名付け
弾正忠家の軍勢は、織田大和守信友が出陣させた坂井大膳を打ち破り、難なく清州城を取り囲んだ。松葉城と深田城に分派した軍勢も、無事に人質となっていた織田右衛門尉信次を救出した。そして両城に人数を入れ置き、清州城を取り囲む軍に合流をする。
しかし、清州城を包囲しても攻め入ることはしていない。実権はなくても、尾張守護である斯波義統がいる清州城を攻めることは出来なかった。
信長様は清州城を厳重に包囲し、清須周辺の田の刈り取りを行って示威行動をするに留めている。
そして、合流した味方を交えての首実検が始まった。
「小一郎様、何かとお手を煩わせてしまって申し訳ありませんでした」
俺は協力して首を取った中条小一郎家忠に頭を下げる。
討ち取った坂井甚助は有力な武将だったので、それに相応しい対応をする必要がある。敵とは言え、戦った身分ある者には礼儀を尽くさなければならなかった。その対応を全て家忠がやってくれた。自分だけなら、どうして良いのかわからずに無作法をして叱責か嘲笑を受けただろう。
「気にしなくても良い。お主が加勢してくれなかったら、坂井甚助を討つことは叶わなかった。死した家臣も、浮かばれる」
おそらくは槍で胸を突かれた足軽のことだろう。
「それで、長三郎の怪我は良いのか? 顔に晒を巻いておるが」
「ええ、痛みはありますが大丈夫です。腫れてしまって見苦しいので、晒を巻いているのです」
「その程度で済んだのなら良かったな。放っておいてもしばらくすれば治る」
本当にその通りだ。家忠の言葉に俺はうなずいた。
「そちらも斬られた足軽の方はご無事で?」
「ああ。幸いにも金創医に処置してもらえた。命は助かるだろう」
「それは良かったです」
仲間内で行われる治療は最悪だ。治療と呼べるかも怪しいのが多い。その中で、この時代の外科医とも言える金創医に診てもらえるのは幸運だった。
「お陰で銭がかかってしまったわ。あの者の命には代えられぬが、手持ちが足らず借金までしてしまった。早く返さなくては、甲冑がとられてしまう」
「ではたんまりと恩賞を頂かなくてはなりませんね」
冗談めかして笑う家忠に、俺も合わせて笑う。
そうしている間に、次々と首級をあげた者たちが寺の中に入っていく。そして、ある者は喜び、ある者は落胆して出て来る。
喜んでいるのは当然望む恩賞にありつけた者たちだ。恩賞は様々な形で払われることになる。最上なのが知行と呼ばれる領地、つまりは土地だ。
土地以外に出される恩賞は、金銀や銭、武具、そして馬などもある。恩賜の武具は箔がついて、足軽なら武士に召し抱えられる道も拓ける。武士でも主君の覚えが目出度いと出世の機会が増えるのだ。
そして、恩賞とともに貰える戦功を記した文書が重要となる。それがあれば、別の国に行っても仕官することも可能だったりするので、とても重要な物だ。
また落胆している者については、戦功が認められなかった者たちだ。戦功が認められなかったのは、人から奪ったり偶然拾ったりした首級を提出した、もしくは誰も見ていなかったために認められないなんてのもある。
討ち取った首級が実は無名の者なんてのもある。写真などがない時代なので、名のしれた者であっても顔がわからない。そのために、相手が名乗らなければ、聞きかじった特徴で判断したりする。戦場では本人だと思っても、首実検の際に人違いだと明らかになるのだ。
苦労して取った首に価値がなければ、落ち込もうというものだ。
命がけの結果が報われないことがありうる世界だ。自分たちも笑っているが、内心では笑っていられない。借金をしたという家忠は特にそうだ。
「そろそろ我らも呼ばれるな……」
