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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
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遅参者

 信長様が陣幕に姿を見せると、空気がより張り詰めたのが分かる。


 参陣に遅参した者たちが一斉に平伏する。


 俺は信長様の後ろに控えながら、初めての光景に息を呑んだ。今までは、当然こんな場に出ることはなかった。それが、今では信長様の護衛の形で丹羽長秀とともに信長様のそばにいる。

 名前の呼び方が変わっただけでなく、立場が変わったのだと見せつけられた。


 信長様が床几に座ると、立って出迎えていた弾正忠家の一族が続いて腰を下ろす。


「林秀貞」


「ははっ!」


「わしの筆頭家老たるお前が遅参とは、いかなる了見か。事と次第によっては覚悟するがよい」


 信長様の問いかけに、林秀貞がより一層身を低くする。


「申し訳ありません! 時期が時期ゆえ、兵が思うように集まらず……。それがしの配下の者たちも寝耳に水と取り乱してしまい、何度も早馬のやり取りを重ねたために……」


「理由にならぬな。集まりし者たちも、十全に兵を集められたわけではない。それでも、いち早くにと参陣しておるのだ。そして、この乱世に備えも覚悟も無き者が弾正忠家にいようとは、許されざる怠慢である!」


 信長様が、不快気な顔を浮かべている。せっかく落ち着いていたのに、もう不機嫌になってしまった。確かに、いざ動員となった時に右往左往して兵が集まらないなんて聞かされたら、そりゃ怒りたくもなるけれど。


 林秀貞も自分の過ちを悟ったのだろう、顔がひきつってしまっていた。


「このたわけ者どもが!」


「はっ! 遅参いたしましたこと、もはや申し開く言葉もございません」


 深く平伏し、その配下たちも一斉に頭を下げる。


「されど! せめて、せめてお役に立てないかと思いまして、兵糧をかき集めてまいりました! どうかお納め下さいますよう、お願い申し上げます!」


「……ほう。つまりは、兵は集まらなかったが、米を集めてきたと申すのか?」


「左様でございます。皆の領内より集めましてございます。城攻めにお使いくだされ」


 早くそれを言ってれば良かったのに。要らない心配をしてしまった。


 俺はそっと安堵の息をつく。これで犬千代の父親も開放されるだろう。


 信長様はどうしたものかと考えている。そこに、叔父の織田孫三郎信光が話しかけた。


「殿、お許しあって良いのではないでしょうか。我が方、刈田をしたとしても急ごしらえ、兵糧には些か不安がござる。ここで兵糧を確保できるのは助かる」


「孫三郎が言うのであれば仕方があるまい。皆の兵糧を出すことで、遅参の罪の贖いを認める。ただし、戦に備えないことは見逃せぬ。今回の清須攻めの先鋒を務め、武者働きを示せ」


「かしこまりました。城攻めの先鋒、しかと務めてみせます」


 鷹揚にうなずく信長様。それを受けて、林秀貞とその配下たちは下がっていった。城攻めの前面に兵を動かすためだ。


 信長様としたら悩みどころだっただろう。自分の家老が連絡もよこさずに遅れたのだ。兵糧を持ってきても簡単に許す訳にはいかない。それをうまく織田信光が間に入ってくれたので、遅参は不問とすることが出来た。あとは林秀貞が城攻めで頑張れば、采配した信長様も林秀貞も顔が立つというものだ。


 織田信光の意見を受け入れたのも、周囲からは好印象だったようだ。まだ若く、評判も良くないのもあって、人の意見を聞き入れるだけで評価が上がった。どれだけ評価が低いのかと思ってしまう。


「さて、では次に同じ家老たる平手政秀」


「はっ!」


「遅参の理由は何だ?」


 理由を聞かれているというのに、平手政秀が平伏したまま動こうとも、語ろうともしない。


「どうした? いつまで黙しているつもりだ」


「面目次第もございません。ただそれがしの不徳と致すところ……何の弁解の余地はありませぬ。どうかお心のままに、裁きを下されますよう」


 あっさり罪を認めたことに拍子抜けしてしまう。弁がたつ人物であるし、信長様の信頼も一番厚い人物だ。だというのに、一切の言い訳もせずに処罰を受け入れるという。潔いとも言えるが、逆にこっちが心配になってしまった。


 信長様も渋い顔つきをしている。弾正忠家の面々も、一族に長く仕える功臣の態度に戸惑っていた。


「爺は……言われるがままの裁きを受け入れると言うのだな?」


「はい。全てはこの老骨の責任。ご処断は、この身だけで収めていただきたく存じます」


「……よかろう。我が家に長く仕えた功績に免じ、今回はその方だけに罰を与える。皆も良いな?」


 弾正忠家の面々を見渡す信長様。全員が確かにうなずいている。誰もが、この老臣の世話になったことがあるのだろう。老け込んでしまった平手政秀を心配そうに見るものもいる。


