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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
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合い間

 結局、清州城が落城することはなかった。四方八方から間断なく攻め続ければ、もしかしたら落城したかもしれない。だが、斯波義統がいるので限定的な攻撃に留まった。

 林秀貞を始めとした遅参者たちは、その限定的な攻撃を一身に受け持ち、ついには交渉の端を開くことに成功する。織田信友が、斯波義統を仲介として和平を申し出たのだ。


 信長様は、渋々といった呈で和平を受け入れた。形だけとは言え、上位者の意向には沿わなければいけない。領地問題で話は難航するも、内容的には弾正忠家の勝利であった。弾正忠家と大和守家の両家は、以後争わないことを約定して戦が終了する。


 そして俺たちは、那古野城に帰陣することが出来た。


「無事に見事なお手柄を上げられたと聞きしました。祝着に存じます」


「ね、姉ちゃん! 何してんだよ!?」


 家に帰れば、姉が手をついて頭を下げてくる。俺は慌てて膝をつき、姉に頭を上げさせる。


「もう、せっかくちゃんとお出迎えをしたんだから、うむ、とか、ご苦労とか言えないの?」


「姉ちゃんにそんな偉そうなことするわけないだろ。まったく……」


「まったくは姉ちゃんの方よ。手柄を上げたって聞いた時は、怪我したんじゃないか、それでもしかしたら死んだんじゃないかって心配したのよ。ちゃんと文を書きなさい」


「文って字なんて書けないし、姉ちゃんだって読めないじゃって……そういや、帰蝶様から色々習ってるって本当なのか?」


 姉がしまったという風に口元を押さえた。そして、ついっと立ち上がって顔を反らしてしまう。


「姉ちゃん! 何で隠すんだよ」


 どうやら帰蝶様から色々な教養を習っているのは本当らしい。


「教えてもらっているって言っても、大したことじゃないのよ。いつも帰蝶様に呆れられるものだから、恥ずかしくって」


「本当に?」


「もちろんよ。黙ってたことはあるけれど、姉ちゃんが長三郎に嘘言ったことないでしょ。ほら、いつまでもそうしてないで、立ちなさい。鎧と具足を外して上げるから」


 誤魔化されている気がしてならない。しかし、いい加減に窮屈な鎧を脱ぎたかったので、大人しく従った。


「随分と立派な刀なのね」


「信長様から頂いたから。そうだ姉ちゃん、この後に買い物に行こう。銭も貰ったから」


 まだ昼間なので、小袖くらい買えるだろう。信長様の言う通り、まずは姉に報いなければならない。


「まさか、無駄遣いするんじゃないでしょうね。駄目よ、そんなの」


「無駄遣いじゃない。姉ちゃんにまず報いてやれって信長様がおっしゃったんだ。まず支えてくれた家族に報いないと家臣なんて持てないって」


「そうなの? じゃあ、仕方ないわね」


 鎧が外されて、だいぶ体が楽になる。そして、若干動きが早くなった姉に具足も外されていく。


 にこにことご機嫌な様子を見ると、やはり嬉しいのだろう。俺も嬉しくなってくる。


「それにしても長三郎が刀と銭を恩賞で頂くなんて、思いもしなかったわ」


 そういえば、姉には恩賞の内容をまだ言っていなかった。


「それだけじゃないよ、禄も貰うことになったんだ」


 姉は俺が言ったことを理解できなかったようで、不思議そうに俺を見てくる。俺は姉の両肩に手を置き、激しく揺すった。


「五貫文の禄だよ! 俺、武士になったんだ。信長様が名字も付けてくれた!」


「五貫文……名字……」


 姉はうわ言のように繰り返す。そして、ようやく理解したのか、俺の両肩に手を置いて揺すってくる。


「すごいじゃない! 何で早く言わないのよ、この子は!」


「ご、ごめん、姉ちゃん」


 俺にしたら何日も前の話だし、散々手柄話をした後なので今更という感じだ。


 しかし、姉にしたら今知ったわけで、土地なんてそう貰えるわけないんだから驚いて当然だった。


「禄なんて貰って……ど、どうしたらいいのかしら」


「大丈夫、細かいことは池田勝三郎((恒興))殿がやってくれるって。だから心配ないよ」


「そ、そう……勝三郎様なら安心ね。あなたと親しくして下さっているし」


 手間賃として上前をはねられることはよくあることだ。でも、池田恒興とはもう何年もの付き合いになるのだから、問題なくやってくれるだろう。