「はい」
さっきまで浮かべていた笑顔が固くなる。俺もまだ軽傷とは言え、命を懸けただけの見返りが欲しい。恩賞を貰って、姉に何かをしてやりたい。そうじゃないと、首級の目つきが忘れられそうになかった。
「次、中条小一郎家忠殿と足軽の長三郎。入られい!」
ついに名前が呼ばれた。俺たちはうなずきあって、共に首実検の場に入っていく。
そこには、弾正忠家の面々が揃っている。正面には信長様が座り、叔父である孫三郎信光も誇らしい様子で家忠を見ている。
俺たちが片膝をつくと、信長様が重々しく口を開いた。
「坂井甚助の首、しかと検分した。紛れもなく豪の者と評判の坂井甚助の首である。恩賞を遣わす」
「ありがたき幸せにございます!」
家忠が深く頭を下げる。俺も続いて頭を下げた。
「中条小一郎家忠」
「はっ!」
一歩前に出る家忠。
「坂井甚助の首を取ったこと、誠に大儀である。孫三郎とも話した。五十貫の加増だ」
「恐悦至極に……ございます!」
喜びのあまりに身を震わせている。五十貫は百石相当にもなった。
「わしからは鎧と馬を褒美に取らせる。以後も禄に相応しい働きを示せ」
「かしこまりました。小一郎家忠、必ずやこの御恩に報いてみせまする!」
信長様が満足気にうなずく。そして、家忠が下がると視線を俺に向けた。
「長三郎、前に出よ」
「はっ!」
俺が前に出ると、信長様が笑みを浮かべる。
「わしに仕えてどれぐらいになる?」
「小間使いとなり、もう四年余りになります」
「四年か。まさか、あの小生意気な小僧が、斯様な手柄を上げると思わんかった」
それは俺も同感だ。まさか、自分がこんなところまで来るとは夢にも思わなかった。
「長三郎、坂井甚助の首を取る小一郎に合力し、見事な武篇を示した。よって褒美を取らせよう。……お前に、家名をやる」
「家名でございますか?」
「そうだ。以後は――」
信長様が池田勝三郎恒興から紙を受け取る。池田恒興と視線が合うと、我が事のように嬉しげな様子を見せた。信長様が紙を広げる。
書かれている文字は道祖。
「道祖長三郎と名乗れ」
道祖じゃなくて道祖?
「賽は塞に通じ、そして道祖神は塞の神とも呼ばれる。路傍の神といえども、境を守りし由緒ある守り神だ。その御名を貰った。この名を名乗り、以後もわしに仕えよ」
「道祖長三郎、身命を賭しましてお仕えいたします」
由来を聞かされると、自然と頭が下がった。肌身離さず持っているサイコロに因んだ名を、しっかり考えてくれていたのだ。もしかしたら、ずっと以前から。
「わしの直轄地より五貫文分を知行としてとらせる。勝三郎の所領の近くゆえ、世話をしてもらえ。勝三郎も良いな?」
「承知しました。委細はお任せ下さい」
恐らく直轄地の代官職を池田恒興かその親類が務めているのであろう。領地経営をしたこともなく、若く身一つでは所領も維持できないと思われたのだ。自分自身でも無理だと思う。だから、懇意の池田恒興が代官を勤める直轄地から五貫文を与えられた。
姉と暮らすには必要十分以上だ。人を雇うことも可能だから、姉も随分と楽になる。
「それと、わしの大小の佩刀を授ける」
信長様がわざわざ近くまで来て、腰の刀を抜く。それを、両手で押し戴いた。その上に小袋も渡される。
「入用になる当座の銭だ。自分のためだけでなく、通に、姉に何ぞ買ってやるのだぞ。一心にお前を支えた家族だ。その姉に報いずして、家臣を持つことはできんと心得よ」
「与えられし御恩は分かち合い、我欲に使わないこと、肝に銘じます」
「それでよい」
信長様が満足そうにしながら元の位置に戻っていった。俺も、家忠の隣に戻る。