「では、爺は隠居のうえ、蟄居せよ。戦も満足に出れないのであれば、平手の当主は務まらん」


「かしこまりました」


「爺の領地は一度全て没収とし、その上で相応しい者に与えることにする。助次郎など一族たちの領地は安堵しよう」


「それはあんまりでございます!」


 声を上げたのは平手助次郎勝秀。父親の平手政秀が黙って平伏したままだというのに、声を上げて信長様を遮った。


「父の領地は代々のご当主様方から拝領した平手の一族のもの。そのようなことをされては、我が平手家は成り行かなくなりまする!」


「下がれ、助次郎。殿のご沙汰に、口を挟むではない」


「されど父上! 跡継ぎであるこの助次郎勝秀ではなく、相応しい者に引き継がれるとあっては。もしもそれが平手の者でなければ如何なされるというのですか!?」


「それも武家の習いよ。お前は異議を唱えるのではなく、この戦にて働きを示せばよいのだ」


「しかし――」


「黙れ!」


 信長様の大声が響く。目がつり上がって、青筋を立てている。


 平手政秀の言う通りだ。林秀貞たちと同じように、城攻めで武勇を見せればよかった。そうすれば、召し上げた領地はそのまま勝秀の物になっただろう。もしこの戦では駄目でも、他で頑張れば良いだけのこと。それまで信長様は誰にも与えずに待っていたはずだ。


 俺より長く仕えておきながら、そんなことも察せられないのか。


 呆れるのも通り越して、俺は思わずこぶしを固めた。


「助次郎! お前はわしの決めたことに文句があるのか!」


「殿のお決めのこととは言え、これはあまりに理不尽! どうか、ご再考を!」


「くどい! もう決したことだ、下がれ!」


 なお食い下がろうとする平手勝秀を、周囲が頭を下げさせて引き下がっていった。


 当然、信長様は怒りが治まらずに他の遅参者たちを処断していく。とんだとばっちりだった。死罪などはなかったが、しばらくは苦しい立場に立たされるだろう。


 思ってもいなかった展開になったが、とりあえずは終わった。そのまま軍議の場となり、処罰者たちを中心に城攻めを行わせることになる。

 まず尾張守護の斯波義統とその家族を城外に出すように使者を送り、聞き入れない場合は強引にでも守護を救出する。斯波義統が囚われているという体裁にした上で、城攻めを行うのだ。詭弁ではあるけれども大事なことだった。


 全ての準備が整ったうえで、城攻めが開始される。清州城に籠もる織田信友は、徹底抗戦の構えを見せて斯波義統も城外に出すことはなかった。


 清州城は尾張の中心とも言われる城だ。防備を固めた城に、林秀貞を中心とした軍勢が攻撃を開始する。


「さすがは清須。なかなか堅固だな」


「はい、やはり城攻めは難しいものなんですね」


 鳴海城ではこっちの軍勢が少なかったから落とせないのは仕方がない。でもこの清州城攻めは、いまや相手よりも圧倒的に有利な状況だ。それなのに、舞い込む報告は一進一退を繰り返している。


 犬千代も実家が前線で戦っているので、そわそわして落ち着かない様子だ。そこに、丹羽長秀がそっと信長様にある人物を示した。

 

「殿、あれは……助次郎殿では……」


 城攻めを行う中で、一人が馬に乗っている。指揮をする林秀貞や平手政秀だとそれもわかるのだが、平手勝秀だとすると不釣り合いだった。


「えらく立派な馬にお乗りだ。まるで一手の大将のようですな」


 丹羽長秀が信長様の前でこんな皮肉めいたことをいうのも珍しい。それだけ、我慢できないことだったのだろう。


「平手の爺はどうした?」


「蟄居をご命じになられたので、すでに戦場を去っておられます。那古野の家にて蟄居されると」


 信長様はぎりぎりと鞭を曲げる。


「あやつを呼んでこい」


 とてつもなく機嫌が悪い。近くに居たくないと何人かがすっ飛んでいく。そして、まもなく馬に乗ったままの平手勝秀が姿を見せる。


「殿、お呼びと聞きました。何様でございましょうか?」


「助次郎、えらく良い馬に乗っておるな」


「はっ。前々より父が跡目をそれがしに譲ると申していたので、それに備えて当主にふさわしい良き馬を探しておったのです。この馬に出会えたのは誠に幸運でございました。それと、助次郎ではなく、五郎右衛門に変えましてございます。以後は、五郎右衛門でお願いいたします」


 そんなことを聞きたいのではない。それがわかっているので、胃が痛い気持ちで信長様を見る。


「では、五郎右衛門。その馬をわしに寄越せ」


「は? しかし、それは……」


「昨日の恩賞で馬を与えてしまったのでな。良き代わりの馬を探していたのだ。戦働きをしないお前には不釣り合いと言うものだ。わしに寄越すがいい」


「それがしは武者でございます。そこにおる長三郎などと違って徒士で戦は出来かねまする」


 信長様だって馬から降りて戦うことがある。それはここにいる騎馬武者たち全員がそうだ。それに、馬に乗れない者たちにとっては、お前たちとは違うと侮辱されたようなものだった。


 まだ平手勝秀のなかでは、大身の平手家当主という意識があるのだろう。それも、この戦で手柄を上げてこそだと言うのに。信長様は勝秀を馬上で戦わせるのでなく、徒士にさせて戦わせようとしている。そうすれば、後ろでふんぞり返るよりも戦功を上げやすい。


 他者の目がある中で、贔屓はできない。信長様も迂遠な言い回しであるが、もう去年とは違っているのだ。織田信秀という後ろ盾がいた時代と同じにする訳にはいかない。


 信長様は勝秀に去れと手を振る。勝秀は前線に戻っていったけれど、結局手柄は上げることができなかった。

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