも城につれてきていれば……。


 信長様がこぶしで脇息を殴りつける。そして、そのままこぶしを震わせ続けた。


「そんなに、そんなにわしの下に居たくなかったというのか……」


「違います! それだけは、絶対に違います! 平手様は、信長様のことを案じておられました。俺に、信長様をしっかり守れと命じられたのです。信長様のことを、本当に……心配されていました。平手様の御意志を、曲げるようなことは……おっしゃられないで下さい」


「……そうだな。許せ」


 信長様が蜜柑を手に取るので、俺も床に落ちている蜜柑を拾う。潰れた蜜柑の皮を剥いて、一つだけ口に入れる。


「酸いな」


「はい。目から涙が流れるほどに……」


 俺は目頭を拭わず、残った蜜柑を一つ、また一つと口に放り込んでいく。


「爺は、他に何と言っておったのだ?」


「立派な弾正忠家の主に成長されたと喜んでいました。俺、殿は……行儀が……」


「悪いな」


 主従揃って、ただ蜜柑を食べ続ける。手元のがなくなったら、信長様が新しいのを投げ渡してくれた。


「行儀を治すには死んで諌めるしかない、なんて戯れを……」


「戯れ……か」


「戯れです。誰が何と言おうとも、戯れをおっしゃったのです」


「だが、戯れとはいえども、事実そうなった。改めてやらねば、爺が浮かばれんだろう」


「信長様がご立派になられたなら、きっとお喜びになると思います」


 俺も与えられた役目を全うしなければいけない。平手政秀から信長様を守るという役目を引き継いだのだ。


 俺がいることで歴史が変化するのか、しないのか。まだ歴史の変化はないけれど、注意しておく必要がある。歴史が変わって、史実よりも早く死んでしまうのは絶対に避けたかった。


 ぐっと腕で目を拭い、残った甘い蜜柑を口に放り込む。


 そこに、前田孫四郎利家がやって来る。


「殿、五郎右衛門殿が御召により参上されました」


「すぐに通せ」


「はっ!」


 前田利家が平手五郎右衛門勝秀を呼びに戻り、俺は蜜柑の皮を片付けて平手勝秀のために脇によける。


 すぐに平手勝秀がやって来て、信長様の正面に座った。前田利家はその後ろに控えて、警戒する素振りを見せている。

 那古野での平手勝秀の評判は地の底にある。遅参したうえに戦での働きも芳しくない。それに徒士の者たちは蔑まれたと思っており、信長様から勘気を蒙ったことを喜んでいた。それを恨んでいるのではないかと考えているのだ。

 俺は前田利家からの目配せを受けて、いつでも動けるようにしておく。


「平手五郎右衛門勝秀、参りました」


「葬儀の用意の中、苦労」


「とんでもございません。殿よりも父を優先しては、父に叱られてしまいます」


「五郎右衛門が爺に叱られるなど、想像つかんな。わしは爺に叱られてばかりだった」


「いえいえ、それがしも随分と叱られました」


 故人を偲ぶ会話が続く。俺と前田利家は、少しずつ警戒を解いていった。


 そして、語る内容がなくなったのか、二人とも口を閉ざす。やがて、信長様が重々しく口を開いた。


「五郎右衛門」


「はっ!」


「召し上げた亡き平手政秀の旧領、半分を知行として与える」


「ありがたき幸せにございます!」


 平手政秀が死んで信長様に詫びを入れた形にし、平手勝秀を許す名分にする。その上で、半分とは言え平手家が持っていた領地を戻す。長く弾正忠家に仕えた忠臣に対するせめてもの手向けであった。


「残り半分は新たに建立する寺の寺領とする」


「新たな寺?」


「そうだ。お前も知っている臨済宗の沢彦宗恩を招き開山する。名を政秀寺(せいしゅうじ)とし、政秀を弔うのだ」


「父の、名を……寺名に……」


 平手勝秀が急なことに面食らっていた。


 それは当然だろう。一家臣のために、主君がわざわざ寺を建立してまで弔おうとしているのだ。これほどの厚遇はなかなか見られない。


「政秀寺建立の奉行に任じる。懈怠(けたい)は許さん。父の名に恥じぬ寺とせよ」


「かしこまりました! この五郎右衛門勝秀、奉行を勤めさせて頂きます!」


 平手勝秀は深々と頭を下げる。そして満足気にうなずく信長様。


「励め、五郎右衛門」


「ははっ!」


 こうして平手勝秀は信長様の側近に返り咲いた。以前ほどの力はないけれど、信長様の直臣では大身だ。表向き批判する者はいなくなり、あとは戦で手柄を上げることができれば以前と同等の領地を貰えるだろう。


 今は味方が一人でも欲しい。もし、平手勝秀が用いられることがなかったら、信長様に不満を持って政敵に走る可能性もある。それを未然に防げた。


 平手政秀の死は、信長様に大きな影響を与えるだろう。俺も新たな枷を嵌められた。平手政秀は、自分の役目の代わりに息子ではなく俺を選んだ。しかも約束を破って、自分はさっさと降りてしまった。