そして、二人で一礼してから、その場を後にした。
心中にあるのは、新しい名前だ。道祖長三郎。
安祥城の戦では、足軽にすぎない自分が、武士たちと肩を並べて成り上がれるなんて思いもしなかった。これで、死んだ父にも顔向けできるはずだ。
「そなたが五貫、それがしが五十貫。すまぬ、そなたが首を上げていれば……」
「いいえ、これでいいのです。余り多くを頂いては、親も一族もおらず、ただの足軽の子の私には、逆に困ってしまいます。身の丈にあったところから精進せよと仰せなのです」
家忠が納得したと何度もうなずく。そして、良いことを思いついたと手を叩く。
「同輩や配下の者たちが手柄話を聞きたがっているのだ。長三郎殿も、来てくれないか? 今宵は大いに盛り上がろうぞ」
殿と付けられたことに目を丸くする。その表情に家忠が笑う。
「ほれ、まだ慣れていないではないか。その調子では、大殿の陣幕ではからかわれよう。慣れてから戻られると良い」
「ありがとうございます。お邪魔させて頂きましょう」
「よし! では、さっそくついて参られよ。楽しくなる」
そこに、前方から前田犬千代が走ってくるのが見えた。見事な朱塗りの槍を携えている。
「長三郎! 恩賞はどうであった!?」
「犬千代様。はい、しっかり頂きました」
腕に持っているのを掲げると、犬千代も槍を見せてくる。
「槍は殿から戴いたのだ。そして、孫三郎様より名を使うのを許された!」
「なんと、殿より名を?」
「これは、失礼仕りました。荒子城主、前田利春の息子前田犬千代と申します」
「孫三郎信光様の家臣中条小一郎家忠だ」
挨拶を交わす二人。
「孫三郎様が、拙者の手柄を上げるのをご覧になっていたとのことで、武者振りを褒めていただいたのです。それで、元服の際には名を使っても良いと仰せられました」
「元服前だと言うのに、すばらしい。それはぜひとも話を聞きたい。長三郎殿と一緒に、ぜひ我が陣幕に来て話を聞かせて欲しい」
「長三郎……殿?」
犬千代がこちらに顔を向ける。そして、肩を掴んできて、体を揺する。
「まさか、お主やったのか?」
「殿より、家名を付けてもらいました。これからは、道祖長三郎と名乗ります。知行は五貫文」
「それは……長三郎殿、失礼しました。お許しを」
頭を下げる犬千代。まだ元服前の犬千代よりも、俺のほうが立場が上になったのだ。
だが、そんなものはすぐに逆転するような些末な差でしかない。
「何を言われますか。もう元服されるのです。そのようにされることはありません」
「しかし……」
「これからも、これまで通りにお願いします」
「……もう敬語はいらん。長三郎、次は負けんからな」
「ええ、私も負けはしません」
そう簡単に癖は抜けない。犬千代に睨まれてしまった。犬千代が文句を言おうと口を開こうとする。そこに、家忠が宥めるように俺たちの肩を叩いて笑う。
「さあさあ、行こうではないか。我らは手柄を上げたのだ。そのような時は、大いに喜ぶもの。つまらぬことをするものではない」
「ええ、参りましょう。ほら犬千代も行くだろ?」
「まったく。ああ、道中では全然話を聞いていなかったからな。今度はたっぷりと聞かせてやるぞ」
その夜は中条家忠の陣幕で何度も戦での話をすることになった。また、入れ代わり立ち代わりに将もやって来て、彼らの話も聞かされる。戦場とは思えない空気を漂わせていた。
清州城はまだ落ちていないが、もはや彼らに反抗する力はない。もう戦は終わったようなものだ。そんな状況になって、ようやく遅参していた家臣たちが集まってきている。
その遅参した家臣の中には、信長様の家老である平手政秀と林秀貞も含まれていた。