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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
18/101

御気色

 陣幕の中は緊張に包まれている様子だ。


 理由の如何(いかん)を問わずに遅参した将たちが陣幕の中央に集められており、それを取り囲む形で戦に参加した将兵が取り囲んでいる。

 まるで謀叛者に対する裁きの場のようであった。


 俺はあぐらをかきながら、その様子を遠目に見ている。


「どうしたのだ長三郎? ぼうっとして」


「勝三郎……殿、いやあれを見ておりまして」


 今まで様付けだったのが、急に殿と呼ぶようになった。どうもそれが慣れない。変な呼び方になってしまい、池田恒興も苦笑している。


 そして、俺が指差す方向に視線を向けた。


「遅参の者たちか。さて、殿はどのようなご処置をされるのだろうな」


「林様や平手様もいます。大事にはならないのでは?」


「しかし、罰が軽くては殿の面目がたたん。ご一族衆の手前もある」


 今回の清洲城攻めは、弾正忠家の跡取りとして信長様が行った初めての動員であった。そんな一大事に、よりにもよって信長様の家老たちが揃って遅参している。それも、戦の趨勢が決まってからの参陣なので、高みの見物をしていたのではないかと、その意図を邪推されもする。

 まだ参集していたのが信長様の直臣たちだけなら庇いようもあったけれど、もはや内々で済ませることはできなかった。


「長三郎よ、殿は何と仰っておられる?」


「それが……小一郎((中条家忠))殿の陣より戻ってからお会いしていないのです。むしろ、勝三郎殿の方がご存知と思っていました」


「いや、わしもお会いしておらんのだ。論功の手配で動き回っていた。ふむ、犬千代のやつは知っているかな」


「犬千代も共に戻ったので知らないかと。今は、林様に従っている実家の荒子衆のもとに参っています」


「そうか。だが、犬千代が手柄を上げたのだ。林様が罰せられても、その下の荒子までは大丈夫であろう」


 前田犬千代の父親は荒子城の城主を務めている。荒子は信長様に従っているが、その上役は林秀貞だ。林秀貞の動きが遅かったために、共に遅参してしまった。幸いなのが、信長様の小姓になっている犬千代が活躍していることだ。これで一応は面目が立つ。


 それでも、あの陣幕内にいては生きた心地がしないだろう。誰が犬千代の父親なのかはわからないが、あそこにいるはずだ。

 友人の家族がそんな状況だと思うと、黙って座っているのも居心地が悪かった。


「……仕方ありません。お会いしてきます。もうそろそろお呼びしなくてはなりませんし」


「任せたぞ。お怒りの殿には近づかぬに限るのでな」


 俺が腰を上げると、池田恒興がうまくいったと笑った。どうやら最初から、俺に様子を見てこさせようとしていたらしい。


「まったく。最初から言ってくれればよかったのです」


「それでは殿のご機嫌を伺ってくれなんだろう?」


 当然だ。好き好んで機嫌の悪い信長様に近づこうと思わない。


 俺は苦笑を浮かべて、信長様の陣幕に向かう。腰に信長様から貰ったばかりの刀を佩いているが、どうもこれも慣れなかった。というよりも、今の身なりでは立派な刀が合わない。とてもちぐはぐな格好に気恥ずかしさを感じている。


「おお、そこにいるのは長三郎ではないか。いやもう、長三郎殿ですかな」


「まさしく手柄を上げた長三郎殿だ。いやはや、見ろあの刀を。とても良い物ではないか。羨ましい限りよ」


「何でも五貫文の領地を拝領したらしいな、見事な手柄を上げたものだ」


「なぜ昨夜は戻ってこなんだ。今日は手柄話を聞かせるのだぞ」


 途中、顔見知りに会うたびに手柄話をせがまれ、恩賞をうらやましがられてしまう。

 それだけなら良かったのだが、すれ違いざまに舌打ちされる場合があった。自分たちが手柄を上げられないのに、十四の年下が偶然とは言え手柄を上げたのだ。これが同じ武家の次男三男ならこうもならなかっただろうが、一家を立てることも叶わないものには心穏やかでない者がいる。

