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信長の軍師 賽の目は天下不如意なり  作者: 無位無冠
第一章 織田弾正忠家の墾道
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戦の前 壱

 鳴海城での戦いから四ヶ月あまり、織田と今川の間に変化はない。鳴海城こそ攻め落とせなかったが、徹底的に山口左馬助教継を叩いたことから表立って今川方に走る者は現れなかった。鳴海城から兵を引く時に、尾張東部の城や土豪を回ってきたのも効いているのだろう。

 油断はできないが、とりあえずは胸をなでおろせる結果だった。


「ありがとう。持ってもらえて助かったわ」


「別に……暇だったからな」


 顔を覗き込むようにして笑顔で言われたお礼に、俺はぶっきらぼうに答えた。お礼を言った少女お(たえ)は、そんな俺を面白そうに見てくる。


「なんだよ?」


「長三郎がさ、お通以外を手伝うなんて珍しいと思って。前は殿様のお稽古の時以外、寝てるか変なのを作ってばっかりじゃない。たまにお通を手伝ってさ」


 痛いところを突かれてしまった。弾正忠家の主となった信長様は、以前ほど稽古をしなくなった。はっきり言って城内にいると、俺はやることがないのだ。

 城内で信長様がやるのは(まつりごと)になる。それにはちゃんと右筆なり吏僚の村井吉兵衛貞勝や島田所之助秀順などがいる。俺の出る幕は当然あるわけない。

 そうでないときは、様々な人と面会している。外に行くときはついていくが、城で会う時のほうが多い。


 結局、これまでずっと信長様につきっきりであったために、やることがなさすぎるのだ。やることがないので、暇を持て余していた。


 暇なので千歯扱きの作成に時を費やして、すでに三代目は完成している。木や竹の歯では耐久性に問題があるかもしれないけれど、この時代の村で使うなら、木や竹で出来ていたほうがその場で修理しやすいと思う。

 暇に飽かして作られた三代目千歯扱きは、日々姉の邪魔だという視線に晒されながら、秋の収穫の時期を待っている。


 そんな俺の状況を知っていて、この(たえ)はからかっていた。


「これ、この場に置いてくぞ」


 俺は両手に持つ水桶を少し持ち上げてみせる。本気で言ったのだが、(たえ)はまったく慌てない。


「そんなことしたら、お通に言いつけるわ。手伝いを放棄してどっかに行っちゃったって」


 姉を持ち出されると弱い。俺は黙って、重い水桶を持ち直した。


 この(たえ)は姉ととても仲が良い。だから、俺の行動は筒抜けだ。もともとは、姉が帰蝶様のそばにつくようになったことから、その代わりに入ったらしい。だから、最初に姉が仕事を教えた。それから仲が良くなって、なにかと話をしているそうだ。

 

「……そんなに暇なら、殿様にお願いして何かやらせて頂いたら?」


「言ったさ。そしたら手柄を上げてから言えっておっしゃられたよ。だから、戦のない時は大変そうなところの手伝いだよ」


「長三郎は、やっぱり武士になりたい?」


「別に武士じゃなくてもいいかな。姉ちゃんに楽をさせてやれるならさ」


「そう……。でも、このままだとあんたが出世するより、お通が嫁に行くほうが早そうね」


 それは考えないでもなかった。姉はそこそこに人気があるようで、城内の男衆などによく話を聞かれるのだ。まあ、帰蝶様のお付きの中では下っ端とは言え、主人の奥方に気に入られた年頃の娘だ。妻に迎えられたら覚えもめでたいだろう。

 そして、城内の男衆だけならともかく、信長様の手足となっている武士の次男三男のなかにも、狙っている輩がいることが問題だ。

 昔、平手政秀に言われた姉に縁談を用意してやるという言葉が思い出される。度々していた報告も、信長様が家督を継いでからめっきりなくなった。たぶんもう用済みと思われているのか、それとも役に立たなかったから捨て置かれているかのどちらかだろう。


 そこではたと気がつく。姉と仲の良い(たえ)がこんな話をするということは、もしかして。


「もしかして、姉ちゃんは誰か好いた人がいるのか?」


「……知らない。お通とはそんな話はしないもの」


「今の間はなんだよ!? 本当は知ってるんだろ? 頼むお妙、教えてくれ!」


 (たえ)に詰め寄るが、するりと逃げられてしまう。そして、妙は手に持つ水桶を抱えるようにして、小走りして距離を開けられた。


「ほら。早く来ないと置いてくよ」


「ちょっ、待ってくれ。お願いだから教えてくれってば!」


 楽しそうに笑って逃げていく(たえ)。俺は走ろうにも、両手に持つ水桶の中身をこぼすわけには行かないので走れない。(たえ)は付かず離れずの距離で俺をからかい、結局教えてはもらえなかった。









「殿、与兵衛から連絡がありました」


 村井貞勝からの報告に、信長は顔を上げた。


「与兵衛はなんと?」


「ひそかに足軽どもを集めている、と。狙いはまだ不明ですが、こちらに攻めてまいりましょう」


「そうか。……戦の準備を整えておけ」


「承知しました。用向きはいつもの調練ということにして、準備を進めます」


 打てば響くのごとく、村井貞勝は信長の考えを読み取っていた。機嫌よく信長がうなずく。


「それにしても、些か不便でございますな。なにかある度に、皆を呼び寄せるというのも」


 現在の信長の兵は、武士たちの次男や三男が担っている。なにもない時は多くが実家に身を寄せているため、直属の兵なのに集まるには手間と時間がかかる。


「仕方あるまい。常に那古野に住まわせるほど、銭もないのだ。知っておろう」


「御金蔵については知り抜いています。されど、何か良き手法がないものかと、所之助とも思案しております。しかし、これがなかなか……」


 銭の問題は大きい。熱田や津島があっても、金はまだ足りていない。ある金をやり繰りしても限界がある。領地を増やせればいいのだが、そんな簡単に増やせれば苦労はなかった。


