後追い
平手政秀の屋敷は、家老であっただけに立派なものだ。しかし、どこかうら寂しい雰囲気を醸し出していた。
多くの人が出入りしていたであろう門は閉ざされ、まるで来客を拒んでいるようだ。
俺は裏にまわって柵戸から訪いをすると、年を食った女中が姿を見せる。
「どなたでしょうか? 主人の政秀様は誰ともお会いになりませんが……」
「突然のご無礼をお許しください。道祖長三郎と申します。殿、三郎信長様より平手政秀様のご様子を見てまいれと命を受け、罷り越しました。お取次ください」
困った顔をする女中は、何度か俺と屋敷を交互に見るとやがて屋敷の奥に引っ込んでいった。
「はあ、どうして俺なんだよ。孫四郎でもいいだろうに……」
項垂れてため息をつくも、もう来訪を告げてしまったのだからどうしようもない。願わくば、平手政秀が信長様への言伝だけを託して面会を断って欲しい。
どうも、小間使いのころに嫌味を聞かされすぎて苦手意識が先に立つ。
憂鬱な気持ちで女中が消えた方を見ていると、しばらくして戻ってきた。
「お待たせしました。主人がお会いします。どうぞ、お入りくださいませ」
どうやら覚悟を決めなければならないようだ。
俺は女中の案内で屋敷の中に通された。掃除は行き届いているけれども、うら寂しい雰囲気の通り屋敷内に人気が全然ない。
一室に通されて、平手政秀が来るのを待つ。
まずは何と言おうか。お久しぶりですなんておかしい。お元気ですか、は元気じゃないかもしれない。いかがお過ごしですか、まるで手紙みたいだ。
首をひねっていると、すっと平手政秀が部屋に入ってきた。慌てて居住まいを正し、頭を下げる。
「よく来たな、長三郎。今日は殿からの使いと聞いた」
「はっ。信長様より平手様の様子を見てこいとの仰せで罷り越しました」
顔をあげると、以前見かけたよりもすっかり老け込んでいた。かなりの年齢なのは知っていたが、それにしても急激に年を取った感じだ。
「年も改まったことで、蟄居を解かれるお考えです」
「そうか……いや、もはや儂には殿のお役には立てまい。息子の五郎右衛門をお引き立て頂きたいと伝えてくれ」
平手五郎右衛門勝秀は、清須攻めで醜態を晒してしまった。他の遅参者たちが懸命に城を攻める中、手勢だけを動かして後ろに控えていたのだ。
信長様は怒り心頭で、他の遅参者たちが許される中、平手勝秀だけは会うことも許さなかった。結局、平手政秀から没収された領地はそのままになっている。
「しかし、信長様は平手様の出仕をお望みなのです。隠居されたとはいえ、ご相談役としてそばにいてもらいたいのだと」
「もう隠居した身だ。このような老骨には余りある」
「平手様……」
これが、あの平手政秀だというのだろうか。豊かな資金を持ち、連歌などの芸事にも精通している数寄者。朝廷や公家にも対応でき、安祥城では当主に代わって数千の軍勢を指揮した。そんな人物が、こうも弱気になっているのには、驚くしかない。
「どうされたというのですか? 失礼を承知で申しますが、平手様らしくありません。いつもの――」
「嫌味はどうした、か?」
ぐっと言葉に詰まる。
「思えば、お前には散々居丈高に接していたな。今更であるが、許せ」
「……とんでもないことです」
どう反応していいかわからず、俺は頭を下げる。
「村出身の小僧が、何か無礼をしたためと心得ております」
「そうだな、お前はとんでもないことを殿に教えた」
「信長様に、教えたこと……ですか?」
「賽子の賭けだ。古来より双六はあれど、賭けはいかん。あれは身を滅ぼしてしまう」
俺がもちかけた村への夫役免除での賭け。あれが原因で俺はずっと嫌味を言われていたのか。理由がわかると、納得できる。そりゃ、次期当主に駄目な遊びを教えて、近くに侍るようになった儀礼知らずなんか守役からしたら近づけたくない。何を吹き込むかわからないのだから。
信長様が俺を手放さないことを悟ると、俺に嫌味を言って辞めさせようとしたのだ。そして、それも叶わないとなると報告がてらに呼び出しては嫌味を言って教育を始めた。
次に同じ嫌味を言われないように注意していたら、すっかり身についてしまっていた。
「おっしゃること、正にその通りでございます。平手様のお立場からすれば、私への対応は当然のことでございます」
「いや、もっとやりようはあった。風流に傾倒し、武家であるということを失念していたのだ。それが、息子にもよくなかった。幸いなのが、殿が弾正忠家の当主としてちゃんとご成長されたこと」
「ですが……礼儀作法は、まだ身についていらっしゃらないようですが?」
頻度は少ないが、信長様は未だに当主になる前と同じ格好をして歩き回ることがある。それに食べ歩きなんかも普通にしていた。
「ああ、そこは治らなんだ。しかし、あれほど言ってお聞かせしても治らなかったのだ。もはや、死してお諌めするしか手はないな」
「何を馬鹿なこと……を……」
そうだ、平手政秀だ。諫死したのは、この人だ。嫌味な人としか思っていなかったから、気づかなかった。今は冗談めかして死んで諌めると言っているが、それを実行してしまう。
どうするんだ。見殺しにしてしまっていいのか? 信長様は、きっとこの最古参の家臣を必要としている。でも、諫死せずにこの人が生きていれば、信長様の側近として近くにいれば、歴史は変わってしまうだろう。
俺みたいな小者が近くにいるよりも、ずっと影響力は大きい。
「どうしたのだ? おかしな顔をして」
「い、いえ……あまりにも突拍子もないことを仰せられたので、驚いたのです。失礼いたしました」
誤魔化すために頭を下げて、顔を見られないようにする。
いつ諫死するのか正確な年代日時はわからない。明日か、それとも来年か。何が引き金となって諫死を引き起こす?