 信長様の側近くに仕えているから、手を出してはこないけれど、これからは足を引っ張られることもあり得る。注意しておかないと失敗につながる。大失敗を犯したら、切腹させられるかもしれないのだ。


「……切腹なんてしてたまるか」


 誰にも聞かれないように小さくつぶやく。


 死ぬ訳にはいかない。この命は、長三郎のものでもあるのだ。姉だって、これから幸せになってもらわなくてはならない。名字を貰うとは思ってもいなかったが、貰った限りはそれを使っていかなければならない。それに、引き立ててくれた信長様に恩を返したいと思う気持ちもあった。


 そこで、ふと記憶が刺激された。


「切腹……そういえば、誰か切腹してた」


 史実では信秀の死後に、信長様を諌めるためとかで誰かが切腹していた。でも、未だに誰もそんなことしていない。まだ半年も経っていないとはいえ、信長様は着実に実績を積んでいるのだから、大丈夫だろう。でも、念のために名前を思い出しておかないと。


 信長様の陣幕がもう見えていた。誰が切腹したのか思い出せず、首をひねりながら近づくと陣幕の護衛についていた丹羽長秀が話しかけてきた。


「おお長三郎、よく来たな。今宵はこっちで戦の話を聞かせるのだぞ」


「みなに言われました。犬千代とともに存分に語らせてもらいます」


「楽しみだ。昨日の戦、こっちは散々であった。乱戦で怪我をしたものが多い。せめて、面白い話を聞かなくてはな」


「……戦では五郎左殿らしくない戦い方でありましたが、何かあったのですか?」


 俺が聞くと、渋い顔を浮かべる丹羽長秀。そして、憎々しげに吐き捨てた。


「あの権六勝家のせいよ。初陣でもあるまいに逸りおって。手柄欲しさに強引に押し込んできたのだ。こちらはバラけさせられ、やつは整然と戦った。首級も多く掻っ攫っていきおったわ。お陰で遅参の罪は帳消しよ」


「そんな……」


 そんな無茶苦茶な戦い方があるのか。狙ってやったのなら、とんでもない方法だ。信長様もよく許したものだ。


「文句を言うたが、手伝ってやったなどと言う。大身だからとこちらを下に見ておるのだ。いつか目にものを見せてやる」


「ええ。そうしてやりましょう」


 生き延びたが、もしかしたら死ぬかもしれなかった。それを招いた柴田勝家には良い感情を持てない。


「ところで、殿に会いに来たのであろう」


「ええ。遅参者を集めているところに来て頂かねば、いい加減にご一族衆もお怒りになるでしょうし」


 丹羽長秀が肩をすくめ、道を開けてくれる。どうやら信長様はかなりご立腹のようだ。


 俺が陣幕に入ると、信長様は瓜にかぶりついていた。


道祖(さや)長三郎、参りました」


「呼んでおらん」


「承知しております。……皆様がお待ちしています。もうお越しになって頂かなくては、ご一族衆もお怒りになられましょう。そうあっては、せっかく固めた信頼にヒビを入れてしまいます」


 信長様は、どこ吹く風とまた瓜を一口食べる。


「長三郎よ、奴らはどのような様子だ」


「遅参者たちは恐々と。林様と平手様も中におられます」


「ふん。親父の死後、平手の爺も耄碌したものだ。家老共には一番に使いをやったと言うのに、来たのは最も遅い」


「林様はわかりませんが……平手様は家督を助次郎殿に譲るという話がありました。家督相続に何か問題あって遅参したのでは?」


 平手政秀と勝秀の親子には散々嫌味を言われた。正直好きではなかったが、不当に貶めようとは思えない。信長様の父織田信秀の死後、平手政秀は気落ちして領地に戻ることが多くなっている。家督を息子の助次郎勝秀に譲って隠居するのではないかと(たえ)に聞いた。