 父といい、嫌味爺といい、どうして誰も一緒に歩いてくれないのだろうか。











 結局、平手政秀の自害の理由はよくわからなかった。信長様を諌めるため、信長様と息子の不和を解消するためなどと色々噂が流れた。一番根強かったのが、やはり信長様があまりにもうつけであるために愛想を尽かしたというものだ。

 信長様の勢力拡大において平手政秀がいなくなったことは大きい。何せ家老を務めた人物が欠けたのだから。しかし、勢力を後退させずに弾正忠家をまとめられている。これも去年の大和守家との戦いに勝利した賜物だ。


 だが、弾正忠家内はそれでよくても、看過し得ない人物の耳にも噂は届いていた。


 信長様の義父であり、帰蝶様の父、美濃の斎藤山城守利政から書状が届けられる。


「そなたの父がわしに会いたいそうだ。どう思う?」


「……父は去年美濃の平定を遂げました。殿も弾正忠家の当主となられ、立派に家中を統率されています。両家が落ち着いたので、会ってみようという軽い気持ちでしょう」


「ふん。家臣たちには、この機会に尾張に攻め込んでくるのではないかと疑っているのも多い。会談でわしを亡き者にしてな」


 信長様が疑いの目を帰蝶様に向ける。帰蝶様はその視線に気づかない振りをして、俺の持つ筆に手を添えて字の書き方を教えてくれている。


「上手になってきたけれど、手に力が入りすぎているわね。もっと楽に書いてみなさい」


 帰蝶様が俺を挟んで信長様と向き合う。俺はもう我関せずと一心に紙と筆に集中して、字の練習を続ける。


「ご心配ありません。父に殿を害そうなどという考えはありませんわ。まだ……」


「まだとはどういうことだ?」


「私と殿との間に子ができなければ、強引な手段も取りましょう。子ができれば、ゆっくりと尾張に入ってくると思います」


 もう二人が結婚して五年あまり。当主たる信長様にまだ子供がいないことは問題になりつつある。二人ともまだ若いからこれからだと思う。だが、信長様の弟である勘十郎信勝が妻を迎える話があるために、急かす声も出てきていた。


「わしとそなたとの子を使って国盗りをするつもりか」


「ええ、ですので、どうぞ他の女の寝所にお行き下さいませ」


 信長様がぎろりと俺に目を向けたのがわかる。もう春だというのに、背筋が異様に寒くなった。


「長三郎!」


「はい! い、いいえ、違います。俺じゃありません!」


「長三郎、筆に力が入っていますよ」


「申し訳ありません、帰蝶様!」


 土下座でもなんでもするから、俺を挟んで夫婦喧嘩をしないで欲しい。


 俺は部屋の隅にいる姉に視線を向けて助けを求めた。姉は任せろと小さくうなずいてくれる。


「聞いた話ですと、お相手は昨年お引き立てがあった(ばん)九郎左衛門尉直政様の妹と。近々お子も生まれるとか」


 違うよ姉ちゃん!


 俺が小さく首を振って訴えるが、姉はすました顔だ。


 信長様は負けたとばかりに天井を見上げる。


「お前を……疎略にはせん」


「当然です。でも、この話はいずれお話しましょう。今は父と会うか否か」


「ああ。わしは会ってみようと思っている」


「それがよろしいです。私の方からも、父に文を書きます。殿のことをちゃんと褒めておきますね。お通、準備して頂戴」


 姉が帰蝶様の筆と硯の用意を始める。


 姉と帰蝶様は、もう俺たちを見ようともしない。誰が信長様と塙直政の妹とのことを密告したのかわからない。いずればれるとは思っていた。でも、せめて俺を巻き込まないようにして欲しかった。

 信長様の立場からしたら、側室がいるのは悪いことではない。でも姉にはどうして言わなかったのかと絶対に怒られてしまう。

 言い訳するなら、姉に説明しようにもうまい言葉が出てこなかったのだ。信長様が帰蝶様以外の女性のとこに通ってるなんて、どう言えばいいのか分かるわけがない。

 信長様だってこの話題から避けていたんだから、全部信長様が悪いんだ。


 そっと信長様を見ると、顔を背けているがちらちらと帰蝶様の様子をうかがっている。俺の視線に気づくと、どうにかしろと顎をしゃくってみせた。


 俺は大きくため息をつく。


「あの……帰蝶様……」


「手が止まっているわよ、長三郎」


「えっと、帰蝶様も会談に赴かれるというのは如何でしょうか……」


 何も考えず、ただの思いつきを口にした。とりあえず話題を振ってみて様子を見るつもりだった。


 だけど、見向きもしなかった帰蝶様が、俺の顔を見、そして信長様に顔を向ける。


「それは良い。帰蝶も長く家族に会っておらんのだ。これを機に夫婦揃って顔を見せてやろうではないか」


「本当によろしいのですか? 後で駄目だと言われても聞きませんよ」


「無論だ。長三郎、筆を貸せ。岳父殿に返事を認める」


 こうして、信長様と名高き斎藤利政との会談が決まった。

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