なかなか考えがまとまらない。史実で死ぬ人が目の前にいて、どうすればいい?
信長様に初めて会ったとき頭が真っ白になった。今も同じ状況だ。
「長三郎。殿より名字を頂いたのだったな。さて、どのような名であった?」
「……道祖、と。道祖神よりあやかって付けていただきました」
「道祖……道祖か。良き名だ。お主にはよく似合っている」
「恐悦至極にございます」
救うべきか、歴史に任せるべきか。
そもそも俺が存在していることで、歴史通りなのかもわからなくなってきた。今川の足止めや街道整備なんてのも提案してしまっている。そんな状況で、歴史にこだわるべきなのか?
「長三郎は、殿のことをどう思っているのだ?」
「生きる道を示してくださった方です。色々と守って下さってもいます。信長様に誠心誠意お仕えすることが、御恩を返す道と思っている次第です」
これだけは考えなくても言える。たとえ出世できなくても、信長様についていくと決めたのだから。
「殿は、良い家臣をもった。そんなお前だからこそ、言っておきたいことがある」
「……何でしょうか?」
「長三郎、お前は織田信長様のさやとなれ」
何を言っているんだ? さやになれってなんだよ……。
俺は意味がわからず、首をかしげる。
「殿は抜き身の刀のようなお方だ。そのご気性は敵だけでなく、お味方すら傷つけてしまう。そうすれば、いつかは我が身に返ってこよう。だから、道祖長三郎が、織田信長様という刀を包む鞘となるのだ。そして、道祖神のように、道を示し、厄災からお守りしてくれ」
「…………身に余るお言葉です。しかし、俺の様な小者には、とてもそのようなことは……できません。誰か、別の方にこそ……相応しい役目だと思います」
「いいや、お前だからできる」
あんたが一体俺の何を知っているっていうんだ。
死ぬかもしれない人を目の前に、どうすればいいのかとずっと考えている。なのに、当の本人が俺にまた過分な役目を振ろうとしていた。
苛立ちから、おもわず拳を握ってしまう。
「どうして、出来ると? とてもそのようには思いません」
「お前は不思議なやつだ。兄がついていなければ危なっかしい弟のようであり、癇癪を起こす弟を諭す兄のようでもある」
「それは……」
長三郎の体に入らなければ、俺は信長様よりも歳上なのだ。しかし、この時代のことは長三郎の年齢よりも幼いと言われても仕方がない。
「殿が長三郎をお側に置くのは、ただの酔狂ではない。必要だとお思いなのだ。だから道祖長三郎、殿を守り、道を示せ」
自然と力が抜けて、俺は平手政秀に平伏する。今まで何度もしてきたが、この人に本気で頭を下げようと思ったのは初めてのことだ。
「……では、平手様。私に役目を申し付けるのです。平手様にも、役目を担っていただきます」
「ほう、この平手政秀に、お前が命を下すというか」
「恐れ多いことですが、申し付けられた役目を果たすためには必要なことです」
少しの間、沈黙が流れる。そして、平手政秀がため息を付いた。
「申してみよ」
「生きて、信長様のお役に立ってください。まだ、信長様の地盤は安定を見せず、不安定なのはご承知でしょう。どうか、つまらぬ考えをなさらずに信長様の側近くで、精一杯お働き下さいませ」
もう、歴史が変わる変わらないなんて置いておこう。ただ、目の前の人に生きて欲しい。
「相変わらず賢しい小僧よ」
可笑しそうに笑う平手政秀。
「信長様も、五郎右衛門殿への勘気をお解きなります。伏して、お願い申し上げます」
「……わかった」
「では、ともに那古野城へおいで下さいませ」
「いやいや、急には無理だ。蟄居を解かれたお礼に、後日必ず参上すると殿にお伝えしてくれ」
「承知しました。信長様には必ずお伝えします」
そして、俺は信長様への報告に急ぎ立ち戻った。
信長様は殊の外喜ばれて、終始ご機嫌で仕事がやりやすかった。
白の装束を身にまとい、居住まいを糺す。
「お役目を放棄し、殿のお側に参ります。お許しくだされ」
小刀を抜き、切っ先を腹に向ける。
「若殿、申し訳ありませぬ。あの者をお責めあるな」
衰えた力を刃に込めると、あっさりと体に突き刺さっていく。
「老骨の勝手……どうか、お許しを……」
天文二十二年閏一月十三日、平手政秀切腹。