「何か考えつけばお知らせします。今は、目の前の対処に動きます」


 そう言うと、村井貞勝は静かに部屋を出ていった。そして、自分以外の誰もいなくなった部屋で、しばらく黙考した後、口を開く。


「誰か!」


 すると、すぐさま小姓の前田犬千代がやって来る。


「お呼びでしょうか」


「長三郎をここに」


「どこかへお出かけでしょうか? ならば、小者を呼ばずとも拙者がどこへなりともお供いたします」


 この新しい小姓である犬千代は、しきりに長三郎と競うような言動をする。それが面白いのであるが、煩わしいときもある。


「犬千代」


「申し訳ございません。すぐに呼んで参ります」


 信長の不機嫌な声に、犬のように項垂れてしまう。そして、主人の命令を実行するために走っていった。


 機微をよく察するので重宝しているが、もう少しでしゃばりを改めれば言うことがないというのに思っている。しかし、そうすれば面白くなくなってしまう。

 吠える犬千代に長三郎はどこ吹く風と気にしていない。それが、大きな問題になっていない要因だ。もし喧嘩にでもなれば、両者を裁かなければならない。それは、信長の望むものではなかった。









 信長様が呼んでいると、つっけんどんな前田犬千代に言われて信長様のもとへ急ぐ。後ろを前田犬千代が走っているが、馬について走り続けた俺のほうが早い。


 走りとは言え、有名な将となる前田利家に勝っていると思うと、ちょっとした優越感がこみ上げてくる。


 信長様の部屋に近づくと、走るのを止め、歩きながら息を整える。ちょうど部屋の前で、前田犬千代が息を切らせて追いついてきた。


 勝ったとばかりに笑みを浮かべると、犬千代は口に出さないが悔しがっている。身分は向こうが圧倒的に上なのに、こうして煽るようなことをしても怒ってこないのでとてもいい人だと思う。


 俺はひざまずいて信長様がいる部屋の襖を開ける。


「長三郎、お呼びにより参りました」


「遅い!」


 信長様の怒声に、前田犬千代が平伏する。


「申し訳ございません。拙者が長三郎を探すのに手間取ってしまい……」


「お前のことではないわ! 長三郎、お前、わしが呼んでおるというのに歩いただろう?」


「申し訳ありません! 歩きました!」


 俺は深く平伏する。どうも犬千代と一緒の時はどちらかが怒られている気がした。


 そして、横にいる犬千代がざまあみろという顔をしているのが悔しい。


「……犬千代は下がっておれ。長三郎に話がある」


「承知しました」


 俺がさっと部屋に入ると、犬千代が襖を閉めてくれる。なので、そのまま信長様の前までいき、正座する。


「何の御用でしょうか?」


「清洲が動く」


 織田信長の居城で有名な清洲城。今は、守護代家の織田大和守家が治めている。尾張守護の斯波義統を擁しており、実力で押さえ込んでいた信秀亡き後の影響力は計り知れなかった。


「やはり動きますか。城を落とせなかった鳴海での戦で侮られたのでしょうか?」


「あり得ることだ」


 山口教継を叩いたと捉えるか、城を落とせなかったと捉えるかはそれぞれである。大和守家は日頃の評判とあいまって、信長様を大したことがないと考えたようだ。


「清洲との距離が近すぎるので、前回のような奇襲はできません。真正面から戦うことになります。衰えたりと言えども、武衛((斯波義統))様を擁しているのです。信長様だけでは、兵数に差が生じるでしょう」


「鳴海ではそれでも勝った」


「奇襲の勢いと、今川がいるという楽観が油断を生み出したのです。今度はそうはうまくいきません」


 信長様も当然このことは考えているはずだ。だから、俺と答え合わせをするようにして、自身の考えを深めている。


「兵の損耗を押さえるには、兵を供出させるしかありません」


「どこだ?」


「……ご一族に」


 各地にいる弾正忠家の親族を、一族の長として動員するのだ。


「さて……葬儀のこともある。動くかどうか」


 仏前に抹香を投げつけてまだ半年も経っていない。あとで話を聞いて頭を抱えたものだ。そういえばそんな事件もあったと。


「ここは信長様が頭を下げて――」


 信長様に鋭い眼光で睨みつけられる。俺は途中で言葉を切り、咳払いをして言い直す。


「一族が動かざるを得なくするのはどうでしょうか?」


 まあ、確かに信長様が一族に頭を下げるわけないよな。


「ほう、それはいい。どうするのだ?」


「俺よりも信長様がご存知のはずです。既に清洲の動きを掴んでいるのだから、誰かを送り込んでいるのでしょう。その者に誘導なりさせて下さい。そう、信長様以外の弾正忠家を襲わせるのです」


 信長様が笑みを浮かべる。もうどうするかをお決めになられた顔だ。


 そして、数日後に清洲の織田大和守家による攻撃が松葉城と深田城に行われる。深田城の城主は織田右衛門尉信次。亡き織田信秀の弟、信長様の叔父にあたる人物だ。そんな一族の重鎮が、守護代家に人質に取られた。

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