「それで? どんな名字をつけていただいたの?」


道祖(さや)。これからは道祖長三郎って名乗るんだ」


「さや?」


「うん。道祖神から取ったんだって。字も一緒」


「……そう。道祖神様から名前を頂いたなんて……」


 さっきまでとても喜んでくれていたのに、姉が浮かない顔をする。


「どうしたの姉ちゃん? うれしくないの?」


「うれしいわよ。でも神様からなんて、恐れ多いことだって思ったのよ。嫌よ、神罰なんて」


「それもそうだね。じゃあ、道祖神を見かけたら、ちゃんとお供えをするようにするよ」


「ええ、そうしなさい。姉ちゃんもそうするわ」


 てきぱきと鎧と具足を木箱にしまっていく。だが、その手つきはいつもの姉らしくもなく、少し乱暴に扱っている。顔もなんだか怒っているようにも見えた。


「姉ちゃん、本当は嫌なんじゃない?」


「嫌なことなんてないわ。姉ちゃんはね……」


 姉は俺の頬に手を添える。そして、ぐっと顔を引っ張られて膝をつき、そのままきつく抱きしめられてしまう。


「長三郎が立派になって本当にうれしいわ。おっとうの息子で、私の自慢の弟。ごめんね、不安にさせてしまって……」


「姉ちゃん」


「さあ、買い物に行きましょう。長三郎の刀に合う小袖に、字も書けるように手習いになるもの、色々と買わないといけないわ。それと……姉ちゃんのもちゃんと買ってもらうから」


 姉はにっこりと笑って、さっきまでの様子は少しも見られない。


 結局、はぐらかされようにして買い物に行くことになった。今まで少ない金をやり繰りして物を買っていた姉は、様々なものを楽しそうに買っていく。

 荷物持ちは大変だったけれど、ようやく一つ姉に報いることできた。今まで買えなかった真新しい小袖を纏う姉を見ると、また手柄をあげてやろうと思うのだった。









 年が変わり天文二十二年(一五五三)、俺はただの小間使いから小姓に近い役職になっている。仕事といえば、信長様と右筆、吏僚とをつなぐ雑用係だ。そして、信長様が外出するときには、元服した前田犬千代あらため前田孫四郎利家とともに護衛として侍る。


 信長様は着々と地盤を固めつつあった。年配の家臣たちには行儀が悪くて受けは良くないのだが、取り立てられたいと思う者たちは集まってきている。惜しむらくは、やりたいことに領地と銭が足らなかった。


「まだまだ領地が足らんな」


「はい。清州城を落とし、大和守家の領地を奪えていれば良かったのですが……」


 信長様と村井吉兵衛貞勝、島田所之助秀順といった吏僚が今後の方針を話し合っている。俺はただ隅にいて、成り行きを見守っていた。


「もはや終わったことだ。清須の与兵衛はなんと言っている?」


「守護代は大人しくなったようです。そして、家老の坂井大膳が家中を差配してまるで乗っ取りのようだと」


「ふん、無様なものだ。そんなことなら、全てをわしに明け渡しておればよかったものを」


 村井貞勝の報告に、不機嫌さを隠さない信長様。昨年の戦は得るものはあったが、守護斯波義統を盾に取られてはほどほどで満足せざるを得なかった。それがもどかしいのだ。


 東からは今川の脅威が確実に迫っている。去年の暮れには今川義元の娘が武田晴信の息子に嫁いだ。完成はしていないが、今川・武田・北条の三国同盟が姿を表しつつある。信長様は警戒し、鳴海城周辺の土豪や城主に働きかけを続けて、今川に流れるのを踏みとどまらせていた。

 大大名とも言える今川との分の悪い綱引きである。侵攻が本格化する前に、先代織田信秀の全盛期に劣らない地盤を築き上げなければいけない。


「長三郎!」


「はっ」


「お前はどう考える」


 村井貞勝と島田秀順の視線が俺に突き刺さる。小間使い上がりの俺が、どこまでできるのか見てやろうと言った感じだ。


「……現状を動かすには、大きく動かなければなりません」


「鳴海の山口親子でも攻めるか? 今あそこを攻めても、今川の攻撃を誘うようなものだぞ」


 島田秀順が口をはさむが、俺はそれに対して首を振る。


「いえ、鳴海ではありません。あそこは今の状態を如何に長く維持するかに費やすべきです」


「では、どこだ?」


 俺は部屋の隅から、三人が見ていた尾張の絵図の前に立つ。


「現在、弾正忠家に大きな利をもたらしているのは、熱田と津島になります」


 熱田と津島はともに港町として栄え、熱田神宮と津島神社には門前町で賑わっている。ここの津料や商人たちからの収益で弾正忠家は勢力を伸ばした。それは今でも変わらない。信長様が一族を押さえていられるのもこれが一助になっている。