「理由にならんわ。身一つ、足軽の一人連れてでも参陣できる。それを爺はしなかった。第一、隠居するならわしに話を通しておくのが筋だ。そのような話は聞いておらん」


「あるいは病かもしれません。理由を糾明されてから、お怒りなさいますよう」


「長三郎、おのれはわしに意見するか!」


「申し訳ありません。しかし、不当にお叱りすることはなりません。どうか、心落ち着かせてご詮議のほどを……」


 信長様は瓜に手を伸ばして、一個を放って投げる。急だったために、それを慌てて掴み取る。


「切れ。半分やる」


 俺は短刀を取り出し、瓜を四つ切にして、中の種を削ぎ落とす。二つを地面に置き、もう二つを持って信長様に差し出した。


 信長様がその一つを手に取る。


「名はどうだ? 気に入ったか」


「はい。まるで……昔からの名前であったかのようです。とても良き名前を頂きました」


 頂いた名前、道祖はたった一夜しか経っていないのにしっくり馴染んでいた。


「うむ」


 しかし、信長様は悩み顔を浮かべている。瓜も口に運ぼうとして止めたままだ。


 まさか、付けた本人が気に入らないなんて言うんじゃ……。


「どうされましたか?」


「いや、なに……通がなんと言うかと思ったのだ」


「姉もきっと喜んでくれます。何せ、禄まで拝領したのですから」


「阿呆、名前のことだ」


 そこまでは考えていなかった。確かに、道祖の家族は姉だけ。自分がしっくりきたと言っても、姉までそうとは限らない。

 しかし、きっと姉も喜んでくれるはずだ。


「大丈夫です。とても良い名ですから、姉は必ず喜んでくれます」


「そうか」


 まだ納得がいかないという顔をする信長様。そして、そのまま瓜を口に運んだ。


「それにしても意外です。信長様が姉のことを気にするなど」


「……通の後ろには帰蝶がおる。何か気に食わないことがあれば、寝首をかかれる」


 信長様が手刀で首を切る仕草を動作をする。


「まさか? 姉が帰蝶様のおそばにお引き立てあったとはいえ、そのようなこと――」


「お前は何も知らんのだな。今の通は帰蝶から最も信頼されておる侍女。仮名から和歌、管弦まで様々なことを帰蝶から習っておる。どこへ嫁に出しても恥ずかしくないようにすると、息巻いておるわ」


「し、知りませんでした。姉は……自分は下っ端で、雑用係だと言っていたもので……」


「まったく。知らんのはお前くらいだ。まあ、帰蝶が通、わしが長三郎と分けておるで大丈夫か」


 瓜をたいらげて、残ったもう一つを手に取る。


 そんな人を玩具みたいに分けられても困るのだけど、そのお陰で随分と守られていたのだと察しがつく。


「なんだ? 不服か?」


「いえ、我ら姉弟は、果報者であると思ったのです」


 俺は跪いて、深く頭を下げた。


「生きる道を、名前を、他にも様々なものを頂戴しました。ありがとうございます」


「ふん、今更だな。お前は……これからもわしについて来い。良いな」


「かしこまりました。どこまでも、ついてまいります」


「それで良い。では、そろそろ行くぞ」


 手に持つ瓜を一気に食べ尽くして立ち上がる。俺も立ち上がって、口周りを拭いてもらおうと手ぬぐいを差し出す。


 しかし信長様は手ぬぐいを手に取らず、歩き出した。


「瓜を忘れるなよ、長三郎」


 地面に置いた切り分けた瓜を拾う。すると、一つを信長様に取られる。


「半分下さるって言ったじゃないですか」


「気が変わった。ほれ、さっさと食わんとそれも取ってしまうぞ」


 信長様が歩きながら瓜に齧り付く。行儀が悪く、うつけなんて言われる行動の一つだけど、俺も真似をするように瓜に齧り付いた。


 瓜を食べながら歩く主従に、丹羽長秀が呆れたと言わんばかりの視線を送ってくる。だが、信長様が上機嫌であるのを見ると、安堵して後ろに続く。


 姉は教養を、弟は無作法をそれぞれの主人から習っている。そう思うと、なんだかおかしくて笑ってしまった。


 ちょうど食べ終わった信長様が、皮を投げ捨てつつ怪訝な顔をする。俺も皮を捨て、もう一度手ぬぐいを差し出した。

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