「この那古野は熱田からは近いですが、津島からは遠い」


「それがどうしたのだ。遠かろうが、支配には何の問題もない」


「ええ、支配して税を取るという点ではおっしゃる通りです。しかし、物の流れから考えるとどうでしょうか。津島からの物の流れは清須に流れてしまって、この那古野には一部しか届きません」


 禄を貰うようになったことで、以前よりも物を買うことが増えた。暇を見つけては、姉を連れて熱田と津島の方まで足を伸ばして買い物にも行った。豊かなところには、自然と物と人が集まってくる。


「物が集まるところには、人も集まります。清須に流れている物と人を、那古野に集中させるのです」


 物と人が集まると税が入ってくる。清須という未だ潜在的な敵に回してやることはない。


「なかなかおもしろい。具体的にはどうする? 商人に清須へ行くなとは言えんぞ」


「津島から那古野までの下街道を整備します。途中の萱津などはすでにこちらのもの、道を整えて通行しやすくするのです」


「そのための銭はどこから出すというのだ。夫役で補うにしても限度があるぞ」


「いえ、出来る限り夫役は使いたくありません。報復のように関銭をかけられるかもしれませんから」


 可能なら関所なんて取っ払ってしまいたいが、急には無理な話だ。こうも権力が分散している現状では反発を招いてしまうし、一国全体ならともかく一部地域だけ関所をなくしたところで効果はない。

 でも、特定の者たちに関銭をかけないようにするのは有効だ。


「津島の商人たちに有徳銭をかけます。税としては渋ると思うので、見返りとして津島と那古野間の関銭免除の特権を与えるのです。その銭で道中の村々から人を雇って街道を整備、銭を出した商人たちの関銭免除を徹底させます」


 この時代、寺社などに奉仕して関銭免除などを与えられていた神人(じにん)を出発点とする商人たちは、衰退を迎えている。そして、それに取って代わるように登場してきた新興の商人は、各地の関所に悩まされていた。有徳銭という臨時税を出すことで、通行特権を得られるとなれば、飛びつく商人も多いはずだ。


「また、この那古野に津島商人のための新市を設けます。津島からきても、前からいる熱田の商人に邪魔をされるかもしれませんので。これで、清須から那古野に物の流れを変えるのです」


 村井貞勝と島田秀順が顔を見合わせた。突拍子もない考えに反応に困っているのか、それともまったくの無茶な考えと思っているのか。


 もともと街道整備と関所撤廃は織田信長の業績の一つだ。まだ、道幅三間((5.4m))になる並木道を整備して関所もなくすことはできないけれど、その基礎を作ることは出来る。

 そして、信長様が面白いといった顔をしている。


「長三郎、道祖神のお告げでもあったか? 道祖(さや)から道のことが飛び出すとはな」


「いえ、参拝した折に気づいたことを申し上げました。銭が足りるのかなど、考えなければならないことは多いと思いますが、如何でしょうか?」


「ふむ……手詰まりの今、考えてみるのは良いかもしれん。なあ、所之助よ」


「はい。津島からの道だけでなく、熱田からの道も同様にするのも良いかと」


 吏僚の二人が相談を始める。もう後は、どうすればいいのかわからない。街道整備にかかる試算が、許容内に収まることを祈るだけだ。


「やるかはわからんが、なかなかおもしろい考えだ」


「ありがとうございます。この道普請を広げていけば、軍勢の移動も早くなります」


 まあ、それだけ攻められやすくもなるが、今の防衛方針では速さが第一だ。


 信長様もそれをわかっている。満足気にうなずいてくれた。そして、思い出したというように手を打った。


「そうだ、長三郎。一つ、やってもらうことがある」


「なんでしょうか?」


「平手の爺の様子を見てこい。蟄居させていたが、年も改まったのだ。出仕させるには良い頃合いだ」


 俺は平手政秀が好きではない。信長様もそれがわかっているはずなのに、どうして行かせるのか。


 思わず顔に出てしまったため、信長様の目つきが一気に怖くなる。


「すぐに、行ってまいります!」


 俺は初めて、平手政秀の家に向かうことになった。

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